【特集 その後のオープンダイアローグ in Japan】#04 フィンランドでのオープンダイアローグ・トレーナーズトレーニング修了後の後日譚|浅井伸彦

浅井伸彦(一般社団法人国際心理支援協会,オープンダイアローグ国際トレーナー)
シンリンラボ 第16号(2024年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.16 (2024, Jul.)

1.まえがき

本企画に誘っていただいた本山先生注1),遠見書房の塩澤さんに感謝申し上げたい。これまでさまざまな事情を鑑みて,オープンダイアローグ(以下,OD)のトレーナーとしては日本でも細々と活動しつつ,インドを中心に活動してきたが,本山先生注1)が振り返られているように,日本に本格的に紹介されてからも年月が経ったこともあり,日本でもより精力的に活動していきたい。

注1)ここで「先生」という敬称をあえて付けているのには理由がある。ここ数年,ODをはじめいろんなところで「先生呼びはやめましょう。お互いに呼び合う時は『さん』付けにしましょう」という運動(?)が広まった。そこには,ODで大切にされる「水平的な関係性」を保つために,「(権威を示す)先生呼び」は止めようという意図があるのは理解している。だが,ここで元々「◯◯先生」と呼んでいた間柄で,互いの違和感を無視して一律「先生呼び禁止」にすることには抵抗がある。あるところでも,「この場では,先生呼びは止めて,『さん』付けにしましょう」ということが行われ,筆者もその場面に遭遇した。その場では「『さん』付けの違和感や抵抗を感じるが,『さん』付けしないといけないルールなので,恐れ入りつつ『さん』付けで呼んでいる」という非言語的メッセージを発する「間(ま)」があり,「◯◯……さん」のように違和感しかない場(忖度が垣間見られる場)になっていた。そのような状況を無視した「先生呼び禁止(「さん」付け推奨)」は,全く水平的関係性ではなく,ただの「押しつけ」「強制」ではないか。英語でも,尊敬する相手・関係性的に距離感のある相手に対し,名前の前にMr. やDr. を付けて呼ぶが,英語のそれ(Mr. やDr. )と日本語の「先生」は似て非なるものである。英語ではファーストネームで呼ぶのが自然だが,日本語文化圏で日本語話者にそれを強要するのは違うだろう。水平的関係のフリをして「先生呼び」を止めるのではなく,水平的関係を意識して「先生呼び」を続ける方がずっといい。以上のようなことから,本稿では「先生」のままで執筆している。

つい先日,セイックラJaakko Seikkula(ODの名付けの親)やアーンキルTom Erik Arnkil(アンティシペーションダイアローグの開発者)らと話す機会があったが,日本だけでなく世界的にも「ダイアローグ」をどのように広めていくかということは,喫緊の課題と考えられており,これまでよりもさらに具体的に次のステップを模索している段階のようである。このような中,微力ではあるが,ODのアジア初の国際トレーナーとしてできることをしていきたい。少し詳しくは後に述べよう。

さて,今回,「フィンランドでのトレーニング後」についての執筆依頼をいただいたが,トレーニング後を語るにあたって,筆者自身や,トレーニング前の事情から把握できる部分は少なくないだろうことから,前置きが少し長くなるがお付き合いいただければ幸いである。

2.筆者について

筆者のことを全くご存じない読者もおられるかと思うので,簡単に自己紹介を少しさせていただきたい。筆者は,国際心理支援協会(以下,IPSA)という法人の代表で,公認心理師・臨床心理士である。

IPSAでは,MEDI心理カウンセリングという私設相談オフィスを東京と大阪とで運営しながら,OD基礎トレーニングコースや家族療法,トラウマケアなどの研修を提供している。

筆者は大学生の頃から家族療法やブリーフセラピーに興味を持ち,社会構成主義的心理療法の魅力に取りつかれ,家族療法やブリーフセラピーに傾倒し学んできた。臨床を行う中で,トラウマ治療の必要性(と有効性)を感じ,トラウマ治療・トラウマケアについても学び続け,また教えている。

