キョウジュの心理学(2)臨床家,採用試験に臨む|富樫公一

富樫公一(甲南大学
シンリンラボ 第30号(2025年月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.30 (2025, Sep.)

「あんなこと書いて,大丈夫ですか」

第一回が公開されると,知人からDMがあった。大学教員だ。

「あれって,○○大学のことですよね」
「あっ,それとも,もしかしてうちの大学ですか?」

何かまずいことを書いたのだろうか。

しかし,私はどちらの大学の内情も知らない。たまたま似た大学があったとしても,連載とは何の関係もない。特に後半は完全にフィクションだ。

個別の大学に興味はない。国家に管理された大学という産業の中に組み立てられた『シンリン教育』を考えたいだけだ。そこにいる臨床家が,何に悩み,何に喜び,何を伝えようともがくのか,である。

大学教員の採用案内

今回は,公募と採用である。キョウジュになるには,この関門を突破しなければならない。

大学の教員職をどこで探すのか。意外と知られていない。

「インディード」には載っていない。「マイナビ転職」にも出てこない1

「日本語教員」「語学教員」や事務職員の募集は出てくるようだ。しかし,いわゆる研究職は載っていない。

試しに検索すると,「大学事務(パート):有名大学での優しく朗らかな教授のサポート事務」という求人は出てきた2。「優しく朗らかな教授」とは誰なのか。その大学を調べてみたが,それらしい人は見当たらない

教員職の最も確実な情報は,大学のホームページの隅に掲載される。不思議なくらい目立たないところにある。まるで,募集していることを知らせたくないみたいだ。

サイトを巡り,一つひとつ探していたらあっという間に一日経ってしまう。

採用案内は,他大学に張り出されることもある。公募する大学が,案内を全国の大学に郵送するからだ。博士課程の学生だったり,どこかの大学の教員だったりするなら,大学の目立たぬ場所に掲示されたA4一枚の紙を見たことがあるかもしれない。

しかし,すべての求人が掲示されるわけではない。

結局,まとまった情報は,○○法人○○○機構のサイトが詳しい。大学だけでなく,民間研究職の求人も掲載されている。大変便利だ。

トップページには「求人公募情報検索(5,520件)」とあり,検索ワードを入れる欄がある。

「職種」に「教授相当,准教授相当,講師相当」,「勤務地」は空欄,「研究分野」に「臨床心理」と入れてみる。37件ヒットした。

1.シンリン学部 シンリン学科 教員(講師,准教授(常勤・任期制))の公募
  シンリン大学
  人文・社会-臨床心理学
  准教授相当:その他-任期あり,講師相当:その他-任期あり

こんな感じだ。

「任期あり」と「任期なし」は知っている。前回シンリンラボで読んだ。

クリックしてみる。

准教授相当:任期あり-テニュアトラック5年(テニュアトラックの3年次に中間評価を実施し,テニュアトラック期間の最終年次の満了日までにテニュア付与の可否の審査を行う)

講師相当:任期あり-テニュアトラック以外

何を言っているのかわからない。

新しい心理学用語だろうか。『公認心理師試験大辞典――これ一冊で合格』を本棚から取り出して「テニュア」を調べる。どこにも載っていない。

アマゾンで検索してみる。関連する本が出てくるかもしれない。

「テニュア教授 面白Tシャツ」
「テニュア教授ギフト おめでとうTシャツ」

Tシャツが並ぶ3。「Finally Got Tenure Life!!」などと印字されたTシャツだ。

ますます意味が分からない。

仕方なく,Chat○○というAIに尋ねてようやく理解できる。

初めからそうすればよかったのだ。しかし,研究者としては,Chat○○の使用には慎重でいたい。妙な罪悪感が湧く。授業でも,「使ってもいいが,よく考えて,責任と自覚をもって使用するように」と教えることになっている。有料登録していることを,大っぴらに言ってはいけない。

テニュアとは,大学教員の終身雇用資格だ。要するに,正社員ポジションである。大学などの研究機関では,もったいぶってこう呼ばれる。一度それを得たら,特別なことがない限り,定年まで勤められる。

