黒沢幸子(目白大学/KIDSカウンセリングシステム)
シンリンラボ 第14号(2024年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.14 (2024, May)
1.本来セラピーとは?
ブリーフセラピストはどうでもいい
さてさて,連載第2回目,これから第1章が始まります。
ところで,連載第1回目(前回)で,「ブリーフセラピストなんてもってのほか」などと言い放った私……。そうなんですよね,ブリーフセラピストであるかどうかなんて,本当はどうでもいいことだと思うのです(やっと第1章に入るというのに,のっけからそんなこと言って,知らんよー)。
じゃあ,どうでもよくないこと,譲れない大切なことは何なのかといえば,クライエントに本当に役に立つセラピーとはいったいどういうものなのか,そして,それが(精度高く満足に)できているのかということだと思うのです。
臨床がうまくなるという観点から言えば,それをできるようにどのようにするのかということにもなります。
4Eはクライエントの望み
そのような本当に役立つセラピーの特徴は,もしかしたら,たとえば4つのEで表現されるものでもあるかもしれません。
Effective(効果的),Efficient(効率的),Elegant(洗練),Ethical(倫理的)です。
どうでしょうか。この4Eは,広くクライエント側から望まれるセラピーの特徴といえるのではないでしょうか。
そして,この4Eは連載第1回目でも紹介した通り,ブリーフセラピーの特徴として言い表されているものです。つまり,クライエントに役立つセラピーを真摯に探求し続けるということから,ブリーフセラピーが成立し,それゆえにブリーフセラピーを学び実践しようとするわけなのです。
人が変化することと責任
ところで,4Eをわざわざ特徴として挙げるからには,他のセラピーではこの4Eは特徴といえるほどには有していないということになるのやもしれません。
ならば4Eのような特徴を持つセラピーがたやすく生まれるわけもなく,そもそも他のセラピー(いわゆる従来型)に比して,相当に革新的なセラピーが源流となっているのではなかろうか……。皆さんの勘,冴えていますね。その通りです。
実はですねー,その革新的なセラピーから,従来とは異なる新奇な手段や方法を学ぶといった浅い話をしたいんじゃないのです(これだって,浅い話と一概には言えないけど?)。
本来人とは何なのか? 本来セラピーとはどうありえるのか? そんな結構,深~いところに,ブリーフセラピーの源流を通して触れることができればと思っているのです。
たとえば,人が(治療的に)変化する可能性とそれへの責任について……。
2.あるものを利用する
イエスの生まれ変わり
ある公立病院に「自分はイエス・キリストの生まれ変わりだ!」と信じてやまず,病棟内を布教して回り,病院のルールや治療者の指示に従わない患者さんがいました。
関係者はなかなかに手を焼いており,彼がイエスの生まれ変わりではないことを説得しようとしても,むしろその患者さんは頑なになるばかりです。
皆さんがセラピストとしてこの患者さんと関わることになったら,どうするでしょうか。
宗教血統妄想をもっている統合失調症の患者さんとみられます。ただ,抗精神病薬等が使えない状況下にあります。
この世に来た訳
「君には大工の手習いがあるんだよね」──聖書において,イエスの父ヨゼフは大工です。
「もちろんさ」──患者さんは,少し驚いてそれを認めます。
「人々の役に立ちたいと思ってこの世に来られたのですよね」
「そうだとも」──患者さんは,自分のことをわかってもらえ肯定されていることを感じ安心します。
「病院に本棚が足りず困っていてね,作らなければならないんだけれども,手伝ってもらえないだろうか」
「いいとも,もちろんさ」
患者さんは,その後,人々のために本棚をいくつも作り,依頼された病院の敷地の石などを取り除く整備を行い,生き生きとさまざまな作業に取り組みました。
周囲の人々からは感謝されることが増え,症状行動は建設的な行動に代わっていきました。
臨床がうまっ!
この事例を読んで,ぽっかーん,と口を開けて感心している方,イエス・キリストならぬチャンスの神様到来です(連載第1回参照)。
臨床がうまっ! この事例への対応,マジか! って,思いますよね!?
