【特集 時代・風土・心理:臨床に生きる描画法:バウムテストを巡って】#01 治療的媒体としてのバウムテスト|岸本寛史

岸本寛史(静岡県立総合病院)
シンリンラボ 第30号(2025年9月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.30 (2025, Sep.)

1.はじめに

バウムテスト(以下,「バウム」と略称する)を心理テストとしてではなく,治療的媒体として用いるというアイディアは,恩師の山中康裕先生(京都大学名誉教授)から,見よう見まねで習得したものである。私なりにバウムテストの治療促進的要因をまとめてみると,次の5点が思い浮かぶ。①(言葉のやり取りから見えてくる姿とは別の)もう一つの姿を見せてくれること,②語りを促すこと,③投影の留め金を提供すること,④鏡として働くこと,⑤自分で収めること(岸本,2015)。これらはいずれも,私自身の臨床実践の中から,バウムが有効であったと思われるポイントを抽出して名前をつけてみたものである。

しかし,これを読み,たとえば,このクライエントには自分の姿を見てもらうことが必要だ,そのためにバウムを鏡として用いてみよう,と思ってバウムを行っても,おそらくうまくいかない。これは,バウムが目的を達成するための道具ではないという点にその理由があると思う。たとえば,ハサミは切るための道具であり,正しく使えば切るという目的を達成することができる。しかし,バウムはこのような意味で,治療的な効果を達成するための道具ではない。まして,クライエントを操作するための手段でもない。

2.バウムが治療関係に与える影響

バウムを描いてもらう時に,治療者とクライエントでどのようなことが生じるだろうか。クライエントの側に,つまり,実のなる木を描くようにと言われる側に,身を置いてみていただきたい。木の絵を描くように言われたら,これで何がわかるのだろうか,こちらの心を読み透かされるのではないか,と疑心暗鬼になってもおかしくない。そして,その時のセラピストの態度によって,信頼関係にひびが入ることも十分起こり得る。バウムや風景構成法は治療関係が醸成されてから行うのがよいと言われる背景には,このような事情があるだろう。

とはいえ,バウムを描いてもらうことで治療関係が深まるということもしばしば生じる。筆者は心療内科の外来を4年半ほど担当していたことがあるが,自分の意思でというよりも,周囲に促されて不承不承受診する患者も少なくなかった。そのような患者とは,話を聞くだけでは,関係がつながったという感じが持てないこともよくあるが,バウムを描いてもらっている間に,どこか通じたという感触が持てることが少なからずあり,そういう時はたいてい,続けて受診すると言われた。

このように,バウムを用いることで,関係がつながることも切れてしまうこともある。その違いがどこにあるかと考えたとき,先の,バウムは道具とは異なるという点が想起される。河合隼雄(1993)が紹介している,次の例がその要点を浮かび上がらせてくれる。不登校の子どもの父親が,「先生,これだけ科学が発達して,ボタンひとつ押せばロケットが月に行っているでしょう。うちの息子を学校へ行かすボタンはどこにあるんですか」と言ったという。バウムを治療的媒体として用いるとしても,このようなボタンの一つだと誤解してしまうと,うまくいかない。河合は「父親は現象の外におって,ボタンを押して子どもを行かせたい。しかしこれはできないんです。なぜかというと,子どもは生きていますから」と述べている。バウムにも同じことが言えると思う。

ところで,クライエントの中には,操作の対象になることを厭わない方もいる。そのようなクライエントが,バウムを,まるで謎を解き明かしてくれる魔法のようなものとして体験することも,一概によいとは言えない。セラピストに対する信頼は絶大なものとなり得るのだからよいではないか,という意見もあるかもしれない。たとえば,枝ぶりが手の甲の静脈のように見えたことから仕事上の困難を読み解いた(クライエントは演奏家であった),というような例が紹介されているのを読んだことがある。このような場合,たしかに,セラピストに対する信頼感は増すかもしれない。しかし,セラピストが救世主のように思え,セラピストに対する依存が増してしまうと,治療的には逆効果となる。クライエントが自分で問題を引き受けて取り組むのではなく,問題をセラピストに丸投げして,助けてもらおうとの気持ちを強めるからである。だから,私は,バウムを描いてもらってつながるとしても,このようなつながり方はしないように意識してきた。バウムテストの見事な解釈は,セラピストの万能感を刺激してしまう部分があるので,注意が必要である。