筆者がODを初めて知ったのは,日本家族研究・家族療法学会(現在の一般社団法人日本家族療法学会)神戸大会での白木孝二先生注1)のシンポジウムである。神戸大会では,大会の実行委員の仕事を担っていたため,あまりプログラムに参加できなかったが,合い間の時間でスタッフとして動くことも兼ねて,当該シンポジウムに参加させていただき,その際に知ることができた。

そもそも家族療法やブリーフセラピー,ナラティヴの考え方自体が,筆者にとっては心理療法の大きなパラダイム・シフトと考えていたため,リフレクティング・プロセスについては知っていたが,これ以上の大きな流れはしばらく出てこないだろうと考えていた(そのくらい家族療法等の視点の転換は筆者にとって衝撃的であった)。

そんな折,当該シンポジウムで「家族療法の流れから出てきた新しいアプローチ」「急性期の統合失調症患者へのエビデンスが1980年代から積み重ねられている」ということに驚き,ODに興味を持つようになった。しかも,大学生で家族療法を知らなかった頃に興味を持っていたヒューマニスティックなアプローチにも似ている。一体これは何だ? と好奇心をくすぐられた。

その約1年半後の2016年,セイックラとアーンキルの来日ワークショップが行われるという知らせを聞いた。これは行かねばということで参加した。その時に,ケロプダス病院視察研修や,第1回OD国際トレーナーズトレーニングが同年12月よりフィンランドで行われる知らせをいただいた。

詳細については割愛するが,悩んだ末,視察研修にもトレーナーズトレーニングにも応募し,最終的にトレーニー16名の中の一人に選ばれることとなった。他はフィンランド,イギリス,ドイツ,イタリア,オーストリア,アメリカ,オーストラリアからと欧米圏からの参加だったため,唯一のアジア人で最年少のトレーニーであった。

3.フィンランドでのトレーニング経験

フィンランドでは,上記のように最年少でアジア人であったことや,全て英語で行われたこと,2年間の間に5日間のトレーニングが8回あったことも含め,かなり(色んな意味で)大変ではあったが,貴重な経験をすることができた。また,2016~2018年にトレーニングが行われている最中の2017年,ナラティヴ・セラピーのデイヴィッド・エプストンDavid Epstonを日本に初招聘したことから,ODとナラティヴ・セラピーの違いに関しても同時期に学び,考えることができた。本稿は,あくまでフィンランドでのトレーナーズトレーニング以後の話が主題であるため,トレーニングの詳細については別の機会に譲りたい。

4.フィンランドでのトレーニング以後

現在,筆者はOD基礎トレーニングコースを,国際心理支援協会主催として日本(東京・大阪・オンライン)で行っており,またイタリア人のピーナPinaの誘いもあって,インド(チェンナイ・オンライン)でもトレーナーの一人として参加している。日本では,元々家族療法家で親交のあった駒澤大学・SYプラクティスの八巻秀先生注1),また元々ソリューション・フォーカスト・アプローチを日本に持ち込んだ方で,同じく親交のあったNagoya Connect & Shareの白木孝二先生注1)のお二人とあわせて3名がメインとなりOD基礎トレーニングコースを行っている。

それに対し,インドのトレーニングでは,OD国際トレーナーズトレーニングで一緒だったイタリア人トレーナーのピーナを中心とし,フィンランドからリータやアンニ,イギリスからキャシー(全員,同じOD国際トレーナーズトレーニングの同級生)が,ピーナとペアを組んでその時その時のテーマについてトレーニングで教え,ダイアローグやそれに関連する練習を行っている。

早い時期から思っていたことではあるが,ODに興味を持っているのは看護職や福祉職が多く,医師や心理職は比較的少ない。これはよく言われる人件費やこれまでの慣習などの事情により,保険制度等の枠組みにのせることの難しさを表しているのであろう。心理職の中でも,家族療法をオリエンテーションとしている人にとっては興味の対象となるかと思いきや,学会でもODの方向に興味・好奇心を示す人は(もちろん多少はあっても),実践に活かすという意味では多いとはいえない現状である。

