キョウジュの心理学(8)臨床家,書類に埋もれる|富樫公一

富樫公一(甲南大学
シンリンラボ 第36号(2026年月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.36 (2026, Mar.)

書類,書類,書類だ。

書類をさばく毎日だ。

会社員や官庁職員と同様に,大学教員も書類に追われて生きる。

出張前に申請書を作成し,帰着後に報告書を提出する。会議では議事録を作成し,指示が来れば自己点検・評価報告書を作成する。予算使用の稟議書,授業改善報告書,卒論・修論審査報告書,業績書,昇任審査書類と,作成すべき書類にきりはない。

書類作成依頼も書類で届く。作成物の何倍も複雑に書かれた作成要領は,読んでも要領がつかめない。雰囲気で書いて提出すると,「間違っています」とさらに複雑な指示が添えられてくる。

書類は書くのも苦手だし,読むのも苦手だ。

唯一頑張れるのは,科研費の応募書類だ。100ページ超の公募要領を読み,フォントサイズにも気を配りながら十数ページの書類を作成する。カネのためなら力も入る

当たったら気分は最高だ。

分厚い予算執行要領が送られてくる。航空券からパソコンまで,カネの使い方すべてが書いてある。

「何に使おうかな♪」夢は広がる。「海外出張に行かなきゃ♡」

航空券の購入は5ページにまたがる。

海外出張にかかる航空券は,合理的と認められる経路の中で,最も安価なものを購入すること。購入にあたっては,複数の業者から相見積もりを取得すること。購入は原則として大学による直接手配とし,立替払いは認めない。渡航日までに二か月程度の余裕をもって,担当部局に購入を依頼すること。やむを得ず最も安価な航空券を購入できない場合は,その理由と最も安価な金額を添えて担当部局に申請すること。執行可能額は,最も安価な見積額を上限とする。これを超過する金額については,自己負担とする。座席指定料金,アップグレード料金等の追加費用は執行できない。渡航先における国内移動旅費については,原則として執行対象外とする。用務地では,用務内容を確認できる写真を撮影すること。航空券の半券(搭乗券)は,帰国後速やかに提出すること。

