【追悼 村瀬嘉代子先生】村瀬先生の思い出|下山晴彦

下山晴彦(跡見学園女子大学/東京大学名誉教授)
シンリンラボ 第29号(2025年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.29 (2025, Aug.)

今年も,村瀬嘉代子先生からお賀状をいただいた。そこには,ご自身が心理職の国家資格化に向けて難しい立場にあった時の助力に感謝するという趣旨のことが書かれていた。そのお賀状を受け取った後にご逝去の報に接した。

思い起こせば,私が村瀬嘉代子先生に最初にお会いしたのは,修士課程の院生の時だった。当時,私は,青年期心理の研究をしており,ご夫君の村瀬孝雄先生に師事していた。田園調布にあったご自宅に伺った際に,玄関脇から静かに現れたのが嘉代子先生です。その時は公職についておらず,孝雄先生のお母様と同居され,子育てを中心にされていた時期であったと思う。なぜか,不思議な“圧”を感じ,玄関前で後退りをした記憶がある。洋風の応接間で孝雄先生とお話をしていると,嘉代子先生が紅茶を持ってこられた。田舎出身の,無作法な青年には勿体無い,澄んだレモンティーの高貴な香と味と共に,嘉代子先生の,凛としたお姿を鮮明に覚えている。(私にとっては,村瀬先生とお呼びした場合,孝雄先生と嘉代子先生が重なってしまうので,本文では,嘉代子先生と呼ばせていただくことにする。)

その後,私が大学院を中退して学生相談所に勤務した時に,孝雄先生が私の勤め先の大学の教授として赴任されて,私の上司となった。そのようなご縁で,転居されたばかりの駒込のお宅に伺い,新居のお祝いに薔薇の苗木をお贈りしたことがあった。嘉代子先生を交えた雑談の中で私の実家が造園業をしていることが話題となったことがあり,私が新居のお祝いについてお伺いしたところ,薔薇の苗木をご所望された。私は造園屋の父に頼み,幹と根がしっかりした苗木を取り寄せ,当時同僚であった故中釜洋子さんと一緒にご新居にお持ちした。しばらくして孝雄先生が大学を退職され,他大学に異動された後にご逝去されたこともあり,嘉代子先生にお会いする機会も減っていった。嘉代子先生が教授を務められていた大正大学の研究所で講師をお引き受けしており,大学に伺った際にお会いするくらいであった。

時を経て嘉代子先生に頻繁にお会いするようになったのは,心理職の国家資格化を巡る動きの中であった。私は,2資格1法案が検討された頃より,金剛出版の雑誌「臨床心理学」の編集委員を務めていた。現在,遠見書房の山内俊介社長は,その時の担当編集者であり,大変お世話になった。編集会議では,心理職の国家資格化に向けての環境を創っていくことが重要なテーマになっていた。当時文化庁長官であった河合隼雄先生や嘉代子先生と一緒に心理職の国家資格化を目指して,さまざまなテーマに関して議論したことが懐かしい。

その2資格1法案は,2005年に国会に提出するというまで準備が整った。しかし,提出の直前に医療関係者より反対があり,法案提出は頓挫した。2007年には河合隼雄先生が亡くなられた。その後,河合先生の跡を継いで国家資格化に向けての動きの中心になっていったのが,嘉代子先生であった。河合先生の,突然のご逝去は,心理職ワールドに非常に大きな動揺をもたらした。それまで,心理職の国家資格化に向けて,文化庁長官として文科省と緊密な連絡をとって厚労省と交渉をするという,絶大なリーダーシップをとっていたのが河合先生であったからである。河合先生の亡き後,嘉代子先生は,河合先生の跡を継いで心理職をまとめて国家資格化に向けて各方面と交渉する立場になりつつあった。その頃,私は,雑誌の編集会議や学会関連の会議で嘉代子先生とご一緒することが増えていった。会議が終わった後に場所を移して打ち合わせをしたり,さらには夜に長電話をしたりして,頻繁に心理職ワールドの状況や今後の対策に向けて情報交換をするようになっていった。嘉代子先生は,「私は夜眠らなくても大丈夫だから」と言われており,本当にショートスリーパーであった。夜遅く私がお電話をしたり,逆に拙宅に嘉代子先生から深夜に電話がかかってきたりすることが頻繁にあった。そのような時に,嘉代子先生は,「河合先生から,医師会関係者や政治家との交渉のご苦労を個人的に随分とお聴きしていたので,その難しさを痛感している。河合先生がおられなくなった後,私たちで本当に国家資格化はできるのだろうか」と繰り返し,不安を語っておられたことが印象に残っている。