ところで,上記の注1)で示した「先生呼び」に関すること以外にも,懸念するところはある。1980年代頃に,Solution Focused Approach(解決志向アプローチ注2))がSolution Forced Approach(解決強制アプローチ)ではないかと揶揄され,解決志向アプローチが下火になったという話を聞く。セラピストが「良い」と思ったもの(ここでは解決志向アプローチ)を進めていくことが,いつしかクライエントにとっては「(問題について語る自由を奪われる)強要」になっていたという皮肉な話だ。

注2)解決志向アプローチ(SFA)とは,インスー・キム・バーグInsoo Kim bergらによって開発された家族療法から派生したアプローチ。問題を分析する方にフォーカスするのではなく,「問題がない例外的な時はどんな時か」「問題がなくなり,解決してしまったらどんな状態になっているか(解決像)」にフォーカスを当てることによって,例外・解決を積み重ね拡張していくことを目指すアプローチ。天才催眠療法家といわれたミルトン・エリクソンMilton H. Ericksonの影響を受けている。

ODをはじめとするダイアロジカル・アプローチにおいても,事例やODを学ぶトレーニーの相談を聞いているとそういった強制的なものになってしまいそう(強制的と言われかねないものがある)ため,自戒を込めてここに記す。ダイアロジカル・アプローチが,ダイアローグ強制アプローチになってしまっては元も子もない。ダイアローグ(対話)とは,(対話する)権利であり,義務ではない。「不登校やひきこもりなどのケースで,本人の許可は得られていないが,親からの許可は得られたので,とりあえずダイアローグをしてみたら上手くいくかも」では,全く民主的でもヒューマニスティックでもない。本人が安心して安全な場所で話せる(あるいは聴ける)権利を保証するのがダイアローグであり,ODを行う上でも当然重視されるべきであろう。

5.コロナ禍と身体性

また,2020年からのコロナ禍(Covid-19なので2019年からともいえるが)は,ODに良くも悪くも大きな影響を及ぼした。Zoomなどを用いてオンラインでODを行えるようになったし,ODのワークショップや研修会も行えるようになった。つまりセラピスト側にもクライエント(患者)側にも「オンラインで会う・話す」ことへの抵抗がなくなったという利点のほか,オンラインでの機会が増えすぎたことから,実際に対面で出会う形でのダイアローグの機会が持ちづらくなったようにも感じている。

対面で会わなくてもダイアローグは可能であり,また距離や時差の問題で諦めざるをえなかった人への選択肢が増えたとはいえ,まだ言葉にはならない「対面でしか感じられない(あるいは感じにくい)もの」,ジェンドリンのフォーカシングでいうところのフェルトセンス,ODでいうところのembodiment,embodied experience(身体の感覚として体験しているもの)を感じづらくなったのではないかと思う。

たとえば,OD以外のことで例を示してみると,いつでも家族や恋人,友人とZoomなどのオンラインで連絡がとれる環境だとしても,大概のものは何でもそろう空間であっても,一人でそこに暮らし続けることは,「人を感じる」ということができずに,大きなストレスにつながるのではないか。

関連するものとして,最近このような論文を見つけた。

A Systematic Review and Multivariate Meta-Analysis of The Physical and Mental Health Benefits of Touch Interventions (Packheiser et al., 2024)
筆者による邦訳:「『触れる』という介入の身体的・精神的健康への効用に関するシステマティック・レビューと多変量メタ分析」

Spending at least 120 minutes a week in nature is associated with good health and wellbeing (White, M. P. et al., 2024)
筆者による邦訳:「最低1週間に120分間自然の中で過ごすことと,健康やウェルビーイングとの関連」

また,セイックラらの論文においても,ダイアローグにおける「愛」について触れられている。

Healing elements of therapeutic conversation: dialogue as an embodiment of love (Seikkula et al., 2005)
筆者による邦訳:「治療的会話が治癒をもたらす要素:愛の体現としての対話」