胸が苦しくなって,そっと閉じる。

数か月後,「必要な物品は購入しないとな」と重い腰を上げると,要領はもう見当たらない。見つかるのは研究が終わった後だ。

膨大な論文を読み,臨床記録を書くのだから,書類作業など簡単だろうと思うかもしれない。

大きな間違いだ。論文執筆や臨床記録と,事務書類作成は全く違う。

論文では,自分で立てた問いに答え,現象の意味を探求する。論文を読むもそのためだ。好きなことだけやっているから楽しい。求められるのはオリジナリティだ

臨床記録はもっと自由だ。フォーマットはほぼない。ポイントが掴めるなら,どんな書き方でも誰も咎めない

事務書類にオリジナリティはいらない。自由な発想もいらない。決められた場所に,決められたことだけ誤りなく記載する。

これができない。

書類が戻ってくる確率は100%に近い。どんなに確認しても,必ず間違いが残る。

事務職員はプロだ。どんなミスも見逃さない。

押印の位置が違います,と戻ってくる。

前年のファイルを上書きして提出すると,去年と同じ間違いを指摘される。

「お名前とご年齢が正しいか確認してください」のメモ付きで戻ってきた書類には,「餓死公一(524歳)」と記載されていた。これを2年連続でやった。

「こちらで直しておきますね」と言ってくれる職員もいるが,たいていは自分で直すように言われる。一つ直しても,「まだあります」と戻ってくる。

過剰修正法だ。彼らは行動療法を知っている。しかし,学習効果は限定的だ。

三か月後にはまた,餓死公一になる。

締め切り日も問題だ。

作成書類は多い。少ないときでも7-8種類,多いときには10種類以上抱える。書類ごとの締め切り日を覚えられるはずがない。気がつけば,その日は過ぎている。

意識の問題と言われれば,そうだろう。

締め切り日は目安で,リマインドメールが来てからが本当の締め切りだと思っている。

しかし,本質は情報処理の偏りだ。

生まれつき,関心事以外は記憶されないように設計されている。

作成依頼を読み終えた瞬間に,書類のことを忘れる。これを書いているときも,提出日を数カ月過ぎた書類を二つ見つけた。

研究者だ。

どうでもいいことには異常にこだわるが,一般に重要とされることにはこだわらない。

採用書類に15年前の写真を貼って,「これはあなたではありません」と突き返された同僚がいた。なぜ戻ってくるのかわからない,と頭を抱えていた。

尊敬に値するのは,事務職員だ。

こんな教員を何人も抱えていながら,怒ることなく,たんたんと仕事を進める

今日も,メールを送ってくれる。

「先日お戻しした書類ですが,お名前はこれでよろしいですか」


脚 注

1. 当たったら一攫千金だ。
2. オリジナルだと信じる理論は,1000年前に誰かがすでに述べている。
3. 紙カルテの時代は,自分で書いた文字が自由すぎて読めなかった。
4. 油断すると激怒する。


書類を作成する理由

なぜ,こんなに書類がいるのか。

全学の学部学科,教員個人から,毎月大量の書類が上がる。一年で相当な量になる。

提出した書類は,どこへ行ったのか。

DX時代になって楽になっただろう,と思う人もいるかもしれない。

確かに紙は減った。

ウェブ入力も増えた。

しかし,入力画面の最後にはこう書いてある。

「印刷・押印して提出してください」

仕方なく印刷すると,誤字だらけだ。

何度も修正して印刷する。廃棄される紙が積みあがる。

DXは,「どうせ最後は紙」の略だ。

もちろん,無駄に書類を書いているわけではない。

学校教育法第109条には,「大学は,その教育研究水準の向上に資するため,文部科学大臣の定めるところにより,当該大学の教育及び研究,組織及び運営並びに施設及び設備…(略)…の状況について自ら点検及び評価を行い,その結果を公表」しなければならないとある。

7年に一度,外部機関に評価を受けるのだ。作成した書類はここに吸い込まれていく。

認証評価は,学校教育法改正に伴って,2004年に導入された。

背景には,1980年代の臨時教育審議会に始まる規制緩和がある。そのせいで,90年代以降大学がゆるんだ,と吉見(2011)は述べる。

大学は「学問」とは無縁のテーマパークとなろう。…(略)…九〇年代以降のこの国の大学は,このような変化を大学のレジャーランド化と言って嘆きながらも,その根底にある市場原理を否応なしに受け入れていった。ここに浸透するのはサービス産業の論理であり,哀れな大学教員たちは「お客様」たる学生を「店」に誘い込む客引きとなり,彼らに教育サービスを提供する労働者となった。

(吉見,2011, pp.222-223)