これこそが,くだんの革新的なセラピーの主,20世紀稀代の精神科医・心理療法家であるミルトン・エリクソンMilton H Erickson(1901-1980)の有名な事例です。
この事例の時代は,まだ抗精神病薬は開発途上でした。薬物療法が使えない時代に,こんな治療があり得たなんて,驚きでしょう。
ブリーフセラピーの祖
エリクソンは,ここで患者さんの信念を何も否定せず,それに合わせて尊重する態度を示します。そこから,人々の役に立つことが本望という患者さん自身の価値観を自然に引き出しました。そして,患者さんが意欲的に生産的な活動に携われるように導いて環境を用意し,彼の未来に向けた治療的な成果に結びつけたのです。
今まで見たことも聞いたこともないような臨床! エリクソンの臨床を知った人々は,「臨床がうまっ!」と,他に類を見ない革新的で「普通でないセラピー(uncommon therapy)」に舌を巻いたわけです(劇画調に言えば,「なんなんだ,これはー!」)。
人の肯定的な側面に注目しそれを引き出しつつ,驚くほど短期的な解決にも至る(変化を生む)ことがあり得るなんて……。
エリクソンは,「病因というものは複雑なものであり,また必ずしも問題の解決と関連しているわけではない」と考えていました。
その臨床的対応や基本姿勢からなんとか学ぼうと,研究や弟子入りをしていった臨床家たちが,ブリーフセラピーを形作っていくことになるわけです。
利用(utilization)が中核概念
セラピー場面において,クライエントが示してくるあらゆる様相,人格,行動,信念等に,良し悪しがあるのではなく,それを尊重して,そこにあるものをどう治療的に“利用”するか……。
エリクソンの数多くの多彩なセラピーからわかることは,クライエントがセラピーの中に持ち込むあらゆること,問題,症状,価値観,行動パターン,要求,特徴,そして抵抗までも,さらに治療者や環境も,クライエントのよりよい生活に向けて“利用”することができるということです。
エリクソンの事例からは,その人が現していることのすべては,セラピーの成功への第一歩であり,可能なら,目標に向けてそれを“利用”することもできるだろうと教えられるのです。
このように,エリクソンの治療の中核要素は,“利用(utilization)”にあります。
リソース(資源)を“利用”する
上記の事例ではその症状や頑なな信念を,リソース(Resource:資源・材料)として,エリクソンは治療的に“利用”しているといえます。
エリクソンの革新的な臨床治験を発展させたものがブリーフセラピーですから,リソースを見出し“利用”することは,ブリーフセラピーの中心的治療姿勢にもなるわけです。
(“利用”はSDGsの常識。以前捨てられていたゴミはいまや貴重な資源として利用されています)
3.人は一人ひとり違う(柔軟性・観察力・独自性)
先入観を廃する
ちなみに,イエスの生まれ変わりというこの事例は,浅いセラピーでしょうか。深いセラピーでしょうか(浅い深いにこだわるねー)。
「いつから始まり,いかに始まったのか,何が原因で」といったことを聞くことなしにケースを見事に治してしまうことが少なくなかったエリクソン。
彼は,問題に関して特定理論や一般仮説も持ちませんでした(持たないようにしていました)。
ん? 大丈夫なのかな? 臨床をするのに,問題の経緯,原因仮説,特定理論を持たないなんて……(いくらなんでも,浅いんじゃないかなー)。
エリクソンは,クライエントに対して先入観を持つことは,治療の妨げになると考えていたようです。
柔軟性
エリクソンは,やってくるケースやその問題ごとに,仮説を立てて対応していくうえで,セラピストの“柔軟性”が必要であることを強調しています。そのため,努めて問題に関する特定理論や一般仮説を持たないようにしていました。
確かに,上記の事例のように,妄想は間違っているといった,こうあらねばならないということにとらわれずに,クライエントの示すリソースとして,妄想までも治療的に“利用”するなどということは,“柔軟性”がなければできないことです。
