【特集 ポリヴェーガル理論とトラウマ】#01 ポリヴェーガル理論入門|津田真人

津田真人(心身社会研究所)
シンリンラボ 第36号(2026年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.36 (2026, Mar.) 

1.はじめに

ポリヴェーガル理論(以下,PVT)は,最初に提唱されたのが1994年。もう30年以上を経たことになる。提唱者のスティーヴン・ポージェス(Stephen W. Porges, 1945−)は,もともと臨床家ではなく,臨床的関心をもちながらも地道な研究を続けてきた,心臓の精神生理学(心拍変動と自律神経)の研究者である。

その研究を続けるなかで,彼は心臓を支配する副交感神経,つまり迷走神経の遠心性線維が,主に哺乳類以降の脊椎動物では2種類ある解剖学的事実に基づき,その働きのちがいを体系的に説明する自律神経の新しい理論を打ち出すに至った。それがPVTだ。そして,いったんこれが発表されてみると,折しも「トラウマの時代」(津田,2019, 2023b)のなか,さらにヴァン・デア・コークらトラウマケア領域の研究者や臨床家たちに,トラウマの機序を最もうまく説明できる理論として注目されるようになり,今日さまざまな臨床の現場で,流派や技法の違いを超えて,トラウマの新しい理論としても準拠されるに至ったものである(津田,2019)。この理論の意義は一体何なのか,まずそのことを私の論考では考えておきたい。

2.新しい自律神経の理論

ではPVTは,自律神経について,どんな新しい理論を提起したのだろうか。自律神経系はこれまで,覚醒し緊張する交感神経系(以下,交感)と,鎮静し弛緩する副交感神経系(以下,副交感)の,相反する2つの成分からなるとみられてきた。しかし副交感の80%を占める迷走神経は,哺乳類では,心臓で明確なように,背側迷走神経複合体(以下,背側)と腹側迷走神経複合体(以下,腹側)の2種類からなっており,すると交感神経系と合わせて,自律神経系は合計3つの成分からなることになる(Porges, 2011, 2017)。それに基づきPVTは,(特に臨床の場に対して)大きく2つの新たな視角を提起することになった(大谷ら,2025,津田,2023a,2024)。

まず第1に,副交感が2種類あるということは,鎮静・弛緩の仕方が2通りあることになろう。背側の鎮静・弛緩は,個体の生命維持のための受動的な状態であって,例えば食べることも,排泄することも,眠ること(休むこと)も,いずれも静かに動かないことでこそ果たされる営みだ。これに加えてもう1つ,受動的な鎮静・弛緩がある。それは生命維持を脅かされる極度に危険な状態,「生の脅威」に遭遇するときだ。この場合も,多くの動物が「死んだふり」をするように,自分は動かずに環境が変わるのを待つ。「不動化」,いわば受動的なコーピングの戦略であり,その典型が「凍りつきフリーズ」や「虚脱シャットダウン」である(大谷ら,2025,Porges, 2011, 2017,津田,2019, 2022)。しかし元来,危険といえば,交感の覚醒・緊張が起動するのではなかったか? その通り。ただその場合に採られるのは,自分が動いて環境を変えるという「可動化」,いわば能動的なコーピングの戦略なのである。その典型が「戦うか逃げるか」だ(大谷ら,2025,Porges, 2011, 2017,津田,2019, 2022)。そして,この可動化が不可能であるとき,不動化が最後の防衛手段となる。こうして私たちの防衛行動は,交感の可動化と背側の不動化の2種類が存在することをPVTは明らかにした。一方これまでの自律神経論の主流は,防衛行動を,専ら前者でのみ考えてきた(大谷ら,2025,Porges, 2011, 2017,津田,2019, 2022)。ただし,草創期もしくは傍流の自律神経論は必ずしもそうではなかったが(津田,印刷中)。

ところで生体が病むのは,防衛行動の過剰と固着による。交感であれ背側であれ,防衛行動が過剰に働き,持続し,完遂できずにいる。とするならPVTは,病態を診るふところを従来よりも深め,交感だけでなく背側の過剰による病態をも,射程に収めうることになろう。しかも交感の過剰による可動化の病態が,「ストレス」性の疾患に主に関与していたとすれば,さらに背側の過剰による不動化の病態はトラウマティック・ストレス,つまり「トラウマ」性の疾患をも包摂しうるとみられる。こうしてPVTは,「ストレス」性疾患のみならず「トラウマ」性疾患を射程に収め,その神経学的機序を説明しうる新たな<病態論>を提示する。これが第1の新たな視角である(大谷ら,2025,Porges, 2011, 2017,津田,2019, 2022)。

