【特集 認知行動療法に力を宿すには!?】#02 エクスポージャー法──臨床編:エクスポージャー法に力を宿すには|竹田伸也

竹田伸也(鳥取大学)
シンリンラボ 第31号(2025年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.31 (2025, Oct.)

1.途中でドロップアウトを防ぐ

エクスポージャー法。過剰な不安や恐怖によって,本来避けなくてもよい場面を避けてしまった結果生活に支障が生じた際,力になる心理療法。

前回は,そのエクスポージャー法を,クライエントに応じてどのように進めるか,基本的な話を伝えた。今回は,エクスポージャーを成功に導くための話を届けたい。

エクスポージャーを成功に導くうえで,前回紹介した不安の経時的変化を示した図は多くの示唆を与えてくれる。なので,この図を通して細やかな工夫や注目すべきポイントについて説明したい。

図1 不安の経時的変化

まず,前回のおさらいから始めよう。

クライエントの動機づけを高めるために,心理教育が行われた。ここでは,「苦手場面を避けてしまうことが苦手意識を強める」ことと,「苦手場面にチャレンジしても,恐れていたことは起こらず不安は少しずつ下がる」ことを伝えるのが必須だった。そのうえで,クライエントは曝露課題に挑戦することになる。

つまり,エクスポージャーでは,「恐れていたことが起こらなかった」という経験とともに不安が下がるまでその場に踏みとどまることが重要なのだ。そのうえで,図1をみてほしい。

過剰な不安や恐怖により特定の場面を避け続ける。このとき,過剰な不安や恐怖を維持していたのが,その避け続ける「回避行動」である。だとすれば,エクスポージャーのプロセスで回避行動は避けたい。ところが,エクスポージャー実施中に,回避行動をとりやすい,つまり「もう無理」とその場を離れてしまう局面が三つある。それがどこだか,図から想像してみてほしい。

一つは,エクスポージャーを始めてから急激に不安が高まるときだ。二つ目は,その不安がピークに達したとき。三つ目は,不安が徐々に下がっている間に,わずかに生じる不安の高まりだ。これは,予期不安や不安反応などに注目すると,思い出したかのようにわずかに不安が盛り上がる現象である。三つ目の対処は,比較的容易である。

「図を見ていただくと,不安が下がり始めたとき,思い出したかのように不安が少し上がることがあります。でも,そこでチャレンジをやめてしまうのはもったいない。不安のピークと不安が下がり始めたときのわずかな不安の高まりとでは,どちらをしのぐのが大変でしょう」

「ピークです」

「ですよね。ピークをしのいでやっと不安が下がり始めたのに,そこでドロップアウトすると,ピークをしのいだご自分の努力は報われるでしょうか」

「報われませんね。たしかにそれはもったいない」

といったやりとりによって,防ぐことができる。

2.その行動,不安を維持してないか

ただ,この三つの場面で曲者になる新たな行動がある。それが「安全確保行動」だ。

安全確保行動とは,安心するために何かに頼る行動をいう。安全確保行動には,図2で示したようなものがあるが,こうした行動によって一時的に安心するものの,「これがないとダメだ」と思って手放せなくなり,ますます不安が維持することになる。それを示すいくつかの研究を紹介しよう。

図2 安全確保行動

パニック症のクライエントにエクスポージャーを行ったうち,安全確保行動をしない群とする群で比較したところ,安全確保行動をしない群では不安と破局的な信念が有意に改善した(Salkovskis et al., 1999)。同様の結果は,社交不安症のクライエントでも確認されている(Wells et al., 1995)。その理由として,社交場面であえて視線をそらすという安全確保行動をとることで,「言い間違いなどによって,屈辱を受けたり拒絶されたりといった破局的な事態を招く」のような不合理な考えを反証する機会が妨げられることが影響していると考えられている。

途中で回避せずにエクスポージャーを行ったにもかかわらず,不安や恐怖が十分に下がらない。こんなときは,そのプロセスのどこかで安全確保行動をとっていないかを検討したほうがよい。以前,私が経験した広場恐怖を伴うパニック症のケースで,こんなことがあった。その人は,外食することへの不安が強く,そうした機会を避けていた。何度か曝露課題にチャレンジしたものの,不安の下がり方がいまいち芳しくない。そこで,曝露中の行動を詳細に尋ねてみたところ,不安が強まったときにトイレに駆け込んでいたことがわかった。これが安全確保行動となり,不安症状の改善を阻んでいたのである。

