【特集 その後のオープンダイアローグ in Japan】#05 Take the “PCA” train, to go to Open Dialogue!|押江 隆

押江 隆(西南学院大学)
シンリンラボ 第16号(2024年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.16 (2024, Jul.)

1.PCA列車で行こう。オープンダイアローグ駅へ出発進行!

「オープンダイアローグ(以下“OD”と表記)なるものがあるらしい」ことは斎藤(2015)の『オープンダイアローグとは何か』が発売された頃,Twitter(現X)で知った。斎藤(2015)がとてもおもしろく,さらにセイックラ/アーンキルSeikkula, J. & Arnkil, T.(2006/2016)やセイックラ/アーンキル(2014/2019),森川(2021a)や森川(2021b)といったODに関連する書籍をいろいろと読んだ。

読んでいくうちに,「地域臨床研究会」でパーソンセンタード・アプローチ(以下“PCA”と表記)の知見を活かして,地域住民と共に居場所や語らい,相談の場作りなどを行ってきた自分に,何か貢献できることがありそうだと考えるようになっていった。長らく地域住民と共に仕事をしてきた自分にとって,複数の専門家やクライエントおよびその関係者と治療ミーティングを行うODは,きわめて自然でかつ合理的なことをやっているように思えた。

筆者は前任校(山口大学)にいた頃,大学院附属の臨床心理センターの相談指導員や高校等のスクールカウンセラーとして臨床活動に携わってきた。どちらの現場でも,クライエントさんの困りごとは多種多様で,その多くは(当然だが)人間関係の中で起こっていた。個人面接をとおして,困りごとへの向き合い方について話し合うことはもちろん重要だが,たとえば「クライエントさんが家族や教員ともっと話ができたほうがよいのにな」と思えるようなケースの場合,セラピストとクライエント1対1の個人面接では遠回りのように感じる場面も多々あった。

そこで,クライエントさんの了解を得ながら,臨床心理センターではクライエントさんのご家族や大学院生と,高校等ではクライエントさんのご家族や教職員と共にODを臨床に少しずつ取り入れるようになっていった。詳しくは押江(2022)や押江・吉永・宮本(2023)を参照されたい。

筆者がODを支援に取り入れるにあたって,先に挙げた地域臨床研究会での経験や,エンカウンターグループ(以下“EG”と表記)やPCAGIP法(村山・中田,2012)といった,PCAによる臨床経験が活きているように思う。

PCAとODの共通点についてはこれまで数多くの指摘がなされている(村山(2020),大石(2022)等)。最近では遠見書房さんから出たばかりの『パーソンセンタード・アプローチとオープンダイアローグ』(本山ら,2023)に優れた論考が掲載されており,必読である。

筆者自身もODの文献を読んでいると,自分がPCAの文献を読んでいるのかODの文献を読んでいるのかわからなくなる瞬間があるほどに,両者には共通点が多いように思う。

そこで本稿では,臨床現場でPCAの立場からODを支援に取り入れてきた立場から,実践においてODとPCAがどのように似ているのかを押江・宮本・吉永(2022)をもとに述べたうえで,ODがPCA,さらには心理臨床という営みそのものにもたらす課題やインパクトについて考えてみたい。

2.PCA列車に乗ってオープンダイアローグ駅に行くには

繰り返しになるが,ODに関するあらゆる記述は,PCAの理論に驚くほどよく似ている。

たとえばODのセイックラ/アーンキル(2014)は,「あらゆる人間存在は把握を超えた存在だからこそ対話が必要で可能にもなる。相手の声を無条件に受け入れその固有の他者性を尊重することで対話が生み出される」と述べている。

PCAを学ぶ者はこれだけで知的な興奮を覚えるに違いない。これはまるで「無条件の肯定的関心(unconditional positive regard)」について書いているようである。

細かく見ていくと,「あらゆる人間存在は把握を超えた存在」という記述は,PCAのシュミットSchmid, P. F.(2001a)が「コミュニケーションにおける他者とは,自分に似た誰かではなく,私が謎(enigma)として出会う,真にまったく異なるもう一人の人間」であるとする主張と重なる。