そうねー,確かにねー……(原因仮説などをもたないことの意図がわかると,浅いとも言い切れないな)。
個別にあつらえる
エリクソンは,「人は一人ひとり独自の存在」という個別性を重視してそれを尊重していました。相手をよく“観察”して,その人のニーズや反応様式に合った対応をあつらえることを重視していました。
人は生活も背景も経験もすべて一人ひとり違うのに,セラピストはそれに目を向けず,自分の理論や行動仮説にクライエントを当てはめようとすることを,ギリシャ神話の「プロクルステスのベッド」にたとえて戒めています。
強盗プロクルステスは,捕らえた人をベッドに乗せ,その長さに合わせて切ったり伸ばしたりする暴行を働いていたという伝説です。
科学的姿勢
エリクソンの臨床知見について,ここまで述べてきたこと(利用,リソース,柔軟性,独自性など),またこれから述べることは,彼がどこかから啓示を受けたものではなく,すべてエリクソン自身の地道な催眠研究や臨床治験・実践から気づき,見出したことなのです。
その意味では,徹底した科学的姿勢に基づくものといえます。
エリクソンは,それぞれ異なる特定の個人と状況に対して,方法を決めつけずにアプローチし,経験を通してどうすればいいのかを知るしかないと考えていました。
患者さんと粘り強く接し,ときにはうまくいくまで別の方法を試し続け,従来認識されていたことと異なるとしても,クライエントのリソースを活かし治療的に役に立つことを見出していったわけです。
ひとつの現象を理解したり,見出した仮説を検証したりするために,多くの実験を積み重ねてきていることがエリクソンのたくさんの論文や記録から明らかになっています。
浅く感じたかもしれない治療姿勢は,むしろ患者に役立つための粘り強い科学的態度からだとすると……。ブリーフセラピーは,実は深い粘り強さに裏打ちされている……。
何を根拠に?
と,と,と,ちょっと待って! このような科学的な態度の重要性は理解できるし評価するけれども,方法を決めつけずにアプローチするといっても,そもそも何を根拠にまずどのようにしていくというのでしょうか?(ここは,ツッコまなくちゃ!)。
「人は一人ひとり独自の存在」,つまり一人ひとり違うというのは,これは理念ではなく,実際にエリクソンの“観察”から見出されたことなのです。次の項で触れますが,エリクソンは自分の持つ障害から人一倍,いえ数百・数千倍の観察力が鍛えられることになったのです。
前段の「人は一人ひとり独自の存在」のくだりで“観察”という言葉をサラッと書きましたが,その人のニーズや反応様式に合った対応をあつらえるためには,まずよく“観察”するのです。
観察力
観察できることは限りなくあります。言語・非言語のコミュニケーションやその相互作用,認知の様式,表情や身体の使い方・動き方,態度・所作,声の調子,生理的反応(呼吸の仕方,嚥下,瞬き)等々,全感覚を利用して観察することです。
エリクソンは,研修医のトレーニングなどでは,技法を教えるのではなく,観察力を養うことを徹底し,特に視覚と聴覚を鍛えることを重視しました。
というのも,全感覚を利用した観察なくして,効果的な治療やその進展などを十分に知ることはできないからです。
事実を超えてはならない
エリクソンは,すでに述べた“柔軟性”と同様に“観察”を重要視したのですが,しかし,加えて彼が強調したことは,観察したことが何を意味するかは,セラピストは明確には知り得ないということです。観察せよ! そして,事実を超えてはならない,と。
「エリクソンは明晰な自然主義者であった。彼は今そこに観察されたことを踏み越えて,何かをするようなことはなかった」(Rossi, Ryan & Sharp, 1983)。
あのー,この姿勢って,“Stay surface!(表層に留まりなさい)”(第1回連載参照)という解決志向ブリーフセラピーの姿勢と共通するものではないかしら?
