私の本棚(29)『童夢』(大友克洋著,双葉社)|妙木浩之

妙木浩之(東京国際大学)
シンリンラボ 第29号(2025年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.29 (2025, Aug.)

理論の本には,人を考えさせたり,社会を変えたりする力はあるかもしれないが,一度読んで考え方や見方がわかってしまえば,そんなにいつも手元に置いておきたいものではない。ものとしての本,自分の信念となって肌身離さず持っている本は,と自問すると,はたと困ってしまう。最近,私は「自炊」をするようになって,ほとんどの本(3万冊ぐらい)をハンディのハードディスクとネットの本棚に置いているので,ものとして手元にはない。まあ手元に置いておきたいと思っていないのだろう。だから座右とは言わない。もちろんフロイト全集,選集は一通り頭の中に入っているから,物として持っておく必要はないし,ウィニコットの本もほぼそういう距離感になっている。書いてあることを確認するにはPDFやPPTを検索すれば,ほぼヒットして,確認は終了。現代の研究者のほとんどがPDFの検索で済んでいると思う。だからあえてものとしての本で手元に置いておきたい本というと,数冊しかない。その一冊は漫画で,大友克洋の『童夢』(双葉社)である。

この本は,今でもときどき開いて,出会ったときのインパクトを再体験する。そんな体験を何度も読み直して発見できる本だと思う。大友氏には,その後『AKIRA』という大作があるが,それも素晴らしいものだが,心理臨床家のための記事だと思うので,今回は童夢のインパクトを考えてみたいと思う。

物語は,超能力を使って連続殺人を犯す老人チョウさんと超能力をもつ小さい少女悦ちゃんの対決が物語で,舞台は団地(高島平を連想する)。周囲にいる人はこの二人に操られたり(チョウさんはこころを操ったりする),巻き込まれたりして,この二人は,対峙することになる。実際,周辺の子どもたちが悦ちゃんにどれだけ協力しているかはわかりにくいが,対決は二度あり,二度の対決の結果は,実際に最後のすごいやりとりを見てください。その対決の結果を知っていても知らなくても,この漫画は,その場面だけでも見る価値があります。

この漫画の画像のインパクトは,描画のパース,つまり三次元として描かれた世界のなかに存在している構成的な空間と投影的な空間の描写,さらには白い空間と枠,そして描かれた枠の外に存在している消失点で描いているところだろう。超能力という心理的な力は,枠とその内容から,私たち読者に見えるようになっている。つまり描かれていないのだ。

おそらく私がこの漫画と出会った時代は,出版された当時1983年あたりだが,描画療法の世界で大きなインパクトがあった時代だったと思う。私たちは描画療法の世界で中井久夫という人物が統合失調症の心的世界を,構成空間と投影空間から描いて見せるという,読解と出会った。統合失調症の描画を,中井氏は,風景構成法と相互スクイグル法の二つを使って,プロセスとして描くということを見せてくれた。以後私たちの描画全体に対する見え方は大きく変わったが,構成と投影という二つの世界,パース的な読み方と充満的な読み方の組み合わせが,絵全体の枠を超えて読み方を変えていくのだという体験を,心的世界とパラレルに読む,ということが可能になったと思う。

そんな読み方をつかうと,『童夢』における,描画が枠の中で,構成された空白とともに間の力が,その消失点を枠の外に置いたり,内側に置いたり,あるいは逆転させたりする,そしてだからこそ,画像だけを見ているわけではなく,枠とその外,枠とその中,物体や人物とその間を見ているのだ,と気づかされる本なのだ。つまり超能力という見えない力をものともの,人と人との間の白い空間から描いたりする。描画療法学会における中井久夫氏の描画も,私たちにとっては一種のマジックだったが,大友氏は,これを意識的にやっているということなのだ。そんな描画の読み方と『童夢』の画像と重ね合わせていたのは,私だけなのだろうか。構成空間と投影空間の物語は,フランス思想とかみ合わせて,スキゾとパラノのお話と連動している。だから浅田彰ファンだとまあ連動させているかもしれない。その意味で中井氏の『分裂病と人類』(東京大学出版)で描かれたように,この空間認識の理論が,統合失調症遺伝子と躁うつ病遺伝子の,さらには文化史のなかでの狩猟採集民と農耕牧畜民との間の認知的な特徴を,連動して理解した人は多かったのではないだろうか。その意味で中井氏の議論は,私たちの文化的な視点を豊かにしてくれた。感謝は絶えない。

だが理論としての面白さは,ものとしての本をいつも見開くという習慣にはなかなかならないらしい。中井氏の描画つきの雑誌のコピーは,今でも後生大事にもっているが,中井久夫著作集のように描画なしのヴァージョンはとっととPDFにしてしまったのだ。だからいつも身近に置いておきたいのは,『童夢』ということになる。実際に手に取ってみてもらえば,描画の枠との関係性も含めて,投影が枠をはみ出すことの意味や,内容物が描かれることよりも,むしろ描かれないことの意味を理解できるようにしてくれたのだ。漫画の世界でそれを見せてくれたのは,大友克洋という天才的な作家によってだったと思う。

最近私たちは,精神分析家マリオン・ミルナーの枠の理論やウィニコットの移行空間理論のおかげで,間の空間という,移行対象をその間に読むという考え方を追加したので,間の空間が可能にする描画の読み方をより深く見えるようになっている。その意味でも,この大友氏の作品の,単純だけど,素晴らしい間の描き方に,ときどき見開いては,ためいきをつき,描画のインパクトを,枠と空白,消失点と構成の逆転から,読んでみたり,内容物が空白に充填される,ものともの,人と人との関係について考えたりするのだ。

(ネタバレが嫌なら,この先は読まないでほしいですが)一度目の戦いで団地をめちゃめちゃにした二人の戦闘の後,とある日,公園のベンチで休むチョウさんが,先のブランコで悦ちゃんを発見する有名な開き頁の場面がある。そこで描かれた詳細な映像は,何度見ても,この物語の頂点。そしてその後,間に飛び交う超能力の空間が,描かれないからこそ力をもつ,空間の間に白い間が埋め込まれていることで,最後の勝敗を決する場面まで,ただただ,その描写力に感嘆するしかない。描画療法は,今,この世界を読み込みつつあるのだろう。理論として事後的に。

『童夢』(大友克洋著,双葉社)
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妙木 浩之(みょうき・ひろゆき)
東京国際大学人間社会学部教授
精神分析家(日本精神分析協会訓練分析家),臨床心理士,公認心理師
『AIが私たちに嘘をうそをつく日』『寄る辺なき自我の時代:フロイト『精神分析入門講義』を読み直す』(現代書館)『初回面接入門』(岩崎学術出版)ほか多数。

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