私の本棚(3)『SELF AND OTHERS』(牛腸茂雄)|筒井亮太

筒井亮太(上本町心理臨床オフィス/立命館大学)
シンリンラボ 第3号(2023年6月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.3 (2023, Jun)

心理臨床は人と人,自己と他者の出会いである

座右の書を紹介するというのがこのコーナーの趣旨である。「座右」とは「身近なところ」という意味らしい。私の手がすぐに届くところには,『精神分析事典』(岩崎学術出版社,2002)や『哲学・思想事典』(岩波書店,1998)や『現象学事典』(弘文堂,1994)などがある。『感情ことば選び辞典』(学研プラス,2017)なんてものもあるし,電子辞書も。これらは身近にはあるけれども,少なからず距離のある書物たちだ。これらじゃない気がする。じゃあ,なんだろうか,と自分の本棚を振り返って眺めてみた。

その人の本棚に収納される書籍は,否が応でも当人の「自己」を表象する。言い換えると,本棚に並ぶ書籍は持ち主の人となりを体現する。もちろん,本の内容は「他者」によって書かれているため,自分のオリジナルな思考ではない。そうした「他者」が「自己」の額内に整理して開架されているのだ。「私の本棚」というのはそういうものだと思う。「自己」と「他者」の対話の痕跡──往々にして積読書が多いため,正確には「対話の可能性」か──がそこに記されている。私はどんな本を読んできたのか,どのような本を読んでゆくのか。

厖大な図書にあって,一冊選べというのは至難の業である。また,私の天邪鬼なところが顔を出し,「誰かがこのコーナーで紹介してくれそうな本じゃないものを選ぼう」と囁いた。それはいい。そうすると,いくらか絞ることができそうだ——と,目に留まったのが,今回ご紹介する本(というか写真集)『SELF AND OTHERS』である。作者は写真家の牛腸茂雄(1946-1983)。ロールシャッハ・テストに関心を持たれている方にとっては,見覚えがある名かもしれない。片口法の立案者である片口安史とも一緒に作品を出している写真家だ。

私はこの作品『SELF AND OTHERS』を折に触れて何度も見返している。なんとなく時間が空いたとき,どうしようもなく苛立ってしまったとき,無性に悲しくなったとき。そこに収められている白黒写真はとてもありふれた風景を端的に指し示している。読み返すたびに,「おや,こんな人もいたんだ」と,妙な発見がある。数頁ほどめくっているうちに,そわそわしていた気持ちがストンと落ち着いていることに気づく。作品に登場する人びとはまったくの他人である。他人であるけれども,なぜか連帯感を抱かせる。牛腸の写真を見ると,自分が写っているわけではないのに,どこか懐かしいような錯覚に包まれる。それでいて,フロイトの言葉を借りると「不気味」でもあるのだ。その被写体の少年や少女たちはこちらをじぃっと見据えてくる。私はそのまっすぐさに圧倒される。

反面,牛腸の写真の被写体となった少女は,後年,自身の当時の写真を指し「怖い顔しているから嫌い」と述べたという。自分が写っているはずなのに,その写真では,どこか他人の要素が浮き彫りにされ,現像されているのだろう。考えると不思議な話である。自分が写っていないのに自分を感じ取り,自分が写っているのに自分を感じられない。「自己と他者」という写真集の題名は言い得て妙である。人は自分が思っているほどには自分の人生を生きていられていないのかもしれない。自分以外の誰かの人生を生きている部分もあるのではないだろうか。このような自己と他者の緊張が,弁証法が,共謀が,鮮やかながらも醒めた距離感から撮られているのが牛腸の作品の特徴である。

写真というのは独特なものである。中井久夫(1991)は次のように考えを巡らせている。

「カメラを介しての人間関係には独特なものがある。……冷たい機械を間にはさんで直接向き合う対人場面は他にはめったにあるまい。しかも,ここには絶対的な不平等がある。写す者と写される者との不平等である。……基本的には一対一の関係,それも焦点をしぼった鋭い関係である。そして非言語的関係である。沈黙が強要され,しぐささえも一瞬の静止を求められ,自己身体のイメージが前面に出る」

写真に撮られることを嫌う中井らしい分析である。写真という行為に伴う必然的な制約のために,通常,そこには一種の権力構造がもたらされてしまう。中井が写真を撮ると人物がものの見事に写り込まないというのは,中井が無意識にその構造を避けているからかもしれない。では,牛腸の場合はどうか。

胸椎カリエスによる身体のハンディを背負い,医者から「20歳まで生きられるかどうか」と告げられていた牛腸がカメラのレンズから覗き込んだのは,日頃見過ごされてしまいそうな「一瞬」であった。メルロ=ポンティやフーコー,エリク・エリクソン,R・D・レイン,河合隼雄などの著書を自身の本棚にしまっていた牛腸の眼差しはすぐれて鋭敏なものだった。鋭いけれども,強要的な印象は受けない。牛腸は姉に宛てた手紙のなかで次のように綴っている。

「僕の写真は見過ごされてしまうかもしれないギリギリのところの写真なのです。一見,何の変哲もないところで,僕はあえて賭けているのです」

また,別のところでこうも記している。

「ものを見るという行為は,たいへん醒めた行為のように思われます。しかし,醒めるという状態には,とても熱い熱い過程があると思うのです」

私が牛腸の作品を見ると感じる,ある種の既視感の正体が少しわかった気がする。牛腸の眼差し,それは──

ここまで読んでくださったみなさん。みなさんはどんな本を読んできたのだろうか,どのような本を読んでゆくのだろうか。この便利な時代なのだから,牛腸の作品に触れたことがない方はぜひともインターネットで調べてみてほしい。そして,可能であれば牛腸の写真集を買い寄せて自分のものとしてから,数々の写真を眺めてほしい。そこにはあなたが,忘れ去られていたあなたがきっと見つかるだろう。

文  献
  • 牛腸茂雄(1994)SELF AND OTHERS:牛腸茂雄写真集.未来社.
  • 中井久夫(2017)顔写真のこと.In:中井久夫:中井久夫集4 1991-1994─統合失調症の陥穽.みすず書房,pp.18-23.
+ 記事

筒井亮太(つつい・りょうた)
所属:上本町心理臨床オフィス/立命館大学
資格:臨床心理士
著書:編著に『トラウマとの対話』(日本評論社,2023)。分担章に『日常臨床に活かす精神分析2』(誠信書房,2022年),『実践に学ぶ 30分カウンセリング』(日本評論社,2020年)ほか。訳書にハロルド・スチュワート『精神分析における心的経験と技法問題』(金剛出版,2020),ジョン・ボウルビィ『アタッチメントと親子関係』(金剛出版,2021),ロビー・ドゥシンスキー,ケイト・ホワイト『アタッチメントとトラウマ臨床の原点』(誠信書房,2023)ほか。

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