テニュアトラックというのは,終身雇用資格を得るため,任期付き教員が定められた研究業績を収めるための期間のことだ。

上の内容を翻訳するとこうなる。

准教授相当:5年の任期付き教員で雇用するけど,3年目に論文や本をちゃんと書いたか審査して,問題なければ,5年目に終身雇用にするか決めるよ。

講師相当:任期までの雇用で,終身雇用の道はないよ。そのあとの仕事は自分で探してね。

テニュアは簡単ではないようだ。獲得したらTシャツを着たくなるのもわかる。

最近は,大学の経営もシビアだ。人材選びも慎重になる。SNSを開くと,「10年後になくなる大学TOP10」がすぐに出てくる。関西の超一流大学のセンセイが「われわれも斜陽産業ですからね……」とつぶやく時代だ。

経営者が真っ先にコントロールすることを考えるのは人件費だ。おかしな人にテニュアを与えたら,定年までの間,経費をただ無駄にする。優秀な人材からすれば安定したポストが欲しいが,大学からすれば慎重になるところだ。


脚 注

1. 誰か一度載せてみてほしい。

2. この部分はノンフィクションだ。

3. この部分もノンフィクションだ。やってみて♡


大学はどんな人を求めているのか

求人の背景はいろいろだ。

定年退職するキョウジュや,他大学に逃げ出す4ジュンキョウジュの後任探しかもしれない。新しい国家資格に対応するため,しぶしぶ増員するのかもしれない。

どちらの場合でも,何を専門とする人にするのか,年代はどうするかなど,学科会議で議論は白熱する。もともと仲の悪い教員どうしが,内容に関係なく衝突する。根回し済みの教員どうしは,目と目で語り合う。

公募内容は,それくらい真剣に決められる。求人情報はこんな感じだ。

業務内容
[仕事内容・職務内容]
(業務内容)大学業務全般(管理運営,各種委員会等),担当分野における教育・研究活動
(担当分野)学部・大学院の公認心理師科目,大学院臨床心理士科目,卒業研究指導

「大学業務全般(管理運営,各種委員会等)」が「教育・研究活動」より先に書かれてあるのが気になる。業務内容に臨床実践はない。

応募資格
[応募に必要な学歴・学位]
博士,もしくはそれと同等以上の研究業績
[説明]
(1)博士の学位を有する者,またはそれと同等以上の研究業績を有する者
(2)大学,大学院等の教育機関において,担当分野の教育歴を有する者が望ましい
(3)臨床心理士資格及び公認心理師免許を有する者
(4)公認心理師科目の「実習」「演習」を担当できる資格を持つ者
(5)大学運営業務(管理運営,各種委員会等)に意欲的に取り組むことができる者
(6)採用後は,原則として○○市に居住できる者

(強調は著者)

「大学業務全般(管理運営,各種委員会等)」がまたある。しかも,「意欲的に取り組む者」だ。「授業と研究だけやっていればよいという人はいらない」という強い意志が感じられる。居住地まで定められている。

出身大学のゼミのキョウジュは,200キロ離れた全然違う県に住んでいて,授業のときだけ出勤していたはずだ。それはダメなのか。

残念ながら,そんな時代ではない。最近は,それを認める大学は少ない。それを認めるのは,その大学に特別な事情があるか,その人が超有名人の場合くらいだろう。

テニュア教員には,会議や委員会業務を嫌がらずに(意欲的に)やってもらわなければならない。学生や保護者の対応,高校への宣伝もある。それに伴って,ルーティン以外の出勤が増える。他の都市に住んでいられたら困るのだ。

先日,学会でお会いしたセンセイが「コロナの間,会議は全部オンラインで幸せだった。ほとんどが対面に戻って,大学に行かないといけない」と嘆いていた。気持ちはわかるが,それは危険思想だ。座っているだけの会議は,対面でなければならない。オンラインにしたら,科研費の申請書を書きながら会議に参加する人が出る。PCを二台並べ,バレないように二つの会議に同時に参加する人も出てくる5。その場に引きずり出さなければ,何をやりだすかわからない6

話がそれた。

気になるのは,臨床心理士資格や公認心理師資格を求めても,臨床経験を問わない求人があることだ。提出書類も同様である。履歴書,研究業績書,志望動機,推薦状,照会者名など,10種類以上になることもある。しかし,臨床実務経歴書が含まれないことも多い。履歴書や研究業績書に,職務経歴を記載する欄はあるが,最低臨床経験年数や,特定の心理療法や検査の具体的な習熟度は,一般に採用条件に明記されない。

