長沼葉月(東京都立大学)
シンリンラボ 第24号(2025年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.24 (2025, Mar.)
I.はじめに
対人援助領域で「当事者」という言葉が当たり前に使われるようになりました。私が大学生の頃,全国精神障害者家族会連合会保健福祉研究所でアルバイトとして報告書の編集や校正の補佐をしていた20世紀末はまだ「本人」という記載が多かったのを思うと,随分時代は変わったものだと思います。こうした言葉の変化には浦河べてるの家の「当事者研究」といった営みや,「当事者主権」(中西・上野,2003)といった言説の形成が大きいのだろうと感じています。それまで社会を変えようとする運動の営みは「障害者自立生活運動」「女性運動」等とマイノリティ属性別に名づけられていましたが,「当事者」という言葉はそれを統合するパワーを持つ用語になったとも考えられるのかもしれません。「患者本人」「障害者本人」等,そもそも客体として対象化されやすかった人については「本人」という言葉に特別な意味が寄せられてきましたが,「女性本人」とはなかなか使えなかったと思います。女性の総体を客体化して論じるのは難しすぎるからです。そうなると「本人・家族」などといった言葉が「通じる」領域と「通じない」領域が連帯するのは難しかったのでしょう。しかしそこに「当事者」,「ことに当たる人」というより幅広い概念を当てたことで,異なる社会運動同士が連帯できるようになったのです。言葉は社会を作っていくのですね。感慨深いです。
そうやって「当事者性」という概念を使って,簡単に自己紹介をしてみます。私は「女性」です。それも,伝統的な性別役割分業意識の強い家庭で育ちました(例えば女子はスカートを穿くものとされ,小学校の遠足などで「汚れても良いズボンを穿いてくること」という指示があっても買ってもらえたのはキュロットだけで,中学生の時に初めてジーンズを買ってもらえた時に感動したのを覚えています)。また「精神障害者」とか「不登校児」といった当事者の家族の「健康な」一員として育ってきた立場でもあります(最近はそのような子どもたちを「ヤングケアラー」と名づけて支援の対象に位置づけるようになってきましたが,私が子どもの頃は全くそのような状況ではなかったので,自身が「当事者」だという認識はずっとありませんでした。子ども・きょうだいといった立場で当事者性を感じられるようになったのは二十歳をだいぶん過ぎてからです)。もっとも,今は出身家族をめぐるそうした役割からは離れて,私自身が母親として「子育ての当事者」としてあちこちに相談している立場でもあります。
この度,そのように「当事者」の周辺にいた人であり,またある意味で「当事者」でもある立場からずっと考えていたことを,文章化する機会をいただきました。実は,私は何度もこのあたりのことを論文化したいと思って色々な草稿を書き散らかしていました。フォルダ内には「対等な支援者であることを妨げるものは何か」「連携とパワーバランス」「当事者未満・支援者放棄」などの題名の断片が残っていますが,かっちりしたアカデミズムの文体にまとめきれず埋もれていました。それでも,栗田隆子(2019)さんに勇気をもらって,ぼそぼそとあまり構えずに書いてみます。
II.「当事者」は「弱い」のか
私が子どもの頃は「当事者」という概念は身近ではありませんでしたから,先述した通り「障害者本人」とか「患者本人」といった言葉が主流でした。そのような中で,一つ大きな疑問だったことは「本人」が常に「弱者」として描き出されることでした。
確かに社会構造の中で病気や障害を抱えることで様々な不利益を付与されている人々として,「弱者」であることは間違いありませんでした。病院や障害者支援施設に行けば,「患者役割」「障害者役割」を自然と引き受けてしまい,「困りごとを訴える」「悩みがある」という側面を前面に打ち出してふるまってしまうのかもしれません。少なくとも私の母は病院に行くたびに症状やしんどさを訴え,相談機関に行くたびに自分の無力さを切々と訴えていました。でも,家に帰ればどうでしょう。時には帰路から,母が診察の不満や相談員の対応への疑問を苛立ち交じりに口にすることはよくありました。また手のかかる子どもを連れて遠方まで通院・通所するのはとても大変なので,一日の終わりにはたいてい不機嫌でした。その結果,「具合が悪いから代わりに家事をやって」と頼まれるのはよくある話でしたが,きょうだい喧嘩等をきっかけに激しく怒鳴ったり暴れたりすることもありました。同じように疲れたきょうだいと「健康に学校に通えて良い成績が取れる」私との間の軋轢がひどくなり,叩かれることもよくありました。口ではきょうだい喧嘩には負けない私も,しんどい雰囲気やヒリヒリした空気の家に居るのはいやだったのでしょう。小学生の頃の私は,特に不機嫌になりやすい相談機関への通所があることの多い水曜日はまっすぐ帰宅せず,下校時刻ギリギリまで学校で遊んでいました。
