私の本棚(32)『アンネの日記』(アンネ・フランク著,深町眞理子訳,文藝春秋)|山﨑基嗣

山﨑基嗣(島根大学)
シンリンラボ 第32号(2025年11月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.32 (2025, Nov.)

2025年8月,私は夏の終わりのアムステルダムにいた。アンネ・フランクの家を訪れるためだ。実は3回目の訪問だったのだが,自分でも驚くほど,先の2回の訪問についての記憶は朧げになっている。ところが,それらとは対照的に,今回の記憶はかなり鮮明だ。もちろん,最も新しい記憶だからと言ってしまえばそれまでだが,どうもそれだけではなさそうだ。身体の感覚としても,印象深く刻まれる訪問となったのだ。その大きな理由の一つは『アンネの日記』だと思う。

『アンネの日記』。これが今回私の紹介する本だ。座右の書,というよりは,今一番強く心に残っている本と言った方が正しい。恥ずかしながら,この年になって初めて本書を読んだが,一人の少女がおよそ2年の歳月にわたって赤裸々に書き綴った文章は,ひとのこころ(特に,思春期のこころ)について,あるいは「生きる」ということについて実に多くのことを教えてくれる。実際,読んでみるとわかるが,『アンネの日記』は戦争,差別,愛憎,性,家族など,人間にとって普遍的なテーマで溢れている。そして,鋭い観察眼と繊細な感性を持つアンネがそれらに一喜一憂し,苦しみ,葛藤しながらも直向きに悩み考え続けた姿が如実に記されているのだ。

この日記は1942年6月12日,当時13歳のアンネを含む8名(二家族と一人)が「隠れ家」で暮らし始めるおよそ1ヶ月前,次のような書き出しで始まっている。

「あなたになら,これまでだれにも打ち明けられなかったことを,なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために,大きな心の支えと慰めになってくださいね。」(p.14)

ここでの「あなた」は日記そのものであるが,同年6月20日,アンネは日記を「キティ」と名付けている。そして,ドイツ秘密警察に連行される3日前の1944年8月1日まで,キティに対して「語る」という体裁で書き綴られている。キティは,現代で言うところのイマジナリー・コンパニオンと捉えても異論はないだろうが,本書を読んでいると,さながら読者に対して語られているような感覚になる。その意味で,本書は一つの事例として読むことも可能だと思う。

「隠れ家」での生活が始まらないうちは,学校や同級生の様子が嬉々として語られている。しかし,突然,そこに戦争という厳しい現実がなだれ込み,一家は「隠れ家」での生活を余儀なくされる。

「隠れ家」は,アムステルダム中央駅から歩いて20分ほどの中心部に近い場所にある。現地を訪れたとき,こんなに人通りの多い場所で2年間も隠れて生活していたのかと驚きを隠せなかった。また,「隠れ家」は狭く,暗い。とても8人が生活するような空間ではない。そして,歩けばすぐに床が軋むなか,音も立てられない(トイレさえも自由に行けない!)状況で暮らしていたという緊張感は,本書を読んでいたからこそ,より一層リアルな身体感覚として伝わってきた。

そんな「隠れ家」に移ってからは,アンネの視点から見た「隠れ家」での暮らしやそこでの人間模様が鋭い洞察に基づいて記されている。

「隠れ家」の住人の中で最年少のアンネは,この年代にしてはかなり大人びていると思われるものの(むしろ,だからこそ),いつも子どもとして扱われ,どこかのけ者のような疎外感と孤独感を抱えていた。彼女の一番の理解者であった父オットーにさえ,その気持ちは打ち明けられなかった。そのような環境で必死に生きるアンネにとって,キティという自らの秘密を打ち明けられる「ほんとうの」(p.23)友達の存在は,「個」として生きるうえでいかに大切なことであったか。こう思うと,アンネにとって日記を書くという行為は必然であり,なくてはならなかったのだろう。

日記を書き始めてちょうど1年半が経過した1943年11月11日,アンネにとって大きなハプニングが起きる。それまで大切に使っていた万年筆を誤ってストーブで燃やしてしまったのだ。この万年筆はアンネが9歳の時に祖母から貰ったもので,彼女にとって「いちばん貴重」で「宝物」だったものだ(pp.251-254)。

この日を境にアンネの印象が変わる。簡単に言えば,「少女」としてのアンネから「女性」としてのアンネへと変わったように感じられるのだ。実際,ハプニング以後,秘密警察に連行される直前まで,アンネはより一層内面の世界へと入り込み,深い内省のプロセスへと歩みを進めていく。日記の更新頻度も増えている。そして,興味深いことに,それらとパラレルに頻繁に夢を見るようになり,もう一人のアンネ(内なるアンネ)との対話も始まっていった。

このように見ると,先のハプニングは,少女としてのアンネ(≒万年筆)が死に,女性としてのアンネが生まれたという意味で,一つのイニシエーションだったのではないかと感じられる。一人の少女が「個」として大人へと変容していくプロセスの一端が,象徴的な形で表現されたのだ。

『アンネの日記』には,他にも随所に多くの気づきを得られる箇所があるが,残念ながら,それら全てを拾い上げることは到底できない。ただ,ここまでのところで言えるのは,こころのなかに秘密を持つことがいかに大切か,そして,それを「ほんとうの」友達とも言える存在に聴いてもらうということがいかに重要であるかである。さらに,たとえば私たちがこどもの話を聞くときに,どれだけ彼らの体験世界を想像し,理解しようとしているかが鋭く問われているようにも思う。

もちろん,この本から受け取れるメッセージは決してそれだけではない。読者それぞれに響く箇所があるからこそ,現在に至るまで,多くの人に読み継がれているのだろう。そのことによって「わたしの望みは,死んでからもなお生きつづけること!」(pp.433-434)というアンネの希望は叶えられたと言える。

全世界が大きなうねりの中にある今だからこそ,改めて読まれるべき一冊であることには違いない。ぜひ,アンネの語りに耳を傾けてみてはどうだろうか。きっと,読者一人ひとりにとっての大切な「何か」が得られるはずだ。

なんだか,読書感想文のようなエッセイになってしまったが,最後にオットー・フランクの言葉を紹介して本稿を閉じたい。これは,アンネの家の見学ツアーの最後を締めくくる言葉にもなっている。なお,筆者の記憶を頼りに書いているので,正確ではないかもしれない。その点ご容赦いただきたい。

「日記にはアンネの本当の姿が現れています。時に辛辣なことも書いてあるけれど,それがアンネの本当の気持ちなのです。私はアンネの本当の気持ちを知らなかった。ここまで深く物事を捉えているとは思っていなかった。私とアンネの仲がよかったことを考えると,世の中の多くの親は,こどものことを本当にはわかっていないのですね」
文  献
  • アンネ・フランク著,深町眞理子訳(2003)アンネの日記 増補新訂版.文藝春秋.
『アンネの日記』(アンネ・フランク著,深町眞理子訳,文藝春秋)
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山﨑基嗣 (やまさき・もとし)
島根大学 人間科学部
資格:公認心理師,臨床心理士
趣味:飛行機,アメコミ

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