【追悼 村瀬嘉代子先生】村瀬嘉代子先生を偲ぶ|藤川 浩

藤川 浩(駿河台大学)
シンリンラボ 第29号(2025年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.29 (2025, Aug.)

村瀬嘉代子先生のご逝去を悼み,心よりお悔やみ申し上げます。誠に僭越ではありますが,村瀬先生との思い出などを記させていただきます。

村瀬先生との出会い

村瀬先生に初めてお会いしたのは,いまから30年以上前の1992年頃になります。

当時,私が家庭裁判所調査官として勤務していた東京家庭裁判所において,先生を講師にお招きして研修が行われ,ご自身がまだ任官したての家庭裁判所調査官であった頃の事例を紹介されました。それは,幼児期から過酷な環境の中を生き延び,非行を繰り返して施設収容を重ねてきた男子少年との面接経過でした。先生は,その少年に初めて会った時,屈強そうな青年からいきなり「僕が怖いんですね」と問われ,瞬時に様々な思いを頭の中に巡らしたうえで,ごく素直な気持ちから,ただ黙って頷かれたそうです。そして,そうした先生の姿に接した少年は,徐々に態度を変化させ,固く閉ざされていたその心を少しずつ開いていきました。

大学卒業後まだ間もない私にとって,村瀬先生の臨床において一体何が起こっていたのか,それが不思議でなりませんでした。ただ,一人の臨床家の地道な体験から紡ぎ出された臨床実践に触れたような思いがして,とても新鮮な気持ちになったことを覚えています。

それ以来,公的な研修をはじめ様々な私的な勉強会において,何度となくお声がけをして講師などをお願いし,ご指導を仰ぐようになりました。先生の臨床が一体何なのか,それを知りたいと思っていたのかもしれません。いち裁判所職員に過ぎない者からの要望であったにもかかわらず,先生はいつも快く応じてくださいました。

村瀬ゼミの院生の一人として

2005年,横浜家庭裁判所に勤務していた私は,念願がかなって大正大学大学院人間学研究科博士後期課程に社会人入学し,村瀬先生のゼミに所属して直接ご指導を受けることができるようになりました。

授業は,基本的に週1日の夜間でしたが,授業後にご自宅に場所を移し,夜遅くまでご指導いただいたこともありました。また,休日を含めて授業がない日にもご自宅で勉強をさせていただいたり,地方での学会やご講演などに同行させていただくこともありました。

先生の指導方法は,講義形式のときもありましたが,まずは相手の発言を十分にお聞きになり,そのうえで,ご自身のお考えを端的に示されるといったスタイルが多かったように思います。ご指摘される内容は,穏やかな質問の形をとりながらも,その意味するところは鋭く,問題の核心に真っ直ぐに届くような印象でした。ときには,怖いぐらいの思いを抱くこともありました。また,ご発言の真意をつかみかねて,何か重要なメタファーなのだろうと予測はできましたが,それが何を意味しているのかを直接お尋ねする勇気を持つことができず,いくつかは未完のまま心の奥深いところに残されました。

2005年夏の「自宅合宿」の思い出

大学院生としての学びは,地方への転勤までの2年間と短いものでしたが,その中で特に思い出されるのは,2005年7月に開いた村瀬先生のご自宅での「合宿」です。

当時の大学院での研究テーマは,心理療法においてクライエントの転機を生み出す要因は何か,というものでした。村瀬先生は,「それならば私の事例を検討してみなさい」と軽やかに言ってくださり,この「合宿」が実現したのでした。「合宿」は,多くの著作をお持ちである日本を代表する3人の心理臨床家の先生方をお迎えし,1泊2日で行われました。

まず,当日に向けての準備作業として,約1か月前から,事例資料の取りまとめを行いました。ご自身の事例を口述され,それを当方で書き取り文書化するというもので,取りまとめは度々深夜にまで及びました。