家族療法を学ぶようになってやっと「患者」の立場の人が,家庭内では「病気」や「障害」,「社会における困難や苦悩」ゆえに,家族を操作したり,家族に対して暴力をふるったりしているのだと気づきました。その頃は,メンタルヘルス問題を抱えた人からの家族への暴力は,精神科医療機関においては「よく聞くこと」でした。専門家にとっては「症状ゆえの苦悩の表現の形」の一つにしか過ぎなかったのでしょう。
大学生の頃には私が通院の付き添いをしたり,代わりに相談機関に行くようになりました。それでも子どもの家庭内暴力に対する対応はほとんどありませんでしたし,メンタルヘルス問題と言えば精神科病院につなぐ以外の福祉的な対応もほとんどなかった時代です。病院にどうつなぐか,入院に該当する程度か,そういう支援者側の判断の軸にそった情報のみが受け取られて,それ以外の苦悩はなかなか対応されませんでした。どうしてうちはこんなに大変なの? いったい何が起こっているの? と悩んだ私は,きょうだいや親を支える役割に疲れ果て,少しでも自分の身を護るためにも精神保健や支援制度の勉強を始めました。でも,結局のところ,知識武装して受診や相談窓口に出向いても,「病気なんだからわかってあげてください」「苦しいのはご本人なんです。我慢してあげてください」と言われました。家族が殴られるのは「仕方がない」ことなのか。
私自身は運よく親切な保健師と出会うことができ,細い救いの糸を手にすることができました注1) 。しかし自身が支援者側の訓練を受けるようになり,面接やカンファレンスに陪席する機会を得ても,しばしば暴力が軽く扱われているのを目の当たりにしました。「大変ですねぇ……(しみじみ)」「そうなんです……(しくしく)」,そして沈黙して,おしまい。いまここにいる来談者は家族からの暴力について訴えているのに,なぜそれで終わりにできるのか,もっと緊急性や深刻さ,心理的な切迫感を聞かなくて良いのか,安全の確保ができるのか等確認しないで良いのか。時間がある時は担当者に質問をすることもありましたが「子どもの暴力だし」「まあ今の話の流れでは,そこまで深刻な感じではないと思う」等とはっきりと腑に落ちる答えをいただくことはありませんでした。
注1)このあたりのいきさつは荒井・長沼・後藤ら(2024)に記載しましたのでここでは割愛します。
結局,「当事者」が「身内」にふるう「力」は見過ごされ軽視されやすいと感じています。身体的な暴力ですらそうなので,関係性の暴力,支配や操作といった形の力の行使は,もっと気づきづらく,仮に気づいても放置されやすいのではないかと思います。最近は「ヤングケアラー」という概念が生まれたおかげで,支配を受けるのが「子ども」であれば少し気づいてくれる人は増えたかもしれません。しかし配偶者やきょうだい,また「子ども」の立場であってもある程度「身を守ることができる」と考えられる年齢の人の場合は,「病気/障害だから仕方ない」という論理に絡めとられ訴えることすらできず,支援者はその大変さや深刻さに気づいていないこともあるのではないかと思います。
いま高齢者虐待に関する事例検討に関わることがあります。精神障害のある子どもと高齢の親の世帯に関する事例では,しばしばそれまでの精神保健福祉体制の課題が積み残しとなって立ち現れてきます。親が高齢になるまでは「弱者=精神障害のある子ども」で,様々な暴力は「陽性症状」として扱われ,親の被害や苦しみはケアされなかった。親自身も自らの責任として「支援者を呼ぶことでもない」と抱え込んでいます。でもその状態のまま,親が「高齢者」になると,子どもから親に対する暴力は「高齢者虐待防止法」で規定された「身体的虐待」に相当します。これまでとは一転して親が「虐待被害者」として弱者扱いされ,子どもは「虐待の加害者」とされるわけです。家庭内で起こっていることが大きく変わったわけではないのに,適用する制度が変わっただけで介入が全く違う物語になるのは何なんでしょう(もっとも過去の経緯から虐待と判定されなかったり,関係機関の意見の相違でうまく介入できなかったりもするのですが)。