また「相手の声を無条件に受け入れその固有の他者性を尊重することで対話が生み出される」という記述は,シュミット(2001b)が無条件の肯定的関心について「互いに受容し合うことによって,議論や話し合いが対話(dialogue)に変わる。対話は相手を知ること(knowledge)ではなく,一人のひととして相互に承認(acknowledge)し合うことを目指す」と述べていることと重なる。

実際のところODは,治療ミーティングに参加する多様な価値観や考え方をもった人々を無条件に受け入れられるような場や状況をいかに育むかが実践上の課題になってくる。このことは村山(2014)のEG論「バラバラで一緒」に通じるものがある。セイックラ/アーンキル(2014)はまた,「セラピスト自身の思考や感情に対する純粋な内省的関心こそが対話的な空間を開放し,また,言語化以前にセラピストのなかに生じているものこそが対話のミクロな局面にかかわり,他者に開かれているため,それに自覚的である必要がある」,「セラピストの課題は,身体化され潜在化された感情のなかにひそむ『内なる声』のために,言葉と言語を共同作業で生み出していくことである」とも述べている。

この記述にもPCAを学ぶ筆者は興奮した。PCAの立場では,「セラピスト自身の思考や感情に対する純粋な内省的関心」はまるで「一致(congruence)」について書いているように読める。また「言語化以前にセラピストのなかに生じているもの」はPCAのtribes(部族)の1つであるフォーカシング指向心理療法の「フェルトセンス」として,「身体化され潜在化された感情のなかにひそむ『内なる声』のために,言葉と言語を共同作業で生み出していくこと」はまさしく「フォーカシング」として理解できる。

このような営みが「対話的な空間を開放」するというのはちょうど,PCAのメアンズ/クーパーMearns, D. & Cooper, M.(2017/2021)のプレゼンス(presence)論を彷彿とさせる。プレゼンス論では,セラピストはクライエントを自分の内側の深いところで「感受(receptivity)」して共鳴させ,そこから「表現(expressivity)」が起こる。さらに,クライエントに対するセラピストだけでなくセラピストに対するクライエントにもこのような在りようがみられる状況を「コ・プレゼンス(co-presence)」と呼んでいる(ここでは紙幅(?)が足りず,説明しきれない。詳しくはぜひメアンズ/クーパー(2017)を読んでほしい)。

筆者の経験では,ODの優れたセッションでも,治療チームとクライエントチームとの間でコ・プレゼンスが生じている。ODでは「聴く」と「話す」をわけるために「リフレクティング(reflecting)」が用意されている。リフレクティングはナラティヴ・アプローチで語られることがほとんどだが,ここではPCAから説明してみよう。クライエントチームが話す間(表現),治療チームはそれを深いレベルで感受しようと努力することになる。リフレクティングでは,治療チームのそれぞれが内面の深くで感じ取ったことを言葉で表現しようと努め,クライエントチームはそれを感受する。リフレクティングが終わったら,クライエントチームがそこで感じ取ったことをさらに表現していく。ODはこれを繰り返すことで,コ・プレゼンスが生まれやすい構造となっている。このプロセスを筆者は以前仲間とともに事例研究で発表しており,興味のある読者は参照してほしい(押江・吉永・宮本,2023)。

以上のように,ODはPCAの理論とよく似ている。ただ理論的に似ているというだけではなく,PCAはODの実践にあたって骨太かつ強力なフレームワークを提供するように思われる。PCAを学ぶ筆者が,ODの実践に馴染みやすいと感じたのは,以上のような背景があると思われる。PCAを学ぶ読者にはぜひODに触れてほしいし,またODを学ぶ読者にはぜひPCAに触れてほしい。いずれの学びも,それぞれを発展させる可能性に満ちているように筆者は考える。

