富樫公一(甲南大学)
シンリンラボ 第31号(2025年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.31 (2025, Oct.)
大学には,学生がいる。
当たり前のことだが,不思議に思うことがある。
この感覚は,幼稚園から高校までの教員とは違うかもしれない。彼らは,教育をするためにその仕事に就いた(と思う)。しかし,大学教員は基本的に研究者だ。あるいは,臨床家だ。
教育に関していえば,大学教員は素人である。
大学教員になるための教員免許もない。大学教員は,日本の学校教育制度6-3-3-4制の中で,唯一教員免許を持たずに人に教えられる職種だ。
一部の教員養成系大学で,採用に幼少中高などの教員免許を求めることがあるが,法令等で定められているわけでもない。大学がそう決めただけだ。それに,その免許は大学教員になるためのものではない。
シンリン系大学の教員も同じだ。シンリシには教職課程を出た人もいる。その人が大学教員になれば教員免許を持っているが,大学の教員資格とは無関係だ。
多くの大学教員は,教育や教授法を知らずに学生に出会う。
そこで悩む。
学生は純粋だ。目がキラキラしている。吸い込まれそうな純粋さだ。世の中のどんなことも新鮮に感じ,何でも吸収する目に見える。
キョウジュの濁った目とは全然違う。何を見ても新鮮に感じない。あきらめの色を宿している。職階が上がるほど,濁りは顕著だ。ジュンキョウジュ辺りから,目の奥が見えなくなる。講師や助教には少し新鮮さが残る。修士課程の学生はまだキラキラしているが,博士課程あたりになるとあやしい。
シンリン系大学では,学部でも大学院でも,入学してきた学生にこう聞く。
「なぜ,シンリガクをやりたいと思ったのですか」
「コウニンシンリシになりたいと思った理由はなんですか」
彼らの答えはまっすぐだ。
「友だちが傷ついているのを知って,何とかしてあげたかったんです」
「苦しかったとき,シンリシの先生に助けてもらったので,自分もそうなりたいと思いました」
自分の汚れた心と比べると,泣きたくなるような純粋さだ。
「なんとなく」と,恥ずかしそうに答える学生でさえ,彼らなりにシンリガクに興味を掻き立てられた体験がある。
そういえば,昔はそんな気持ちもあったかもしれない。
経験を積むほどに遠くなった気持ちを前にして思う。彼らに何を教えられるのだろうか。
自分なりに学んできた道はある。教えたいとも思う。しかし,キョウジュとは呼ばれても,教授法はしらない。
キラキラの目は自分を拘束する。応じないわけにいかない。「何かステキなことを知っていますよね」と,まっすぐにこっちを見る。
学生が学びたいことを教えればいいんですよ,と言う人もいる。
それがわかれば,苦労しない。
シンリガクを学びたいのかというと,そうとも言えない気がする。
人助けの方法を学びたいのかもしれないし,心を読む方法を学びたいのかもしれない。うまくいかない家族関係を何とかしたいのかもしれない。それは,シンリガクではない。
学生は,多くのことを吸収し,未来に向かって成長していく。彼らは,学問を学んでいるのではないかもしれない1。世の中を学んでいるのかもしれない。「教えてください!」と研究室に来る学生も,教員のふるまいを見ているのかもしれない。
教えるというのは,とてつもなく難しいことのように感じる。
1. そもそも私は、大学でシンリガクを学んだ記憶がない。教えてもらった記憶もない。↩
センセイとは何か
学生の呼びかけには,もう一つある。「センセイ」というやつだ。
できれば呼ばないでほしい,と思う。
ちゃんとしたエラい人でないといけない気がするからだ。
忘れ物は毎日だし,時間管理はできない。50分以上じっと座っていられない。「ちゃんとしてて,エラいね」と,褒められた記憶はない。
パワーポイントが普及する前は,黒板を使うのが嫌いだった。漢字を正確に書けないし,字も汚い。
子どもの授業参観に行くと,小学校や中学校のセンセイは,びっくりするくらい美しい字で,黒板に文章を書く。しかも,まっすぐ書ける。
ああいうのがセンセイなのかと,恥ずかしくなった。