なんとも率直な書きぶりだ。私は怖くてここまで書けない。

焦った文部科学省は,大学に詳細な記録と定期的な自己評価を求めた。

そうして積み上げたものを,外部機関に評価させることにした。

認証評価のために作成する書類は,ただ事ではない量になる。

機関によって評価内容は多少異なるが,次のような内容を全部書類にして提出する。一覧を見ただけで,気が遠くなる。

1.【大学の理念・目的・内部質保証】「建学の精神・理念・目的」「中期計画・将来構想」「内部質保証方針(IR体制)」「自己点検評価の実施体制図」「改善サイクル(PDCA)の実例資料」「各種委員会規程・議事録」2.【教育研究組織】 「学部・研究科構成図」「組織設置の趣旨・目的 新設・改組の経緯資料」「教育研究上の役割分担」「付属研究所・センターの活動報告」3.【教育課程・学修成果】「ディプロマ・ポリシー(DP)」「カリキュラム・ポリシー(CP)」「アドミッション・ポリシー(AP)」「三つのポリシーの整合性(だいたい同じ)」「カリキュラムマップ」「履修モデル」「シラバス」「到達目標と授業内容の対応表」「単位制度の運用方針」「CAP制・GPA制度資料」「学修成果の評価」「学修成果の測定方法」「ルーブリック」「卒業・修了判定基準」「アセスメント・ポリシー」「卒業研究・実習評価基準」4.【教育方法・学修支援 授業方法改善】「FD活動資料」「アクティブラーニングの実施例」「LMS活用状況」「学修支援センター活動報告」「初年次教育資料」「リメディアル教育の取組」「実務家教員配置状況」5.【学生の受け入れ(入試)】「入試制度概要」「入試区分別選抜方法」「定員管理状況」「入試結果分析資料」「APとの整合性説明」6.【学生支援】「学生相談体制」「キャリア支援体制・就職支援実績」「奨学金制度」「障害学生支援体制」「ハラスメント相談体制」「留学生支援体制」7.【教員・教員組織】「教員組織編成方針」「餓死公一」「専任教員数・年齢構成・職位構成」「採用・昇任基準」「教員業績評価制度」「FD活動実施報告」「教員研究業績一覧」8.【研究活動】「研究方針」「科研費・外部資金獲得状況」「研究倫理規程」「研究不正防止体制」「研究成果一覧」「産学連携活動」9.【社会連携・社会貢献】「地域連携活動報告」「公開講座・リカレント教育」「産学官連携事業」「臨床・実践活動(心理臨床センター等)」「社会人教育プログラム」10.【教育研究環境】「校地・校舎面積資料」「図書館蔵書数・利用状況」「ICT環境整備状況」「実験・実習設備一覧」「バリアフリー整備状況」11.【財務 財務諸表】「資金収支状況」「中長期財政計画」「収支バランス分析」「外部監査報告」12.【管理運営・ガバナンス】「学長の権限・意思決定体制」「教授会・理事会運営規程」「内部統制体制」「リスク管理体制」「コンプライアンス体制」13.【内部質保証の実効性】「自己点検評価の改善事例」「学修成果評価と改善の実例」「学生アンケート結果(だいたい毎年同じ)」「IRデータ活用事例」「改善サイクルの具体的証拠」