3.乗り間違えにご用心

一方で,PCAに限らないが,心理療法の安易な理解は弊害を生む。

PCAはどうやら誤解されやすい学派らしい(中田,2014)。典型的な誤解の1つが「クライエントの言ったことをただ繰り返すのがPCA」であろう。PCAはセラピストの技法ではなく態度を強調するため,これは完全に誤りということになる。仮にPCAをこのように浅薄に理解するセラピストがODを実施したとしたら,ODはどうなってしまうのだろうか。筆者はそのようなセラピストを実際に見かけたことはないが,ここであえてシミュレーションをしてみよう。

セラピストがこのような技法にただ終始した場合,クライエントに対する無条件の肯定的関心が達成されるとは言い難い。「あらゆる人間存在は把握を超えた存在だ」とするセイックラ/アーンキル(2014)の認識は抜け落ちてしまうだろう。固有の他者性を尊重するような態度はみられず,治療チームとクライエントチームの1人1人が相互に承認しあうような対話的空間はまず生まれないだろう。

また,セラピストがクライエントの言ったことをただ繰り返そうとするのであれば,クライエントの言った言葉をひたすら覚えることにセラピストの注意が向き,「自身の思考や感情に対する純粋な内省的関心」は向けられず,「『内なる声』のために,言葉と言語を共同作業で生み出していく」努力はなされないだろう。メアンズ/クーパー(2017)のいうような,治療チームとクライエントチームとの間で感受と表現とが往還するコ・プレゼンスは実現しないに違いない。

ODは「技法ではなくイデオロギー」(本山ら,2023)である。そのイデオロギーを学ぶためにODのトレーニングがある。森川(2021a)は,ODのトレーニングの中で自らを丁寧に語る場のやさしさと厳しさを生々しく描いている。PCAにおいても同様に,EG等に参加して中核3条件の風土のもつやさしさと厳しさを体得することになる。

ODにしてもPCAにしても,実践者に最も重要なことの1つはただ技法を学ぶということではなく,いわば“愛(本山ら,2023)”を学ぶということであろう。ODやPCAの実践にあたっては,「かけがえのない人間とは何か」,「クライエントを大切にするというのはどういうことか」,「クライエントとのひと時を,他の何者でもない自分はどのように過ごそうとしているのだろうか」といった,一見時代遅れで,ある意味で手垢のついた問いこそが,実践者一人ひとりに突き付けられることになる。しかしAI隆盛の現代において,このような人間らしい実存的な問いに答えようという態度こそが,人間の臨床家に求められるのではないだろうか。

4.ニコニコ仮面じゃいられない

そもそも「クライエントの言ったことをただ繰り返す」だけではリフレクティングは成立しない。リフレクティングではクライエントの面前で,専門家同士で話をすることが求められる。つまりODは否応にも心理臨床家に表現を要求する構造になっている。もしリフレクティングでクライエントチームの言ったことがただ繰り返されるだけだったら,「自分たちのいったい何を聴いていたのか」とさぞがっかりされるだろう。

ODの実践が心理臨床家に,特に初学者に突き付ける最大の課題の1つが「表現」であるように思われる。ODはただ受け身で聞いているだけではすまされないのだ。

PCAのセラピストは「黙って聞く,葛藤を喚起させない,クライエントの言い分に従うなど,受け身的な行為を通じてクライエントとの関係に対する消極性が極めて高くなる」傾向があり,これは「ニコニコ仮面」として知られているらしい(村山,2021)。

しかしニコニコ仮面では,表現を求められるODは成立しない。リフレクティングでPCAのセラピストは,表現することで,クライエントに中核3条件の態度を伝えることになる。

このことは,「ただ黙って聴くのがPCA」と考えるセラピストには理解しづらいかもしれない。そもそも,カウンセリングの記録映像で見るロジャーズRogers, C. はよくしゃべる。「ただ黙って聴くのがPCA」では決してない。傾聴(active listening)は文字通りactiveな営為なのだ(ただし筆者がここで主張したいのは「黙っていたらpassive」,「話していたらactive」といった単純な二分法ではないことを付記しておく)。