学生相談室や大学付属の臨床センターの求人は,そうではないだろう。臨床職だからだ。学科教員は研究職である。求められるのは,研究業績だ。とはいえ,臨床経験がないと担当が難しい授業も多い。採用条件をどう考えたらよいのだろうか。

もちろん,シンリン系大学の教員の多くは,臨床経験がある。書類選考や面接を通して,応募者の臨床経験は確認される。ここで述べているのは,制度と実態との関係だ。研究者養成という建前の大学院で,実践家を育てることに歪みはないかということである。

「臨床家は,そもそも研究者であるべきだからそれでいいのだ」という人もいるかもしれない。「科学者-実践家モデル」というやつだ。公認心理師試験のときに何度も出てきた。その考えに異論はない。研究者養成が,臨床家養成と無関係だと言っているのではない。実践家に研究者的態度が求められるのは当たり前だ。

制度とは何かという問いだ。研究者養成を建前に作られた大学院では,臨床経験年数を具体化しなくても済むかもしれない。しかし,それによって考えるべき問題が見えなくなることはないか,ということである。

臨床心理の世界には専門職大学院というものもある。そこには,実務家教員を置くことになっている。彼らは,数値化された形で臨床経験を明示することを求められる。実践家を養成する大学院という建付けだからだ。

どちらのシステムが良いかを論じているのではない。そんなことは,私よりずっと頭の良い人が考えているはずだ。研究者養成の建付けの中で実践家を育てるとき,学び手を前に臨床家は何を考えるのかという問いである。

学生がそこにいる。彼らは,何しろ素直だ。センセイの言うことをそっくり吸収する。多くのシンリン系大学では,「クリティカル・シンキング」を最初に教える。論文や記事など,社会に出回っている情報を批判的に検証して読む姿勢だ。しかし,「クリティカル・シンキングが重要」というセンセイの価値観自体を批判的に検証できる力をちゃんと育てられているだろうか。センセイが,どんな臨床経験から,彼らが将来臨床現場で体験し,考え,学び,探求する必要があるものを語るのかによって,彼らの将来は大きく変わる。今の教育は,10年後,20年後,あるいは,50年後の社会を作る。


脚 注

4. 「採用された」の間違い。

5. 器用だ。

6. 100%フィクションの笑いのネタである。大学教員はこんなことはしない。似ている人がいたら,それはたまたまである。


面接にきた

模擬講義をやり終えた。

小難しい顔の面接官4人の前で,指定された「心理臨床実践の基本原則」の講義をした。人前で話すことに,これほどやりにくさを感じたことはない。

シンリン大学の「助教(任期つき-テニュアトラック以外)」の採用試験である。書類選考を通過したのだ。二次試験は,模擬講義(30分程度)と面接だった。

講義は,当たり障りのないものにした。面接官はおそらく,キョウジュやジュンキョウジュだ。オリエンテーションもわからない。自分は力動系だし,このテーマは倫理的転回7と関係する。素直に話して,ややこしい批判をされたくない。途中,冗談を入れてみたが,くすりともしなかったので,すぐやめた。臨床事例をまじえて,特色を出した。

「学生に分かりやすい講義を心掛けたいので,事例を入れました」と,模擬講義を締めくくった。

4人はほぼ無表情だ。目をつぶったままの人もいる。メモを取り続けている人もいる。どう評価されたのかわからない。修士課程のとき,一度だけ受けた病院の採用面接を思い出した。見事に落とされたやつだ。

「ありがとうございました。わかりやすい講義でした」と,父親の知り合いのキョウジュが口を開いた。学科長8として司会をしていた。「では,面接に移ります」

やれやれと言った感じだ。これが終われば,採用試験から解放される。

書類選考が通過するとは思っていなかった。

10種類の応募書類を半月かけて作成した。

業績といっても何を書いたらよいかわからなかった。「なんでもいいから,書き物をとにかく載せておいてください。助教なので,多くなくてもかまいません」と言われたが,そもそも書き物自体がほとんどない。正直に相談したら,「学会発表でも構いません。とにかく書いておいてください」と言われた。それでも,3つくらいしかなかった。