拙編著『あたらしい日本の心理療法』(遠見書房)においても少し述べているが,私たちが必要としているものは新しい新奇なものを開発することだけでなく,自己治癒力・自己成長力としてあらかじめ自然に備わっている力をどうすれば最大限に活かせるか,ではないかと筆者は考えている。

そういう意味において,ダイアローグは人間のみに備わっている「言語(あるいは非言語も含めたコミュニケーション手段)」による他者との営みであり,この関係性こそが人間が生きていく上での根本の一つになっているように考えられる。

6.ダイアローグの今後

ダイアローグに関して,最近ではJaakkoらによってDiscussion for developing the dialogue networkと呼ばれるオンラインミーティングが行われたり,またDPI(ダイアローグ実践研究所)主催で,アーリーダイアローグ(Early Dialogue: ED),アンティシペーションダイアローグ(Anticipation Dialogue: AD)に関するアーンキルらとのオンラインでの話し合いの機会などが行われるなど,これまで日本だけでなく全世界で知られてきた(ODを含む)ダイアローグが,実際に各国にどのように根付いていけるかという話し合いも,コロナ禍を経て再度活発化してきた。ピンチはチャンス。良い変化のためには,良いか悪いかという評価はともかくとして,何かしらの変化するきっかけが必要である。そのきっかけはダイアローグが続いていれば,どこかで訪れるかもしれない。それがいつなのかは誰にもわからない。ただ,ダイアローグが継続していなければそのきっかけすら起こり得ないのである。

7.対話は続いていく……

この文章自体はダイアロジカル(対話的)ではなく,モノローグ(ひとり語り)である。上述のようにダイアローグが続いていくこと,その機会が失われないことがまずは重要である。ODが生まれてから(ODとして名付けられたのは1984年),はや40年が経とうとしているが,「もう」40年というよりは「まだ」40年である。ODはロジャーズRogersのパーソンセンタード・アプローチ(以下,PCA)や,ベーシック・エンカウンター・グループ(以下,BEG)に似ているといわれることが少なくない。1982年,ロジャーズは80歳の誕生日に自分の余生を国際平和のためにささげようと決心し,そのことを宣言した(村山,1993)。ロジャーズは,BEGを通して国際的な平和を目指し,1987年に逝去しているが,その時期にフィンランドではODが行われていた。ODは,ロジャーズのPCAやBEGから派生したのではなく,家族療法を起源としている。それでも,同じ1980年代に始まったものが,これだけ似通っており,国際的な平和へとつなげようとしていることには意味があるのではないだろうか。

今後,さらにダイアローグが世界に浸透して,根付いていくためには,相当な努力が必要であろう。だが,幸いなことに多くの国のステイクホルダーたちが興味を示し,世界全体でその課題解決を目指している。それぞれの考え・意見がポリフォニックに共有され,それが実現へと向かっていくためには,これからが正念場のように思われる。

文   献
  • Julian Packheiser, Helena Hartmann, Kelly Fredriksen, Valeria Gazzola, Christian Keysers, Frederic Michon(2024)A Systematic Review and Multivariate Meta-Analysis of The Physical and Mental Health Benefits of Touch Interventions. Nature Human Behaviour.
  • White, M. P. , Alcock, I. , Grellier, J. et al. (2019)Spending at least 120 minutes a week in nature is associated with good health and wellbeing. Scientific Reports 9, Article number: 7730.
  • Seikkula J, Trimble D. (2005)Healing elements of therapeutic conversation: dialogue as an embodiment of love. Family Process. 44(4), 461-475
  • 村山正治(1993)エンカウンターグループとコミュニティ:パーソンセンタードアプローチの展開.ナカニシヤ出版.
+ 記事

氏名:浅井伸彦(あさい のぶひこ)
所属・肩書き:一般社団法人国際心理支援協会 代表理事
資格:臨床心理士・公認心理師・オープンダイアローグ国際トレーナー
主な著書:『はじめての家族療法』(共著,北大路書房,2021),『あたらしい日本の心理療法』(共編,遠見書房,2022)

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