森岡正芳(立命館大学)
シンリンラボ 第37号(2026年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.37 (2026, Apr.)
1.ある時代の心理教育相談室で
臨床心理学専攻の大学院に入学した頃を思い起こす。現代のような制度化された資格もなく,心理カウンセリングやサイコセラピーの専門教育がようやく形をとりだした頃であった。私たちの世代が受けた心理臨床教育は,まだ手作業が優先する。すべて手書きで事が進行する時代である。
クライエントが面接を申し込む。心理教育相談室に電話が入る。その情報をもとに担当希望を名乗り出ると,そのままインテークを任される。インテーク担当と予約が確定する。そこから面接に入る。おおらかな時代であった。相談室は大学院生のほぼ自主運営であった。もちろんスーパーヴァイザーが各院生に付き,その指導を受けながら進めていく。
インテークで何を聞くのか。チェックシートの書類一枚が用意されている。簡単なものであった。相談したいことの記入欄がある。あわせて家族の情報と「問題」や「症状」についてこれまでに相談された機関などの記載がある。待合室で来談者に以上のことを書いていただき,記入の時間を見計らって,待合室に向かう。そこであらためて自己紹介し,相手のお名前を確認し,予約確保した部屋に案内する。私たちが大学院生であることは,クライエントには了承済みである。入室,着席する。相談申し込みの記載に沿いながら,まず来談された事情をお伺いする。ここから面接のスタートである。
私がクライエントに会う。こちらも少し緊張している。カウンセリングを担当するのがまったく初めての私。その時にお目にかかったクライエントの顔,その姿,声まで50年近くたった今も,よく覚えている。
もちろんインテークの段階では,私がカウンセラーとしてその後も面接を継続していくかどうかは確かではない。相談室の新規インテーク会議にかける。資料は一枚のシート,インテーク記録報告にまとめる。主訴と来談の経緯,問題歴,家族歴などを簡潔に記載し,見立てと方針を記入する。見立てと方針は極めて大まかなものであった。その記載をインテーク会議に報告し,教員と院生たち(相談室のスタッフ)から助言を受ける。さほど多くのコメントはない。継続してカウンセリングを担当するかどうかは,報告者が希望するならば,ほぼ了承される。このようにして心理面接に入っていくのである。大学院生として5年以上在籍していると(その時代は,修士課程のほとんどの院生は博士課程に進学するのがふつうという時代であった),このようなスタイルはその後の臨床実践の範型となる。
2.ごちゃごちゃ先に考えない
以上は老いを迎えた心理実践者の端くれの繰り言に過ぎない。行き届いたケースフォーミュレーションを事前に行い面接に入っていく昨今の時代性とは,大きく違っている印象であろう。事実関係の細かい情報などは,初回に会う際にはさほど重きを置かない。むしろ面接を担当しようとする相談スタッフの意欲を,指導者は重んじる。指導教員たちの「進めていきなさい」という暗黙の促しを支えにして,私たちは面接に入っていった。担当するケース数もかなり多く,その中には今から思うとけっこう難しい例も含まれてた。
このような取り組みに対して,批判すべき点はいくつも出てくるだろう。資格制度以前のある時代性に限定される風土であったかもしれない。大まかな見通しで担当することのリスクは少なくない。公共的で社会的責任のある業務にはふさわしくない緩さである。
一方ここで,心理面接の初回そしてそれを続けるにあたって,指導者たちが初心者の院生に対して,教育的な立場から何を重視していたかということは,押さえておくべきであろう。継続面接に入る前に,初回面接において細かい情報の収集や事前の周到なアセスメントによって得られた「知」でもって,クライエントのセラピー面接を始めなくてよい。むしろそのような知は,心理面接のプロセスを進めるのに妨げになることもありうる。このような暗黙の配慮が含まれていたように思う。やや乱暴な言い方をすると,「まずはやってみなはれ。ごちゃごちゃ先に考えんと,会ってから考えたらいいんや」。このような促しである。まずは覚悟してクライエントが語る世界に入っていきなさいということだ。もちろんこちら,面接に入る私が「本気か」どうかということにはうるさかった。本気。言葉を変えると,カウンセラーの真正性(authenticity)という態度を確かめられたように思う。
3.クライエントは何かを見せようとしている
さて,「ごちゃごちゃ先に考えんと,会ってから考える」ということで,私たちはどのようなことを考え,知ることができたのだろうか。クライエントあるいは家族が事前に待合室で記載した「相談したいこと」は必ずしも,来談の理由すなわち主訴とは一致しない。クライエント自身が,言葉にしがたいことかもしれない(その欄に記入されない方も少なからずいらっしゃる)。実際にお話しを聞きながら,クライエントが解決したいことが徐々に見えてくることの方が多い。したがって私たちは,面接の場では事前に把握した情報や,頭の中にある知識や技法などをいったんしまっておいて,語りだされたことに集中する。
