【追悼 村瀬嘉代子先生】村瀬嘉代子先生の思い出──メーテルと深い湖|徳田仁子

徳田仁子(私立高校スクールカウンセラー/京都光華大学)
シンリンラボ 第29号(2025年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.29 (2025, Aug.)

今年初め,村瀬嘉代子先生が逝去されたとの訃報をお聞きして私はとても驚き言葉を失いました。先生にお会いできる機会があればお聞きしてみたいことが色々とあったのに,自分が言葉にできずぼんやりしているうちに旅立っていかれたという感じがしました。日本臨床心理士会会長職であった頃,「日本全国で訪問していない県はないぐらい。訪問して地方の方にお会いすることが今の私の役目」と微笑みながら仰っていましたが,相当お疲れなのではないかと思っていました。

村瀬先生は長く大正大学で教鞭をとられ,心理と福祉の現場でお仕事をされており,家庭も仕事も大切にする女性臨床家のモデルとして傑出した方です。京都光華女子大学では修士1年生と毎年『新訂増補子どもと大人の心の架け橋』を読んでいますが,臨床心理学を学び始めた院生がケースを担当する姿勢を学ぶ貴重な機会となっています。なお先生の統合的心理療法のルーツやその発展については,新保幸洋編(2012)が参考になります。

私は大学院生の頃スーパーヴィジョンを受けた時に,村瀬先生の家に宿泊させて頂いたことがあります。その前日は,ご実家のある北陸の方まで出かけられていて,その後高速道路を運転して帰ってきたとさらっとおっしゃいました。ご主人の孝雄先生も「昔は馬,それからバイクに乗り換えた」と話されて,お二人でバイクのツーリングの話を楽しそうにされていました。夜遅くまで私のケースを検討して下さった翌日も朝から手際よく家事をこなしておられ(私は朝ゆっくり寝てしまいましたが),先生が家庭人としても一流であることを身に染みて感じました。ここでは専門的な見地からというよりは村瀬先生から個人的に学んだ体験から学んだことを綴ってみたいと思います。

スーパーヴィジョンの前に 

私が最初に村瀬先生にお目にかかったのは大学院2年目であった。当時,河合隼雄先生が京都大学大学院の事例検討会に様々なジャンルの臨床家を招待され,大学院生が事例を発表してコメントを頂く機会があった。村瀬嘉代子先生はその中のお一人で,品よく柔らかく優しい佇まいでありながら,本質的なことを的確にシャープに表現されるのがとても印象的だった。先生の“芯のある力強さ”から,私は松本零士作『銀河鉄道999』の謎の美女メーテルを連想した。彼女は普段は物静かだが旅の要所要所で高い射撃能力と問題解決力を示すたくましい存在として描かれている。

プレイセラピーの行き詰まり

私は子どものプレイセラピーから臨床活動を出発したが,博士課程後期に進む頃にはクライエント(以下Clと略)とその家族や学校との関係性に戸惑ったり迷ったりすることが増えていた。なかでも,場面緘黙で不登校が主訴の小学2年のClには,エネルギーを相当使っていながら行き詰まりを感じていた(註:以下は事例の本質を損なわない程度に改変された架空事例である)。彼女は非常に繊細な感受性の持ち主で「学校では頭の上に高さが10センチもあるような氷の塊ができてしまう。それが溶けるまでは話すことなんてできない」と母に言い家に引きこもりがちだった。

彼女とのプレイはClの表情やちょっとしたしぐさの奥にある気持ちをセラピスト(以下Thと略)が汲み取ることによって展開していた。たとえば箱庭の中に動物たちの村や牧場があって,Cl人形とTh人形が最初は仲良く散歩しているが,途中で急にCl人形にTh人形がノックアウトされ,Th人形が<痛いよう,何でだよう>と嘆いても返事がなく,さっと場面が変わって,平和だった世界がいきなり砂嵐や津波に襲われるといったストーリーが繰り返されていた。

やがてClはセラピーを休みたいと言いお母さんのみの来室となった。その後私はそれまでの経過をまとめ考察してはいたものの新たな展開へのヒントは掴めずもがいていた。彼女のプレイから,Clを取り巻く世界では油断ならない対人関係や嵐のような想定外の出来事が起こり,自分の根っこが揺さぶられているのだろうと想像できたが,実際にどう受けとめどう動いたらよいのか当時の私には見当もつかなかった。