3.表現の方法

それでは,バウムをどのように用いればよいだろうか。心理療法にかぎらず,人と人とのコミュニケーションは,言葉を通して行われることが多い。言葉がなければ人間の社会が成り立たないことはいうまでもない。心理療法も,言葉抜きではなにもできない。クライエントが,何らかの悩みを抱えて心理療法家のもとを訪れる時,悩んでいること,困っていることなどを言葉を通して伝え,出口を探そうとする。

とはいえ,自分の気持ちをうまく言葉で言い表せないと感じたり,そもそも,どういうふうに言葉にしたらよいか,わからなくなることもしばしばあるだろう。そのようなとき,描画という表現手段を示唆されたらどうだろう。言葉で表現するなら,「辛い」というありきたりの言葉しか思い浮かばない状況で,「実のなる木を描いて欲しいのですが」と頼まれた時に,たとえば今にも倒れそうな木が思い浮かび,それを描いて表現することができれば,セラピストに伝わるものも随分と違ってくるだろう。そして,このような,言葉のやり取りからだけでは見えないような側面が視覚的に伝わってくると,その後の治療関係も変わってくる。

このように,絵を描かせて相手の心情を探るというのではなく,クライエントが自分自身のことを表現する方法の一つとして,こういう方法もありますよ,よければ描いてみませんか,というスタンスで提示することができれば,侵襲的にならずに導入できる。このようなスタンスで導入して,バウムが治療の助けとなったケースを事後的に振り返って検討したときに抽出されたのが,先の5つの治療促進的要因である。つまり,事前に,これこれの効果を期待してバウムを利用するというのではなく,あくまで,クライエントが自分のことを表現する一つの手段と位置づけ,バウムを通して表現する自由も,しない自由も保証しながら仄めかしてみる。そんなふうに,バウムをコミュニケーションの媒体,もう一つのチャンネルと位置づけて用いることができれば,バウムが治療的な力を発揮する道が開けると思う。

4.心理療法の基盤としての共感

心理療法の基盤を形成する上で,共感が重要であることは言うまでもない。共感の治療的な意義に関しては,批判的な立場も含めた検討がなされている(たとえば,北村(2021))が,共感抜きに心理療法が成立するとは思えない。そして,バウムには共感の次元を変える力があると思う。具体例を挙げてみたい。私は緩和ケアチームの医師として診療に携わっているので,がん医療の領域からの例になる(岸本,2022)。

5.急性白血病の事例から

1)初回入院時

患者は50代女性で,急性骨髄性白血病の治療を受けていた。抗がん剤治療だけでは治癒を目指すのが難しいということで,骨髄移植を目的として,当時私が勤務していた病院に紹介された。当院転院後,化学療法を1コース追加した後で骨髄移植を行うことになった。ただ,移植をしても再発のリスクが高いということで,当院に紹介されてきた時点で,主治医から,「精神的なサポートをお願いしたい,予後が厳しいので早めに入っておいてほしい」と緩和チームに依頼がなされた。

当院での初回化学療法のときは,まず,仕事のことを話された。契約社員だが食品の成分分析の仕事に15年以上携わり,仕事もおもしろくなってきたときだったので,(病気になって)ちょっと残念な気持ちだと。ちなみにご主人は食品開発の方の仕事で,海外出張も多いとのことだった。退院前には「家にブドウとか植えていて,シャインマスカットが5つなったけど,2つはカラスに食べられた。今年はあきらめて,来年の楽しみにします」と,いい表情で話されていた。翌日,退院された。

2)骨髄移植目的の入院

その約2週間後に骨髄移植を目的として入院された。ところが,入院直後の検査で,白血病細胞が増加傾向にあることがわかり,ご本人にも説明がなされた。翌朝の回診では「昨日は(白血病細胞が増えていると聞いて)ショックでした。主治医の先生にもポジティブに,と言っていただきましたし,(移植は)やるしかないかな,と思います。移植が始まってしまえば,そっちに気持ちが向かうからいいけど,それまでがね。なんか先生にも辛い気持ちも話せなくなりそうな,本心を言えなくなりそうな感じもあるけど……。まだ今は言えてますけどね」と落ち込まれていた。午後に訪室した時には「昨日はマルク(骨髄検査)の結果が悪かったから,もうこの部屋から出ちゃダメってなって。満月もテレビで見な,って言われて。テレビで見たけど。遠いね」と話された。