とはいえ,これまで避けることで何とか不安や恐怖をしのいできたクライエントにとって,ピークアウトするまでの不安は耐えがたく感じられるかもしれない。そこで,その状況を一時的に乗り切るためにリラクセイションを用いることがある。エクスポージャーは,「何もしなくても,恐れていたことは起こらないと身をもって納得する」ことが治療機序である。なので,エクスポージャー原理主義の立場に立つと,「リラクセイションの利用はダメ!」となる。

しかし,ピークアウトするまでの不安を我慢できずその場から退却してしまうよりは,リラクセイションをしてその場に踏みとどまるほうが,回復に向けてはるかに好都合である。

ここで,クライエントが用いたくなるのが,「不安を静める頓服薬(抗不安薬)」だ。私は,こうした場面における頓服薬の使用はよくないと思っている。なぜなら,不安が下がった理由を「外的要因」に帰属させてしまうからだ。つまり,「頓服薬がなければ,自分はあの恐ろしい場面に挑戦するのは無理だ」という信念を強めてしまうのである。これでは,いつまで経っても過剰な不安や恐怖を感じる場面に慣れることは叶わない。私は,そのことをクライエントに伝え,可能であれば頓服薬を処分してもらっている。背水の陣を敷くのだ。これがうまくいけば,エクスポージャーに向かうクライエントの動機づけをさらに高めることができる。

では,リラクセイションはなぜ行ってもよいか。それは,リラクセイションが自己完結型の対処行動だからである。自己完結型とは,自分自身によって安心を得られるという意味である。そうすると,不安が強い状況を一時的に乗り切れたことが「内的要因」に帰属される。

そう。「自分には,不安をコントロールする力が少しでもある」と思えるのだ。不安に対する統制感(controllability)を高めることは,エクスポージャーの継続を確実に後押ししてくれる。

ちなみに,図2で示した安全確保行動のうち,「視線をそらす」は自分で行えるので自己完結型の対処行動ではないかと思った人もいるかもしれない。考えてほしい。視線をそらすのはなぜかを。そうすることによって,視界から人がいなくなるのでホッとするのだ。これは,自分の中だけで完結しないので,やはりうまくしのげたことを「外的要因」に帰属させてしまうことになる。

3.エクスポージャーと相性のよいリラクセイション

エクスポージャー中のおすすめのリラクセイションは,二つある。

一つは,「呼吸法」(図3)。不安や恐怖を感じると,交感神経系が活発になる。そうすると,過呼吸に陥りやすい。これが,震えや動悸,発汗などのトリガーとなる。なので,エクスポージャー中に陥りやすい過呼吸を呼吸法で落ち着けることができれば,不安反応をひどくせずにすむといった利点もある。

図3 呼吸法の進め方

ただし,呼吸法にあてる時間は大事だ。通常,過呼吸が落ち着くまでには,四,五分程度呼吸法を続けなければならない。ここをしっかりと伝え損ね,「呼吸法をしたら,何とかしのげますよ」と支援者から聞かされたものの,一,二分試したところで少しも楽になる兆しはない。支援者から「これをすれば大丈夫」と太鼓判を押されたのに,それをしてみても支援者の言う通りにならなかった。クライエントの立場に立つと,これほど怖く絶望的な体験はない。

「支援者が大丈夫って言ってくれたからやったのに,全然大丈夫じゃなかった。ということは,支援者がしつこいほど繰り返し言っていた『避けずにいても,恐れていたことは起こらない』というのも怪しいのでは」となる。そうなったら最後。エクスポージャーに向かう気持ちは萎えてしまうから気をつけなければならない。

二つ目のおすすめは,臨床動作法のリラクセイション課題のうち,「肩上げ」(図4)と「肩開き」(図5)だ。不安や恐怖によって交感神経系が活発になると,筋緊張が起こる。なかでも,肩回りの緊張が強くなる。日本語には,「肩を怒らす」や「肩の荷を下ろす」といった感情表現がある。これは,私たちの先達が,「人は,緊張すると肩に力が入りやすいものだ」ということに,経験的に気づいていたからの言葉だ。肩回りの緊張を緩めるのに,この二つの課題は打ってつけである。