その後,嘉代子先生は心理職のリーダーの一人となり,国家資格化に向けて動かれるようになっていった。嘉代子先生は,行政や医療関係者,さらには心理職関係者との交渉の中心になっておられた。それに対して私は,学術的な面で心理職の専門性の根拠を確かなものとすることに注力した。嘉代子先生と私は,ある意味で役割分担をして心理職の国家資格化を目指す環境づくりをしていた。そのために頻繁に情報交換をしていた。私は,心理職が医療とは異なる活動を展開できるために臨床心理学の学問体系を確立することを目指して,国際シンポジウムなどを頻繁に開催し,そこには医療関係者や行政関係者とともに嘉代子先生をお呼びして議論をして国家資格化に向けての地固めをした。例えば,アメリカ心理学会臨床心理学部会長であり,当時世界で最も売れていた臨床心理学テキストの著者であったDavison, G, C.をメインゲストとして招聘して下記のような国際シンポジウム(肩書きは当時のもの)を開催したことは,今思えば懐かしい思い出である。


国際シンポジウム 医療・福祉の現場で役立つ心理専門職とは

【主催】  東京大学大学院・教育学研究科・臨床心理学コース
【後援】  (財)日本臨床心理士資格認定協会
【日時】  2008年3月20日(木曜・休日) 午前11時−午後5時
【場所】  東京大学(本郷) 安田講堂 (同時通訳付) 

【プログラム】
開始にあたって 11時−11時30分 司会 下山晴彦 東京大学 臨床心理学コース教授
開会の辞 加藤進昌 東京大学 医学部名誉教授 
祝辞 大塚義孝 (財)日本臨床心理士資格認定協会 専務理事
趣旨説明 下山晴彦

第Ⅰ部 米国における現状と課題 11時30分−12時30分
招待講演 アメリカにおける心理専門職の教育と訓練―医療現場で役立つ心理職を育成する―
講演者 Gerald C, Davison 南カリフォルニア大学 心理学・老年学部長 米国心理学会(APA)臨床心理学部会長(2006年)
指定討論 村瀬嘉代子 大正大学 人間福祉学科教授 日本臨床心理士会長

第Ⅱ部 日本の現状と課題―現場からの要望― 13時30分−14時40分
1)がん医療の現場から 内富庸介  国立がんセンター 精神腫瘍学開発研究部長
2)患者支援の現場から 山口育子  ささえあい医療人権センターCOML 事務局長
3)児童福祉の現場から 竹下利枝子 千葉県東上総児童相談所 所長

第Ⅲ部 今後の発展に向けて 15時−17時
1)日本の臨床心理学の課題 下山晴彦
2)リエゾン医療の立場から  中嶋義文 三井記念病院 精神科部長
3)厚生労働行政の立場から 宮腰奏子 厚生労働省 雇用均等・児童家庭局家庭福祉課課長補佐
4)指定討論 Gerald C, Davison 
5)指定討論 村瀬嘉代子 


村瀬嘉代子先生

2014年には雑誌「臨床心理学」(金剛出版)の座談会で「社会的支援と発達障害」というテーマの企画をして,尾辻秀久(元・厚生労働大臣)や村木厚子(厚生労働省事務次官)の両氏をお招きし,私が司会をして,心理職からは辻井正次(中京大学),森岡正芳(神戸大学),村瀬嘉代子(北翔大学)の各先生を交えて心理職の国家資格化に向けて環境作りを進めていった(肩書きは当時のもの)。さらに,心理職の国家資格化には,このように行政や医療との交渉とともに,心理職の内部をまとめるという活動も必要であった。そのために,嘉代子先生と私は,関西におられる臨床心理士関連の先生と交渉するために秘密裡に新幹線で京都まで日帰りで往復したことが,何回もあった。今になっては懐かしい思い出である。

ご存知のように2015年には公認心理師法が成立した。そして,日本心理研修センター(当時)が中心となって公認心理師制度の確立に動いていった。嘉代子先生は,その日本心理研修センターの理事長を長く勤められ,公認心理師制度を推進された。しかし,私は,公認心理師制度が,医療と行政にとって都合の良い内容になっており,臨床心理学や心理専門職が本来目指す方向と異なっていることに懸念を持つようになった。そのような方向性の違いを嘉代子先生にもお伝えし,私は日本心理研修センターの理事を辞職した。その後,嘉代子先生とお会いすることは全くなくなった。嘉代子先生の訃報に接し,またご葬儀に参列し,さらには今回の文章を書くために多くの資料を見直して,改めて嘉代子先生に教えていただいたことの大きさを感じ,感謝の念を強くしています。

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下山晴彦(しもやま・はるひこ)
跡見学園女子大学心理学部教授/東京大学名誉教授 臨床心理学 博士(教育学)
資格:臨床心理士,公認心理師
主な著書:単著『心理職は「ときめき」を取り戻せるか』(東京大学出版会,2024),
『臨床心理学をまなぶ2 実践の基本』(東京大学出版会,2014),『臨床心理学をまなぶ1 これからの臨床心理学』(東京大学出版会,2010)。編著『そもそも心理職は,何を目指してスキルアップすれば良いのか』(遠見書房,2025),『そもそも心理支援は、精神科治療とどう違うか』(遠見書房,2024),『公認心理師技法ガイド』(文光堂,2019),『誠信 心理学辞典 新版』(誠信書房,2014)など。シリーズ編集『現代の臨床心理学全5巻』(東京大学出版会,2021-2023)

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