次に第2の新たな視角は,腹側の鎮静・弛緩による。これは今まで“副交感はリラックス”と言われてきた部分をある意味では継承するが,重大な違いがあって,それは社会的な安全を享受するということである。ポージェスは単なるリラックスなるものを直ちに認めず,哺乳類において本当にリラックスできるのは,個体と個体の間に社会的なつながりがあって,そこに安全感を感じる時だという。他の人がいなくても,1人でいてリラックスができるようになるのは,この社会的な安全感が確立した後のことなのだ。PVTでは「協働調整」から「自己調整」へと言うが(Porges, 2017,津田,2021),こうして社会的な安全を基盤としてリラックスは生じるのであり,その時に腹側が作動するのである。

そして,社会的な関わりによる安全感は,私たちの健康の条件であり,さまざまな病態からの回復の条件でもある。むろんそんなことは,これまでも言い古されてきた。ただその場合,従来,神経科学的には大脳(皮質や辺縁系)の機能が想定され,自律神経の領分ではないとされてきた。自律神経は個体の内部のホメオスタシスを制御するので,個体と個体の関係になぞ無縁なのだと。ところがポージェスによれば,社会的な関わりの有無で個体の内部のあり方も違うし,働く神経が違うし,社会的な関わりの時にだけ働く自律神経があるという。それが「社会神経系の一部」(Porges, 2001)としての腹側なのである。

ならば健康も病からの回復も,単に大脳レベルにとどまらず,身体丸ごとのレベルで働く安全感と社会性まで視野に入れないと,不十分ということになる。もはやEBMとNBMの統合どころか,さらにいわばSBM(Somatic Based Medicine)の統合が不可欠となってくるだろう。こうしてPVTは,ストレスやトラウマからの回復に関わる神経学的機序を説明しうる新たな<治癒論>をも提示する。以上が第2の新たな視角である。

3.自律神経系の3段階論

このようにPVTは,自律神経系を3つの成分のダイナミズムでみるわけだが,この3つは,通時的には,脊椎動物の系統発生の進化の中で,原始的な魚類とともに最も古くからある背側,上陸革命前後から硬骨魚類とともに生じた交感,そして哺乳類とともに生じた腹側と,発展段階をなして出現し(個々の個体発生でも同様),共時的には,一個の個体の内部の構造として,古い方から新しい方へ積み上がっていく階層構造をなしていると考える(大谷ら,2025,Porges, 2011, 2017,津田,2019, 2022)。ゆえに哺乳類こそがポリヴェーガルなのだ。私たちヒトを含む哺乳類は,安全な社会的つながりのもと,つつがなく日常が回っている限りは,一番上層の腹側で過ごしているが,ひとたび何か問題がおこると一段下に降りて交感に入り,自分が動いて環境を変える,つまり能動的に問題に対処しようとする。成功すれば,すみやかに上層に戻る。しかし能動的に対処できないとなると,もう一段下に降りて背側に入り,自分は動かずに環境が変わるのを待つ,つまり受動的に問題に対処しようとする。動物の「死んだふり」のように,これも成功すれば,上に戻っていく。こうして一番上の腹側(-安全-社会的関わり)にいるのが健康な状態だが,より現実的・より実質的には,この3つの段階を状況に応じて自在に往還できるのが最も健康な状態ということになろう。

逆にいえば,どこか1つの段階に留まってしまうのが,病的な状態ということになる。交感(-危険-可動化)に入ったまま,いつまでも戻ってこれない状態,さらには背側(-生の脅威-不動化)に入ったまま,いつまでも戻ってこれない状態。そしてまさにこの前者の典型がストレス性疾患,後者の典型がトラウマ性疾患ではないかとみることができる(大谷ら,2025,Porges, 2011, 2017,津田,2019, 2022)。

