キョウジュの心理学(6)臨床家,学生との関係を考える|富樫公一

富樫公一(甲南大学
シンリンラボ 第34号(2026年月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.34 (2026, Jun.)

教員になって迷うことがある。

学生との関係だ。

臨床には「枠」がある。大学院でキョウジュから叩き込まれたあれだ。多重関係の回避とか,中立性の維持と呼ばれる。

患者とはセッション外で会わない。基本的に自分のことは明かさない。

自分の学生時代の話で盛り上がったケースを学会で使ったら,大変だ。発表テーマは無視され,「自己開示」の一点に議論が収斂する。

そうなるのには,理由がある。

力動的には,転移を扱う機会の損失を懸念する。治療者が自分をさらけ出すと,患者の治療者に対する感情の出どころがわからなくなるというわけだ

あるいは,治療者が自分のために時間を費やすことを懸念する。そんな人いるのかと思うかもしれないが,まあまあいる。搾取と患者の利用につながる。

モノをもらわないのもそうだ。実習で患者から飴玉一つもらったら大ごとだ。キョウジュはすぐに,あなたのために時間を取ってくれる。

「シンリシは,患者から何ももらってはいけない。たとえ飴玉一つでも」

キョウジュの顔は険しい。

受け取った理由についても,延々と説明を求められる。

大学院修了後20年経っても,その記憶は消えない。

デイケアで接している患者に,一生懸命描いた作品を「先生にもらってほしいんです」と言われた瞬間,キョウジュの声が頭に響く。

公認心理師協会の倫理綱領(2020)にも,「心理支援行為を,自己の欲求や利益のために行うことがあってはならない」とか,「要支援者等との間で専門的支援関係の範囲を超えた関係を結ばない」とある。

いかに行為すべきかの規準を定式化するものを規範倫理という。

倫理的転回を探求していると,規範倫理を否定していると誤解されることがあるが,それは間違いだ。倫理的転回が考えるのは,考える順番だ(富樫,2023; 2025)。

私たちの頭にはキョウジュの声が染みついている。訓練を受けた人ほど,規範倫理を先に考える。しかし,それ以前に,患者の訴えに応えたい何かがあることを忘れていないかという問いかけだ。

作品を差し出すデイケア患者の気持ちに応じたくなるのは,人として当然ではないかということだ。

規範倫理の重要性は論じるまでもない。それは,患者と臨床家双方を守る。専門家として取り返しのつかない失敗をしないためには欠かせない。

人はそんなに強くない。患者と長い時間一緒にいれば,臨床家も情に流される。患者に甘えたくなることもあるし,頼りたくもなる。特別扱いしたくなることもあるし,個人的に何かしてあげたくなることもある。

その気持ち自体に善悪はない。しかし,それはコントロールされる必要がある。外傷体験を反復したり,新たな外傷体験を与えたりするかもしれないからだ。

フェレンツィは,「言葉の混乱」(Ferenczi, 1949)という言葉でそれを説明した。虐待する大人は,愛情という言葉で,子どもを性的に搾取したり,暴力的に利用したりする。している本人も,愛情だと信じ込んでいることもある。