書類は空欄ばかりだ。採用はほぼあきらめていた。

「自分のやりたいのは臨床だ。むしろ落ちた方がいい」

突っ張っていたが,どうせ出すのなら評価はされたい。二次試験の通知が来たときは,それなりに嬉しかった。

しかし,面接会場のあるメインキャンパスはあまりにも遠かった。新幹線の駅から,山を二つ超えた。

交通経路を調べたが,公共交通機関はバスしかない。一時間に2本だ。しかも,「夏期・冬期・春期特別ダイヤ」があり,大学の長期休み期間は二時間に1本になる。面接の日もそうだった。

バスは諦め,駅前でレンタカーを借りた。

山あいの道には,「動物注意」と書かれた鹿のシルエットの標識や,「冬期路面凍結注意」の警告があった。

途中,車一台程度の幅しかない道があった。不安だったが,対向車どころか,車の影さえ見えなかった。両側には,竹が群生していた。道が覆われ,昼間だというのに暗かった。竹の足元には,熊笹がひしめいていた。ごみ袋を引きずりながら,取り合う二羽のカラスが目に留まった。カア,カアという甲高い声が車内にまで響いた。

ようやくたどり着いたキャンパスは,すべてが新しかった。

人の姿はなかった。遠くに人影らしきものが見えたが,すぐに建物の影に消えた。

正門の前は道を挟んですぐ山だ。「まつたけ狩り 一人6,000円」と,白い文字で書かれた看板が斜めに立っていた。

黒い分厚い雲が空を覆っていた。

気持ちは,昂らなかった。

「では,先生方,ご自由に質問してください」と,学科長が促した。

「私から」と,ライフジャケットのようなベストを着た初老の男性が身を乗り出した。「大学は雑務の多いところでして,雑用や会議はかなりやってもらうことになりますが,理解されていますか?」

言い方は丁寧だが,嫌な感じだ。

「もちろんです。雑用という仕事はないと思っています。そうした仕事の積み重ねが教育です。学生が将来の自分を探せるような環境を作れるなら,何でもしたいと思っています」

臨床家としての信念でもある。「これだけが真の仕事」と考えたくない。目の前の患者の支援につながるなら,何でも仕事だと考えたい。

「意気込みは立派だと思います。でも,熱意だけではどうしようもないものもあります」と,黒生地に白の唐草模様の入ったブラウスの女性が口を出した。「助教の仕事は結構あります。実習の振り分け,引率,心理検査の管理,ゼミの希望調査の管理と振り分け,卒業論文の受け取りと発表順番の作成,会議の議事録作成など,挙げればきりがありません。それを嫌がらずにこなしてもらわなければなりません」

「何種類あるかわからない試験監督,地方入試の監督,各種委員会もありますよ」と,隣の若手女性が付け加えた。

「大変な仕事だということはよくわかりました。しかし,やると言ったらやります。……ただ,認められる範囲で,臨床に携わる時間は欲しいとは思っています。臨床は日進月歩ですから,完全にやめてしまったら,質の高い教育はできないと思っています」

「そこなんだよね」と,ライフジャケットが割り込んだ。「志望理由書でも,模擬講義でも,臨床家を強調されていましたが,これは臨床職ではありません。相談室を持たれているようですが,採用されたら近くに住んでもらないといけない。大学の仕事をしてくれないと」

何でもやると言っているのに,なぜ,こうも疑うようなことを言うのだろう。

「業務はちゃんとこなします。この辺りにも引っ越してきます。それにしても,先生方がそこまで同じことを繰り返されるのは,何かあるのでしょうか」

臨床では,対話の中で違和感を覚えれば,タイミングを見てそれを言語化する。言葉にならないまま漂うものを探索するためだ。その癖が出た。

「大学の仕事は授業と研究くらいだろうと思われては困るからです」と,ライフジャケットは声を大きくした。「実際はそんなものではない。見えないところでやるべき運営業務は膨大だ。しかし,そうした仕事を嫌う教員がいる。面倒くさい業務をやる人はいつもやることになり,やらない人はいつもやらないことになる。それでは困るのです」

