こうしてシンリシになった(35)こんな人でもシンリシになった?|辻本 聡

辻本 聡(国際医療福祉大学成田病院)
シンリンラボ 第35号(2026年2月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.35 (2026, Feb.)

1.はじめに

「こうしてシンリシになった」というテーマは,シンリシに至るまでの個人史の一部を語りなさい,というものである。高名な先生方のお話ならともかく,私のような者のそんな話が一体誰の役に立つのかと本気で思うのだが,「こんな人でもシンリシになった」と読み換えてもらうことで,誰かの励みや安心につながることがあるとすれば,それも悪くないと考えて書く次第である。

2.卒業ギリギリな学生から……

おそらく多くのシンリシと同じく,「この道」を具体的に意識したのは志望校選択の時である。それまでに心理学という学問に漠然とした関心は持っていたが,「支援が必要な人のために心理士を目指す!」などという高い志があったわけではない。理系の能力に著しい欠陥があるため選択肢がそもそも狭いのに,どうしても文系学部にも関心が持てず,ただただ分厚いだけの受験案内を眺めていた時,「心理学科」という文字だけが大変面白そうに浮かび上がっていて,拾って見ているうち進路になっていった,というのが実感に近い。

果たして,大学入学後はあっさりとサークルやバイト優先の学生になり,いかにコスパよく(ギリギリまでさぼって)単位をとるかに主眼が置かれた。キャンパス入り口付近で,価値観を共有するコスパ仲間に会おうものなら,どちらからともなく「帰っちゃおうか?」という話になり,「お前と会ったばっかりにまたサボることになった!」と互いに責任を擦りつけ合いながら今来た道を帰る有り様であった。体育だけは一限目の割に無欠席だった一方,語学,統計,社会調査の授業は欠席常連,ゼミは気が向いたら顔を出す程度,卒論の中間発表も出ないなど,書き並べると恐ろしい限りである。今があるのは,非常に懐の深い先生方(甘えていた身分で,『甘い』とはとても言えない)のおかげに他ならず,大変ラッキーだっただけである。

3.やっと心理の学生らしくなり……

ただ,そんな私でも,サボることのない授業があった。たとえコスパ仲間にそそのかされても,である。授業名は忘れたが,非常勤講師の先生が担当されていた,事例を読んでは色々検討するような授業であった。実践家としての先生の話が毎回とても面白く,実際の臨床の空気を吸うような感覚で受講していたことを覚えている。学びたいと思っていた心理学はこういうものだったのだ,とはっきり認識し,大学院へ進むきっかけにもなった授業だった。

大学院進学後はさすがに心を入れ替え,真面目に授業を受け,実習に臨む日々であった。様々な先生から教えを受けたが,惹きつけられるのはやはり,「実際の臨床の場」が垣間見られる時で,講義の中で挙げられた実例,ケース会議で交わされるディスカッションなど,「学んでいることが実際どう使われているのか」を知ることで,何かが繋がり,学問として生き始めるような感覚を得ていたように思う。この頃ある先生から,「君は早く仕事がしたいんじゃないの?」と唐突に言われたことがあった。当時はその意が十分に分からなかったが,今になればどうして分からなかったのか分からないくらい,その通りなのであった。

4.現実に合わせる謙虚さを学んで……

ようやくひたむきに学問に向き合い始めたわけだが,それは同時にある一つの考え方に傾斜していく側面ももたらした。臨床のオリエンテーションや仕事内容など,「こういう現場で,○○派としてやっていく」といったような,理想像といえばそうだが,こだわりを持ちつつあったのである。これを打ち砕いたのが,就職という「現実」であった。

色々な巡り合わせで全く縁もゆかりもない遠くの土地で社会人一年目を迎えることになった私は,それこそ右も左も分からず,仲間や先生からも離れ,わずかな知識と経験だけを手に,「行って来い」と戦場に放り出されたような心境であった。さらに,職場は開業したての「心理一人職場」である上,上司の医者は学問的にある一つの考えにとらわれることを良しとせず,「新しい物好き」であり続けることを推奨する姿勢の持ち主だった。私が抱いていた,「こういう現場で,○○派で……」というコダワリは,早速刷新する必要に迫られたのである。