そしてこれはおそらくPCA学派のみの問題ではない。公認心理師の時代になり,学派以上に領域がより強調されるようになって,傾聴は学派を問わず,あらゆる領域で基本中の基本として認識されている。ここでいう傾聴が「ニコニコ仮面」によるものであるとしたら,ODの普及は今後阻まれることになるだろう。

さらに話題を広げると,他職種との連携が重視される公認心理師の臨床現場において,ニコニコ仮面は他職種から「心理師の仕事は患者さんのお話を聞くだけなんだから,他の職種がやってもよいのでは」というような,なんともよろしくない不評を買いかねない(中田,2014)。我々がこれまで大切にしてきた「聴く」という営みがどのようなもので,それがいかにパワフルで高い専門性を有しているのかを,説得力をもって示していかなければならないだろう。

ODが心理臨床にもたらしたインパクトにはさまざまなものがあるが,筆者にとっては「表現」を迫る点が大きい。ODの登場によって,もはや心理臨床家は,ニコニコ仮面じゃいられないのである。

5.そして線路は続く

ここまで,PCA列車に乗ってOD駅へ向かう道のりと,乗り間違えやすいポイント等を,簡潔ではあるが描いてみた。筆者はこの旅路を気に入っているし,幸い多くのクライエントさんやそのご家族,学校教員や大学院生にも好評のようである。スクールカウンセラーとしてODを取り入れた支援をしてきた学校のケース会議で,ある教員から「こういうケースにはきっとODがいいですね」等と言っていただいたことがあり,ODがその学校に浸透しつつあると感じたのをよく覚えている。

一方で,筆者はODが魔法の杖だとは考えていない。押江(2022)にも書いたとおり,筆者はODの導入にあたってはクライエントに丁寧に説明し,承諾を得た上で,少しずつ慎重に導入するようにしている。ODをクライエントに押し付けることはオープンではないし,モノローグになってしまう。何よりそれはパーソンセンタードではなくセオリーセンタードであり,筆者が望むものではない。

それでも筆者は多くの読者にぜひODやPCAに触れてほしいと願っている。

ODに触れることで,ODそのものを取り入れなかったとしても,自らの臨床を振り返るきっかけになると思われる。まずはぜひ斎藤(2015)や森川(2021a),本山ら(2023)を読んでみてほしい。

またPCAに改めて触れることで,自らの対話の姿勢を見直すことにつながるかもしれない。PCAはロジャーズやジェンドリンGendlin, E. 以後にもさまざまな理論的発展を遂げている。ロジャーズやジェンドリンはもちろん,シュミット(2001a; 2001b)やメアンズ/クーパー(2017)を読んでみてほしい。

本稿が読者のよい列車旅のきっかけになることを祈っている。Hyvää Matkaa!(どうぞよい旅を!)