「なるほど。そういうことなんですね。しかし……」

余計なことが頭に浮かんだので,止めた。相手の気持ちを逆なでするようなことを言う癖は,大学院時代から変わらない。

「しかし,なんでしょう」と,ライフジャケットが目を光らせた。

「いえ。答えはこれだけです」

「気にせず,お話しください」と,学科長がこっちを見た。

「そうですか……」迷いはあったが,言いたい気持ちが勝った。「そのような状況なら,話し合ったらどうでしょうか。要するに集団力動ですよね。組織の偏りを取り上げるのです。臨床の先生方がたくさんいらっしゃいます。心を扱うプロの集団ですから,今浮かび上がっている問題を話題にすることも,珍しいことではないのではないかと……臨床では,そうしたこともよくやりますので」

「ここは,臨床現場ではないからね」と,ライフジャケットが小馬鹿にするように笑った。「理想論では組織は動かない。ここは教育研究組織です」

「でも,臨床家を育てる組織でもありますよね? 先生方の多くは臨床家です。人間関係に起こっている問題を扱う専門家です。私なら,やるだけやってみると思います」

「ふんっ」と,ライフジャケットは鼻を鳴らした。「助教にその力を発揮できる場所があるかは,疑問だがね」

いざとなると,職階や年齢による立場を使い,相手を貶めるようなことを言うわけだ。学科の人間関係の膠着と,背後の権力構造の一部を垣間見た気がした。このままでは終われない。

「こちらの大学は,センセイ方の入れ替わりが多いようです。それも,この点と関係していませんか。もしそうなら,それも含めて話し合う必要があるのではないでしょうか」

3人の顔色が変わった。

「そんなこと,部外者に言われる筋合いはない」

ライフジャケットが貧乏ゆすりを始めた。

「そうでしょうか。外側にいるからこそ,見えることもあります」

「まあ,この辺にしましょう」と,学科長が割って入った。「採用面接というより,議論ですね。先生の言うことは正論です。しかし,どんな組織も,それを変えるのは簡単ではありません。乱暴に直面化したら,かえって変わらないこともある。それは,臨床でも同じではないですか? 臨床家なら,それこそよくわかることかと思います」

言葉もなかった。その通りだった。

「……それに,就職面接を受ける人の態度ではないですね。私たちも,このために休日を返上して仕事をしています。教育や研究以外に,たくさん仕事があるのは事実です。では,これで終わりにしましょう。退室していただいて結構です」

物腰は柔らかいが,学科長の強い信念と自信を感じた。

恥ずかしさでいっぱいになった。

面接官はみな,下を向いて目を合わせることすらしない。

「失礼しました。ありがとうございました」

声を出すのがやっとだった。

いらだって偉そうに批判しただけだった。大学教員の生活も想いもわかっていない。あれだけ何度も尋ねるということは,相当心配なのだろう。いままで,それで苦しんだり,悩んだりしてきたのかもしない。自分は社会人としても,臨床家としても幼い。

落ちただろうな。

駐車場まで歩きながら,やり取りを振り返った。

カッコ悪かった。何も見えていないんだと思った。修士課程のとき,キョウジュの意見に反対のことばかり言っていたことを思い出した。

自分は今まで,教える側として働いたこともない。組織で働いたこともない。

自分を生み出した大学のシンリン教育をちゃんと考えてもみたい。自分は,どんな制度の中で臨床家として生まれたのか。そして,次の世代とともに,これからの臨床を考えたい。

今頃になって,このポジションを失うのが惜しくなった。

やっぱり駄目だろうな。後悔で胸が痛んだ。

しかし,まつたけ山の向こうには青空が広がっていた。


脚 注

7. 前回の連載を見てね。

8. 最初,「ガッカチョー」とカタカナ表記にした。編集者の反対で漢字に戻した。カタカナがよかった。


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富樫公一(とがし‧こういち)
資格:公認心理師‧臨床心理士‧NY州精神分析家ライセンス‧NAAP認定精神分析家
所属:甲南大学‧TRISP自己心理学研究所(NY)‧栄橋心理相談室
著書:『精神分析が生まれるところ─間主観性理論が導く出会いの原点』『当事者としての治療者─差別と支配への恐れと欲望』『社会の中の治療者─対人援助の専門性は誰のためにあるのか』(以上,岩崎学術出版社),『Kohut's Twinship Across Cultures: The Psychology of Being Human』『The Psychoanalytic Zero』(以上,Routledge)など

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