動作法のよいところは,課題を繰り返すことによって,自分の身体の感じをモニターできる自体感が育つことだ。そうすると,「あ,肩に力が入ってるな」とか「胸に力を入れ過ぎて喋ろうとしている」のように,自分にかけてしまった負荷に気づき,それを緩めることができるようになる。私は,動作法を学び始めて,自分が不必要に右肩に力を入れて食事をしていたことに気づいた。がっついていたのだ。肩の力を抜いて食事をすると,それまでよりもゆっくりと食事を楽しめるようになったのは言うまでもない。

自体感がはっきりするよう,肩上げや肩開きで肩に力を入れる際にはゆっくりと行うとよい。力がいっぱい入ったところですぐに脱力するのではなく,少しの間その緊張を味わってみる。そうすると,「力が入った感じ」と「緩んだ感じ」の違いに気づけよう。

図4 肩上げ課題の進め方

図5 肩開き課題の進め方

4.曝露にあてる十分な時間と不安の経時的モニタリング

図1から見えてくる「1回のエクスポージャーの終了のタイミング」。それは,不安がしっかりと下がるまで十分な時間をとることだ。

「不安や恐怖を感じる場面に直面すると,最初は不安が上がるものの,避けずにいると恐れていたことは起きず,不安は少しずつ下がる」と,身をもって納得することがエクスポージャーの効く理由だった。それなのに,不安が下がっていないところで課題を終えてしまうと,それはエクスポージャーをしたとはいえない。

そうならないために,不安の経時的モニタリングはおすすめだ。これは,折に触れてクライエントに「今のSUD(Subjective Unit of Distress;不安の強さを100点満点で表す)」を評価してもらう。そうすると,クライエントは心理教育で教わった不安の経時的変化を,自らの数値を通して理解できる。「恐れていたことは起こらず,不安は徐々に下がっている」との気づきは,その後のエクスポージャーの実践を勇気づける。

図5は,私が臨床で用いているシートである。毎回SUDの評価が難しければ,「開始直後」「30分後」「1時間後」「1時間半後」のように,主だった時間にモニタリングするよう,柔軟に利用してもよい。

シート上段の「チャレンジすること」には,曝露課題を書く。「チャレンジ中にしないこと」には,不安症などのエクスポージャーの場合であれば安全確保行動,強迫症の曝露反応妨害法として用いるのであれば,反応妨害する強迫行為を書けばよい。

シート下段のグラフボックスは,毎回のSUDの推移を折れ線グラフで表せるようにしている。このグラフを見ると,チャレンジを重ねることで不安の山が少しずつ低くなることが視覚的にわかる。そうしたことが,エクスポージャー実施に対するクライエントの動機づけをますます高めてくれるのだ。

ちなみに,曝露課題を日常生活で行うことを,認知行動療法ではホームワークという。ホームワークは,できるだけ頻繁に行えるよう,課題を選定するようにしたい。そうしなければ,不安を喚起する刺激に対して,「これは避けなければならないほど危険なものではない」という再学習を果たせないからである。

図6 エクスポージャーで用いるセルフモニタリングシート

5.認知に対する手当て

1)予期不安の「空振り」を味わう

エクスポージャーのプロセスで,向き合わなければならない認知がある。それは,予期不安だ。

エクスポージャーの対象となる人は,みな大なり小なり回避行動に頼って今日に至る。では,過剰な不安や恐怖を感じた際,その場を回避しなければどうなるとクライエントは考えているだろう。

意識を失う

発狂する

心臓発作などの重篤な状態に陥る

重大な事故を起こす

二度と人前に出られなくなる

こんなふうに,回避せずその場にとどまると,自分にとって破局的な事態を招くと彼らは考えている。こうした予期不安は,クライエントを回避行動にますますしがみつかせ,症状を長引かせる温床となる。

予期不安は,エクスポージャーのプロセスでしっかりと扱いたい。過剰な不安や恐怖を感じる状況に直面し,回避せずに踏みとどまることで,恐れていた破局的な事態を招いたかを,次回の面接で確認するのだ。ここでは,クライエントが抽象的に回答するような質問を,支援者が繰り出してはいけない。苦手場面に踏みとどまることによって,クライエントが懸念した大変な事態は起こったかを,その時々の出来事を具体的に語ってもらうことによって,じっくりと検証する。こうした対応を重ねることで,クライエントは「回避しなければ起きたに違いないと信じていたこと」を,過去の想い出に書き換えられるのである。