“Stay surface!(表層に留まりなさい)”は,ブリーフセラピーは浅い! ということを喜んで肯定する(深い)話だったわよね……。
4.自然志向(naturalistic orientation)
障害がリソース
エリクソン自身,その人生において,本当に多くの独自な体験をしてきており,それが彼の類まれな臨床を生み出したともいえます。
彼は,色盲症,失音楽症,失読症といった先天的な困難や発達的な困難を抱えていました。また,17歳でポリオに感染し,一時期は危篤状態となり全身麻痺にも陥っています。回復後も一部麻痺や疼痛などの後遺症と戦い,それを自己催眠などによる自己調整の絶え間ない努力で乗り越え,自己管理をし続けた一生でした。
たとえば全身麻痺で眼球しか動かせない日々には,赤ん坊だった妹が,はいはいをし,つかまり立ちをし,何とか歩けるようになっていくそのプロセスをつぶさに“観察”して,それをまねてエリクソンは徐々に歩けるようになっていったといいます。
彼の観察力や,身体の微細な反応や働き,心身の能力の開発や発展への可能性に関する知識は,自身の体験から鍛えられたものであったのです。
このようにエリクソンが持っていた障害との戦いの事実を知ると,そのようななかで,どうやってここまでの治療者としての人生が歩めたのだろうか,何が支えになっていたのだろうかと,思わずにはいられません。
麦畑の話
エリクソンは,あまり豊かではない農家に生まれました。農家は,土地を耕し,春に種をまき,秋に収穫するというサイクルを,自然の影響を受けながら,たゆまずに続けていきます。
農夫であるエリクソンの父は,エリクソンとともに植えたある年の麦の育ちがとても良かったので,豊作が期待でき,麦畑を見るたび二人は幸せな気分で楽しみにしていました。
ところが,来週に刈り入れだという矢先に,大雨が続き,すべての麦が倒れて水浸しになってしまいました。
エリクソンの父は言いました。
「芽を出すくらいに熟した麦は十分にあるさ。だから,今年の秋には牛にはいくらか新鮮な飼い葉をやれるだろう。そして,来年はまた新しい年だよ」
農家にとってこのおおらかで確信的な姿勢は,自然から学び培われた,なくてはならないものだと教えられます。
明日は別の日であること,陽は明日また昇ること,どんなに打ちひしがれようといつも何か新しい成長とはじまりの素地があること……。エリクソンは,この真の未来志向を体得していたにちがいありません。
自然志向
エリクソンは,人間には能力があり,自然は健康を維持し支えていくものととらえていました。
ですから,セラピストの仕事は,クライエントがすでにもっているのに,解決のために用いられてこなかった能力や資質を,クライエントが使うことができるようにすること,そのような(治療的)環境を作ることと考えていました。
それをエリクソンは“自然志向”(naturalistic)と呼んでいました。
セラピーは,自然な状況の中で,自然な会話として行うことができるのです。エリクソンは,逸話を話したり,面白いことを言ったり,提案をしたりして,治療的介入がなされていることにほとんど気づかれないような,極めて自然な形で行っていました。
“自然志向”は世代を問わず本当に有用ですが,成長過程にある子ども達にはなおさらその醍醐味を感じます。
私の心に深く残っている“自然志向”に根差したエリクソン臨床の2つの事例を紹介します。
7歳のお兄ちゃんになると
6歳の子どもが指しゃぶりや爪噛みをどうしてもやめられず,両親はそれをきつく叱り続け,大きな家庭問題にまでになり,両親は子どもを連れて治療にやってきました。
皆さんがセラピストなら,どのように対応しますか?
