【書評特集 My Best 2024】|森岡正芳

森岡正芳(立命館大学)
シンリンラボ 第21号(2024年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.21 (2024, Dec.) 

アンガス・フレッチャー著 田畑暁生訳『世界はナラティブでできている―なぜ物語思考が重要なのか』青土社 2024

原著は2022年刊行。フレッチャーは,メディア研究者である。物語思考の独自性をわかりやすく解き明かしている。AIの進化はとどまるところを知らない。この時代において,物語思考の持つ積極的意味があるのだろうか。著者によれば,物語はあらゆる創造行為の計画を助けてきた。物語思考は生活の実践とともにあり,すたれることはないという。物語思考の特徴をわかりやすく説明してくれている。1.例外を優先する。科学主義の心理学がマクロデータの平均値をベースに理論をつくるのに対して,物語は固有でユニークな具体的な人に注目する。科学主義からは外れ値として除外されるものにこそ,ナラティブは関心を寄せる。2.視点を柔軟に移動する。もし私があなただったら,どうするだろうと想像してみる。そこから出てくる言葉やイメージがナラティブである。自己の視点を相対化し,複数の視点を確保できる。3. 対立葛藤を浮き彫りにする。物語に登場する人物は現実の人であっても,物語として枠づけることにより,それぞれの人物が抱える感情体験,相互の葛藤を鮮明に浮き上がらせる。物語は,事実との関係は緩いという。論理実証思考とは異なったモードの物語思考を学校教育では抹消してきた。なぜだろうか。一読をお進めしたい。

アンガス・フレッチャー著 田畑暁生訳世界はナラティブでできている―なぜ物語思考が重要なのか

小森康永,デンボロウ.D,岸本寛史,安達映子,森岡正芳『ナラティヴと情動―身体に根差した会話を求めて』北大路書房 2023

もう1冊ナラティヴ論の近刊を紹介したい。

心理学の研究領域では,ナラティヴをデータとして扱う観点が出てきているが,物語はむしろ行動,行為である。単なる言語データではない。生きている私が日々動かされる感受体験が語りを通じて伝わってくる。さてそういう感情体験は,ことば以前で,身体的である。

身体に根差した会話という副題がついているのは,embodied conversationの訳。ナラティヴの行為を実践の場で見返すと,語りは声,そして身振り,手振り,表情性が雄弁である。脳神経活動はそれらの表情,行為を制御しているが,その活動は自律的で,ほぼ意識にのぼらない。だから私も何とか生きさせてもらっているのだなと,このところ思う。

さて,ナラティヴ・セラピーの発展形として,ここ10年来の神経ナラティヴ・セラピーneuro narrative therapyという動向が目に留まる。マイケル・ホワイトの弟子,デンボロウも,その一人である。前掲のフレッチャーも,ニューロベーズド・ナラティブという方向性に注目している。しかし,二元論と要素還元主義の最たるものに見える神経科学とナラティヴ? 水と油の関係ではないかと一見思う。ナラティヴは科学主義とは異なるもう一つのものの見方である。科学では見えてこない個別性のまとまりは,物語を通してイメージされ,形になるわけであるが。その疑問は本書を通していくらか解明される。タイトルにある「情動(アフェクト)」が鍵である。ナラティヴと神経科学は情動の把握においてつながる。ぜひご一読いただければと思う。この書物は,2022年7月に,筆者の勤務先の立命館大学茨木キャンパスにて,ナラティヴ・セミナー特別シンポジウムとして開催された集まりを機に作られたものである。ナラティヴ実践研究の最前線のトピックが集まっている。

小森康永ほかナラティヴと情動―身体に根差した会話を求めて

互盛央『連合の系譜』作品社 2024

まだ読破していないものを取り上げるのは変だが,途方もない書物。そもそも読破などという言葉がおこがましくなる。書物の厚さ分量はすでに質的な変容を物語っている。定規で測ると厚さが7センチ近くある。本文だけで1286頁,目次書誌だけで127頁。著者は思想史専門。大手出版社の編集者でもある。ソシュールで博士論文を書いた人だ。前著『エスの系譜』はすでに話題を集め,文庫本にも入っている。本書も,精神分析前史として読める。