最終的に取りまとめられた事例は12事例あり,「合宿」ではこのうち8事例について,グループディスカッションという形式で検討しました。「難聴の母親の事例」,「開校以来の悪い生徒といわれた男子高校生の事例」,「被害者となった母親の事例」,「知的障害,情緒障害と診断されていた子どもの事例」なとです。クライエントの状況も,問題の内容も多様でしたが,いずれの事例においても,先生のかかわりによってクライエントに大きな変化が生まれ,治療的な転機が生じていました。先生は,一つひとつの事例を懇切にご説明されるなかで,その時々に何を感じ,どう考え,いかに判断して対応されたのかを詳しく話してくださいました。それを受けて,4人のメンバーで自由に語り合い,深く,思う存分に語り尽くすことができました。

先生は,この「合宿」をとても楽しんでおられたご様子でした。この日の貴重な内容については,いずれ博士論文としてまとめる予定でしたが,転勤によって大学院を中退することになり,ご存命中にご恩返しができなかったことが残念でなりません。

児童養護施設や重複障害者福祉施設での実践

当時の先生の臨床実践は,日々の個別の臨床面接に加えて,児童養護施設や重度重複障害者施設等での援助などが中心となっておられました。それは,親から虐待を受けて,強制的に家庭から離されて集団生活を送らざるを得なくなっている子どもたちや,聞くことや話すことが困難であり,また,心を病んでしまったために他者とのコミュニケーションにも難しさを抱え,頼るべき親族もおらず施設で生活されている高齢者の方々などに,少しでも明日への希望が持てるよう,ささやかでも今できる範囲のことを誠実に行っていこうというものでした。

重度重複障害者施設にゼミの院生の皆さんとともに初めて訪問したときのことです。集会室のような部屋に,十人前後の高齢の入所者の方々が集まっておられました。当日はバウムテストを用いたプログラムが予定されていたところ,先生は,急に私にファシリテーターをしてはどうかと勧められました。ほとんどの参加者が,言葉によるコミュニケーションはもちろん,手話を用いた交流すら難しい方々であり,一体どのように説明をしたらよいのかと戸惑っていると,先生は,そうした様子を静かにゆっくりと観察され,そうなのねと優しくおっしゃって,自らインストラクションを始められました。

先生がご存じの手話は,おそらく「拍手」ぐらいではなかったかと思われました。しかし,村瀬先生は,部屋の正面に自然に歩まれると,A4判の画用紙と鉛筆をお持ちになり,自然な動作を交えながらこれから行うワークについて穏やかな表情で説明を始められました。驚かされたのは入所者の皆さんの反応でした。どの方々も先生のことを見つめ,話しを聞き,納得されているご様子であり,心と心が通じ合っていることが伝わってきました。そして,プログラムは,それまで経験してきた多くのワークショップと変わることなく,穏やかな中で楽しく進められました。

初めての重度重複障害者施設での支援活動を終えて,最寄りの駅のホームで電車を待っているときに,村瀬先生は,カバンからクッキーを出され,「これ焼いてみたの」とおっしゃって,院生の全員に配ってくださいました。その場でいただいた小さく素朴なクッキーの味も,その時の深い思いとともに忘れられない思い出となっています。

村瀬先生の統合的心理療法について

村瀬先生は,早くから「統合的心理療法」という言葉を使っておられました。

1990年,京都市において,国際児童青年精神医学会(International Association for Child and Adolescent Psychiatry and Allied Professions, IACAPAP)の第12回国際会議が開催されましたが,それに先立って,日本の各地で国際児童精神医学セミナーが開催されました。その中の東京セミナーにおいて,先生は,「不登校と家族病理 —個別的にして多面的アプローチ—」と題する研究を報告され(「児童青年精神医学とその近接領域」(1988)第26巻第6号374頁),その内容は,IACAPAPの1990年の年次報告書にも掲載されました(“School refusal and family pathology: An multifaceted approach”. Yearbook of IACAPAP, vol.10.)。

このとき初めて,先生は,ご自身の臨床アプローチを「multifaceted approach」(多面的アプローチ)と命名され,その後,「統合的心理療法」と呼ばれるようになったのです。

この時期は,統合的心理療法の基本書ともいえるノークロスら(Norcross, J. C. et.al)のHandbook of Psychotherapy Integrationが刊行されたばかりであり,日本における統合的心理療法に対する関心も,まだあまり高くはなかったように思います。現在では広く知られていますが,ノークロスらは,統合的心理療法について,①技法的折衷(Technical Eclecticism),②共通因子アプローチ(Common Factors),③理論的統合(Theoretical Integration),④同化的統合(Assimilative Integration)といった四つの理論に分類しています。