そんなとき,知り合いの高校教諭が「センセイは,ちゃんとしてないし,エラくもないですよ」と教えてくれた。本当かと疑ったが,センセイの忘年会に参加することがあって,よく分かった。ひどいありさまだった2。
病院の宴会も相当ひどいが,それよりずっとひどかった。
ああなりたくはないが,ちゃんとしていなくても,エラくなくてもいいとわかってホッとした。
シンリンラボに出てくるのも「センセイ」だ。
カタカナ表記のセンセイは,エラくない。からかいや揶揄の対象だ。社会言語学的には,表記効果と呼ばれる。
「ねぇー,せんせぇ」や「ね,せんせ?」も,たぶんエラくない。
先生は,敬称としての記号だ。
先生と呼ばれる職種を見ればよくわかる。政治家や医師,弁護士,作家,漫画家,ときには芸術家も呼ばれる。私の知る範囲に,ちゃんとした人はいない。変な人はいる。エラそうに見える人もいるが,本当にエラいかは疑問だ。コウニンシンリシも,間違って先生と呼ばれることがあるが,エラいイメージはまったくない。
「先生」は,専門的な仕事に就く人に,習慣的につけるだけのものだ。
「名前に『先生』をつけるな。権威の押しつけだ」との声をときどき聞くが,おそらく,意味するものが違う。
先生と呼ばれないのは大歓迎だが,呼ぶなと強制するのもどうかと思う。この文化では,そう呼んでおいた方が無難なこともある。
キョウジュ会では,特に便利だ。
半数以上の顔と名前が一致しなくても,困らない。
「どうもどうも,センセイ,忙しそうですね」
「そうなんですよ,センセイ」
「いやー,センセイはいつも変わらないですね」
定年まで名前を覚える必要さえない。
この「センセイ」には,権威も何も含まれていない。
もちろん,権威の押しつけだという主張にも一理ある。
センセイと呼ばれる自分はエラい,と思い込んでいる人もいるからだ。
患者やクライエントが治療者を「センセイ」と呼ばず,「さん」づけで呼ぶのは,治療者の権威や価値を貶める転移だと主張する人がいる。精神分析では「脱価値化」と呼ぶ。
センセイは価値が高いと思ってるから,そういった理解になる。
患者が治療者を「さん」づけで呼ぶなど,いくらでもある。アメリカでは,ファーストネームで呼び合うことも珍しくない。
しかし,「ぼくは,あのマンガ家を尊敬しています。一生あの方を先生と呼びます!」と学生が宣言するときの「先生」は意味が違う。
その学生は,マンガ家から大事なものを学んだのだ。
教員が漢字で先生と呼ばれるのは,学生に心から尊敬されている場合だ。それはもう,ただの記号ではない。
先生は,なろうとするものでも,なれるものでもない。相手が決めるものだ。
そう考えると,気が楽だ。好きにしていればいい。学生が何かを学べたと思えば,勝手に先生にするだろう。
自分のことを「センセイはね……」と呼ぶ小学校教諭出身の大学教員がいた。学生は陰で「センセイ」のあだ名をつけてからかっていた。小学生相手ならともかく,大学生にそれは滑稽なのだ。誰を先生と呼ぶかは,彼らが自分で決めるからだ。
2. とても書けない。↩
大学院生に会う
「そういえば,こっちに来るとき,まつたけ山のてっぺんに,鷹がとまっていたよ」
個装のアルフォートを渡しながら,控室にいる学生に話しかけた。M2生たちだ。
「違いますよ。あれはカラスですよ」と,細身の男子学生が笑った。
「ほんと? 鷹じゃないんだ。山のてっぺんだから,そうかと思って」
「あそこには,カラスしかいないのです」セッション記録を書いてた女子学生が,くるりと椅子を回転させた。ユニクロの白シャツに黒パンツ,大きなレンズの黒縁眼鏡だ。「大学周辺は,凶暴なカラスで埋め尽くされております。何羽いるかは,誰にもわかりません。大学を作るために,木々を切り倒し,動物の住処を破壊しつくしました。ご神木も,無残にブルドーザーで押し倒されたそうです。残ったのはカラスだけです」
女子学生は,にこりともしない。
男子学生と目を見合わせて,苦笑いした。
「そして,なぜか,今も開発は続いてます。理事長が,周辺の土地を安い値段で買い占めていると聞きました」
どこかでクラクションの音が繰り返し鳴っている。列車の走る音も途切れない。
土曜日は,新幹線駅前の地域心理支援センターで仕事をする。学内実習施設だ。
