【特集 その後のオープンダイアローグ in Japan】#02 琵琶湖病院での対話実践の試み|村上純一

村上純一(琵琶湖病院)
シンリンラボ 第16号(2024年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.16 (2024, Jul.)

1.はじめに

私は単科精神科病院で精神科医として働きながら,オープンダイアローグ(以下,OD)のプラクティショナー,トレーナーとして,さまざまな繋がりの中で当事者やそのネットワークメンバー,同僚,地域との協働を試行錯誤してきた。「オープンダイアローグ」と「日本の精神科病院」。水と油のようにも思える出会いは何をもたらしたか。ここでは,経緯と体験を,2019年から2023年まで活動した,長期入院からの地域移行を意識した「対話実践ユニット」を中心に,関係するさまざまな方の声をできるだけ招きながら,記したい。

2.深淵での,ODとの出会い

私にとって精神科病院や社会は,力が働き合う場である。私の精神科医(精神保健指定医)という属性は,強制力を担保する。脅威を排除する装置の部品として,私個人の意思に関係なく,「治療」や「保護」といった,「正解」を社会から暗に期待される感覚がある。私は視野が狭く,不器用だ。元来理屈屋な一方で,これらの闇深いシステムに迎合してきた。それは気持ち悪い体験である。長期入院,強制的な介入,投薬の説得など,従来その人が本来持つ権利を越えて,私たちは医療という名付けの下に保護や管理を続けてきた面がある。社会の都合とも符合してきた,精神医療の暗い深淵を映し出す。多くの方が望まない形で社会から遠ざけられた。家族や職員もまた,繋がりを失っていた。

その後私は,社会正義というより,その自分の中の気持ち悪さへの対処として,訪問看護ステーションやアウトリーチチームの立ち上げに関与した。また,日常の仕事でも,カンファレンスには当事者の参加をお願いした。でも,よく私の意見を押し付けたり,説得した。

2016年,とある小さな書店で,私はODに出会った。ある雑誌での斎藤環さんと村上靖彦さんの対談を読み,初めてODについて具体的な内容を知った。当事者とそのネットワークが共に声を重ねるプロセスを経て,その副産物として危機的な事態の解消に至るという,私にとって画期的なあり方だった。私たちの抱える困難に何らかの応答をもたらす可能性があると感じた。

3.対話実践の学び

悩んでいた私は,ODに飛びついた。オープンダイアローグの日本のネットワーク組織であるオープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(Open Dialogue Network Japan;ODNJP)の方々や,地域でさまざまなチャレンジや学びを始めた方々とつながることができ,対話実践について徐々に立体的なイメージが形作られた。2017年,病院で試行錯誤が始まった。可能な限り,ミーティングを開く機会を活かした。それは,実践のモノローグ期だった。同年11月にはフィンランドの西ラップランド地方にあるODの始まりの地,ケロプダス病院を訪れた。ミーティングでのさりげない居心地の良さ,参加者同士の語りの場の温かい感覚は,大切な思い出として胸の内にある。

その後私は国内での1年間の基礎トレーニングコースを受け,実践チームのうち4名が3期までに修了した。コースでは,自分とそのネットワークとの向き合いが大切だと感じた。私はこれまで感情に蓋をして生きてきた。対話とは何か,自分がどう思うのか,どう感じるのかわからず,森の中に迷ったままだった。

4.実践チームの誕生

2019年から2023年まで,長期入院からの地域移行を意識した「対話実践ユニット」の活動に取り組んだ。白木孝二さんなど多くの方に助けていただき,開かれたアンティシペーションダイアローグの場を皮切りに,複数回,看護メンバーを招いて茶話会を開き,聞くと話すを分けるペアワークなどを通して声を共有しながら準備をした。それでも新しい取り組みへの戸惑いはメンバー間にあった。コンセプトとして,当事者に関することは当事者と一緒に決める理念を最初に提案し,それ以降はさまざまな決め事は一緒に決めた。紆余曲折を経て,対話実践ユニットが2019年9月に発足した。療養病棟の担当として,看護師,ケアワーカー,心理師,精神保健福祉士,作業療法士,精神科医がケアチームを組んだ。家族や支援者の参加する治療ミーティングを定期的に開催し,2名以上のセラピストが参加者全ての声に耳を傾け,リフレクティングとして声を重ねた。ミーティングは病院内だけでなく,自宅でも開かれた。COVID-19の影響で対面でのミーティングが難しい時期には,リモートを活用した。