要するに全部書類にしろということだ。仕上がりは千ページを超える。

提出はPDFでも,実地視察が来れば,複数部印刷してずらりとファイルを並べる。

もちろん,こんなものを教員が管理できるわけがない。取り仕切るのは,超有能な事務職員だ。教員は,指示されるままに書類を作成し続ける。

「センセイの研究時間確保が一番大切なのに申し訳ありません」と,職員はいつも丁寧だ。

それでも,その時期の〇〇長に当たっていたりすると,作成に直接かかわることになる。

直接かかわらない教員は,事態の深刻さをわかっていない。何度もリマインドメールが届き,早く書類を出すように言われる。


脚 注

5. 間違いを探せ


誰を見ているのか

ここで問いが生まれる。

この中で生きる教員はどんな主体になっていくのか。

組織や制度は,そこにいる者に呼びかける。書類作業の中で,私に呼びかけるのは,認証機関と背後の文部科学省だ。

コウニンシンリシに関しては,主に厚生労働省だ

彼らは何を求めているのか。彼らは私をどのような主体にするのか。

制度や組織に,イデオロギーや意思があるわけではない。独裁者がいるわけでもない。組織が組織であるために,そこにいる者に呼びかける。「おまえは誰だ」と。

組織にそれ自体の方向性が生まれる。

定められた形,失敗しない形,こうあるべきとされる学問のあり方,こうでなければならないとされる実践形式が浮かびあがる。誰が決めたのかは,わからない。

そこに,これからの学問を創る学生たちはいるのか。いるとしたら,どんな顔をしているのだろうか。

研究成果や実践活動に期待する国民の顔は,どこにあるのだろうか。

私は,制度の主体になってはいないだろうか。

そうなった私の教育は,学生を制度の主体にするかもしれない。彼らはやがて,実践現場で出会う患者やクライエントをその形式に合う主体にするかもしれない。

制度を否定しているわけではない。

2017年にコウニンシンリシ制度が始まった。制度が作られれば,カリキュラムや指針ができる。どこの大学も,それに合わせて科目を作る。

どの大学を見ても,授業名はほとんど一緒だ

厚生労働省(と文部科学省)が作った指針がそうなっているからだ。違う名前にしたら,説明書類を求められるかもしれない。

誰の声を集めた指針なのだろうか。

まるで,完成された心理学や臨床実践があるかのようだ。これから学ぶ者たちが持ち込む心理学や臨床実践を組み込む余地は,どこにあるのだろうか。

学問は教える側だけが作るものではない。

知識を得る前の学生の中にも,すでに心理学や実践がある。

彼らが声を上げたとき,私は真剣に耳を傾けられるだろうか。「それは正しい心理学ではない」と,修正したくなるかもしれない。

私は問われる。

制度と形式が整えられていることを証明するための書類に向き合ったとき,その向こう側に学生や患者,クライエントの顔を見ることができるのか。

それとも,書類を見続けるのか。

目の前に,また書類が積み上がる。


脚 注

6. 文部科学省はどこに行ったのだろう。

7. 遠見書房は学部全科目の教科書をすべて作って見せた。


郷里へ帰った

実家に着いたのは,昨日の夜遅くだ。

書斎を覗くと,父親は机でキーボードを叩いていた。背中越しに帰宅を伝えると,振り返ることもなく,「そうか」と応えた。書いているときは,いつもこうだ。

小さいころによく見た背中だった。

自分の本を何冊か持ちこみ,背後の床に座って読むのが好きだった。

久しぶりの実家は,ほとんど変わっていなかった。

リビングの棚の置物が数体増えた程度だ。幼いころクレヨンで描いた不格好な父親の顔が,ガラス棚の奥にまだ立てかけられていた。

「大学には慣れたか?」

翌朝,出かける支度をしていると,父親が降りてきた。

「今起きたの? 遅くまでやってたんだね」

「今日までに入稿しないといけない原稿があってな。さっきまで書いてた」父親は,麦茶と漬物をテーブルに置き,腰を下ろした。「大学は大変だろ?」

「そうだね。いろいろあるよ」

理事長報告会以降,三日月の姿を見なくなった。学科内はざわついていた。

教員たちのささやきも耳に入った。

「総額は億を超えるらしいですよ」
「一人ではできないでしょう」

院生たちは,復帰を無邪気に喜んでくれた。お天気さんはID入りの封筒をひったくると,アルフォートの大袋を運んできた。「食べて!」

少し,救われた気がした。

それでも,胸の奥の重さはとれない。大学を離れても変わらない。

「やっぱり向いてないか」父親はすり寄ってきた猫をなでた。

「むいてないね。みんな何考えているかわからない」

「そんなもんだ。業績のいい人がいい人とは限らない」

「教員一人一人には,それぞれの考えと正義がある。でも,大学の方向を決めているのは,別の何かに見える。会議も,大学外の意思に操られているみたいだ」

「会議はその通りだな。でも,それをやらないと学生にしわ寄せが行く」

「みんな,研究にはプライドがあるみたいだ。でも,教育は誰が作っているんだろう。コウニンシンリシのカリキュラムは,どこから降りてきたのか」

小さなため息が出た。

「大学は,正論がいつも通る場所じゃない。大きな力に身を委ねる場所でもある」

「それでいいのかな」立ち上がって上着を羽織った「そんな風に思ってまで大学に勤めたくない。信念を捨ててまで仕事をしたくないよ」

猫が,父親に向かってにゃあとないた。

「ごはん,まだだったな」父親は,立ち上がって窓際の皿にキャットフードをあけた。「最近,食べ過ぎでね。本当は,あんまりやっちゃいけないんだけどね」

「臨床心理学は人を相手にした実践なんだ。実践家を育てるための場所が大学なら,教員が自分の信念を問い続けられない中に,教育なんて生まれるもんか」

「たしかに,そうだな」父親は麦茶を飲み干した。「自分の信じる道を行ったらいいさ。私は,好きな研究と執筆ができればいい。いまさら,自分に何か教えられるとは思わないし,教えようとも思わない」