先に私に対して「本心を言えなくなりそうな感じもある」と言われて私自身が少し動揺したことも影響したと思われるが,私はバウムを描いてもらいたいという気持ちになり,「ちょっとお願いがあるのですが。実のなる木を描いてもらえませんか」と頼んでみた。

3)バウムのイメージ

すると,A4の用紙の右上4分の1のスペースの上半分の中央に,樹冠,幹,地面線の順で小さな木を描かれた。幹の上に樹冠が被せられたシンプルな形態の木だった。そして,左下4分の1の下半分の中央あたりに,小さい黒い点を描き込んで,こう言われた。「イメージする木はこんな木。こんな木しかかけない。下手だから。遠くにある。それで私がこの隅っこの小さいの。ゴマ粒みたいなの。この木まで遠い」と。最後に描き込まれた黒い点はご自身を示していたのだ。そして「満月も書いておこう。この間に三途の川があったりして」と言いながら,木の左上方に満月を描かれた。これほどまでに遠いとは,そしてその間に三途の川があるかもしれないような彼方に立っている木だとは,思いもよらなかった。

翌朝は「おはようございます。今日は大丈夫。気持ちの方も。夜も眠れました。今日は管を入れるから先にシャワーを浴びてこようって思って」と笑顔で話され,いつもの様子に戻っていた。骨髄移植の経過も順調で約2カ月後に退院された。さらにその2カ月後に残念ながら再発をして亡くなられたのだが,その経過については別の機会に譲る。ここでは骨髄移植直前の再発が判明した危機的な状況にもかかわらず,バウムを描いてもらった翌日にはいつもの様子に戻り,その後,退院されるまで,精神面では安定した状態で過ごすことができた要因の一つとして,バウムを通した共感に注目してみたい。

6.共感の次元

骨髄移植の直前に再発が判明し,それを告げられて落ち込んでいる状況で,その心の状態を察しようとおもっても,なかなか想像しづらい。「ショックでした」と言われた時に,どんなふうにショックでしたかと語ってもらうことも可能ではあるが,落ち込みが強い状況でこのように尋ねることさえ侵襲になるのではないかと感じられることもよくあり,聞きづらい。仮に聞いたとしても,聞かれた側も言葉に詰まってしまうということにもなりかねない。

このような状況で,「実のなる木の絵を描いてほしい」と言われたら,目の前の問題から少し別の課題に意識を向けることができ,しかも,木の形態が人間の立ち姿と類似していることから,知らないうちにそこに自分の姿も重ねられるので,程よい距離感でテーマと取り組むことが可能である。「ほどよい」というのは,白血病の再発という直視し難い現実とは全く異なりながら,自分自身の姿とは全く無縁でもない,という意味である。そして,遠くにある木とゴマ粒のような自分という形で,彼女が感じている「ショック」が表現された。さらには,間に三途の川があるような「遠さ」であることが語られた。バウムを見せてもらい,それに触発された語りを聞かせてもらうことで生じる共感は,ただ「ショックです」と言って落ち込んでおられる様子を見るだけの場合とは異なる次元で共感が生じるのではないだろうか。そのために大切なことは,バウムを解釈することではなく,あるいはその前に,バウムのイメージをこちらもしっかりと懐で温めていくという姿勢を持つことだと思う。

事例の説明において,バウムが導入される前後のやりとりを詳しく記したのは,バウムを活かす上では,その文脈とプロセスが大切だと考えているからである。ただバウムだけを持ってこられて,この絵はどう解釈すればいいですか,と尋ねられることがあるが,どのような状況で,どのように提案がなされ,どのように描かれたのかということがわからないと,描かれた絵を理解することはできない。バウムはレントゲン写真のようには読み解くことができないと思う。

文  献
  • 河合隼雄(1993)物語と人間の科学.岩波書店.
  • 岸本寛史(2015)バウムテスト入門.誠信書房.
  • 岸本寛史(2022)がん患者の異界.精神療法,48 (1); 48-51.
  • 北村隆人(2021)共感と精神分析.みすず書房.
+ 記事

岸本寛史(きしもと・のりふみ)
静岡県立総合病院
資格:医師
主な著書:『迷走する緩和ケア』『せん妄の緩和ケア』『がんと心理療法のこころみ』(以上,誠信書房),『緩和ケアという物語』(創元社),共著『いたみを抱えた人の話を聞く』(創元社),『がんと嘘と秘密』(遠見書房)

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