森岡正芳(立命館大学)
シンリンラボ 第33号(2025年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.33 (2025, Dec.)
1.ダマシオ『進化の意外な順序-感情,意識,創造性と文化の起源』(白揚社,2019)
心がどのように生まれるのか。心の起源を探りたい。この大きな課題について,近年脳神経科学からの知見とそれに基づいた論評が喧しい状況である。神経認知科学は今や,宗教と信仰という聖域にも挑戦し,解釈を提示している。いずれにしても心の探求には,脳神経科学の知見は必須の基盤をなす。私が注目している神経科学者の一人はアントニオ・ダマシオ,ポルトガル出身米国在住の神経科学者である。ソマティック・マーカー仮説で著名である。この仮説は,過去の経験で良い・悪いを感じた身体反応が記憶され,選択肢に迷うとき,身体感覚が瞬時に「良い」あるいは「避けよう」という直感的な判断を下す。脳と身体・情動の連環を示すものである。
ここで取り上げたダマシオの1冊では,心の起源を探るにあたって,進化の順序性を重んじる。脳は身体とあらゆる部位に密接に結びついていて,生命体としての知性は,身体と情動を基盤として進化してきた。その順序は,生命の単細胞のレベルから秩序を持って展開してきている。ダマシオのこの書物は,その順序を詳説していて随所に発見がある。人間の持つ文化的な心は,感情が根っこにあり,感情は生体内の生命活動を心的に表象することを可能にした。このような指摘は,ロジャーズやジェンドリンの実践アプローチを裏付ける。またダマシオの理論は応用範囲が広い。面白いのはたとえば,なぜ保守主義がリ
ベラリズムに勝ることが多いのかについて,進化の順序から説明できるという。世界の現状を冷静に見るうえで参考になる。
ホメオスタシスが本書のキーワードである。シンリンでも,よく聞くタームである。ダマシオは人の文化が形成される進化の根源には,ホメオスタシスが一貫して保たれていると考える。ダマシオのホメオスタシスは,家族療法のシステム論などで使われるものとは意味合いが少し異なる。「何があっても生存し,未来に向かおうとする」生命体の本性がまずあり,生命体は思考や意志を欠いていても欲求を実現しようとする。まさに「盲目なる意志」。ホメオスタシスとは,「そのために必要な連携と作用プロセスの集合」とダマシオは考える。
これはスピノザの「コナトゥス」という概念からきているようだ。コナトゥスとはシンリンでは聞きなれない言葉だが,「自己を維持し,自己を高めようとする本源的な力・衝動,すべての存在そのものに内在する自然な力」である。精神分析の欲動に近い。ダマシオは17世紀オランダの哲学者スピノザの『エチカ』に精通している。ダマシオは『感じる脳 情動と感情の脳科学:よみがえるスピノザ』(2005, ダイヤモンド社)という書物を出していて,心身問題,情動と身体の関係をとらえた先駆者として,スピノザを自家薬籠中のものにしている。スピノザの『エチカ』はサイコセラピーの古典として読めるのである。
そこで,取り上げたい書物はずばり,
2.川谷大治『スピノザの精神分析-『エチカ』からみたボーダーラインの精神療法』(遠見書房,2024)
評者も以前から,『エチカ』が精神分析の発想と近い点に気づき,いくつかの論文で言及したことがある。長年開業医として精神科医療に携わっていらっしゃる川谷先生(以下敬略)は,言わずと知れたボーダーラインケースのエキスパートである。患者の感情表出の扱いには,ほとほと疲弊させられるであろう。『エチカ』の精読を通して,サイコセラピーの実践に基軸が与えられる。これは離れ業である。スピノザは精神と身体は同一物と考える。身体の状態変化が起きると身体を感じる。身体の変状を通して受容される活動能力の増減をスピノザは感情ととらえる。したがって,不安,憎しみ,怒りといった感情は,そのときに生じている身体変化を認識し,言葉を与えることで鎮められる。感情に受け身にさらされる(受動感情)ばかりでは人は,苦しむ,理性と接合することで能動的な自分を取り戻す(能動感情への転換)。川谷はスピノザの『エチカ』が精神分析治療と理論に適合することを,現代精神分析学の種々の理論を縦横無尽に運用しながら記述する。驚くべき力業である。
3.江口重幸『シャルコー―力動精神医学と神経病学の歴史を遡る』(講談社学術文庫,2025)
