こころと身体と社会をつなぐサイコドラマ:PTEs・ACEsとロールセオリーそしてポリヴェーガル理論(3)身体に違和感を覚えるトモ例をポリヴェーガル理論とサイコドラマから読む|前田 潤

前田 潤(室蘭工業大学)
シンリンラボ 第36号(2026年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.36 (2026, Mar.)

今回の事例も国籍を問わず筆者の自験例であり,対人関係というより,身体感覚や個人内感覚に焦点が当ったサイコドラマ事例を取り上げる。このような身体感覚をサイコドラマではどのように扱うのかを見て,そこで起きたことをサイコドラマのロールセオリーとポリヴェーガル理論から考察してみたい。

身体違和感から脱皮と新生

このサイコドラマはサイコドラマトレーニングとして実施されたもので,参加者5名と監督を加えた合計6名で行われたドラマである。

トモは60代女性。何か胸の辺りにドス黒いものがモヤモヤぐるぐるして,ここしばらく違和感があるのだという。その違和感を何とかしたいし,これが何なのかを明らかにしたい,と希望を述べる。そこでトモを主役としてサイコドラマを行うことになった。

サイコドラマで,こうした身体感覚の違和感を主役が表明した時,どのように行うか,方法は色々あるだろうが,今回は,始めにその身体感覚であるモヤモヤぐるぐるしている「(ドス)黒いもの」を具体化して,それと対話していく方法をとった。

具体的には「黒いもの」の役をしてくれる補助自我(主役のドラマの配役)としてアヤ(50代女性)が選ばれた。しかし補助自我に選ばれてもアヤは何をしたらよいかわからないので,その黒いものがどのように主役であるトモに関わっているのかトモに教えてもらわなければならない。そこで監督は,アヤがトモ役になり,トモは黒いものの役となるよう指示し,黒いもの役になったトモに,「トモの身体のどの位置でどんなふうにしているのか」を尋ね,演じてもらった。

するとトモはトモ役であるアヤの身体の前面に「黒いもの」となって身をかがめて立って体をうごめかせて見せた。

どのように黒いものを表現したら良いのかがわかったので,アヤに黒いもの役になってもらい,主役であるトモの前面にさっきトモがやったように立ってもらい,身を屈めてうごめいてもらう。

図1:黒いものがうごめくイラスト

するとトモは「そうです,こんな感じです」とにこやかな顔をして述べながら,しかし,続けて「なんだか気持ち悪い」「変な感じ」がすると幾分表情を曇らせて言う。

もう一度アヤと役割交換をしてもらい,黒いものとなったトモに「あなたはいつからここにいるんですか?」「そこで何をしているんですか?」と監督は尋ねる。

すると黒いものとなったトモは「最近です」「そんなに昔じゃない」「この頃です」と述べたかと思うと「あっ」と気づいたように言い「大きくなろうとしています」「私(黒いもの)はどんどん大きくなっていくんです」と言うのである。

そして役割交換。トモはトモに戻って黒いもの役のアヤが同じように「最近です,この頃です。あっ,大きくなろうとしています。私はどんどん大きくなっていくのです」と先ほど黒いもの役をやったトモと同じセリフを言うのをトモはトモとして聞く。するとトモは「私はこれを黒いと言っていたけれど,むしろ新しい。真新しいのはこちらです。私の方が古いんです」「あーわかった」と得心したようにする。さらに役割交換を行って黒いものとなったトモはトモとなったアヤが先ほどトモが言ったのと同じセリフ「黒いと言っていたけれど,むしろ新しい。真新しいのはこちらです。私の方が古いんです」と言うのを聞く。するとそれを受けて黒いものとなったトモは「そうです。私は新しく生まれてきたんです。だから私は私なんです。でも新しい私です」と言って,屈めていた姿勢から体を伸ばして大きくなって,トモ役のアヤの前から飛び出るように抜け出たのであった。そして抜け出たかと思うと「あー。スッキリした。自由になった」と両手を広げ,大きく息を吸い込み,笑顔で嬉しそうに喜びの溢れた表情をして体を伸ばすのであった。