2)身体反応を「新たに」意味づける

もう1つ,身体反応にまつわる認知にも目配せしておきたい。例えば,不安症の人の中には,人前で喋ろうとしたり電車に乗ろうとしたりするとき,口の中がカラカラになったり冷や汗をかいたりすることに,強い恥じらいを感じる人が少なからずいる。

口の中がカラカラになるというのは,副交感神経が後ろに下がり,交感神経が前に出てきたときの反応だ。不安が高じたとき,交感神経が活発になる。このとき,消化器系のはたらきはいったんストップする。というのも,交感神経系は,頑張らなければならない状況で,身体がしっかり頑張れるよう体制を整えようとするからだ。消化器系が活発になり,唾液がたくさん出て「食べ物をゆっくり食べたい」モードになってしまっては,到底頑張れない。

また,交感神経が活発になると,呼吸が早くなり,血圧は上がり,筋肉は緊張する。いずれも,これから頑張ろうという体制を整えているわけである。とはいえ,それらの反応をそのままにしておけば,身体はどんどんヒートアップしてしまう。そうしたときに汗をかくのは,身体がヒートアップするのを防ぐという目的がある。ラジエーターの中には冷却水があり,車のエンジンが高温になりすぎて故障するのを防いでいる。過剰な不安や恐怖を感じると冷や汗が出るのは,ラジエーターの冷却水と同じはたらきがあり,そうやって身体を守ろうとしているのだ。

人前での発表や電車の乗車など過剰な不安や恐怖を感じる場面に直面したときに表れるそうした身体反応は,あなたの身体があなた自身を守ろうとちゃんとはたらいてくれている証である。だから,口の中がカラカラになったり冷や汗が出たりしたら,「そうやって私を守ろうとしてくれてありがとね」とねぎらいの言葉をかけてほしい。これらの身体反応に恥じらいを感じるクライエントに,私はこうした言葉を届ける。

3)「全か無か思考」をゆるめる

エクスポージャー法の適用となる不安症や強迫症のある人には,「全か無か思考」という考え方のクセがしばしばみられる。つまり,物事を白か黒かで考えやすくなるのだ。100点以外はすべて0点とみなしてしまいがちなので,おのずと完ぺき主義に陥りやすい。

実は,こうした考え方のクセが,過剰な強迫行為を生み出したり,不安をきっちり無くそうとして安全確保行動に走らせたりする。そして,治療が進展しているにもかかわらず,少しでもつまずくと,「自分は全然よくなっていない」と否定的に捉えてしまう。こうした認知的特徴は,症状からの回復を遅らせるのに十分な力をもつ。

そこで,クライエントに注目してもらいたいのが,図1の平常状態における不安である。図をよく見ると,平常だからといって不安がまったくないわけではない。

不安とは,私たちにとっていかなる機能を有するのか。もし,不安をまったく感じなかったとしたら,車の往来の激しい道路を,十分確認せず渡ってしまうかもしれない。お腹が空いたとき,道端に生えている怪しげなキノコを食べてしまうかもしれない。不安を感じるからこそ,左右を確認して道路を渡ろうとするし,どんなに空腹でも得体の知れないものをうかつに口の中に放り込まないのだ。

ここまでの話からみえてきたように,不安は私たちの生命やこころを守るうえで大切な感情である。だからこそ,不安をすべて取り除こうとするのは,自分を守る力を奪うことになるのでやってはならない。

私は,エクスポージャーの心理教育の中で,こうした話をクライエントに伝えて,全か無か思考を少しでも緩めるようにしている。

ただし,支援者がエクスポージャー達成の可否にとらわれ過ぎてはいけない。課題ができたかできなかったかという全か無か思考で,支援者がクライエントに向き合う。そのときすでに,支援者は「物事には正解がある。間違ってはいけない」という構えをクライエントに示していることになりはしないだろうか。こうした認知的構えが不安を作り出すことを考えると,支援者にはクライエントのどのような反応にも一定のものさしで評価しない鷹揚な態度が求められる。

6.おわりに──支援者への檄文

本稿の最後に,支援者のあなたに問いたい。エクスポージャー法は,確かに有効だ。しかし,これが効かなければ,クライエントは不幸ということになるのだろうか。症状さえなくなれば,クライエントは幸せなのだろうか。