しかし,私は,先生の臨床実践に身近に触れていくうちに,この「統合的心理療法」という言葉に少し違和感のようなものを感じるようになりました。先生の臨床実践は,これら四つの類型のずれにも該当しないように思えたのです。

村瀬先生は,心理療法において,クライエントを「人として遇する」ということを何よりも大切になさっていました。クライエントを一人の人として理解し,思いやり,尊重するとともに,何を目的としてどのように面接を進めていくのかについては,基本的にクライエントと共有しながら進めることを強調されていました。また,クライエントの問題や病理を的確に理解することは必要ではあるものの,同時に,その潜在可能性を敏感に察知し,その伸長に努めること,常に複眼の視野で観察し,多軸で考え,アプローチも,クライエントの必要に応じて多面的に適用すること,その際には,初めに理論や方法ありきではなく,クライエントの課題をよく把握したうえで,理論や技法が治療過程の中で浮き上がらないように心がけること,クライエントへの言葉かけに際しては,抽象と具象とが裏打ちし合ったような言葉を,自分の身体の中を潜らせ,臨場感をもってその意味がクライエントの心の中に届くように伝えること,そして,何よりも治療者自身としては,自分の内面に生起する感覚,感情,思考内容に正直に気づき,常に省察を怠らないようにするとともに,時・所・位の認識を大切に持っておくことなどを,何度も私たちに語り続けておられました。

このような先生の臨床姿勢は,当時,私自身が先生のご指導を受けながら体験していた内容そのものでした。そして,先生の臨床実践は,ノークロスらの四類型には当てはまらない,独自の「統合的心理療法」であると考えるようになったのです。

そこで,2007年,大学院の先生方との共編著を出版し,先生の臨床実践について,統合的心理療法の第5のアプローチとして「心理臨床実践に基づく機能的統合」と名付けて紹介させていただきました(佐藤・廣川・藤川(2007)統合的心理臨床への招待.ミネルヴァ書房,59頁)。

村瀬先生の先見性

偶然にもこれと同じ2007年,クーパー(Cooper, M.)とマクレオッド(Mcleod, J.)は,多元主義の枠組みによる心理療法に関する初めての論文を発表し(A pluralistic framework for counselling and psychotherapy: Implications for research, Counselling and Psychotherapy Research, 7 (3); 135-143),2011年には,多元主義的心理療法の基本書となるPluralistic Counselling and Psychotherapy を出版しています。そして,この多元主義的心理療法は,その後世界中に広まり,現在では,統合的心理療法の第5の理論として広く理解されるようになっています。

この多元主義的心理療法は,ポストモダニズムや社会構成主義といった現代思想を踏まえ,また,エビデンスが求められるという現代的な要請にも応えながら,クライエントのニーズを尊重し,クライエントと協働して目標や手段を選択するとともに,治療者側の省察を大事にしながら,異なる心理療法学派の理論や技法の多様性をそのまま受け入れつつ実践していくという実践方法です。それまで心理療法が,従来の「統合的心理療法」も含めて,学派性を有していたことの問題点を乗り越えることのできる新しい臨床実践として,大きな意義を持っていると考えられます。

先生がお亡くなりになったいま,30年前の先生の臨床実践に初めて触れたときの思いがよみがえっています。この多元主義こそが,先生の臨床実践であったのではないだろうかと思わずにはいられません。

日本の一人の臨床家の臨床実践が,世界の心理臨床の主流の一つともなっている理論を,誰よりも早く先駆けて見出されていたことに,あらためて気づかされます。

村瀬先生のご冥福をあらためて心よりお祈りいたします。

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藤川 浩(ふじかわ・ひろし)
駿河台大学心理学部 教授
資格:公認心理師,臨床心理士
主な著書:『心理職とはどんな仕事か 公認心理師の職責』(創元社,2025),『心理演習 体験を通して学ぶ公認心理師の基本スキル①』(分担執筆,遠見書房,2025),「統合的心理臨床への招待」(共編著,ミネルヴァ書房,2007)など
趣味:家族旅行と旅先での読書

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