私の本棚(34)『臨床の知とは何か』(中村雄二郎著,岩波新書)|藤巻るり

藤巻るり(専修大学)
シンリンラボ 第34号(2026年1月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.34 (2026, Jan.)

この本との出会い

私が心理臨床の道を歩むことになったきっかけは,まちがいなく河合隼雄の数々の本との出会いだが,その中から一冊だけ選ぶとなると難しい。学生時代から何度となく読み返して自分の支えとなっている一冊を,いま選ぶとしたら……

あれこれ考えて思いついたのは,哲学者である中村雄二郎の『臨床の知とは何か』である。

この本は,当時の指導教員だった小川捷之先生に,M1の夏休み前に渡された「読むべき本リスト」の中の一冊だった。ちなみにそのリストは,ユング心理学や精神分析系の専門書から児童文学の『ゲド戦記』まで,幅広いジャンルを網羅していた。いまから思えば非常にユニークなラインナップだ。その中でも『臨床の知とは何か』は,薄い新書版で比較的読みやすそうに見えたが,なかなか手強い一冊だったと思う。臨床の知は,近代科学の知が取りこぼしたものに対するオルタナティブとして論じられているため,まずは近代科学の知についての緻密な論考から始まるからである。

それでも,近代科学の知が普遍性という特徴を持つからこそ,逆説的に取りこぼしているものがある,という筋はストンとこころに落ちた。それは心理学科に編入学する前に所属していたフランス思想のゼミで,近代(Moderne)の特徴とその限界についての議論に触れていたからだと思う。ちなみに,すべてを例外なく包括的にとらえる「大きな物語」を前提とする近代は,その限界が明らかになっても,それを後にすることに原理的な難しさがある。近代を後にするということ(ポストモダン)を完全に成し遂げようとしたら,それ自体が新たな「大きな物語」になってしまう。すでに行き詰まっているけれども抜け出すのも困難を極める。そんなひんやりとした底なし感に向き合いながら,ああでもないこうでもないと議論する,とても刺激的なゼミだった。語学が苦手な私も,アイロニックでウィットに富んだメランベルジェ先生の語りだけはなぜか理解することができて,脳ミソが筋肉痛になるような感覚を味わいながらも熱心に参加していた。

『臨床の知とは何か』は,そこで芽生えた問題意識に正面から答えてくれた本であり,臨床という世界の豊かで特殊な専門性について教えてくれた本である。以下に紹介していこう。

「科学の知」と「臨床の知」

「科学の知は,抽象的な普遍性によって,分析的に因果律に従う現実にかかわり,それを操作的に対象化するが,それに対して,臨床の知は,個々の場合や場所を重視して深層の現実にかかわり,世界や他者がわれわれに示す隠された意味を相互行為のうちに読み取り,捉える働きをする。」(p.135)

近代科学の知には,普遍主義,論理主義,客観主義という3つの構成原理がある。(1)普遍主義は,事物や自然を量的なものに還元して基本的に等質なものと見なす。(2)論理主義は,すべての出来事を一義的因果関係によって捉えるため,あるメカニズムが見いだされればその技術的な再現や操作が可能になる。(3)客観主義は,事物を扱う側の主観性を排除してすべてを対象化して捉える。

中村は,こうした特徴を持つ「科学の知」が抽象化された機械論的な世界観を背景としていること,それは現実の具体的で多義的で相互的な側面を方法論的に切り捨てることによって成り立っていることを指摘した。つまり「科学の知」は,人間の具体的な生を扱うことを想定していない。だからこそ,人間の具体的な生に関わる分野では,別のパラダイムが必要となる。それが「臨床の知」である。

「臨床の知」の3つの構成原理は,それぞれ「科学の知」が切り捨てた側面に対応する形で提示されている。普遍主義に対してはコスモロジー,論理主義に対してはシンボリズム,客観主義に対してはパフォーマンスである。(1)コスモロジーは,物事が起きる個別的な状況や場(トポス)を有意味なものとしてとらえる。(2)シンボリズムは,物事をさまざまな側面から多義的にとらえようとする。(3)パフォーマンスは,特に人に対して何かを行う場合,相手との相互的な関わりの中で実践者の身体性を帯びた行為を重視する。

河合隼雄の著作でユング心理学の考え方になじんでいた私は,コスモロジーとシンボリズムは難なく理解することができた。ユング心理学では,因果論ではなくコンステレーション(布置)というものの捉え方をし,夢をはじめとして象徴的な視点から物事を理解する姿勢があるからだ。

ただ,パフォーマンスという用語については,どこかピンとこなかった。よく耳にするパフォーマンスという言葉は,人目をひこうとする行為や成果主義の文脈で使われることが多いため,そこに中村が意図したようなニュアンスを感じ取るのは難しかったからである。もちろん,相互性が「臨床の知」にとって重要であることはわかる。しかし,それがなぜ身体性を帯びた行為と表現されているのか,いまひとつ腑に落ちなかったのである。