5.ミーティングにて

ミーティングの場では,長く閉ざされていたものが,メタファーや感情を通して語られたり,地域で暮らしたいという思いや同時にそれが不安でもあるといった思い,家族が長年傷ついたままになっていた出来事にまつわる思いや,普段関わる看護職の思いなどが語られた。したいこと,食べたいものなどの日常にささやかなステップを刻むニーズや,それを実現するための具体的な方法も話し合われた。言葉だけではなく,一緒に外出や,調理などの暮らしに関することも,大切なプロセスとして多職種の連携のもとで行われた。これらのプロセスを経て,ネットワークとの繋がりが修復されたり,自然に困りごとの解消に向かったりと,徐々に変化が生じた。投薬もその意味を話し合い直し,10%未満のペースで減薬を進めた。それは非常に大切なことだと感じる。

さらに,スタッフミーティングやユニット全体でのグループミーティングも続け,心理療法的なコミュニティの醸成を目指した。ミーティングの内容は多岐にわたり,コミュニティ全体の対話が生まれるきっかけとなる取り組みも行われた。できる限り非病理的に状況が扱われ,ゆっくり,リフレクティブに,ポリフォニーをもってネットワークのリソースがいかされる流れが生まれたと感じる。35名の方のうち17名の方が地域に退院され,病棟の再編成計画に伴って2023年に,一旦の区切りを迎えた。なお,治療ミーティングは状況に応じて継続している。

6.チームで働く

チームで働くという点で,ユニットの活動に関して私が強く印象に残ったのは,価値観や,日常の視点の多様さであった。例えば,看護職の日常生活の視点では,間近であるからこその関わりの上での葛藤として,新たなチャレンジをどれぐらいのペースで提案するか,逆に慣れない状況でのアクシデントのリスクをどう見るか,といった管理的な視点を取らざるを得ないという本音が共有された。新たなことに取り組むということは,現実には多くの工夫や下準備が必要になる。これらを具体的にどう進めていくかということを,関係する人同士で話し合えることはとても重要なことだった。ODの価値観が精神科病院の伝統的な価値観と出会う時,さまざまな乱気流が生じる。特に,保護や管理を重視するアプローチとの葛藤が頻繁に起こったため,継続的に職員同士も声を重ねる場が必要だと感じた。

7.関係性の世界の探求

ここで少し,学びのプロセスの続きを振り返りたい。実践の試行錯誤が続く中,まだODとは何かがわからず戸惑う思いから,私は思い切って,トレーナートレーニングに申し込んだ。セラピストとは何か,身体の感覚,サイコーシスと呼ばれる現象にどう向き合うか,など,理論から身体感覚へ学びのプロセスはいびつな螺旋を描きながら進んだ。さまざまな想い出があるが,一つあげたい。コースの半ば過ぎに,あるセッションで自分の子供の頃の写真を持ち寄り,浮かんだ思いを話すワークがあった。その準備で母と何気なくやり取りした記憶,さらにそのセッションで感じた大きな安心感は,大きなリソースになった。私の3歳から5歳までの時期は,妹が重い先天性心疾患で闘病し,亡くなった時期と重なる。ワークは,その経験に恐らく関連した「不確かさ」の感覚に安心を与えるきっかけになった。

ようやく私は感情や身体の感覚の入り口に立った感覚であった。奇しくもその直後に母は進行癌が判明し,在宅医療と介護が始まった。他の受講生と時間を共にしながら過ごした。最終ブロックの前に母を看取り,ヘルシンキで,私は受講生の仲間に報告した。それは私が自分のネットワークの世界を探求する上で,多くの発見と,救いのあるプロセスであった。

ODのトレーニングと実践の往復を通じて,私は自分自身との関係性や,自分と繋がりがある人との関係性の世界を探求する機会が続いている。それは,一人の人間としても,プラクティショナーとしても,とても意味深いことだと感じている。

8.再びつながる

私は,当事者とネットワークが再びつながることで生じる変化を感じた。入院の長期間化は,当事者とネットワークの関係性を断絶した。ミーティングにより,できごとや現象の意味づけがなされ,感情が共有される中で,社会的なつながりが回復した。孤立が解消するプロセスは,人間存在にとって関係性がいかに重要かを痛感する体験だった。ODを志向するミーティングを重ねる中で,リフレクティブな関係性が生まれ,苦悩や困難と見えていた現象が,対話を通じて自然に変化し,解消する体験が共有された。

特にサイコーシスと呼ばれる言葉や振る舞い,混乱が強い関係性においては,感情の交流が安全に図られること,時間軸が時に変化すること,いわゆる病的体験とされてきた言葉や振る舞いは,そういった方法でのみ表現されうる何かを反映しているかもしれないこと,象徴的言語を用いること,ゆっくりやりとりすることなどが大切だと感じる。これらを,トレーニングやミーティングから学んだ。

