私の本棚(36)『西の魔女が死んだ』(梨木香歩著,新潮社)|長谷川千紘

長谷川千紘(京都文教大学)
シンリンラボ 第36号(2026年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.36 (2026, Mar.)

……今まいにはおばあちゃんに聞いておかなければならないことがあった。それはまいがもう何年もの間,ずっと考え続け,恐れ続けてきたことだった。夜になると考えまいとしても,そのことが頭から離れなくなるのだ。そしてブラックホールに吸い込まれていくような気持ちになって,叫び出したくなる。もう何年もそうだった。
「おばあちゃん」
 まいは低い声で呼びかけた。
「なあに」
 おばあちゃんも低い声で返事をした。
「人は死んだらどうなるの」

『西の魔女が死んだ』は,梨木香歩さんによる児童文学である。私が本書に出会ったのは,その語り手である,中学1年生の「まい」と同じ年の頃だった。このとき,まいと,「西の魔女」こと「おばあちゃん」に出会えたのはとても幸運だったな,と思う。当時,明確に言葉にすることはできなかったけれど,私はどこかまいのもつ“生き難さ”に呼応するところがあって,おばあちゃんがまいに示した深い愛と一つの方向は,私にとってもこころの向かう一つの道標になってくれたように感じられるのだ。

まいの“生き難さ”と魔女修行

物語は,「魔女が——倒れた。もうだめみたい」という知らせを受けとることから始まる。その瞬間,まいは,おばあちゃんとともに過ごした2年前の日々を鮮明に思い出す。中学生になって間もなく学校に行けなくなったまいは,田舎のおばあちゃんのもとで1ヶ月余り暮らしていたのだ。

きっかけは「グループができるときの心理的な駆け引きみたいの」が「何となくあさましく卑しく」思えたことだった。自分のこころも他者のこころも繊細に感じとるまいは,自分のなかにある“卑しさ”を自覚して,堪らなくなったのだろう。同級生の女子たちはそんなまいに自分たちのこころまで見透かされる感じがしたのだろうか,彼女たちはまいを敵対的に排除した。

英国出身のおばあちゃんは,自然とともにごく自然に暮らしている人だった。裏庭のハーブ園から漂う清々しい香り,雑木林のなかのルビーのような野いちごの群生,山の小道の先に見つけた小さな巣のような自分だけの空間……おばあちゃんとの暮らしのなかで,まいは生きる力の基礎のようなものを回復していく。そして,自分の“生き難さ”を自覚し,そのことに傷ついていたまいは,おばあちゃんのもとで「魔女修行」に取り組むことを決意する。なんと,おばあちゃんは魔女の血筋なのだ,という。ここでの魔女は,日常の意識では捉えられない自然の声を聞き,過去・現在・未来に及ぶヴィジョンを見ることができる人,と言えるだろうか。そんな魔女になるための修行の第一歩は,早寝早起き,食事,運動といった日常を一つ一つ丁寧に営むことだった。おばあちゃんはまいに魔女の力の核心を伝える——「いちばん大切なのは,意志の力。自分で決める力,自分で決めたことをやり遂げる力です」。

最初は何にも変わらないように思います。そしてだんだんに疑いの心や,怠け心,あきらめ,投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って,ただ黙々と続けるのです。そうして,もう永久に何も変わらないんじゃないかと思われるころ,ようやく,以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こるでしょう。

心理療法のなかで苦しい時間が長く続くとき,私はふとおばあちゃんの言葉を思い出すことがある。魔女修行とは,その人が生来もっている可能性に目を向け,それを大切に育んでいくことではないか,と感じられる。それを可能にするためには,こころが本当に向かおうとする方向を見つめ,実践し続ける意志の力が必要なのだ。

魂は成長する

おばあちゃんに魔女の話を聞いた夜,まいは夢を見る。

 真っ暗な,星一つない空と境目のない海。漆黒のビロードのようにまとわりつく海水。自分のたてる波音だけがあたりに響く。
 まいは寂しかっただろうか。いや,そんなことすら考え及ばないで,ただ,ひたすら泳いでいた。ひとりきりだった。
 そのとき,ある声が自分の内と外から同時に響いた。
「西へ」

まいを何よりも脅かしていたのは,「人は死んだらどうなるの」という問いだった。それは,まいに,漆黒の夜の海に落ちてしまったような方向喪失をもたらした。そんなまいに,おばあちゃんは,「おばあちゃんの信じている死後のこと」を語ってくれる——「死ぬ,ということはずっと身体に縛られていた魂が,身体から離れて自由になることだと,おばあちゃんは思っています。きっとどんなにか楽になれてうれしいんじゃないかしら」。

人間が生きていくことは,決して綺麗なことばかりではない。自分のなかにある“卑しさ”や“汚らしさ”に気づき,それをどうしても引き受けていかなくてはならない。身体性を受け入れることは,その最たることだ。身体をもつことの厭わしさを問うまいに,おばあちゃんは「魂は身体をもつことによってしか物事を体験できないし,体験によってしか,魂は成長できない」と応える。

でも,それが魂の本質なんですから,仕方がないのです。春になったら種から芽が出るように,それが光に向かって伸びていくように,魂は成長したがっているのです。

「魔女」というのは,魂の現実を,そして魂が目指す方向を,見定めることのできる人なのかもしれない。まいの抱える問いに明確な答えはないけれど,おばあちゃんは最期にまいに一つのメッセージを残してくれる。それを受けとった瞬間,まいは「人は死んだらどうなるの」ということを,心から実感したのではないだろうか。それは同時に,この世に生まれてきた“ただ一人の私”を実感し,“私”として生きていくことを引き受けることでもあったように思われる。

新潮社版のあとがきにて,初版から四半世紀を過ぎてなお多くの人に愛読されるこの物語を,著者は「老若男女を問わず,この本を必要としてくれる人びとに辿り着き,人びとに寄り添い,力の及ぶ限り支え,励ましておいで」という言葉とともに送り出している。かつてこの物語に支えられ,今もなお励まされている一人として,私もまた自分にとっての「西へ」向かって,「魔女修行」を続けていけたら,と思う。

『西の魔女が死んだ―梨木香歩作品集』(梨木香歩著,新潮社)
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長谷川千紘(はせがわ・ちひろ)
京都文教大学臨床心理学部准教授
臨床心理士,公認心理師,博士(教育学)

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