それを避けるために,患者との間の一定の距離を認識する。それを「枠」という。


脚注

1. さらけ出さなくてもどうせわからない。


学外の交流を求められる

ところが,学生との関係では「枠」があいまいだ。

大学が,学生との積極的な交流を推奨することもある。

「共同活動を増やしたりして,教員から積極的に学生にかかわりましょう。最近の学生には,集団になじめない子もいます」と,通達される。

「最近の学生」という言葉に,差別意識を感じる。集団になじめないのは,むしろシンリシやキョウジュの方ではないか

大学によっては,一年生から,学生と教員との交流を授業に組み入れる。

「一年生ゼミ」とか,「チュートリアル」と呼ばれるやつだ。

教員が分担して,ゼミ形式で週に一回交流する。学生からすれば,担任のセンセイのようなものだ。一応,課題はあるが,何をするのも自由だ。

スポーツが得意な教員は,ソフトボールやテニスをやる。楽器が得意な教員は,研究室に常備されたギターを持ち出して,一緒に歌う

残念ながら私は,どっちも苦手だ。ソフトボールはバットに球があたらない。テニスは全部ホームランになる。本当は,ソフトボールのときにテニスラケットを使いたい。

楽器は何もできない。カスタネットでさえ,リズムがずれる。

仕方ないから,学生が楽しそうに走り回っているのを見ていると,「センセイもやりましょうよー」と言われる。つらい。

ゼミ旅行や食事会をするところもある

最近はそんな大学も減ったようだが,学生が行きたがることもある。

そんなとき,臨床現場あがりの教員は自問する。枠はどう考えたらよいのか。

確かに病院時代も,盆踊り大会や流しそうめん大会,ちょっとした遠足はあったが,心理療法でかかわる患者がいれば,基本的に参加しない。

しかし,学生との間に治療関係はない。仕事内容が違うと言えば,その通りだ。学生の心の状態について,一緒に考えたり,分析したりはない。

臨床的な相談を受けることはあるが,学生相談室に任せる。学生から心理療法を求められても,引き受けることはない。それこそ,多重関係だ。

教員には管理業務がある。成績もつける。学生と仲良くなって,日々楽しく談笑しながら成績をつける。厳密にいえば,客観的な評価ができない。

相性だってある。この学生は見どころがあると思えば,育てたくなる。学生も,そういった想いのない教員とはやっていけないだろう。教員の想いを土台に自分を作る者もいる(Kohut, 1977)。しかし,これも厳密に考えれば,搾取や利用を含むかもしれない。自分の望む弟子を作ろうとしているかもしれないからだ。

特に,シンリン系大学の学生は,将来は同業者になるかもしれない。スーパーヴィジョンや訓練分析の関係になる場合もある。彼らとどんちゃん騒ぎの宴会をしてもよいかと,気になる。

院生のスーパーヴィジョンも同じだ。

大学によっては,学内スーパーヴィジョンを取り入れているところもある。教員が成績をつけ,授業を受け持ち,ゼミをやって,年に何回かの宴会をしつつ,スーパーヴィジョンを行う。多重関係ではないのかという問いは,昔からある。

一概にそれが悪いというわけではない。学外にスーパーヴァイザーを用意できないところもある。ただ,その場合,教員も学生もそのリスクをよく理解しておく必要がある。

学内スーパーヴィジョンは行わない大学は,そうした理由から制度設計したのだろう。ただその場合,スーパーヴァイザーが大学院の教育方針を十分理解できていなリスクは発生する。


脚注

2. 私は生まれたときから,集団になじめたことがない。
3. 大学には必ず,ギターを持ち出して歌うキョウジュがいる。いない大学はない。
4. 参加者に温泉旅行と宴会出席を義務づける学会もあるらしい。つらそうだ。
5. 学内教員がスーパーヴィジョンするだけの臨床力を欠いているからではない。


学生の想い

重要なのは,学生の想いだ。

まず教員がいるのではない。学生がいる。

センセイを知りたい,感謝の気持ちを伝えたいと,学生が現れる

そこに転移がないとは言わない。

自分だけ特別になりたいとか,幼少期に叶わなかった関係を作りたいとか,感謝の形で相手を破壊したいとか,そんなこともあるだろう。しかし,そんなことを言い出したら,どんな関係でもそうだ。