いわゆる精神病理学に根差した診断や薬,医療には社会からの疎外に繋がらないよう,慎重さを持って臨みたいと思う。これらについて,私は石原孝二さんや松本葉子さん,高木俊介さんたちを通じて,国内外のサバイバーの方々やそのネットワークから学んでいる。診断や薬は,共生やコミュニケーションや体験の理解のための架け橋として,本来意味をなすと感じる。今はこの点について,あまりにも偏りが大きいのではないかと感じている。誰のための診断,薬,医療なのか,ということを,改めて考えていく必要がある。クライシスだから対話が難しいと感じることは自然だが,そこでどんな場が開けるか,プラクティショナーは問われていると感じる。

サイコーシスと呼ばれる現象において,クライシスのさなかでも対話的な姿勢を維持するには,強靭さと柔軟性が求められる。話し手の声を尊重し,彼らの視点を理解することは重要だが,強い負荷の続く状況下においては,しばしば困難を生じる。これらの経験から,スタッフの継続的なトレーニングとセルフケア,支援者支援の必要性を実感した。

9.孤立と疎外にどう向き合えるか

私たちが働く場では,多くの孤立を目にする。極限の経験をへて孤立にいたり,そのまま長年経ていることが少なくない現状のなか,メンタルヘルスサービスがどんな役割を果たせるか,ということは私自身の関心の一つである。メンタルヘルスサービスは,圧倒や混乱をめぐるテーマが中心であり,そのピークでは人を寄せ付けないような大嵐のような形でSOSが出されていると感じる。同時に,絶望し,閉じこもったり,圧倒されてぐったりし,繋がりが失われている状況も多い。冬山や深海のように,それは安易に赴くことが許される場所ではないかもしれない。チームを組んで,十分な練習を積んだ上で,繊細で慎重な場を重ねていくことや,支援者の遭難を防ぐことも大切だと思う。ODは,そういったテーマと確実に関連していると感じる。だからこそ,安心と安全の場が必要であり,疎外と孤立にどう向き合うのか,引き続き考えていきたい。プラクティショナーは,ユニットの他にも,クライシス対応や外来・訪問でのミーティングも試行錯誤してきた。これらは時間外に及ぶことも多く,持続可能な方法を探っている。

10.おわりに:私たちの「OD実装」:偽物性と,ほどほどさ

今更の話だが,私がODについて何か言及することには,後ろめたさを感じている。私は正真正銘の日本の病院の精神科医である。かつODに関してはシステム,あり方,世界観ともに,ニセモノ性を帯びる感覚がある。私は当事者,家族,同僚の多くの傷つきを目にしながら,立ちすくんできた。傷つきだと気づくことすらできていない,鈍感さが今でもあると思う。その点で,私はこのまま日本のメンタルヘルスサービスに携わっていられるのか,という煮詰まった感覚も生じる。当事者の傷つきにより繊細に向き合って,身を投じ,既存のシステムの中で苦しみを覚えてきたかもしれない同僚たちが,何人も職場を離れていった。私はそこで立ちすくんで,声を発することができなかった。

主語が大きくなることをお許しいただきたいが,日本の精神科病院には,社会における混乱や疎外が持ち込まれ,わたしたちはそれに圧倒され,困惑し,力で制圧してきた。その罪深さに蓋をして,ビジネスとしてきた。それらを巡って,関係する人たちみんなで,共同研究したいという気持ちがある。目の前で日々クライシスは生じている。力で制圧でもなく,今すぐの実現が難しく思われる理想的な実践でもない,1年先を目指したほどほどの実装。それを探しながら,森の中を私はうろうろ彷徨っているのかもしれない。一緒に森を探索しているチームメンバーをはじめ,地域,国内外の多くの人の存在が,私にとっての大きな支えである。

ここまで読んでくださったことに感謝申し上げたい。皆さんがどうお感じになったか,関心を持っている。

・名前:村上純一(むらかみ・じゅんいち)
・所属:医療法人明和会 琵琶湖病院
・資格:精神科専門医,オープンダイアローグトレーナー
・主な著書:J.モンクリフ著,石原孝二・松本葉子・村上純一・高木俊介・岡田愛訳『精神科の薬について知っておいてほしいこと──作用の仕方と離脱症状』(日本評論社,2022年),ニック・パットマン,ブライアン・マーティンデール 編著/石原孝二 編訳『サイコーシスのためのオープンダイアローグ──対話・関係性・意味を重視する精神保健サービスの組織化』(北大路書房,2023年)

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