図2:新しく生まれた

そして役割交換。トモに戻ったトモは,黒いものの役となったアヤが同じく自分の前で大きくなっていき,抜け出ていって,大きく体を伸ばしていくのを見る。

これを見てトモは戸惑ったようにし,しかし笑みを浮かべ「変な気分です。自分が抜け殻。抜け出られた皮になったような気分です」と言う。そして役割交換。 

抜け出ていったものに再びトモはなる。そしてトモ役になったアヤが「変な気分です。自分が抜け出られた皮になったような気分です」と同じセリフを言うのを聞きながら,「あれは古い自分で,自分にモヤモヤしたものがある,と思っていた黒いのは新しい自分だったんです。すごく不思議な気分です」と感慨深く述べたのである。

それから自分役として別の参加者を選び,新しい自分役のアヤが伸びをして「あれは古い自分で,黒いのが新しい自分だったんです」と言うのを,トモはミラーポジション(離れた客観的な位置)から見る。するとミラーポジションにいるトモは「古い自分の保護はもう要らないから,自由に歩き回って」と新しい自分を励ますのであった。

図3:新しい誕生をミラーで

ドラマはここで終わり,シェアリングとなった。

シェアリングとは共有を意味する言葉だが,主役のドラマが参加者にとってどのような繋がりがあったか,または役を通じて体験したことや,ドラマによって思い出した自分の経験を共有する時間である。

全く意外な展開にアヤはアヤにとっても不思議な体験だったと言い,さらに「自分から新しい自分が生まれたんですね。身を屈めていたのが,伸びをした時,本当に気持ちよかったです」と役を通じて感じた体験のシェアがあった(サイコドラマではシェアリングで行われた参加者からの体験共有の発言があったことを「シェアがあった」と,表現する)。

他の参加者からもシェアがあり,監督として私からは,さなぎから蝶になる姿を見た時の感動を思い出したことを伝えた。

トモもこれらシェアリングを受けて,新しく生まれた自分の誕生と,脱ぎ捨てられた自分の保護の役割の終了を実感したことをあらためて語るのであった。

サイコドラマのロールセオリーによる考察

まず,トモが主役を行った際,監督としての私も,いわゆるインテーク面接で行うように背景情報やトモの事情を詳しく聞いてドラマを行なったわけではない。もちろん初対面ではなく面識はあって,サイコドラマの勉強を通じて何度か一緒に過ごしていたので,それなりの家庭状況や生育歴,仕事の状況は知っていた。他の参加者もアヤも同じような状況で,トモのことをサイコドラマの勉強を通じてそれなりには知ってはいる。そして,トモもアヤもまだ経験が浅いが,サイコドラマは初めてではないので,監督からトモに「「黒いもの」になって」,アヤに「トモになって」,という一見すると錯綜した指示があっても,混乱なく進めていくことができている。

ドラマはトモがドス黒いものがあって違和感がある,ということから始まった。監督は考えやプランがあったわけでなく,トモが言うままにその身体違和感に注目し,具体化することからスタートしたのである。

サイコドラマは基本的に,主役が感じていること,思っていることを具体化していく。特に今回はトモが胸の辺りに「(ドス)黒いもの」がモヤモヤぐるぐるして,とトモが明確に感じている身体の違和感に監督は注目した。その明確な身体の違和感を頼りに,考えやプランがあるわけではなくてもサイコドラマ技法としての具体化を試みることから始めたのである。

監督はまず,その「黒いもの」がトモの身体のどこでどのようにしているのかをトモに尋ねた。するとすぐにトモはその黒いものになって,具体的に他の人がわかるように身体を使って表す。これは,具体化であり,「違和感を感じている」ロールから「違和感を与えているもの」ロールへのロールリバースであり,いわば主客転倒を起しているのである。トモは「黒いもの」と何度も役割を交代するうちに,ただ「黒いもの」だったものが,どんどん語り出し,「黒いもの」ロールとしての実感が鮮明になって,さらに成長してロールが実体化し自発性が増していく。そしてついには,トモの中から外に飛び出て,息を吹き返したように伸びをしてスッキリ感を味わう。そしてドス黒いものと言っていた異物自体が新しいロールで,古い自分(古いロール)は皮のようになったのである。