治療関係でもないのに,学生を分析してワークスルーしようとしたら,それはそれで問題だ。

卒業式で一緒に写真を撮ってほしいという要望に応えるのも,感謝の気持ちだという記念品をもらうのも,人としての大切な関係だろう。

専門家の教員が先にいるのではない。

キョウジュの声が聞こえてきたら,学生の顔を見よう。

私たちは他者の顔に拘束される。

きらきらとした瞳で,何かを求める彼らの顔を見れば,それに応えたくなるのは当たり前だ。その上でどうするか判断する。おそらくそれは,臨床と何もかわらない。


脚注

6. センセイを許せない,怒りの気持ちをぶちまけたいと,現れる場合もある。
7. この写真は決して私の手元には送られてこない。


学生に呼び出された

地域心理支援センター近くのファミリーレストランには,客はまばらにしかいなかった。

新幹線の駅前とはいっても,少し距離がある。平日はこんなものかもしれない。

「いらっしゃいませ。おひとり様ですか」と,ウェイトレスが慣れた態度で飛び出してきた。

学生アルバイトかもしれない。近くにいくつか大学がある。

入職歓迎会で飲みまくっていたら,ウェイターに「シンリン大学の学生です」と,挨拶されたことを思い出した。

「センセイ,こっちこっち」と,左手奥の席から手を振るのは細身の男子学生だ。

ウェイトレスは,何も言わずにカウンターに下がっていく。

「二人とも,もう来てたんですね。あれ,あなたも?」

二人の前には,お天気さんが座っていた。

「来たくて来たわけではありません」

不機嫌そうに,コーヒーカップを口に当てた。どうやら,雨のようだ。

「だいぶ待ちましたか?」

三人の前には,すでに注文されたものが並んでいる。

「多少前からお待ちしておりましたが,それほどではありません」

黒縁眼鏡の女子学生は,三分の二くらいになったパフェをすくって口に運んだ。

「申し訳なかったですね」

どこに座ろうかと思ったが,選択肢はない。上着を脱いで,お天気さんの横に腰かけた。

「私たちがお呼びしたのです。センセイが謝ることではありません」

「とはいっても,待たせましたから」女子学生のテンポはつかみにくい。思わず苦笑いが出た。「すいません。コーヒーください」

ちょうど,水を持ってきたウェイトレスに告げた。

こうして学生と外で会うのもどうなんだろうな。臨床ではありえない。同僚のようなものだと考えればよいのかもしれないが,彼らは学費を払い,こちらは専門知識を提供する関係だ。

疲れているのに,こんなことを考えてしまう。臨床屋なんだな,やっぱり。

「大丈夫ですか?」

男子学生の声に顔を上げると,二人は心配そうな顔でこちらを見ていた。

「いろいろあったんですよね。心配してました。センセイにセンターに来てもらえなくて,ぼくらも困ってるんですよ」

「そうか。話は伝わってるんだ」

「三日月キョウジュが,触れ回っておられます」

女子学生は,長いスプーンで,パフェの入れ物の底をガシガシつついた。

ガッカチョーから言われた通り,自宅で数日待機した。しかし,落ち着けるはずもない。考えれば考えるほど納得できない。明らかに謀られている。

問題は二つだ。

一つは,三日月の領収書だ。あれは何なのか。おかしなことが起こり始めたのは,あれを見つけてからだ。

もう一つは,パソコンだ。デルカリはなしのつぶてだったが,売れたとすれば,売主と買主はすぐにわかるはずだ。国税もネット売買に神経質だから,口座の持ち主だって簡単に調べがつくだろう。そんな危険を犯して,売り払ったとは思えない。おそらく,犯人は売ったふりをしているだけだ。

自分が購入したとされる存在しない物品の領収書がどこから現れたのかも気になる。

「センセイは,身に覚えないんですよね」

男子学生はすでにアイスクリームを食べてしまったようだ。テーブルには,ガラスカップだけが残っている。

「うん。まったくわからないんだ。まつたけ山キャンパスの探せるところは全部探したけど,どこにも見当たらない」

「どこ行ったんすかね」

「もう学内にはないのかもしれない……」

半ばあきらめていた。

「いえ,学内にあると思われます」と,女子学生が黒縁眼鏡を指で押し上げた。

「どういうこと?」

男子学生と声を合わせて,眼鏡を覗き込んだ。奥の目が少し光った気がした。

お天気さんは,難しそうな顔でコーヒーをすすっている。

「私はまず,センセイが本当に売り払った可能性を考えました。その仮説はすぐに棄却されました。売り払う人間が,出どころのわかるシールをそのままにしておくはずがないからです。いえ,センセイを人として疑ったわけではないのですが,可能性はすべて考えなければなりません。ご理解ください。次に考えられるのは,三日月キョウジュです。わざわざ触れ回っているのは,あの方だけです。何より,デルカリのスクショを持ちこんだのはあの方です。疑うだけの根拠はあります」

「でも,それだったらさ,すでに処分しているんじゃない?」

男子学生が,伝票入れの筒に指を入れて回しながら黒縁眼鏡を見た。

「いえ,学内にあると考えるだけの理由はあります。あの方は,大学のものを建物の外に持ち出せないのです。あの方の中では,キャンパス内とキャンパス外,自宅と,領域が三つに分割されています。それぞれの場所にあるモノは,その境界を跨いではいけません。大学内は汚れた領域です。自宅はきれいな領域です。キャンパス外は,緩衝地帯です。大学内のものを持ち出せばすべてが汚れたように感じると,ご自身で言っておられました。研究室に入る学生は,手洗いとうがいが求められます。研究室に入ったら,消毒液も渡されます。どこかに捨てた可能性は否定できませんが,学内のごみ処分ルールは厳格です。パソコンの処分には申請が必要ですから,可能性は低いのではないでしょうか。持ち出すことも,処分することもできないとすれば,パソコンは,研究室か,あの方の管理するところに隠す以外ありません。それはそれで汚れた感じがするかもしれませんが,やっていること自体が汚れているので仕方がありません」