「臨床の知」と中動態

ところで最近,医療をはじめとする対人援助領域で,中動態という古い文法概念がメタファーとして注目されるようになった。中動態は,かつて能動態−受動態が対になる以前に,能動態と対になっていたとされる態である。能動態−受動態の対が主客分離に基づいた「する側—される側」を表すのに対して,能動態−中動態の対の場合,行為者がプロセスの外側にいるのか,内側にいるのかという違いになる。つまり中動態は,主語がその動詞が表すプロセスの中にいて,その影響を被る状況を表す態なのだ。対人援助職が行う支援は,「する側—される側」という対象と切れた関係性ではなく,支援者も自らが行う活動に参与して相互的に関わる。これは,かつて中動態という態が表していた行為のあり方なのではないかと。

対人援助領域が中動態に託した問題意識は,まさに対象に客観的なまなざしを向けて行為する「科学の知」に対して,相手との相互的な関係の中に身を置いて関わる「臨床の知」を提唱した中村の問題意識と重なる。主体がその過程の中で影響を被りながら行為するというのは,まさに中村が「臨床の知」で述べていたことだ。

「相互作用が成立するのは(…)人間が身体性を帯びて行為し,行動するからであり,そのときひとは,おのずと,わが身に相手や自己を取り巻く環境からの働きかけを受けつつ,つまり自己のうちにパトス的(受動的,受苦的)な在り様を含みつつ,行為し,行動することになるからである。」(p.135)」

「臨床の知」のパフォーマンスとは,実践者がプロセスの中に身を置いているということであり,それは「場に臨む」という「臨床の知」の肝ともいえる大事な原理のことだったのだ。自分の中で3つ目の柱の意味がようやく腑に落ちたのだった。

心理臨床では,実際にその場に臨み,そこに身を投じてみて初めてわかることが少なくない。それは理論が実践と乖離しているのではなく,理論は実践の中で初めて本当に理解できるという意味である。特に心理療法においては,治療者は面接室の中にわが身以外に持ち込めるものはない。何が起きるかわからない未知の要素の中に,自分自身が与える影響や,自分自身が被る影響が入っている。そこで起きる展開は非常に即興的である。自らが実験のレトルトの中に入っているかのように,状況を俯瞰して見る大局的な視点を持ちながら,「いま,ここ」 で身を以って感じることに根差して行為する。こんなスリリングな実践を,哲学の文脈から枠組みとして保障してくれる「臨床の知」のありがたさを痛感する。

「臨床の知」とEBM(エビデンスに基づく医療)

最後に「臨床の知」とEBM(エビデンスに基づく医療)の意外な関係について触れたい。

この本を書いていた当時,中村は,脳死や臓器移植など,先端医学と生命倫理の問題にも精力的に関わっていた。それは本書の中でも二つの章にわたって論じられている。臨床医学においては,科学的医学と「臨床の知」の統合が必要であると同時に,その難しさもあるとした上で,中村は次のように述べている。

「一種の統合が可能であるとすれば,科学的医学と〈臨床の知〉との対等の結合ではなくて,〈臨床の知〉の主導下に科学的医学の諸成果を思い切って取捨選択し,再組織することであろう。」(p.156)

科学的医学の諸成果——すなわちエビデンス——を,臨床の知の主導のもとに取捨選択すること。これはエビデンス・ベースドという考え方に反するものではなく,むしろEBM(エビデンスに基づく医療)のもともとの定義である「個々の患者へのケアについて,最新・最良のエビデンスを,誠実に,明示的に,思慮深く用いること」というサケットの言葉とも重なるのではないだろうか。個々の患者を取り巻く状況を考慮に入れ(コスモロジー),さまざまな側面からその治療の意味を考え(シンボリズム),医師は患者との関わりを通して最良のエビデンスを取捨選択する(パフォーマンス)。EBMの実践には,「臨床の知」が必要なのである。

『臨床の知とは何か』は1992年に刊行されている。30年以上も前の本であるにも関わらず,そこで展開されている論は驚くほど古びていない。逆に言えば,21世紀も4半世紀が過ぎようとしているにもかかわらず,私たちはまだ近代(Moderne)を後にすることができていないのかもしれない。それでも,この古くて新しい一冊を携えて,今日も心理臨床という魅惑的な実践を——身体性を帯びた行為を——続けていきたいと思う。

『臨床の知とは何か』(中村雄二郎著,岩波新書)
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藤巻るり(ふじまき・るり)
専修大学人間科学部心理学科准教授
臨床心理士,公認心理師,博士(教育学)
主な著書:『発達障害児のプレイセラピー』(単著, 創元社, 2020),『セラピストの主体性とコミットメント』(分担執筆, 創元社, 2020),『言語の中動態、思考の中動態』(分担執筆, 水声社, 2022)

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