しかし私の事情には関係なく,日々,仕事はどんどん舞い込んでくる。困ることがあっても,心理士の同僚や先輩はいない。しかし心理士としての働きを求められる。基本的に一人で何とかするしかない状況で頼れたのは,本だけであった。心理検査や予診など,与えられる仕事については,どの本のどこにどんな内容が書いてあったか,そらで言うことができるほどに読み込んだ。検査であれ予診であれ,どうしてそのような判断になったのか分かるように説明しろと言われたら,根拠を携えた上で全て自分の責任において言えるようにならなければ,という思いで,知識を詰め込んでいたのである。しかし,これを繰り返したことと,その結果を照合する(クライエントのその後の経過を見る)機会があったことが最大の学習となり,アセスメント力の土台が作られたのであった。

一方,面接については,ウロウロしているような状態が続いていた。読書や学会で知った知識を「使って」みたりもしたが,単にまぐれ当たりでうまくいく時があるくらいであった。そもそも座学で面接がうまくなるはずもないのに,しっかりと学習する場に身を置いていないことの後ろめたさが強くなってきた頃,たまたまチラシを見て申し込んだのが,家族療法・システムズアプローチの研修会であった。

5.本当のプロを知る。

こうして参加することになった心理技術研究所での研修は,家族療法・システムズアプローチの学習はもとより,治療者としての思考や振る舞いの自覚化,支援という対人サービスの精神,それに相応しい応対を,ロールプレイを通して朝から晩まで徹底的に鍛えるものであった。それまでと全く異なる学習によって,脳が筋肉痛になったように感じるほど経験のない疲労を,毎回味わうのである。いくら実践形式の研修会を求めていたとはいえ,その徹底ぶりにくじけそうになることもあった。しかし,師匠である高橋規子の指導,臨床家としての姿勢に励まされ,引っ張られながら,通い続けた。

そうこうしていく内に自分のケースにおいても,クライエントや家族の何を見て,聞いて,何を考え,どのような振る舞いをするのかといったことが,少しずつ治療的な戦略に基づいて行えるようになっていた。また,「認識論的な土台」が作られていくことに並行し,師匠から「技法」を学ぶ機会にも恵まれ,これらがうまく組み合わさるようにもなった。いわばOSが安定して機能し,互換性の良いアプリがサクサク動き始めたような状態である。この頃から,家族のケースに変化が起きるようになったり,長年,複数の医療機関を転々としながらも良くならずに来たクライエントに改善がみられたりするようになった。

6.こうしてシンリシになった

この辺りをもって,「シンリシになった」と言って良いだろう。

臆面もなく書いたが,確かに「こんな人でもシンリシになった」だと思う。それでも決定的な離脱をせずに来たのは,一貫して,実践的な学問としての心理学に強い関心やこだわりを持っていたからであろう。お陰で,「自分が面白いと思うこと以外は学ばない」というワガママな学生ではあったが,実践の場に出てからは,一人であろうが必死にもがいて心理士としての仕事を仕立て上げ,実践の求道者のような師匠に出会えたからこそついていった。学生時代から抱き続けてきたものが,「シンリシ」としての私を形作ったし,それは今も変わっていない。

現在は公認心理師もできて,心理学を学ぶ環境はさらに包括的に整備されている。自分の「関心,コダワリ,好き」を見つけ出すには良い環境かもしれない。しかし,シンリシになるまでの道は,就職も含めてまだまだ決して恵まれた状況になく,不本意を感じているシンリシの卵もいることだろう。そんな方には,巡り合った状況が理想とするものではなくとも,そこで出来る100%を出すという経験を,一度はしてみることをお勧めする次第である。月並みな助言かもしれない。でも,それでこんな人がシンリシになったのだから,説得力はあるでしょう?

+ 記事

辻本 聡(つじもと・さとし)
国際医療福祉大学成田病院
資格:臨床心理士,公認心理師
主な著書:『家族・関係者支援の実践―システムズアプローチによるさまざまな現場の実践ポイント』(分担執筆,ナカニシヤ出版,2022)
趣味:ランニング,お笑いライブ,食べ歩き

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事