Ⅲ.「当事者」は「強い」のか
さて,私が若い頃に病院・地域精神医学会や精神障害者地域リハ会議などに参加するとそこに「怖い」当事者が参加していることがありました。官僚による新しい制度の説明時や研究発表時に「国は何を考えているんだ!」「御用学者め!」とか野次が飛ぶんです。野次を制止されると今度は制止されたことに怒ってさらに何やら揉めている。その時には,間違いなくその人は私を怯えさせた「強い」「怖い」人でした。そして同時に「言いたいことがあるのなら,もう少し穏やかに論理的に言えば良いのに」と思っていました。あんなふうに感情的に野次ったって何もきいてもらえないのに,と。
しかし後に自分が声を出すのも難しく,頭が真っ白になってまともな発言ができないという場面を何度か経験しました。偉い人が集まる会議になぜか一委員として参加する羽目になったときや仕事関係の面接のときなど,事前に十分準備ができないのに「偉い人から評価される」のが苦手なのです。どうしてあんなにみっともない話し方になってしまうんだろう,と何度も何度も振り返っていましたが,最近になってようやく,子どもの頃から「どうせ私の声は聴いてもらえない」というスキーマを発展させてきた私が,公的な場で「私的な意見」を発言しようとすると緊張感が急激に高まってしまうのだな,と気づきました。そうして,あの「野次」という(私には絶対にできない)強そうな形で発していた人たちは本当に「強かった」のか,とようやく思い至ったのです。
障害のある方やその家族は,社会の中で強い抑圧に常時さらされ,普通に暮らすだけでもさまざまな障壁に直面したり,制約を受け入れざるをえなかったり,追加のコストが必要だったりします。それに対して日常的に関わる支援者に対して不満や苦悩を訴えると「共感的に理解」はしてくれるでしょう。でも「現状はそういう仕組みです,申し訳ないです」等と言うばかりではないでしょうか。その不満や苦悩がなくなるように制度を変えようと取り組みをする人がどこまでいるでしょう。そうやって長年にわたって不満や苦悩を蓄積させられた人が,その思いをぶつけようとして強い口調になることがある,ということも十分に理解できるようになってきました。
そして私が以前考えたようなこと,つまり「聴いてほしいならもっとおだやかで落ち着いた声で話せばいいのに」というような考え方もまた,ただ相手に追加の負担を負わせるものだと学びました。「トーンポリシング」というのですね。本来の主張の論点をそのままに受け入れず,声のトーンや話し方を問題として扱い,論点をすり替えていく手法。声調の政治化。まだ若い女性支援家であり社会活動家でもある仁藤夢乃さんがこうしたフェミニズムの用語を用いながら,舌鋒鋭く社会課題を浮き彫りにしている姿を見て,いろいろ自分の過去を振り返って恥ずかしくなったこともありました。私もまた「長いものに巻かれろ」的に問題の問題性に気づかず,しんどい立場の人にさらに負担をかけるような発想をしていたんだな,と。いま授業の中で「マジョリティ特権」 注2)という概念を紹介していますが,講義しながらも罪滅ぼしをしているような気持になります。
注2)Goodman, D. J.(2011=2017)で学んだもので,社会がマジョリティに合わせて形作られているためにマイノリティは様々な負担を強いられているが,マジョリティはその負担を免除されており,かつそれに気づくことすらないことを「特権」と呼んでいます。
〈後編につづく〉
文 献
- 荒井浩道・長沼葉月・後藤広史ら(2024)ソーシャルワーカーのミライ.生活書院.
- Goodman, D. J.(2011)Promoting Diversity and Social Justice: Educating People from Privileged Groups. 2nd edition. Routledge.(出口真紀子監訳・田辺希久子訳(2017)真のダイバーシティを目指して:特権の無自覚なマジョリティのための社会的公正教育.上智大学出版会.)
- 栗田隆子(2019)ぼそぼそ声のフェミニズム.作品社.
- 中西正司・上野千鶴子(2003)当事者主権.岩波新書.
長沼葉月(ながぬま・はづき)
東京都立大学人文社会学部人間社会学科
資格:精神保健福祉士,公認心理師
主な著書:「ソーシャルワーカーのミライ」(共著,生活書院,2024)ほか
趣味など:動物園さんぽ,猫にかまってもらうこと