スーパーヴィジョンにおいて

行き詰まりの中で村瀬先生にスーパーヴィジョンを受けたいと思い,プレイの状況を記したお手紙を出したところ,「○月〇日においで下さい。客室に宿泊できます」といったシンプルな内容に手書きの地図が添えられたお葉書が届いた。先生のご自宅を訪問するということだけでも大いに緊張したが,他の手立てを思いつかなかったので思い切ってご厚意に甘えることにした。

お宅にお昼すぎに伺うとご主人の孝雄先生は学会誌を読んでおられ,嘉代子先生は家事をされておられた。中庭には薄紫色の花が咲いており,田園調布の家のたたずまいに良くマッチしていた。息子さんやご義母さまにもご挨拶させて頂き,優しいお味の夕食を頂いた後,夜遅くからスーパーヴィジョンが始まった。

子どもの見立てや症状に関しての様々な見解をご夫妻で話して下さったが,なかでも嘉代子先生がClの書いたキャラクターの絵の独特の姿勢から,奥底にある意思の強さや大胆さを指摘されたのがとても印象的だった。Clを保護されるべき弱い存在と見るのではなく,どんな境遇であれ,一人の意思を持った存在として尊重するというクライエント中心療法の真髄を見た思いがした。

当時の私はClの鋭い感覚と独特の表現に心を奪われ,彼女の意思や大胆さなど自我の力には思い至らなかった。Th人形がやり込められるたびにCl人形がますます強くなることから,彼女の中にあるとてつもなく大きな怒りの存在を感じてはいたが,Clの攻撃に防戦一方のThという構図から抜け出すこともできなかった。私が自身のマゾヒスティックな姿勢に縛られていることを村瀬先生は見抜かれたのだと思う。

スーパーヴィジョン後

約1年後,Clは「運動をしたい」とプレイの場に戻ってきた。この時,私はシンプルに卓球をして過ごそうと覚悟していた。Clは相変わらず声は出さないもののスマッシュが決まると思わず口を覆って(声を出さずに)笑う場面もあるなど,表情がほぐれ,前よりも自由に動けるようになってきた。約1年後,Cl家族の転居のためプレイは終了することになったが,その2年後,Clのお母さんから「電話したいと言っているので話してもらえないでしょうか」というお手紙が届いた。プレイ開始8年後のことで声を聴いたのは初めてだったが,1週間に1度の電話セラピーが3か月ほど続き,その後も年に1度の年賀状のやりとりが続いている。彼女はその中で就職,結婚,子育てなどの出来事を折に触れて報告してくれている。

自立支援施設「東樹」の朝食会にて

2008年12月28日,当時北翔大学にお勤めの村瀬先生が京都に来られる機会があると聞き,青少年自立援助ホーム“東樹”の朝食会に一緒に行って頂いた。東樹の龍尾和幸ホーム長によれば「誰もが入ってきたくなる手作りホーム」で,玄関や居間の中にはくつろげる空間が広がり植栽などのしつらえも素敵だった。ワーカー津田純子先生の作られるお食事は旬の食材を生かして,彩りよく盛り付けられ,日々味わいの異なるメニューが工夫されていた。龍尾先生と津田先生は,「ここに来る子たちは様々な事情でこれまで自分の存在を大事にされているという感覚に乏しい。あなたの存在を大事にしているよというメッセージを日々の生活の中で伝えたい」と話された。月1回の朝食会には保護者の参加も多いとのことだった。

その日の朝食会では村瀬先生を交えてとても贅沢な時間を過ごすことができた。村瀬先生は「子どもたちが本当に知りたいことは,生まれてきてよかった,この世は生きるに値するということ。すごく悲惨な状況の子でも必ず立ち直る力がある。今日できることを今日最善にしようと思っていると,自分が何かをしたというよりは相手の子どもが自分を掴まえてくれる」と語られ,津田先生は「日々の生活は一人一人の生きざまの実現の場。個々人が自ら表現し育っていけるように毎日の生活を丁寧に整えたい」と話された。村瀬先生もホームの先生たちも子どもたちに家庭の良さや信頼を伝えるという質の高い援助を生活の場でほどよい距離を保ちながら自然に展開しておられる。先生方の経験に基づいた会話のおかげで私は至福の時間を過ごすことができた。