「パパとママは小さい子どもがしなくちゃいけないことをわかっていないね。指しゃぶりや爪噛みはまだ6歳の子どもならしなくちゃならないものなんだよ。もちろん君が7歳のお兄ちゃんになると,指しゃぶりや爪噛みはもうしていないさ。だって7歳ってとても大きなお兄ちゃんだからね」
2か月後が彼の誕生日でしたが,6歳児にとって7歳のお兄さんになることは,未来の楽しみな憧れです。
そして,7歳の誕生日の2,3週間前には自然に指しゃぶりと爪噛みはすっかりなくなっていました。
毛布の少女
7歳の少女は,大きな犬に噛まれたことをきっかけに,何もできなくなってしまいました。嚙まれただけではなく,犬の飼い主からは罵声を浴びせられたことから,少女は深く傷つき,恐怖とトラウマから下痢や心悸亢進,失神などの症状が表れ,登校も外出もできなくなり,常に毛布にくるまっていないといられない状態になっていました。
皆さんがセラピストなら,どうするでしょうか。
この少女は,ず~っと毛布にくるまっていたい気持ちと本当は毛布から出たい気持ちの両方がありそうです。その両方の気持ちについて丁寧に話をしていきながら,安心できる関係をつくります。
「私が驚いたのはね,あなたがこんなに怖い目にあったのだから,もっと頻回に下痢をしたり,もっと激しくドキドキして苦しかったり,もっと長く気を失うことがあっても何もおかしくないのに,そうではないってことなの!」
少女は,そうやって話を続けるうちに笑みを浮かべるようになり,面白いことも話せるようになり,ほどなくセラピストの愛犬の話題も楽しめるほどに回復していきました。
こんなふうに,クライエントの力と変化を“自然に”引き出すことができたら……。Elegant(洗練)よね~……(うっとり)(図1)。
図1 ミルトン・エリクソンのセラピー
まずは押さえておきたいこと
連載第2回目,今回お伝えした事例から,(ブリーフセラピーの源流であるエリクソン臨床の本当にごくわずかな事例をお示ししたにすぎませんが)まさに4Eが息づいている! と感じていただけたら,そして人が(治療的に)変化する可能性とそれへの責任について,何か新たな想いを巡らせていただけたなら,嬉しい限りです。(いかん,こういうことを押しつけがましく言うのではなく,皆さんが“自然に”深~く気づけるように,もっと“自然に”やらなければ!)
“自然志向”や“利用”,“リソース”に信頼を寄せること,まずは押さえておきたいことです。
これらをまず臨床姿勢として皆さんのセラピーの中核に置くと,どんなことが違ってくるでしょうか……?
*オンラインマガジンの本連載の性質から,文中での出典提示を省略していることをお断りさせていただきます。主要文献を最後に挙げていますので,ご参照ください。
文 献
- Haley, J.(1973)Uncommon Therapy: The Psychiatric Techniques of Milton H. Erickson M. D. W. W. Norton.(高石昇・宮田敬一(監訳)(2001)アンコモンセラピー─ミルトン・エリクソンのひらいた世界.二弊社.)
- 日本ブリーフサイコセラピー学会(編)(2020)ブリーフセラピー入門─柔軟で効果的なアプローチに向けて.遠見書房.
- O’Hanlon, W. H.(1987)Taproots: Underlying Principles of Milton Erickson’s Therapy and Hypnosis. W. W. Norton.(森俊夫・菊池安希子(訳)(1995)ミルトン・エリクソン入門.金剛出版.)
- Rosen, S.(1982)My Voice Will Go With You: The Teaching Tales of Milton H. Erickson. W. W. Norton.(中野善行・青木省三(監訳)(1996)私の声はあなたとともに─ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー.二瓶社.)
- Short, D., Erickson, B. A., & Erickson-Klein, R.(2005)Hope & Resiliency. Crown House.(浅田仁子(2014)ミルトン・エリクソン心理療法─〈レジリエンス〉を育てる.春秋社.)
- Zeig, J. K.(1980)Teaching Seminar With Milton H. Erickson. Brunner/Mazel.(成瀬悟策(監訳)・宮田敬一(訳)(1984)ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー.星和書店.)
黒沢幸子 (くろさわ・さちこ)
目白大学心理学部心理カウンセリング学科/KIDSカウンセリングシステム
公認心理師・臨床心理士
得意領域:学校臨床心理学,ブリーフセラピー,児童思春期青年期心理臨床/家族療法
日本心理臨床学会,日本ブリーフサイコセラピー学会,日本コミュニティ心理学会等の理事や委員を務める。日本ブリーフサイコセラピー学会学会賞(13号)
内閣官房の依存症対策関連の会議や自治体のいじめ問題関連の協議会等の委員,教育センター,少年鑑別所,児童相談所等のスーパーバイザーや研修講師等を務める。
心理相談援助職向けのブリーフセラピー等の研修歴は25年余に渡る(KIDSカウンセリングシステム)。