お知らせ

日本人間性心理学会第43回大会が2024年9月27日(金)~29(日)に山口県山口市のKDDI維新ホール(新山口駅前)にて開催される。筆者は事務局長を務めている。大会テーマは「対話で紡ぐコミュニティの創造: SNSの広がりの中で」であり,ヒューマニスティックな観点から対話について考えたい読者にはまさにうってつけの内容となっている。本特集の本山氏や浅井氏もワークショップを担当する予定である。興味のある読者はぜひ足をお運びいただきたい。
文   献
  • Mearns, D. & Cooper, M.(2017)Working at Relational Depth in Counselling and Psychotherapy. 2nd Edition. Sage. (中田行重・斧原藍訳(2021)「深い関係性」がなぜ人を癒すのか: パーソン・センタード・セラピーの力.創元社,pp.347-356. )
  • 森川すいめい(2021a)感じるオープンダイアローグ.講談社.
  • 森川すいめい(2021b)オープンダイアローグ:私たちはこうしている.医学書院.
  • 本山智敬・永野浩二・村山正治編(2023)パーソンセンタード・アプローチとオープンダイアローグ:対話・つながり・共に生きる.遠見書房.
  • 村山正治(2020)スクールカウンセリングの新しいパラダイム:パーソンセンタード・アプローチ,PCAGIP,オープンダイアローグ(ブックレット: 子どもの心と学校臨床1)遠見書房.
  • 村山正治編(2014)「自分らしさ」を認めるPCAグループ入門:新しいエンカウンターグループ法. 創元社.
  • 村山正治(2021)本書を読んで考えたこと.In:中田行重・斧原藍訳:「深い関係性」がなぜ人を癒すのか:パーソン・センタード・セラピーの力.創元社,pp.347-356.
  • 村山正治・中田行重(2012)新しい事例検討法PCAGIP入門:パーソン・センタード・アプローチの立場から.創元社.
  • 中田行重(2014)わが国におけるパーソン・センタード・セラピーの課題.心理臨床学研究,32(5),567-576.
  • 大石英史(2022)オープンダイアローグの臨床哲学とそのインパクト: パーソンセンタード・アプローチとの共通点を踏まえて. 宇部フロンティア大学大学院附属臨床心理相談センター紀要. 18, 9-20.
  • 押江隆(2022)オープン・ダイアローグと「チーム学校」: 学校臨床へのオープン・ダイアローグ導入の挑戦.山口大学教育学部研究論叢,71, 49-56.
  • 押江隆・宮本麻梨紗・吉永伶奈(2022)オープン・ダイアローグにおけるパーソン・センタード・セラピストの課題.日本人間性心理学会第41回大会発表論文集,p.49.
  • 押江隆・吉永伶奈・宮本麻梨紗(2023)パーソン・センタード・セラピーの⽴場からみたオープン・ダイアローグの一事例.日本人間性心理学会第42回大会発表論文集, p.76.
  • 斎藤環(2015)オープンダイアローグとは何か.医学書院.
  • Schmid, P. F.(2001a) Authenticity: The person as his or her own author: Dialogical and ethical perspectives on therapy as an encounter relationship. And Beyond. In: Wyatt, G. (Ed.) Rogers’ Therapeutic Conditions Evolution, Theory and Practice. Volume 1: Congruence. Ross-on-Wye: PCCS Books. pp. 213-228.
  • Schmid, P. F.(2001b) Acknowledgement: The art of responding: Dialogical and ethical perspectives on the challenge of unconditional relationships in therapy and beyond. In: Bozarth, J. & Wilkins, P. (Eds.) Rogers’ Therapeutic Conditions Evolution, Theory and Practice. Volume 3: Unconditional Positive Regard. Ross-on-Wye: PCCS Books. pp. 49-64.
  • Seikkula, J. & Arnkil, T. E.(2006)Dialogical Meetings in Social Networks. Karnac Books. (高木俊介訳(2016)オープンダイアローグ. 日本評論社.)
  • Seikkula, J. & Arnkil, T. E. (2014)Open Dialogues and Anticipations: Respecting Otherness in the Present Moment. National Institute for Health and Welfare.(斎藤環監訳(2019)開かれた対話と未来:今この瞬間に他者を思いやる.医学書院.)
+ 記事

押江隆(おしえ・たかし)
所属:西南学院大学
資格:臨床心理士,公認心理師
著書:春日由美・五十嵐亮(編著)『現場で役立つ教育相談入門:子どもたちの幸せ 
のために』(分担執筆,北樹出版,2023),伊藤亜矢子(編著)『臨床心理地域
援助特論』(分担執筆,放送大学教育振興会,2021)など
専門領域:パーソンセンタードセラピー,グループアプローチ,地域臨床心理学
趣味: オープンソースソフトウェアと任天堂が好き。たまにUbuntu関連の原稿を書
く。最近オーディオ沼に片足を突っ込んでしまい,DACとイヤホンを買って
5人の諭吉さん(または栄一さん)とさよならした。やばい。しかしこの程度で
はオーディオ沼としてまだほんの序の口らしい。やばい。

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