菅村玄二(関西大学)
シンリンラボ 第32号(2025年11月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.32 (2025, Nov.)
ほとんどの読者は「サルトグラフィ」が何なのかを知らない。評者である私もそうなのだが,しかし,読んでみると,これはニッチなテーマを扱った書籍ではない。むしろ,あらゆる臨床家や対人援助職の人に心に留めておいてほしい,「脱–病理化する視点」をわかりやすく,かつ魅力溢れる形で教えてくれる書籍である。「病理・治療モデル」が専門のはずの精神科医(第一著者は公認心理師でもある)が「健康・成長モデル」を強調しているところがまた珍しくておもしろい。
驚いたのは,サルトグラフィの考え方やその背景となるキーワードの多くが,私の専門とする構成主義(constructivism)のそれと共通する点である。構成主義では,理解は対比によって始まるとされるが,サルトグラフィ(salutography;健跡学)はパトグラフィ(pathography;病跡学)と対比される。パトグラフィとは,「〈いかにして病気からその人物の言動がなされ,創造性が発揮されたのか?〉という疾病生成的な視点から行われる研究」(p. v,下線は評者)である。一方,サルトグラフィは,それを「病気から」ではなく「健康から」へと転換した「健康生成的な視点」をもつ研究と説明されている。つまり,歴史上の偉人や著名な作家,あるいは作中の人物を「病理化」(pathologize)するのではなく,「健康化」(saluto-logize)するという,一見,真逆の方向性をもつ。
本書のユニークな点は,この視点に加えて,その分析対象としてマンガを用いているところである。たとえば,『ゴールデンカムイ』(集英社)の主人公に対して,病跡学では彼のトラウマ体験や反社会的人格に着目されるだろう。しかし,健跡学では,アイヌの少女との出会いが「人生の転機」(サルトジェニック・ターン)となり,自分が狩る動物によって生かされる存在であること,そして生きる自分の役割を見つけるという人生の再構築の物語として捉えられている。そこでは,人生史としてのナラティヴ・コヒーレンスも重要となる。
これは意味レベルでは「リフレーミング」,物語レベルでは「再構成」や「再著述(書き換え)」などと構成主義では称されるが,シンプルに「ポジティブ・スピン」とも言う。ここで「ポジティブ」にばかり目が行きがちであるが,重要なのはむしろ「スピン」であり,ポジティブとネガティブは転回し,陰陽図のような弁証法的関係にある。ネガティブな側面しか強調されてこなかったため,ポジティブな側面が強調されているのであって,全体の主張としてはバランスが取れた上で,より生存と生活と人生(いずれもlife)に資する見方が大切ということになる。そう考えると,サルトグラフィも,病理的側面を批判的に検証し,過度の単純化に警鐘を鳴らしながらも,そのすべてを排斥するのではなく,それをステップ(踏み台)にして健康的側面へと新しい一歩を踏み出すところに醍醐味があるのではないだろうか。
それはそうと,本書の全体をとおして,小説家やマンガ家とその作品へのリスペクトと愛情が所々に垣間見えて,病理化する文芸評論と違って,マンガファンとして,とても心地よく読めるのが気持ちよかった。「ブラックジャックによってもっとも救われたのは,これまでの手塚治虫本人」(p. 107)という指摘も,作品のサルトグラフィと作家のサルトグラフィとのフュージョン的な見方でおもしろかった(なぜそうなるのかは,ぜひ本書を買って読んでいただきたい)。さいごに,著者の先生方にサルトグラフィを是非やっていただきたいマンガとして,土田世紀の『同じ月を見ている』と鳥飼茜の『サターンリターン』(いずれも小学館)を挙げておきたい。
菅村玄二(すがむら・げんじ)
関西大学 同大学院心理学研究科
資格:臨床心理士
主な著書:『ジョージ・ケリーを読む』(監訳,北大路書房,2017),『身体心理学』(分担執筆,川島書店,2016),『マインドフルネスの基礎と実践』(分担執筆,日本評論社,2016),『カウンセリングのエチュード』(共著,遠見書房,2010),『複雑系叢書第2巻 身体性・コミュニケーション・こころ』(分担執筆,共立出版,2007)