任期付き助教に採用されたのだ。採用面接で面接官と言い合った。落ちたと思っていたので,採用通知が届いて驚いた。
父親のコネのちからかと思ったが,どうやら学科長3が気に入ってくれたらしい。「うちには,あのくらいイキのいいのが必要だ」と言っていたと聞いた。
院生は,ペアになって,決められた曜日にセンターに入る。丸一日の臨床実習だ。心理相談に来る一般のクライエントを受け持つ。
教員も週に一日,センター勤務をする。自分の担当日は土曜だ。
二人の実習指導担当教員は,男性キョウジュだ。学生は「三日月キョウジュ」と呼んでいる。三日月型の細い目をしているからだ。白目が見えないから,どこを見ているのかわからない。週に一度は散髪に行くらしく,短めに切られた髪は襟足までいつも整えられている。研究室に入る学生には,手洗いとうがいを要求する。研究室は,消毒液常備だ。「自分はどんなものでも治せる」と豪語しているが,彼の臨床実践を聞いた人はいない。一日いるべき土曜日のセンターも,朝30分程度顔を出すくらいだ。結局,学生の面倒を見るのは,補助で入った自分になる。
着任すると,確かに助教の仕事は忙しかった。
キョウジュたちは次々と雑用を持ち込む。がらんどうだったら研究室は,あっという間に書類と備品で埋まった。雑用依頼のメールは毎日40件以上だ。火曜日と水曜日,金曜日はまつたけ山キャンパスで学部の授業準備,土曜日はセンターで院生の実習に付き合う。月曜日は休み,木曜日は研究日だが,呼び出されれば拒否権はない。
学生の多くは,まつたけ山周辺に住んでいる。実習の日は,車に乗り合わせて,2時間かけてセンターまで来る。学生たちは「下山」4と呼ぶ。
センターには,面接室とプレイルームがある。受付には,専任事務員がいる。その奥が,スタッフの控室だ。
事務員は,「お天気さん」と呼ばれる人だ。センター開設以来換わったことがない。センターの事務手続きと,これまでの歴史のすべてを知っている。
「そういえば,相談したいケースがあったんだ」と,男子学生がケース記録を取り出した。「いいですか?」
「もちろん。いいよ」
臨床なら,何でも大歓迎だ。
受付からは,カタカタとパソコンを打つ音が聞こえる。
お天気さんは,今日は曇り空のようだ。朝から一言も口を利かない。
「いろんな先生に相談したのですが,言うことがみんな違って。どうしたものかと迷ってるんです」
「どんなケース?」
「51歳の女性ケースです。30年近く祖母と両親の介護をしてきた人です。結婚する暇もなく,次々と認知症を発症する三人の面倒を見続け,3年前くらいに最後に母親を看取りました。介護から解放され,彼女は完全に一人です。これからは自分の人生を生きたいと,2年くらいは活発に仕事をしていたようですが,去年くらいから急にうつ状態になって,何もできなくなってしまったんです」
「私には,現代日本社会の縮図のようなお話に聞こえます」と,女子学生も加わった。
「2か月前から担当しているんですが,どうやって生きていけばよいのかわからないと,面接では泣くばかりです。ときどき不安発作もあります。丁寧に話を聞いているつもりなんですが,ケースカンファではそれではだめだと言われて……」
「どうしろって言われたの」
「あるキョウジュは,行動活性化や認知再構成の話をしてくれました。呼吸法の話をするキョウジュもいました。マゾキスティックパーソナリティの分析が必要だとか,毎回うつ尺度を取って,動機づけを高めるのが大切だとか,そんな話も出ました」
「ばらばらだね」
「そうなんですよ。かえってまとまらなくなって」
「ケースカンファでは,キョウジュの方々はみな,目を合わすこともなく,それぞれ好きなことをお話しされます」と,女子学生は眼鏡の縁を指で上げた。
まだ二回しか出たことがないが,状況は知っている。
キョウジュたちの言うこともわからなくないが,初学者にこうした教育でよいのだろうかと思う。とはいえ,質問されれば,自分も別のアプローチを持ち出したくなる。こうやって,ばらばらの話になるんだな,と思った。
「臨床指導のセンセイは何て言ってた? 相談した?」
「三日月キョウジュには,朝来たとき,ちょっと話したんですが……」
「どうだった?」