本書は「人々の分断が深まった現代において」必要とされる「連合を可能にする新たな原理」を問うためのものだという。

心理学の歴史では「連合」「連想」associationという概念は重要なのだが,現代の心理学ではテーマ化しにくく,主潮流からはずれ,潜伏したままなのが現状だろう。本書はその探求を通して西洋の思想史全体を覆いつくすことになる。近代科学において非理性的・非科学的なものとして切り捨てられたプネウマ=精気spiritの観念の探求が,一つの軸である。見失われた「プネウマ」(精神)の「連合」を再発見するために,この分量の書き物が必要となる。そして「連合」は終わらない。エランベルジュの同じく大著『無意識の発見』の裏地を辿るような書物。

大著のイントロは,ピアニスト,グレン・グールドがなぜ,バッハの《ゴルトベルク変奏曲》を最晩年に再録音したのか。30の変奏曲を挟むプロローグのアリアとエピローグのアリアは何が違うのか。その謎からはじまる。音楽がこの書を導くもう一つの原動力である。

装丁は内藤礼。この本の物体量と内容の桁外れぶりと,内藤礼のアートの限りなく微小繊細な質量,微かな兆しから浮上し,反転してくる世界とが好対照。裏返して通じ合っている。

互盛央連合の系譜

アーサー.I.ミラー『137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯』草思社  2010

極微から広大無限に至る途方もない探求を行った二人の人物パウリとユングの交流を扱った本を挙げておきたい。物理学の鬼才,ノーベル物理学賞受賞者のヴォルフガング・パウリの伝記という形式をとる。パウリは若き頃,奇行とみられる乱脈な生活ぶりも,甚だしかった。その背景には母親の自殺や最初の結婚の破綻という経緯もあったようだ。精神的な不安定から,パウリはユングに分析を受ける。1932年のことである。その分析関係は後にフォン・フランツに譲り,二人は物理学と無意識の心理学の間にある無人地帯に足を踏み入れる。パウリはユング後期の理論形成に大きくかかわっている存在である。ユングの『心理学と錬金術』の主要な夢の多くは実はパウリが報告した夢であった。パウリは,ユングやフォン・フランツに自らの夢を語り,ユングの夢解釈の導きには素直に従った。ユングにとっても元型理論の構築にパウリの夢は一役買っている。

ニュートリノの存在を予測したパウリは,さらに,世界の全体像を取り戻すための手がかりを求めていた。心を取り込む形での自然と宇宙の全体像への志向はユングと共振する。物理学と心理学の関係は鏡像の関係である。共時性,意味のある偶然の一致という事象を物理学と心理学の両面から理論化を企て,共著を記した。これは早くから邦訳『自然現象と心の構造―非因果的連関の原理』(海鳴社)がある。二人の共同作業はそれだけではない。元型としての数の探求を始める。

本書タイトルの137は原子の微細構造定数を表す。原子が,光や電磁気の影響を受けつつ,安定して存在するための条件があり,微細構造定数とは,それら条件を満たす物理法則に現れる定数で,その逆数がおよそ「137」になるという。1/137という定数の根拠はいまだ解明されていない。パウリは素数でもあるこの137という数字は,原子の存在から宇宙の構造までを司る,何か特別な意味が隠されていると考えたようだ。パウリは1958年,58歳で病没する。入院した自分の病室番号137室を見て,パウリはこの部屋からはもう出られないと悟ったという逸話が残されている。

人は極微から広大無限に至る途方もない探求を行う奇妙な存在だ。心と魂と生命を持つ存在としての人,その奥の深さを探究する時間が欲しいものだ。

アーサー.I.ミラー137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯


バナー画像:Alex G. RamosによるPixabayからの画像

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森岡正芳(もりおか・まさよし)
所属:立命館大学総合心理学部
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書として『物語としての面接―ミメーシスと自己の変容』(新曜社,2002)『うつし 臨床の詩学』(単著,みすず書房,2005),『臨床ナラティヴアプローチ』(編著,ミネルヴァ書房,2015)『臨床心理学』増刊12号「治療は文化であるー治癒と臨床の民族誌」(編著,金剛出版,2020)などがある。

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