トモはこのドラマを通じて古い自分から新しい自分が創造され,生まれ出る体験,つまり新しいロールの創造が起こったのである。生まれた時には,喜びにあふれていたが,トモに戻ると,しかし,「変な感じ」,「不思議な感じ」,と述べている。しかし,客観的に見ることができるミラーポジションに移動すると,むしろ皮になった古い自分には保護役割の終了を伝え,新しいロールに自由を与え励ますメッセージを伝え,そこで終了となった。

この一連の流れを目の当たりにすることでトモ本人だけでなく,アヤにも参加者にも監督にも,驚きと戸惑い,喜びの経験となり,トモの経験がグループ全体に広がり,グループ体験となったのである。

サイコドラマの視点からは,トモはこれから新しいロールに慣れ,成長させていくことが課題となった,と捉えられる。

ポリヴェーガル理論から見て

トモはここしばらくこの違和感があって,それを何とかしたいし,正体を明らかにしたいと述べている。これはポリヴェーガル理論から見ると背側迷走神経複合体(DVC)の働きによる言語化が難しいエネルギーの停滞,そして不快感が続いていた,と捉えることができるだろう。

その「黒いもの」にトモ自身がなることは,サイコドラマから見るとロールリバースとして主客転倒するという意味がある。一方ポリヴェーガル理論から見るとDVC側になって身体を屈めてうごめいてみて,その感覚に集中する機会を与えたことになる。それはDVCから湧き起こる身体的感覚を積極的に受け取る作業,つまり普段は言語によらない身体的な感覚としてのみメッセージを与えてくるDVCからのメッセージに,言語的表現と行動化の機会を与えたことになると捉えられる。

そのような形で表現の機会を重ねることは,DVCによる停滞や凍りつきに向かうプロセスから,言語化と行動化によって別のプロセス,腹側迷走神経複合体(VVC)との結びつきを深めさせていくプロセスを促進することになった。さらにVVCは交感神経系とも結びつき,ついには体を伸長させ,表情も明るく,生き生きとした活力を甦らせることになったのである。

そして古い自分と,自由になった新しい自分との対話や参加者のシェアリングを聞くことは,新しい自己の再定義とVVCを主軸とした新しい自分を身体的に実感させ,自らが主体であることを取り戻すことを強化する作業であった。ポルヴェーガル理論では他者との関わりによる制御,相互調整(Co-regulation)と名付けている関わりが,トモをDVCからVVCの活動への移行をスムーズにさせ,強化することに寄与したと考えられる。

トモ例に見る「逆境的体験」

あとでわかったことだが,このドラマで扱われた身体的違和感は,トモの職場退職という人生の転機に深く関連していた。トモは退職後,今後どのように生きていくべきかという問いにしばらく思い悩んでいたのである。ドラマが実施されたのは,退職から数ヶ月が経過しようとする時期であった。

一般に,定年などの年齢による退職は多くの人が経験する普遍的なライフイベントである。先行研究によれば,退職後に抑うつ感や身体的不調が増加する例は少なくない。特に本人の意に反した退職であるほど悪化傾向が強いとの報告がある。その一方で,退職によってかえって健康度が増すケースもあり,その影響は個人差が大きく一概には言えない。

トモに焦点を当てると,彼女は身体の違和感を「どす黒いモヤモヤしたもの」として体験していた。不快感,胸の悪さ,あるいは得体の知れない「気持ち悪さ」といった感覚である。こうした人生の転機において,古い自己から脱却し,新しい自己を産み出そうとする相剋そうこくに伴う苦痛は,多くの人が経験し得るものである。中にはその苦痛ゆえに,内科的・身体的な治療を求めて受診に至るケースも少なくないだろう。

しかし,この事態をポリヴェーガル理論の視点から捉え直すと,全く別の側面が浮かび上がる。トモの訴える身体不調や停滞感は,自律神経系における背側迷走神経複合体(DVC)の過剰な賦活による反応と見なすことができる。退職がすなわち逆境的体験である,とは言えない。中には健康になる人もいるのだから。しかし,トモにとって退職は,神経系がDVCによる不動化(シャットダウン)を起こしそうになるような衝撃であった。それゆえトモにとって退職は「逆境的体験」だったのである。