「もう教育者じゃないってこと?」

父親は笑みを浮かべた。

「もともと教育者じゃない。研究者だ。無意味な書類を書かなくてよくなった分だけ,今は幸せだよ」

「そうか。それならいいよ」バックパックを右肩にかけた。「車,貸してくれる?」

「どこに行くんだっけ?」

「昔住んでいた教員宿舎」

「なつかしいな」父親は壁にかかった車の鍵を取った。「気をつけてな。私は少し寝る」

「うん」

玄関を開けるとさわやかな空気が肺に入った。

青空が広がっていた。

小ぶりの白いセダンの車内は,まるで代車のようだ。シフトレバー横のサングラス以外,余計なものは何一つない。

海岸沿いに伸びる国道は,それほど混んでいなかった。

気がつくと,前後を大型トラックに挟まれていた。

下り坂に差し掛かったところで,前のトラックが車線を変えた。前に海が広がる。思わず深く息を吐いた。養殖いかだの並ぶ水面は,陽に照らされて揺れていた。

この交差点だ。

記憶とナビを確認して,右にウインカーを出した。

その先は,小さな山に向かう県道になっている。整備された道は,随分広く見えた。

それとも,もともとこの広さだったのか。

両側に杉が茂った細い道を抜けると,急に視界が開けた。

大学だ。レンガ造りの正門は,昔と変わらない。守衛はいたが声はかけられなかった。大学教員の肩書で入構するつもりでいたが,その必要はなかった。

キャンパスもほとんど変わっていない。

教員宿舎棟は北側にある。かつて文化住宅と呼ばれた四階建が3棟並ぶ。

建物の古さはかばいようもないが,周りの芝生や植木は整えられていた。

変わってないなあ。

来客用スペースで車を降りた。懐かしい匂いがした。

遠くで学生たちの声が聞こえる。運動部の練習かもしれない。

裏手に回ると,杉林ごしに海がかすんで見えた。白い数羽の鳥が,V字を作って飛んでいた。

小さいころ,よくここで遊んだ。

一緒に走り回った幼馴染の姿が浮かぶ。

幼馴染家族は隣の棟に住んでいた。

「あっ,まだある」

棟の横に小さな金属の花瓶がぽつんと置かれ,しおれた花がささっていた。

ここだ。

胸の奥に苦いものが広がった。

しゃがんで花に向かって手を合わせる子どもの背中が浮かんだ。

幼馴染が母親とともに亡くなってから,いつもここで手を合わせていた。

今は,ポケットから手を出す気にもならず,ただ立っている。

幼馴染とは,補助輪付の自転車を一緒に漕いでいた。

「もうすぐ宇宙の星まで行くんだよ」
「なにそれ。そんなことできるわけない」
「ほんとだよ。お母さんが一緒に行こうねって言っていた」

声が耳の奥で響く。

「うちの子に触らないで」と,背後から刺さる声も鮮明によみがえった。

振り返ったときの幼馴染の母親の険しい顔も浮かぶ。

パトカーと救急車の音が夜中の団地に響き渡ったのは,それから数日後だった。

大人たちは事故だと言ったが,それだけではないことは顔を見ればわかった。

そうだ。あの夜,自分は起きていたんだ。

救急車が近づく音も聞いていた。

誰かに言わなければならないと思っていた。でも,言えなかった。あの顔を思い出すと動けなかった。

何も見なかったことにした。

サイレンと大人たちの叫び声,無残に潰れたキンモクセイの匂いが鼻を突いた。

訓練分析のときにも思い出さなかったことだ。

世界がぐるぐると回った。

そうか。幼馴染の父親も大学教員か。だからここに住んでいたんだ。

専門は何だったんだろう。父親は知っているはずだ。

車に戻ってシートに身を横たえた。

目を覚ますと,隣に車が停まっていた。

コート姿の男性が,小さな花束を二つ手に持って降りてくる。

どこかで見た歩き方だ。誰だろう。

男性は花を替え,手を合わせた。

顔が光に浮かぶ。目を細めて見た。

ガッカチョーだ。

「なんで?」

携帯が振動した。理事長秘書室からのメールだった。

「来週,理事長先生がお会いするとのことです。水曜日か木曜日になります。どちらでも対応できるようにしておいてください。ガッカチョーも同席されます」

もう,見なかったことにはできない。

顔を上げると,そこには花だけが残っていた。

文  献
  • 吉見俊哉(2011)大学とは何か.岩波書店.
+ 記事

富樫公一(とがし‧こういち)
資格:公認心理師‧臨床心理士‧NY州精神分析家ライセンス‧NAAP認定精神分析家
所属:甲南大学‧TRISP自己心理学研究所(NY)‧栄橋心理相談室
著書:『精神分析が生まれるところ─間主観性理論が導く出会いの原点』『当事者としての治療者─差別と支配への恐れと欲望』『社会の中の治療者─対人援助の専門性は誰のためにあるのか』『分断の中の治療者―当事者性と倫理的転回』(以上,岩崎学術出版社),『Kohut's Twinship Across Cultures: The Psychology of Being Human』『The Psychoanalytic Zero』(以上,Routledge)など

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