松木 繁(鹿児島大学名誉教授,松木心理学研究所 こころの相談室り・らあく)
シンリンラボ 第28号(2025年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.28 (2025, Jul.)
1.心理療法との最初の出会い──催眠との出会い
私が臨床心理に興味を持つきっかけになったのは皆さんとは大分違います。最初から心理学を勉強したいと思ったからではなく,全くもって変なきっかけでした。
それは,高校生の頃,クラブ活動で怪我をして保健室で手当てをしてもらっていた時に,たまたま不登校気味の友人が,「潰瘍性大腸炎という難病を患っていたが催眠術で治してもらった」,「どこの病院でも下血が止まらなかったのが,催眠術で出血が止まった」と言うので,「それはおかしい。催眠術などと言う怪しい術で治るはずがない。お前は騙されている。俺がその怪しい催眠術師に会ってまやかしを正してやる」と言って,正義心いっぱいでオートバイに乗って文句を言いに行ったのが最初でした。その当時,私はマジックショーでやっていた催眠術しか見たことが無かったので「催眠術は手品のようなもので,まやかしで人を操作するもの」と思っていたのです。実は,その時の催眠術師?が私を最初にシンリシへ導いてくれた恩師です。
変な奴が来たというので,先生はびっくりしたようですが,それでも近い内に催眠の勉強会があるので来るように言われて,同時に,これを読むと面白いよと言われて『心で起こる体の病―その実態となおし方』(池見,1960)を勧められました。
『心で起こる体の病―その実態となおし方』の本との出会い
そこには,ストレスによって発症する病気が紹介されていて,科学的な実証実験でストレスが体に与える影響を示していたものだったのです。さらに,催眠療法によってそれらの症状が良くなっていく過程が示されていたのです。これには驚きました。
心身相関についてはこの時初めて知り,どうしてそんなことが起こるのだろう,人の身体は不思議だなと思いました。また,それを機に高校生ながら,催眠の勉強会に参加させてもらって見学する機会を持ち,催眠による暗示効果を目の当たりにして,人の行動の不思議さにさらに興味が湧き,結果的に進路変更して,臨床心理学の世界に飛び込んだのです。
2.後催眠暗示での被験者の反応の不思議
高校生ながら催眠の勉強会に参加させてもらった時に先生が医学生に実施した催眠の実習デモで私は初めて催眠誘導の実際を見学しました。デモ自体はリラクゼーション法を使って自律神経系の調整をはかるための技法だったのですが,たまたま,その際に「後催眠暗示」による暗示効果の実験も見せてもらいました。
後催眠暗示に対する反応の実験ですので,先生は被験者に,「催眠から覚めた後に私が指を鳴らして合図をするとあなたは自分の手を頭に持っていきます」といった内容の後催眠暗示をされました。リラクゼーション目的の催眠から覚めてすぐはその被験者もリラクゼーション効果を実感して,「とても気持ち良かったです」とだけ言って喜んでいたのですが,後催眠健忘によって実験暗示の内容は忘れていたにもかかわらず,5分くらい経って先生が指を鳴らして合図すると,彼の手は何の疑いもなく頭に行きました。その理由を訊かれると「頭が痒かったから」と答えました。その後,10分後くらいに,また,先生が合図をすると,彼の手はまたも頭に吸い付けられるように行きました。その時の彼の返事は,「最近,生活が乱れていて頭も洗ってないからかなあ」と理由が異なっていました。本人は後催眠暗示によって動かされたことに気付いていなかったのです。その実験を見てさらに私は人の行動の不思議さに驚かされました。
3.心身の反応の不思議さと知的好奇心
シンリシになって臨床現場に入ってからは,催眠のもたらす特異的な現象には驚かされることばかりでした。そこで生じる人の心身の反応の不思議さへの気付きとそれに対する知的好奇心が私をさらに臨床心理学の道へと誘ってくれました。詳しくは拙著(2017)を読んで下さい。
ここで大事だったのは人に対する興味(好奇心)をしっかり持っていたことです。さらに,日常では考えられない催眠現象が起きたことに対する素朴な疑問を持ったことでした。それらの現象を解明していく作業が,人の心の不思議に出会うことにつながりシンリシの仕事をさらに充実したものにしてくれました。
催眠をやり始めた最初は,このような現象は催眠の不思議な魔力?によって起こるのかと思っていたのですが,実はそうではなくて,そうした力は他者によって生じるのではなく,実はもともと,どの人にも潜在的に備わっている能力であり,催眠はそれを引き出すための技術にしかすぎないということに気付いたのです。実際の臨床で私が学んだことは,人の「主体的」な力の偉大さです。そうした催眠療法の事実に基づいて,私は催眠トランス空間論(松木メソッド)を提唱して,これまで言われ続けていた催眠療法の考え方を大きく変えていきました。
4.道行きをともにする
私の臨床を支えるもう一つの臨床観が,「道行きをともにする」という故河合隼雄先生の教えです。「何もしないことに全力を注ぐのがカウンセラーの仕事」だと教えられました。
日本で初めて実践研究が開始されたスクールカウンセラー事業の研究調査報告の際に,不登校数を減少させたことを自慢げに私が報告した時,「スクールカウンセラーが活躍して不登校数が減少した学校というのはあまりいい学校ではないね」と言われて私は驚いたのですが,その際に説明されたのが「道行きをともにする」と言う言葉でした。催眠療法においてもクライエントの「主体的」な努力に気付き始めた時でしたので,この言葉は私の胸の奥にまで響きました。
カウンセラーの仕事は,「何もしないことに全力を注ぐこと」……わかったようなわからないような言葉ですが,シンリシの仕事の本質を突いた言葉です。シンリシは臨床心理学の専門的な知識を有していますが,クライエントよりも優位な立場から「解決してあげる」仕事ではないのです。この姿勢はとても大事な姿勢です。シンリシの最も重要な態度である「共感」という言葉も同じ姿勢から出てくるシンリシの態度を表したものです。
5.臨床心理学のいろいろな学派の考え方を学び,それを活かすこと
臨床心理学は歴史的にはその立ち位置によって,精神分析学,ユング派心理学,人間性心理学,認知行動療法,等々,さまざまな心理学理論やその理論に根差した臨床技法を持っています。しかしながら,実際の心理臨床で大切なことは,その理論や理論に沿った心理臨床技法を使うのでなく,クライエントの側の立場に立って,その苦慮感に寄り添い彼らの主体的な努力を支えていくことなのです。
文 献
- 池見酉次郎(1960)心で起こる体の病―その実態となおし方.慶應義塾大学出版会.
- 松木繁(2017)催眠トランス空間論と心理療法―セラピストの職人技を学ぶ.遠見書房.
松木 繁(まつき・しげる)
鹿児島大学名誉教授/松木心理学研究所 こころの相談室り・らあく,日本臨床催眠学会理事長
資格:公認心理師,臨床心理士,日本臨床催眠学会認定臨床催眠指導者資格,日本催眠医学心理学会認定指導催眠士
主な著書:『無意識に届くコミュニケーション・ツールを使う―催眠とイメージの心理臨床』(単著,遠見書房,2018)『催眠トランス空間論と心理療法─セラピストの職人技を学ぶ』(編著,遠見書房,2017),『催眠心理面接法』(共編著,金剛出版,2021),『教師とスクールカウンセラーでつくるストレスマネジメント教育』(共編著,あいり出版,2004),『親子で楽しむストレスマネジメント─子育て支援の新しい工夫』(編著,あいり出版,2008)など