このように,客観的な出来事からではなく,本人の「自律神経系の反応」に基づいて事態を分類するアプローチは,臨床において極めて重要である。

ポリヴェーガル理論の紹介者である津田真人氏は,PTSDの診断において,DSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)の基準を満たすか否か以上に,トラウマ反応の程度から「その人にとってそれがトラウマであったか」を見立てることの臨床的意義を強調している。この事例はそのような見立ての妥当性を改めて教えてくれるものと解される。

トモ例における監督の役割

サイコドラマの監督として,トモ例で監督はトモが述べる身体的違和感に焦点を当てて何ら現実的状況についてのインタビューを行なっていない。これはロールセオリーから見れば,異なる二つの側面のロールを取り出し,ロールリバースによって新しいロールを生み出すことにつながった。ポリヴェーガル理論から見ると監督は,それが何であるか意味を問う新皮質からのトップダウン的アプローチではなく,身体感覚に意識を向け,自律神経系レベルからのボトムアップアプローチを選んだ。それがトモにとっては,背側迷走神経複合体(DVC)のメッセージを積極的に受け取る助けになったと考えられる。

なぜ監督として,一般的で基本的とさえいえる現実的状況を確認するインタビューを行わなかったのか? 「これは背側迷走神経複合体(DVC)が」,などと解釈したわけではなかった。監督としては,トモ自身が「何かドス黒いものがぐるぐると」という身体感覚のリアルさから述べているのを見て,その感覚に焦点を当てることになったのであった。つまり,監督が行ったのは主役の感覚に沿ってロールを出してドラマが進むのを手伝った,ということである。これがもしもトモ自身から「退職してどう過ごしたら良いのか」などという話だったとしたら,そのようなトモをめぐる現実的状況を具体化させてドラマを作っていったであろう。

主役の実感に沿ってドラマを組み立てて行ったところに,サイコドラマの監督としての大きな仕事があった。

そして次に監督が行った仕事は,先読みをせずトモが進んでいく方向に従って,ロールリバースという技法を重ね,ミラーで終結させたことである。

トモは結果的に豊かな感受性を働かせ,身体の感覚をまっすぐ受け取り,さらにそれを言語化,行動化して変化を体現していく力を発揮した。そのトモの動きに監督は信頼を寄せた。トモは新たな自分の誕生に対して,喜びとともに「変な気分」と違和感を表明している。

ここで監督がトモをミラーポジションへと導いたことでトモは,「新しい自分の誕生」という不可思議な体験をするだけの状態から,古い自分を労いながら新しい自分を励ますという,一歩引いた俯瞰的な視点に立つことができた。このプロセスが,現実の世界へと踏み出す主体的な構えを取り戻させ,ひいては自己の再統合へとつながったと考えられる。

本事例におけるトモの変容は,トモ自身の感受性と自発性と創造力,そしてそれを発揮できるように監督が促したサイコドラマ技法が新しい自己の誕生(脱皮)だったと考えられる。

次回に向けて

私は,津田真人氏の研修会で,津田氏がポリヴェーガル理論の提唱者であるポージェス自身は臨床家ではないが臨床的示唆を与えており,その実践的応用は臨床家に任せられている,と言うのを聞いた。それを聞いて私は,サイコドラマはポリヴェーガル理論に臨床的実践例を与えるものではないかと直感した。  

それはどのようなことであるか。次回はポリヴェーガル理論とサイコドラマがどのような点で臨床的結節点となって互いに補完すると考えられるのか,私なりに論考を進めてみたい。

+ 記事

前田 潤(まえだ・じゅん)
室蘭工業大学大学院教授
資格:サイコドラマTEP,臨床心理士,公認心理師。
主な著書: “Cultural Diversity, Groups & Social Challenges”(共著,IAGP,2025),『心理劇入門―理論と実践から学ぶ』(共著,慶應義塾大学出版会,2020),『総合病院の心理臨床―赤十字の実践』(共著,勁草書房,2013)
趣味:サイコドラマ,オペラ鑑賞

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