「オレなら治せると,言い残して去っていきました」
ふうっと,三人のため息が重なった。
「きみはどうしたいの?」
「これだけの重荷を背負った50代の女性が,泣いています。どんな思いなのか,もう少しわかりたいと思いますが,簡単にわかるとも思えません。介護生活30年ですよ。全部終わって一人になったら,一時的に過活動になるのも当たり前だし,そのあと急に落ち込むのも無理はないと思うんです。聞いているのはつらいですけど,こうやって泣いている時間も大切なのではないかと思うんです。ただ,それだけでいいのかとは思います」
「大切なことを感じ取ってると思うけどな」
「そう言ってもらえると嬉しいです。それに,自分は若いじゃないですか。その方は50代です。介護がなかったら,結婚して自分くらいのお子さんもいたかもしれません。だから,自分と話すのはつらいかもしれないですが,同時に,そんな自分と話すことに意味も感じるかもしれないと思うんです。うまく言えないですが」
治療的出会いの意味を敏感に感じ取っているようだ。なかなかいいセンスをしている。
考えを解説したくなったが,やめた。混乱させるだけだ。
教えるというのは,難しい。ケースは自分でやる方が楽だ。
「いろんな意見を聞いて,悩みながらやったらいいよ」
「そうですね……」
「こんなことしか言えなくて,申し訳ないけど」
「あ,時間だ」と,二人は同時に時計を見た。
「何しているんですか。クライエントさんが来てますよ」と,お天気さんが今日初めて声を出した。
二人は,面接室へ駆け出していく。
控室は,急に静かになった。
そういえば,三日月キョウジュに渡すものがあったんだ。
バックパックの奥にしまってあったクリアファイルを取り出して,受付に声をかけた。
「今日は,キョウジュはもう来ないでしょうか」
お天気さんは,振り返ることもない。パソコンを打ち続けている。返事はない。
「ですよね……失礼しました。キョウジュから預かった書類の束に,関係ないファイルが入り込んでいて。伝票とか,領収書みたいのが結構入っていて。大切なものなんじゃないかと思って。『医療系教育拠点整備準備費』って書かれた領収書です。去年,随分大きなシンポジウムをやったんですね。数百万の領収書もあります。臨床心理のシンポでしょうか。去年着任してたら,自分も参加したのになあ。残念です」
機嫌の悪い人を前にすると,べらべらと話しかけてしまうのは自分の悪い癖だ。
「すいません。お仕事の邪魔でしたね。戻ります」
「それ,どうするか真剣に考えたほうが良いですよ」と,振り向きもせずにお天気さんが声を出した。「そのようなシンポジウムを私は知りません」
「どういうことですか?」
「……三日月キョウジュは,本日21時に,まつたけ山キャンパスで,理事長とお会いになります。厚労族の政治家も一緒かもしれません。私が知っているのはそれだけです」
どういうことだ? 心の中に,もくもくと黒い雲が湧いてきた。
理事長は,シンリン大学以外に3つの大学を傘下に収める大手学校法人のトップだ。数年前,前理事長を追い出してその椅子に座ったと聞く。親族経営の複数の建設会社の役員もしているらしい。
大手学校法人が小さなシンリン大学を田舎に創設したことに,何か背景があるのだろうか。一時,さまざまなことが噂されたとも聞く。
急に振り出した雨が,控室の窓に当たって音を立て始めた。
どうやら,大変なのは,雑務だけではなさそうだ。
3. やっぱりカタカナ表記「ガッカチョー」がよかった。↩
4. 人の名前ではない。↩
富樫公一(とがし‧こういち)
資格:公認心理師‧臨床心理士‧NY州精神分析家ライセンス‧NAAP認定精神分析家
所属:甲南大学‧TRISP自己心理学研究所(NY)‧栄橋心理相談室
著書:『精神分析が生まれるところ─間主観性理論が導く出会いの原点』『当事者としての治療者─差別と支配への恐れと欲望』『社会の中の治療者─対人援助の専門性は誰のためにあるのか』(以上,岩崎学術出版社),『Kohut's Twinship Across Cultures: The Psychology of Being Human』『The Psychoanalytic Zero』(以上,Routledge)など




