川部哲也(大阪公立大学)
シンリンラボ 第26号(2025年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.26 (2025, May.)
「座右の書」といえば専門書を挙げるのが通常なのだろうが,私は思い切ってライトノベルを紹介してみようと思う。『涼宮ハルヒの憂鬱』(2003年発行)である。
本題に入る前に,少し昔話をするのをお許し願いたい。私は中学生時代,富士見書房の「月刊ドラゴンマガジン」の熱心な読者であった。連載している作品はいわゆるライトノベルであり,連載作品は単行本として富士見ファンタジア文庫から刊行された。中でもお気に入りだったのが神坂一の『スレイヤーズ』シリーズ,竹河聖の『風の大陸』シリーズ,冴木忍の『<卵王子>カイルロッドの苦難』シリーズだった。角川スニーカー文庫の水野良の『ロードス島戦記』も(もちろん)全巻読んでいた。そんなわけで,当時の私の本棚はライトノベルで埋め尽くされていた。そのようなライトノベル漬けの私は,スレイヤーズの文体で作文を提出してしまったという黒歴史を持つ。そう,私は紛れもない「中二病」だった。実際には起こらないようなことを空想し,小説としてノートに書き溜めていた。そんな私は高校生になり,部活動に打ち込むうちに,いつの間にか「ふつうの高校生」として過ごすようになっていった。
そして10年以上の時を経て,出会ってしまったのがこの『涼宮ハルヒの憂鬱』である。作中の涼宮ハルヒのセリフは,ファンの間ではきわめて有名である。高校に入学した日のクラスで,彼女はこう自己紹介した。「東中出身,涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人,未来人,異世界人,超能力者がいたら,あたしのところに来なさい。以上。」
クラスじゅうをドン引きさせたこの言葉は,自己紹介としては非常に奇妙である。なのに,どこか力強い感じがある,と私は思った。それはなぜなのだろうか。それはきっとこの言葉が,私がかつて自分の中に確かに持っていた思いと一致するからであろう。常識的なこの世界を疑い,既存の枠を超えた存在に出会ってみたいという,純粋な思い。これを読んだ私は,思春期の「中二病」真っ盛りだった自分が呼び覚まされるのを感じた。
そして,物語のもう一人の登場人物である男子高校生,キョンにも共感する自分がいた。彼はかつてハルヒと同じく不思議現象への希求を持っていたのだが,高校生になりその考えを捨てた。サンタもいない,お化けもいない。この世界はいたって常識的であり,不思議なことは決して起こらないという,冷めた考えのキョン。この立場も私にはよくわかった。高校生になって「中二病」が自然治癒した私は,すでに普通の文体で作文を書くようになっていた。つまり私にとっては,ハルヒもキョンもどちらも過去の自分として,リアルに追体験可能だったのである。このようにしてこの作品は,すでに大人の年齢になっていた私に,再び思春期の感情を思い出させるものとなった。
アニメを通してこの作品を知った方も多いと思われる。京都アニメーションによってアニメ化され,2006年に第1期,2009年に第2期が放送されている。このアニメ作品の中では多くの挑戦的な試みがなされたが,中でもエンディング曲「ハレ晴レユカイ」において,ハルヒたちが滑らかにダンスを踊る映像は(当時の映像技術からすると)驚異的であった。この踊りは「ハルヒダンス」として流行し,そのダンスを踊った動画をネットに投稿する人も多かった。
また,アニメでは作中に登場する土地の風景を正確に再現していることでも話題になった。今や誰もが知っている「聖地巡礼」(アニメやドラマのモデルになった土地を実際に訪れること)のブームが始まりだしたのもこの頃である。私もいくつかの場所に行ってみたが,「高校に向かうこの坂は確かにきつい……」とか,「こんな小さな池で映画撮影をしようとしていたのか……」などと,アニメの中の登場人物の気持ちをリアルに体験するような,不思議な感覚を味わった。架空の人物であるはずのハルヒやキョンが,まるで実在するのではないかというような,空想と現実が交錯する独特の感覚であった。聖地巡礼にハマる人がいることに心から納得した。
ここまで書いて気が付いたが,いつの間にか私の本棚を離れ,アニメ紹介になってしまっている。しかし,それで良いのである。なぜなら,この作品は小説とアニメの境界が極めて薄いからである。実はアニメの中で1話だけ,原作者の谷川氏が脚本を書き下ろしているものがある(第1期の「サムデイ イン ザ レイン」)。原作者がアニメのために新たに物語を創作するとは,よほどの強い思いがあったのではと感じさせられる。先ほど触れた聖地巡礼に魅力があるのも,原作者が生まれ育った土地を舞台にした作品であるからこそ,不思議なリアリティが備わっているのかもしれない。
これらの他にも数多くの要素が関連してこの作品は魅力を持ち,多くのファンの心をつかんでいる。未読の方のために,ネタバレは避けるが,この物語では宇宙人,未来人,超能力者と意外な形で出会い,深く関わっていくことになる。いわば,「中二病」だった自分がかつて夢見たことが,この物語の中では実現しているといえる。しかも,よくある異世界冒険ファンタジーものではなく,日常的な高校生活がその舞台になっている。すなわち非日常的な存在と,日常的に関わる物語であるといえる。このように,「空想と現実」「非日常と日常」の交差点として物語が機能しており,読者は日常と地続きの非日常という不思議な感覚を持ち,さらにどこかホッとする感じさえ味わうことができる。「思春期の自分はこんな世界観だったなあ」という,懐かしい気持ちに包まれるのである。
最後にひとつだけ。この物語は挿絵やアニメの影響で,よくある「可愛い女の子が出てくる話」と思われがちなところがある。確かにそれも魅力であろうが,本当の魅力は正統派のSF小説の物語構造を有している点にある。嬉しいことにこの物語はまだ完結しておらず,2024年11月には新刊『涼宮ハルヒの劇場』が刊行された。そこではかなり「ガチ」のSF的展開がある。単なるライトノベルと思って読み始めると,良い意味で大きく裏切られる本である。
川部哲也(かわべ・てつや)
大阪公立大学大学院 現代システム科学研究科 現代システム科学専攻 臨床心理学分野
資格:臨床心理士,公認心理師
著書:『臨床心理学研究法特論』(放送大学教育振興会,2023,石原宏と共著)