エクスポージャーは,人々の過剰な不安や恐怖に対して向けられる治療法だ。しかしなぜ,クライエントは不安や恐怖に退却せざるを得なかったのか。不安は自らを守る機能を有すると述べた。では,不安や恐怖に退却した私たちの同胞は,何から自分を守っているのだろう。 

近頃,生産性や効率化,自己責任という言葉をよく耳にする。本来市場原理と相性のよいこれらの言葉を,社会のいたるところで見聞きするということは,それだけ市場原理的な価値観がビジネスの世界を超えて,私たちの体験の価値を計るものさしとして生活に浸透している証左であろう。

一方で,私たちの国の勢いは,急坂を転げ落ちるように低下している。社会的・経済的停滞が続き,人々を生産性で評価する風儀が広がると,弱者に対する社会的排除の論理が強まる。なぜなら,生産性を人におしあてると「その人は社会的・経済的に役に立つ存在か」という評価軸が浮上するからである。

しかし,ここで考えてほしい。弱者とは誰かを。

あなたに尋ねたい。

今が仮に健康だからといって,病気や障がいをこの先得ないと断言できるだろうか。

今の暮らしにわずかでも余裕があるからといって,生活困窮に陥らないと断言できるだろうか。

高齢になったとき,寝たきりや認知症にならないと断言できるだろうか。

子どものころに,誰の手も借りず誰の世話も受けず大人になっただろうか。

もちろん,どれもそうではない。病者,障がい者,生活困窮者,高齢者,子ども。いずれも弱者に与される人々である。

ここまでの話から,弱者が誰かもうおわかりいただけたと思う。かつての自分やいつか訪れる自分こそ,弱者の本体である。弱者とは,「時間軸の異なる自分」(竹田,2018)なのだ。

であるからこそ,弱者に厳しい社会は,私たち誰にとっても厳しい社会なのである。弱者を排除しようとする社会は,私たちすべてを排除の射程にとらえている。

クライエントが,不安や恐怖に退却せざるを得なかったのが,昨今の「生産性や効率で人々の価値を計ろうとする風儀」だったとしたら。エクスポージャーを用いて支援者が無邪気にクライエントを社会に引き戻そうとすることは,そうした社会の風儀を強化し,生きづらさをクライエントの自己責任に帰する行為となる。BemakとChung(2008)は,そうした支援者の在り様を「Nice Counselor Syndrome」と呼んだ。

生産性で人々を計り,社会的・経済的な停滞が続く余裕のない世界にあって,私たち支援者は問われている。「あなた方は,どちらに向いて仕事をしているのか。誰を守るために,その立場に立っているのか」と。

目の前のクライエントを,少しでも早く苦痛から解き放ちたい。思いやりの体現者としての支援者のそうした態度を,私は心から多としたい。しかし,支援を進める際に,コスパやタイパばかりに目を奪われてもならない。その時点で,人々を生産性で評価しようとする陥穽に陥っている。私たち支援者が守らなければならないのは,支援を必要とする弱者であり,そこに誰もがいたる可能性があるという意味で,人々の尊厳である。

文  献
  • Salkovskis, P.M., Clark, D.M., Hackmann, A., Wells, A., & Gelder, M.G.(1999)An experimental investigation of the role of safety-seeking behaviours in the maintenance of panic disorder with agoraphobia. Behaviour Research and Therapy, 37 (6); 559-574. 
  • Wells, A., Clark, D.M., Salkovskis, P., Ludgate, J., Hackmann, A., & Gelder, M.(1995)Social phobia: The role of in-situation safety behaviors in maintaining anxiety and negative beliefs. Behavior Therapy, 26 (1); 153-161.
  • 竹田伸也編著(2018)対人援助の作法―誰かの力になりたいあなたに必要なコミュニケーションスキル.中央法規出版.
  • Bemak, F., & Chung, R. C.(2008)New professional roles and advocacy strategies for school counselors: A multicultural/social justice perspective to move beyond nice counselor syndrome. Journal of Counseling & Development, 86 (3); 372-381.
+ 記事

竹田伸也(たけだ・しんや)
・所属:鳥取大学大学院医学系研究科臨床心理学講座
・資格:公認心理師・臨床心理士・上級専門心理士
・著書:『一人で学べる認知療法・マインドフルネス・潜在的価値抽出法ワークブック』(遠見書房,2021),『対人援助職に効く人と折り合う流儀』(中央法規出版,2023)など

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