私の本棚(15)『面接法』(熊倉伸宏)|北島正人

北島正人(秋田大学)
シンリンラボ 第15号(2024年6月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.15 (2024, Jun.)

最近,自分の本棚を見渡すたびに,大切にしてきた本の背表紙が色褪せてきていることに気づく。もっとあざやかな碧色だったのに,もっとコントラストがきれいだったのに。

電子書籍も便利だなと思うこの頃,改めて紙の本たちの前をうろうろしながら,懐かしい本を手に取る。自宅の本棚の隅に,W. サマセット・モーム(William Somerset Maugham)の『人間の絆』を見つけた。過酷な環境で育った主人公が,より良くなろうと懸命に努力し何者かになろうとするたびにどん底に突き落とされ,最後まで容赦ない境遇の中で,生きる意味を問う,という物語だ。浪人中,勉強せずに英米文学と酒に浸っていたという友人が,何度も勧めるので読み始めた。今は上下巻になっているようだが,当時借りた4冊セットのえげつないストーリーと人間描写にはまり,ほとんど寝ずに読破したのを思い出す。いま手元にあるのは,あらためて自分で買ったものだ。そして,僕にその本を勧めた彼は,あれだけ文学は面白いぞと説いておきながら,いまは生物学を生業としている。

「臨床」という冠の付いた心理学コースが少なかった当時,田舎の本屋で立ち読みしながら見つけた大学に進んでみた。何となく,心理専門職になりたいと思ってはいたものの,自分が人の悩みに寄り添い,ときには心の病にも触れる仕事ができるのかという不安は常にあった。腰の引けた僕に,先輩たちは精神病院の看護助手のアルバイトを勧めてくれた。単なるお世話係の学生に,患者たちはふだん通りの姿で,ふだん通りの会話を投げかけてくれた。そこで出会った患者たちは,それぞれの人生を生き抜いてきた生々しく自然な「人」であり,書籍や講義の中で学んできた患者イメージをひとつの意味あるまとまりへと書き換えてくれた。

大学院を修了した後は,かねてから興味のあった医療領域の職に就いた。心理検査や心理療法の通年セミナーに通い,いろいろなところで学びの機会を得ていた。上司の指導を受けながら,それなりに仕事を任せてもらえるようになったころ,またなんだかもやもやした気分が生じてきた。一定のルーティンがこなせているものの,これまで得た知識や技術ではこれから会う患者には対応できないのではないかと感じ始めていた。臨床に出て数年が経っていた。

このころ,東邦大学公衆衛生学教室の熊倉伸宏氏(精神科医)と出会った。熊倉氏は僕に,「そういうテーマにぶつかるころだね」,「そういうところに気づく感性があるんだ」と否定することなく聴いてくれた。それから程なくして,氏は『面接法』という本を出版された。直接お会いする柔らかな熊倉氏とは異なり,本の中の氏は厳格に,淡々と,「面接」という営みを説いている。

心理療法や心理アセスメントについては,背景の理論の相違点をわきまえたうえで実践に用いることが大切ではある。一方で,その共通点を見出し,全体としてそれらを自分の中でどう体系化していくのか。そのころの僕は,それに答えられなかった。各論的な技術が専門性だと思い,それをどう体系立てて1人の「人」を見ていくのか,そういう視点が不足していたように思う。普遍的な視点で見いだされた共通点は,一見とても凡庸に感じられるからかもしれない。

さて,本書では,「面接」を5つの要素で説明している。

面接 = 聞くこと+見ること+対等な出会い+専門的関係+ストーリーを読むこと

なーんだ,そんな簡単なことか,と思われるかもしれないが,これを説明するなら与えられた紙幅ではとうてい足りない。また,十分な紙幅を与えられたとしても,無駄なく120ページに濃縮されたこの本を,詳しく書けばほぼ複写になってしまう。上記の「見ること」の一部を取り上げてみる。ここには,面接者による冷静な客観的観察が含まれる。直接の観察のほかに,面接者と対象者から離れた第三者視点があり,それは面接室内だけでなく,対象者の置かれた社会を見つめる外部の観察点でもある。さらに,対象者と対等な,「見られる」「評価される」関係,あたたかに対象者を見守る眼差しを含む。

良い先生達から直接学び,かつ,有名な本を読むこと

どの心理療法理論を信奉するかではなく,著名な先人の理論に学ぶこと。そして,それらを絶対視したりその名を借りたりするのではなく,複数の理論の中でそれぞれの理論の意義を把握することが大切である。その上で,面接者自身の判断,「私の理論」も大切にし,両者の間の矛盾に耐えられることが専門性である。

本書の冒頭に書かれているように,学校や企業,医療,福祉などさまざまな領域で行われる「面接」について,特定の理論に偏らず,基本に忠実で実践的な解説を行うことは,学派に分かれて説明することよりも難しい。

臨床の仕事の基本である「面接」についてあらためて考えることは,当たり前で基本的なことを知ることかもしれない。しかし,そもそも面接がなぜ必要で,どのような機能を持つのかについて,理解した上でなければ僕は仕事に向き合えなかった。

本書が出版されてしばらくのち,著者から,若手の臨床家からは「分かりやすく,スムーズに読めた」,高名な諸先輩からは「難しい本を書いたね」との感想をもらったとうかがった。かつて20代で本書に触れたときには,これからの自分が,注意すべき事項は避け,正しく実践していけると考えることで,いくつかの箇所を軽く読み過ごせたように感じる。時間を遡り,自分の実践をふり返る今の私には,できたこと,できていなかったことが峻別され,頭を抱えるような感覚がある。

1冊の本が,自分のあり方,置かれた状況の違いによって違う問いを投げかけてくれる。時間が経てば古くなる,いわゆる新版の理論ではないからこそ,今もむかしも変わらない大切なことを教えてくれるのだと感じる。

学生のころ読んだ小説の主人公のように,相当な苦境に置かれた来談者に出会うことがある。「難しい本」の意味が少し分かるようになった私は,そこに向き合える力を身に着けられただろうか。今も本棚にある色褪せたこの本と,対話してみる。

  • 熊倉伸宏(2002)面接法.新興医学出版社.

北島 正人(きたじま・まさと)

所属:秋田大学大学院教育学研究科心理教育実践専攻
資格:公認心理師・臨床心理士
著書:
『調べる・学ぶ・考える 教育相談テキストブック:学校で出会う問題とその対応』(共著,金子書房,2021)
『精神医学・心理学・精神看護学辞典』(共著,照林社,2012)
『子ども おとな 社会:子どものこころを支える教育臨床心理学』(共著,北樹出版,2010)
『臨床心理士の基礎研修:the 1st step guidance』(その他,創元社,2009)
趣味:バッティングセンター通い

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