私の本棚(1)『会話・言語・そして可能性』(Anderson, H.)|赤津玲子

赤津玲子(龍谷大学)
シンリンラボ 第1号(2023年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.1 (2023, Apr.)

わたしの胸の奥にある小さな熾火

座右の書と呼べるような,人に勧められるような本あったかなあ。大学の研究室で本棚の前をウロウロ,思い出してはウロウロ。散々悩んだ挙句に,本棚の隅にひっそりと忘れられたかのように並んでいた1冊に思い切って手を伸ばし「結局ここなのかな」と苦笑した。臨床実践に役立つ本はたくさんある。ステキな1冊を選んで読者の皆さまに届けたいという気持ちがなかったわけではない。ただ,自分がとても感銘を受けた心に残る一冊というのは,役立つ本とは違う気がする。ここで紹介する『会話・言語・そして可能性』(Anderson, H., 1997)は,そんな1冊である。

さて,この1冊との出会いを辿ってみよう。わたしは社会人で心理学部に入学し,大学院に進学して臨床の仕事を始めた。しかし,ちょっとカッコよく言うと,当時は大学院に進学して臨床心理士として働くことへの大いなる葛藤があった。大いなる葛藤とは大げさな表現に聞こえるかもしれないが,わたしにとっては大事なことだった。臨床心理学の古典的なさまざまな理論に納得がいかなかったのだ。密室で,一対一で,いわゆる「カウンセラー」という職業の人が,「クライエント」や「患者」という立場の人の話をひたすら聞く。カウンセラーは,著名な臨床心理学の理論を知っているため,理論に沿ってクライエントの話を解釈して理解しようとする。それに対して,悩みを話すクライエントは理論を知らない。率直に言うとそんなイメージだった。当時は,クライエントがわたしのイメージするカウンセリングを受けて良くなるとは到底思えなかった。あまりにも悩み過ぎていたわたしが,社会心理学専攻の親しい先生に相談すると,『もう一つの社会心理学』(Gergen, K. J., 1998)を勧めてくれた。何とか読みこなそうと努力したのだが,分厚く重いその1冊には全く歯が立たず,内容を理解することはできなかった。ただ,「何か面白いことが起こっている世界があるのだ」と強く興味を惹かれたことが記憶に残った。

その時に感じた「面白いこと」に再び出会ったのが『会話・言語・そして可能性』を読んだ時である。わたしは大学院に進学したばかりで,食べていくために心理士の勉強をしようと決めて進学したものの,臨床心理学への葛藤は相変わらず続いていて悶々としていた。それゆえに,自分の納得できるものを探そうとして,手当たりしだい図書館の本を読んだり,自分なりに調べて購入したりして,あれこれの本を読み漁っていた。その頃はアマゾンのような通販は普及しておらず,書籍は専門の書店に行ったり取り寄せたりしなければ手に入れることはできなかった。だから自分なりに探して買った本の中の1冊だったのだと思う。「社会構成主義」,「ポストモダン」という用語がとても新鮮で,わたしの面白いと結びついてワクワクした。この本の中でとても画期的で面白いことが起こっているのだと感じた。印象的な美しい装丁が原著と同じだと知ったのは,ずっと後のことである。

手にした本を開いてみると,第1章と第2章には何の書き込みもないのに比べて,第3章以降には蛍光ペンのマーキングと鉛筆の書き込みがびっしりだ。現在では,こんな風に蛍光ペンで書き込みをすることはない。臨床の仕事を始めてから購入した本の書き込みは全て鉛筆で書かれているので,マーカーがひかれたページを見ると懐かしく,昔のアルバムを開いているような気がする。不器用にひかれたマーカーの文章を拾って読んでいくと,感銘を受けた自分を思い出す。「そうだそうだ」と快哉(かいさい)をあげながら,本気で感動したのだ。本著は,臨床心理学の古典的な理論に息苦しさを感じ,その理論を携えて現場に出ることなどできないと思っていたわたしの頭を,一気に吹き飛ばしてくれたのである。ちなみに,当時のわたしは家族療法さえも知らなかった田舎の一大学院生に過ぎず,この感動を誰に伝えたらわかってもらえるのか,どこに行ったらこれを学べるのか全くわからなかった。

一方で,書き込みの全くない第1章と第2章は,臨床経験のなかった自分には難しすぎたのだと今になって思う。特に第2章の事例は難解だった。それは当然である。一般的なセラピーの世界を理解していなかったから,事例の展開のどこがどう違っていて特異なのかわからなかったのだから。今は,少しは説明することができると思う。そして,このセラピーを読んだ読者の一人として,ささやかな感想を言えると思うのだ。
この感動的な出会いの何年か後に,わたしは本著で紹介されていたセラピーが,日本で「コラボレイティヴ・アプローチ」と呼ばれていることを知った。ただ,それを知っても以前のように学びたいと切実に願うことはなかった。コラボレイティヴ・アプローチと呼ばれているセラピーは,わたしが感動したセラピーとは少し違っているように思ったのだ。「無知の姿勢」,「物語」等の代表的な用語が特徴として紹介されているが,そのような言葉はわたしの感動の一部に名前をつけただけに過ぎないと感じた。さらに,その頃のわたしは,システムズアプローチで臨床実践のスタートを切っており,頭の中は目の前のケースで一杯だった。システムズアプローチ以外の何かを学ぶ余裕は全くなかった。そんな理由もあったのかもしれない。

ここまで書くと,読者の皆さまの中には「システムズアプローチとコラボレイティヴ・アプローチって真逆じゃないの?」と指摘される方がおられるだろう。なぜわたしが感動を棚上げにしてシステムズアプローチの道に進んだのか,疑問に思われるかもしれない。簡単である。わたしは本著の訳者の一人に弟子入りし,この道に進めばいつか感動に行きつくと考えていたのだ,真逆とも知らずに。しかし今,おそらくわたしの中で真逆のものが対立して戸惑うことはあっても困ることはない。システムズアプローチはわたしの臨床実践には欠かせない空気のようなものであるが,わたしの胸には小さな熾火のように本著が生きている。この熾火が,わたしの臨床実践をより自由にしてくれるように思うのだ。ひっそりと本棚に並んでいた本であるが,今改めてそんな風に感じている。

文  献
  • Anderson, H.(1997)Conversation, Language, and Possibilities-A postmodern approach to Therapy.(野村直樹・青木義子・吉川悟訳(2001)会話・言語・そして可能性─コラボレイティヴとは?セラピーとは? 金剛出版.)
  • Gergen, K. J.(1994)Toward Transformation in Social Knowledge, 2nd Edition. Sage Publications.(杉万俊夫・矢守克也・渥美公秀監訳(1998)もう一つの社会心理学─社会行動学の転換に向けて.ナカニシヤ出版.)

+ 記事

(あかつ・れいこ)
所属:龍谷大学心理学部
資格:公認心理師・臨床心理士
趣味:家でダラダラと本やマンガを読んだり、アマプラすることが何よりも好き(笑)。
上橋菜穂子さんと宮崎駿さんの大ファン。
最近の目標は、誘われたらゴルフもスノボも飲み会も、アウトドアを断らないこ
とです。

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事