1.5人称的対話の凄み

〈だいたいお母さんなんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ〉 (略)

お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖をもつべきなのだ

田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っている人は
話すとわかる 二言 三言で

それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ (略)

(茨木のりこ「みずうみ」より)

村瀬先生はどのようなClに対しても「どのような自分であればこの人に関わりあえるか」という視点をもちながら,自分自身を素材としてそっと差し出すような姿勢を貫いておられた。その一方で,「臨床場面においては緻密に焦点を捉えつつ,同時に全体的にClとその背景について理解することが求められている」 (村瀬,2015)とも表現されている。そこには治療的コミュニケーションが生じる一瞬の要因として「目前のClと同じ年頃の自分とその周囲との関係などを想起することによって身を添わせた一人称的理解,相手に向かって語りかける心持の二人称的理解,Clはどういう状態でそれにはどのような因果関係があるか,何を必要としているかという三人称的な対象化した理解,この三様の理解が融合したような理解が援助者のうちに生起し,コミュニケーションを成り立たせることを経験してきた」と述べ,この3つの理解の視点が融合することによって「感情移入的でありつつ,必要な客観性を保つ」ことができるとされている(p.158)。

村瀬先生の一人称的理解はことに卓越している。村瀬(2015)の「コラボレーションとしての心理的援助」の章に,夫に裏切られたと思い込み我が子2人を衝動的に殺害した被告の再鑑定の例が挙げられている。Clは当初石像のように無言だったが,描画テストの反応に「意思」を感じられた村瀬先生は,想像を巡らせて我が子を殺める可能性を掘り下げ,自分の内側に切迫感や絶望の感覚に思い当たったという。そして本来の自分が知らなかった自分(他者)が語りだすかのような感覚を元に小声で呟いたところ,Clは誠実にテストに取り組むようになったと報告されている(p.222)。

治療という特別な空間において,Thの中で生じる,「本来の自分が知らなかった内なる他者との会話」とは,前述の治療的コミュニケーションが生じる要因になぞらえれば「1人称と2人称の間に生じる1.5人称的対話」と言ってもよいのではなかろうか。とりわけコミュニケーションが難しいClの場合,Thが自分の内面を掘り下げ,本来の自分とは一見異質とみなしてきたものを自分の内なるものの一部として認めること,そして異質な自分が怖くて遠ざけたい気持ちを留めてぐっと引き寄せて受けとめることができれば,それをClとの協働作業に展開することができる。

Thが自分の心の中にある<しいん>とした静かな湖の中に異質なものを迎え入れること,それは今まで見えていなかった自分自身と「本当に向き合う」ということだと思われる。そして,ここに私は村瀬先生の「本当の凄み」を感じている。

コミュニケーションが成り立ち難いClに相対する時とは,Thが危機を迎える時であり,その危機を乗り越えるために四苦八苦したことがThの可能性を拡げるチャンスともなる。治療の展開のために枠をあえて超えるような重要な決断をする時,村瀬先生は心の中にある静かな湖で内なる自分との会話を試みながら覚悟されていたのだろう。 こうした村瀬先生の心理療法家としての人間性や治療姿勢はぜひ次の世代にも引き継いでいきたいものである。

村瀬先生,遠い星から今後とも私たちを見守って下さい。どうぞよろしくお願いいたします。 

文  献
  • 茨木のり子(1994)おんなのことば.童謡社.
  • 村瀬嘉代子(2009)新訂増補子どもと大人の心の架け橋.金剛出版.
  • 村瀬嘉代子(2015)心理臨床家の気づきと想像.金剛出版.
  • 新保幸洋編著・村瀬嘉代子著(2012)統合的心理療法の事例研究.金剛出版.
+ 記事

徳田 仁子(とくだ・きみこ)
所属:京都光華女子大学
資格:公認心理師・臨床心理士。中学・高校教員(英語)
主な著書:
学校臨床における見立て・アセスメント.In:学校臨床心理学・入門.(有斐閣,2003)
不登校の理解と対応.In:学校臨床.(金子書房,2012)
趣味:合唱/美術館に行くこと/スイーツを食べること

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