しかも重要なのは,以上のダイナミズムは,専門家が分析して初めて明らかになるのでなく,哺乳類はみな無意識のうちに,毎瞬そのつど環境の安全/危険/生の脅威を「検出」し,そのつど環境に社会的関わり/可動化/不動化の反応を返しているという事実である。このいわば身体的な認知,カール・ロジャーズの類似の概念に名を借りれば「知覚することなしの知覚」(Rogers, 1951)を,ポージェスは「ニューロセプション」(neuroception)と呼んで重視する(大谷ら,2025,Porges, 2011, 2017,津田,2019, 2022)。

4.「ブレンド」というトラウマケアの戦略

こうした自律神経の3段階は,さらに3つの各々が,個別に全か無かで働くというより,互いに「ブレンド」しあってグラデーションをなす,とポージェスは1998年頃から主張し始める(Porges, 2011, 2017,津田,2019, 2022)。すると3つの成分が組み合うと3通りのブレンドが成立しよう。交感背側腹側背側腹側交感と。交感背側は持続性・緊張性の不動化(tonic immobility)で,これがいわゆる「凍りつきフリーズ」に当たる(背側単独だと同じ不動化でも「虚脱シャットダウン」)(津田,2019, 2022)。これも合わせるなら,私たちの防衛行動は,交感の「戦うか逃げるか」と背側の「虚脱」に加え,交感背側の「凍りつき」の3種類があることになり,病態を診るふところをいっそう深くすることができる。

残る2つのブレンドはどちらも腹側絡みだが,腹側背側は安全な不動化(「恐怖なき不動化」),受動的な社会的関わりで,ポージェスはこれをはじめ「愛」と呼び,やがて親密性や共感性とも捉えた。腹側交感は安全な(あるいは自由な)可動化,能動的な社会的関わりで,ポージェスはこれを「あそび」と捉えた。すると腹側が働くときというのは,腹側単独だけでなく,腹側背側腹側交感と3通りあることになり,いいかえれば腹側が働く安全感には3種類あり,腹側が働く社会的関わりには3種類あることになる。しかもストレスさらには特にトラウマからの回復には,腹側の社会的な安全性が大きな鍵を握るのだった。とするなら,この3種類の腹側のあり方,3種類の安全感のあり方,3種類の社会的関わりのあり方を,どのように効果的に組み合わせていくかが,臨床実践に不可欠の重要性をもつことが理解できよう(Porges, 2001,津田,2019)。

5.小結:ポリヴェーガル理論の臨床への視座

こうしてPVTでは,腹側-安全-社会的関わりのトライアングルが,臨床応用の最も重要な視座をなすことになる。ポージェスは端的に,「私たちが安全であるとき,マジカルなことがおこる」;「この安全感こそが治療なのだ」と言う(Porges, 2017)。そしてこのトライアングルから遠ざかるほど,遠ざかる分だけ心身の苦悩は深まり,そこに近づくほど,近づく分だけ心身の健康は高まる。またそこを賦活することで,交感の「闘うか逃げるか」への固着から,加えて背側の「凍りつきフリーズ」や「虚脱シャットダウン」への固着から,戻ってくることもできる。とすれば,その回復過程そのものがまさに,腹側交感腹側背側のブレンドと言えないだろうか(大谷ら,2025,津田,2021, 2022)。

トラウマ治療は,19世紀末のピエール・ジャネからジュディス・ハーマンをはじめヴァン・デア・コークら今日の代表的なトラウマ・セラピストに至るまで,奇しくもみな3段階のプロセスを経るものと考えられてきた(Cloitre et al., 2011,津田,2019, 2022, 2023a)。ハーマンの言葉を借りれば,①安定化,②記憶処理,③統合と復帰である(Herman, 1992)。ポリヴェーガル的に言い直せば,①安定化とは,背側に固着するトラウマ・サバイバーが,腹側をブレンドすることで成立するものだ。その安全な治療関係の基盤の上ではじめて②記憶処理——単にエピソード記憶にとどまらず,情動記憶や手続き記憶など身体性を帯びた記憶の処理(Levine, 2015)——,つまりトラウマという死にも等しい体験に能動的に向き合う「トラウマとの再交渉」(Levine, 1997)が可能になるのであり,このチャレンジは腹側交感のブレンドでこそ推進されると考えられよう(とすればトラウマワークは,人生で最も神聖な「あそび」ともいえる(津田,2022))。そして,この再交渉のプロセスが完了するにつれ,③統合と復帰,つまり社会生活への再適応と新たな日常の構築が到来し,ここでいよいよ腹側それ自体を自在に発揮する段階に向かっていくことになる(大谷ら,2025,津田,2022)。もちろんこの順番は,一通りに決まるのでなく,各段階が逆転したり跳躍したり往復したり,さまざまのパターンがあり得る(それもまた,当人にとってそのつどどれが最も安全かで決まる)。しかしこのように,3種類の腹側-安全-社会的関わりを適切に布置することで,トラウマ治療の3段階も打ち立てられてきたことは間違いない。こうしてトラウマ治療百余年の伝統もまた,PVTの確かな意義を逆照射してくれるのである。