「なるほどね。あのセンセイ,自分でもその傾向があると言っていたわ」と,男子学生は両手を合わせた。「だから,センターにもあんまりいないのかもな」

「知らなかったのですか。そのことに,驚きを禁じ得ません」女子学生は,眼鏡の奥で目を広げた。「みんな知っています。センターは領域が交錯するので,頭が混乱するのだと思われます」

話の筋は通っている。しかし,研究室の中を調べられるとも思えない。

「ぼくたちに何かできることはないですか? 何とかして忍び込みましょうか」

「私も,何でもいたします」

胸が熱くなった。

「ありがとう。でも,君たちに頼むことはできないよ」

それこそ,学生を利用することになってしまう。頼りたい気持ちはある。自分で動くのはリスクが高い。心が弱くなると,つい気持ちに負けそうになる。しかし,彼らに犯罪まがいのことはさせられない。

「自分でどうにかする」

「でも,おかしいですよ」

「だとしても,自分のために,君たちを使っていいわけじゃない」

「ぼくたちのためでもあります。キョウジュはセンターにほとんど来ません。これでは臨床はできません。早くセンセイに戻ってきてもらいたいんです」

涙が出そうになった。

しかし,こうやって,学生に慰めてもらうのも,自分の利益のために関係を利用していると言えばそうだ。

「ダメなものはダメだよ」

「そう言うと思ってました……」

二人は,不満そうな顔をしたが,目がいたずらっぽく笑っていた。

「……というわけで,この方をお連れしました」

「迷惑この上ありません」と,お天気さんはカバンから封筒を取り出した。「私のIDです。一度しかいいません。まつたけ山キャンパスの3階のシンリン学科事務室にキーボックスがあります。その中の一番右の上から三段目がマスターキーです。シンリン棟のすべての部屋の鍵を開けることができます。キーボックスは教職員のIDで開きますが,使用したとたん,使用者名がサーバーに記録されます。センセイ自身のを使うとすぐにばれます。今から,私はこれをここに置き忘れます。拾い主はセンセイです。どうするかはセンセイ次第です。いつか返してください。夜は守衛がいるので危険です。見つかったら説明できません。水曜日には,理事長の来学準備の学科会議があります。そのとき,全教員は会議室に集まるでしょう」

言い終えるとすぐ,お天気さんは立ち上がった。

「あ,ありがとうございます」と,顔を見上げた。

相変わらず眉間にしわが寄っている。

「どいてください。出られません」

「あ,すいません」慌てて立ち上がり,シートの横に退いた。

「これ以上,巻き込まれるのはごめんです」

「だったら,どうしてですか?」

「見てられなかったからです。あとはご自由に」

院生二人は,成功を祝うかのように顔を見合わせた。

あなたはそのカギを,  使用する⇒  使用しない⇒

文 献
  • Ferenczi, S.(1949)Confusion of the tongues between the adults and the child. International Journal of Psycho-Analysis, 30; 225-230.
  • Kohut, H.(1977)The Restoration of the Self. International Universities Press. (本城秀次・笠原嘉(監訳)(1995)自己の修復.みすず書房.)
  • 日本公認心理師協会(2020)日本公認心理師協会倫理綱領.
  • 富樫公一(2023)社会の中の治療者―対人援助の専門性は誰のためにあるのか.岩崎学術出版社.
  • 富樫公一(2025)分断の中の治療者―当事者性と倫理的転回.岩崎学術出版社.
+ 記事

富樫公一(とがし‧こういち)
資格:公認心理師‧臨床心理士‧NY州精神分析家ライセンス‧NAAP認定精神分析家
所属:甲南大学‧TRISP自己心理学研究所(NY)‧栄橋心理相談室
著書:『精神分析が生まれるところ─間主観性理論が導く出会いの原点』『当事者としての治療者─差別と支配への恐れと欲望』『社会の中の治療者─対人援助の専門性は誰のためにあるのか』(以上,岩崎学術出版社),『Kohut's Twinship Across Cultures: The Psychology of Being Human』『The Psychoanalytic Zero』(以上,Routledge)など

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