「クライエントは何かを見せようとしている。セラピストがそのように見はじめたとき,すでに共に行う作業(collaboration)へと変換しつつある」(Anderson, 1997)。たしかに,クライエントたちは,理由があって来談するのだが,その理由になる主訴の解決のことだけで来談したのではないように思われる。以前から困っていたというが,今このタイミングで来談されたのはどうしてなのだろうか。それは聞いてみないとわからない。クライエントの生活をよく知り,想像することがまず必要だ。クライエントが見せようとするもの,そこで提示してくれること,どのような些細なことであっても,セラピストはそこに関心を向け維持する。
面接者はクライエントの話を聴きながら感情が揺れ動く。感じ取ったことを自らの体験として受け止め,相手に返す。このときの言葉は,事前に用意した言葉ではない。そして言葉よりも身体が動いている。言葉は身体的な行為である。そしてクライエントの世界を想像し,思い浮かんだイメージの流れにのって問いかける。「お話を聞きながら私が思い浮かんだことは」と語りかける。
4.互いに動き動かされるところから始める
臨床の場ではクライエントが抱える「問題」を,だれがいつどのように見ているのかによって様相が変化する。問題や症状が先にあるという前提で,それを対象として定め,見極める知のあり方だけでは面接のプロセスは進行しない。むしろ,「問題」がどうあるのかをいっしょに探る知が求められる。
指導者たちはけっしてそのような理屈は述べなかったが,私たちに,視点を変えてみようという促しが暗に示されていた。苦痛,困難,生きづらさを抱える他者を前にして私たちは,その人との間に関係の場を作っている。そこで起きている言葉のやり取りは,相手と私の応答である。応答は単に顕在化された言葉のみで組み立てられてはいない。他者を前にして私は何か言おうとする前に,すでに応答してしまっていることがある。そのことをこちらが自覚していなくとも,相手がすでに感受している。このような場面でのやり取りをとらえるには,それを外からではなく,中に入って応答関係のさなかにおいて,関係と状況を含む動きを時間の流れに沿って見ていく必要がある。
セラピストは,自らがあらかじめ用意した言葉を投げかけ,相手に望ましき変化を起こすのではない。会話とは互いに動き動かされる関係に入りこむことである。心理面接の場での言葉の働きとは,会話において互いの動き動かされる関係を十分にとらえそれを支援に活用していくものである。また会話の活動を形作る環境,状況はしばしば不可視のものでありながら,発話の力点を動かし,言葉の意味を制御する。言葉は他者及び環境,状況との間で,共同構築される産出物である。「まずは会ってみて考えたら」という指導者の言葉は,動き動かされる関係の中に入って,そこから出てくる自分自身の感受性を妨げないで,大切に扱う。それを手掛かりにして面接を進めてみたらということだ。
体験の流れに身をおくと,そこから自発的な動き,応答が生まれてくる。そこに率直に耳を傾ける。私たち自身にその内側で,多くのことが生起する。セラピストたちはこれを心理支援の素材にする。そのために,心理面接では「構造化された対話による交流」という場面の設定を行う。このような場の中での発話は,定まった台本に基づくような言葉ではない。クライエントを外から動かそうとするのではなく,その瞬間に起こることに開かれ応答すること,そして,相手の感情表現への感受性を高め,享受するということ。このような態度を維持することで,相手の自発的でこれまで示したことのない応答を引き出すことがある。インテークでは,クライエントにとってこの面接がどういう意味を持つのかに配慮すること,そしてその意味を初回の面接においてどこまで受け取れているか,応答できているかが肝要だろう。それは今も大切にしている私の面接の基軸である。
文 献
- Anderson, H.(1997)Conversation, language, and posssibilities: A postmodern approach to therapy. Basic Books.(野村直樹・青木義子・吉川悟訳(2001)会話・言語・そして可能性.金剛出版.)
森岡正芳(もりおか・まさよし)
所属:立命館大学総合心理学部
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書として『物語としての面接―ミメーシスと自己の変容』(新曜社,2002)『うつし 臨床の詩学』(単著,みすず書房,2005),『臨床ナラティヴアプローチ』(編著,ミネルヴァ書房,2015)『臨床心理学』増刊12号「治療は文化であるー治癒と臨床の民族誌」(編著,金剛出版,2020),『別の歴史に見合う言葉を見つける―ナラティヴ・セラピーの詩学』(共著,北大路書房,2025)などがある。