文  献
  • Cloitre, M., Courtois, C.A., Charuvastra, A., Carapezza, R., Stolbach, B.C. & Green, B. L.(2011)Treatment of complex PTSD: Results of the ISTSS expert clinical survey on best practices. Journal of Traumatic Stress, 24 (6); 615-627.
  • Herman, J.(1992)Trauma and Recover. Basic Books.(中井久夫訳(1996)心的外傷と回復.みすず書房.)
  • Levine, P. A.(1997)Waking the Tiger: Healing Trauma. North Atlantic Books.(藤原千枝子訳(2008)心と身体をつなぐトラウマ・セラピー.雲母書房.)
  • Levine, P. A.(2015)Trauma and Memory: Brain and Body in a Search for the Living Past. North Atlantic Books.(花丘ちぐさ訳(2017)トラウマと記憶—脳・身体に刻まれた過去からの回復.春秋社.
  • 大谷 彰・津田真人・大城由敬(2025)治療関係がセラピーを有効にする—エリクソン,ロジャーズ,ポリヴェーガル理論の交響.星和書店.
  • Porges, S.W.(2001)The Polyvagal Theory: Phylogenetic substrates of a social nervous system. International Journal of Psychophysiology, 42 (2); 123-146.
  • Porges, S.W.(2011)The Polyvagal Theory. W.W. Norton & Company.
  • Porges, S.W.(2017)The Pocket Guide to the Polyvagal Theory: The Transformative Power of Feeling Safe. W.W. Norton & Company.(花丘ちぐさ訳(2018)ポリヴェーガル理論入門.春秋社.)
  • Rogers, C.(1951)Client Centered Therapy. Mifflin.(諸富祥彦・末武康弘・保坂亭訳(2005)クライアント中心療法 ロジャーズ主要著作集2.岩崎学術出版社.)
  • 津田真人(2019)「ポリヴェーガル理論」を読む—からだ・こころ・社会.星和書店.
  • 津田真人(2021)ポリヴェーガル理論と複雑性PTSD—病態理解と治療.精神療法,47 (5); 618-619.
  • 津田真人(2022)ポリヴェーガル理論への誘い.星和書店.
  • 津田真人(2023a)東洋医学と心理療法 「こころ」に安全を育むこと/「からだ」に安全を育むこと―ポリヴェーガル理論と心理療法サイコセラピー身体療法ボディワーク.In:花丘ちぐさ編著:わが国におけるポリヴェーガル理論の臨床応用.岩崎学術出版社,pp.84-92.
  • 津田真人(2023b)コロナ禍・トラウマの時代・ポリヴェーガル理論.〈身〉の医療,7; 42-54.
  • 津田真人(2024)心身相関におけるポリヴェーガル理論の意義.心身医学,64 (3); 232-238.
  • 津田真人(印刷中)ポリヴェーガル理論.精神医学,68 (5); 近刊予定.
+ 記事

津田真人(つだ・まひと)
心身社会研究所 自然堂(じねんどう)治療室・相談室
資格:公認心理士,精神保健福祉士,鍼灸師,あんま・マッサージ・指圧師(以上国家資格のみ)
主な著書:
『ポリヴェーガル理論を読む』(単著,星和書店,2019)
『ポリヴェーガル理論への誘い』(単著,星和書店,2022)
『わかりたいあなたのための心理学入門』(分担執筆,宝島社,1996年,文庫版2007)
『わが国におけるポリヴェーガル理論の臨床応用』(分担執筆,岩崎学術出版社,2023)
最新著『治療関係がセラピーを有効にする』(共著,星和書店,2025)

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