先月末フランス,トゥールでの学術交流の帰りに,パリに立ち寄った。オデオン駅からすぐのパリ大学医学部図書館のミュゼがオープンしていて中に入ったら,シンリンの歴史でも,よく目に留まる絵画『サルペトリエールの臨床講義』が,図書館ホールの2階奥,壁一面に飾られ,今から150年前,力動精神医学,神経科学の拠点がここにあったことをいまさらながら実感した。

臨床講義の教授はあのシャルコーである。女性患者がヒステリーの発作を起こした瞬間の描写である。助手,看護師が患者の体を支えている。そのそばに立ち,カタレプシー状態を冷静に説明するシャルコーの姿は堂々たる風格を感じる。まさにヒーラー。フロイトも催眠をここで学んだ。畏友江口先生(以下敬略)が,ピエール・ジャネに傾倒されていたことはかねてから,存じ上げていたが,さかのぼるとその師であるシャルコーの臨床に行きつく。「すべてはこの人から始まった」。コンパクトな書物だが,江口の情熱は燃え上がり密度が濃い。精神医学史の重大な局面を描く記述には引き付けられる。
シャルコーは,それまで子宮病といわれてきたヒステリー症状に心身相関の観点から光を当てた。「シャルコーはヒステリーの変化に富む一連の症状の基底には,神経=筋組織,さらには心的装置と結びついた確固たる法則性がある」ことの発見から,ヒステリーと催眠の謎を一気に解明した。のちにフロイトが無意識の心的過程を前提に,その身体領域への出口に関心を寄せ,『ヒステリー研究』をブロイヤーとの共著で世に問うことになる。
『臨床講義』の絵に描かれる女性患者が気になる。江口は,この患者さんの来歴を丁寧に調べている。一人の患者に思いを寄せるこの観点が素晴らしい。患者の名はヴィトマンという。そして江口は次のように慎重に書き加えている。「先の診療録や経過を追うと,ヴィトマンは物心つく前から制御できない身体と神経病の遺伝的家系樹に怖れを抱き,青春の只中で,何もなしえないまま失意のうちに病院の門をくぐる,というまったく別の物語を読み取ることができる」。一方,この絵画を見ると19世紀後半に生きた女性たちの社会的抑圧を見る視線が動く。このような発作を起こす状況そのものが描かれているのではないか。そして,その後に展開した医師と患者との「共犯的」といわれる関係,これは後のフロイトやユングらの研究にも言えることである。症状形成に専門家たちが加担したのではないか。江口はそのような観点も冷静に包括し,「無意識の神話産出機能」とエランベルジュが名づけた力動精神医学の淵源を,私たちに垣間見せるものではなかったか。このように結ぶ。視野が一挙に広がる言葉を示してくれる。江口が備え培ってきた図像学的記憶がなすこれまた離れ業。
4.野村直樹『ナラティヴ探究─ベイトソンからオープンダイアローグへのフィールドノート』(遠見書房,2025)
ナラティヴ・セラピーやオープンダイアローグの日本における展開をけん引してきた野村さん(以下敬略)の最新著作。論文集である。どの文章にも野村の肉声が聞こえる。この書物を主導するのは言うまでもなく,ベイトソンである。『ナラティヴ探究』では,改めてベイトソンを,今なお増殖中のナラティヴと対話実践の出発点に位置付けた。つまり,ベイトソンの後の系譜にナラティヴ・セラピーがあり,リフレクティング・チームがあり,オープンダイアローグがある。野村は,ベイトソン1956年のダブルバインド理論をルーツとしてとらえる。ダブルバインド理論はシンリンでも周知されている事項だが,野村は歴史的な経緯の中でベイトソンのこの理論の核心をとらえ直す。一言でいうと,「双方向性」の認識論への転換がここでなされたのである。私たちが一方向性の認識の罠にいかにとらわれ,抜け出せないでいるかを痛感する。双方向性の認識はダマシオのいう「進化の順序」には適合しないのであろうか。野村の直観力と詩的感性に満ちたフィールド探究はまだまだ続くだろう。ますます期待したい。
森岡正芳(もりおか・まさよし)
所属:立命館大学総合心理学部
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書として『物語としての面接―ミメーシスと自己の変容』(新曜社,2002)『うつし 臨床の詩学』(単著,みすず書房,2005),『臨床ナラティヴアプローチ』(編著,ミネルヴァ書房,2015)『臨床心理学』増刊12号「治療は文化であるー治癒と臨床の民族誌」(編著,金剛出版,2020)などがある。








