竹田伸也(鳥取大学)
シンリンラボ 第27号(2025年6月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.27 (2025, Jun.)
1.幽霊が出ると噂のトンネル
歩いてしか通り抜けることができないそのトンネルは,「幽霊が出る」との噂があった。そして,ボクはその噂を真に受けてしまっていた。そのため,ボクはそのトンネルを通れずにいたのだ。もちろん,そのトンネルがボクの生活にまったく関係なければ,幽霊が出ようが宇宙人が出ようが知ったこっちゃない。
でも,そうもいかないのだ。ボクには,行きつけの食堂があった。一度食べたら,もはやその味を忘れられない。どこまでもボクを幸せの極みにいざなってくれる食堂。
それが,つい最近移転してしまったのである。それも,あろうことかあるまいことか,あのトンネルの向こうに,である。
食べに行きたい。でも,トンネルを通り抜けるのは怖い。皮肉にも,トンネルを避けてしまうことで,「そのトンネルは幽霊が出るかも」という考えはより一層強まるのだった。
周りの人は,みな口をそろえて言う。「幽霊なんていないよ」「大丈夫だから行ってごらん」と。もちろん,ボクだって自分の考えが不合理なのはわかっているさ。でも,身体が動かないのだ。
勇気を出してトンネルを抜けて,あの食堂に行こう。幽霊なんていやしないさ。何度もそう自分に言い聞かせた。でも,いざトンネルに向かおうとすると,家を出たとたんにドキドキし始めるし,口の中はカラカラになる。そして,トンネルが見えてくると恐怖はピークに達するのだ。全身はぶるぶる震え,心臓が飛び出るかと思うほど動悸もするし,冷や汗も止まらない。
「やっぱり,今日はやめておこう」そう思い,トンネルに背を向けて引き返す。すると,その判断が正しかったことを証明するかのように,すぐに震えは止まり,胸の鼓動も落ち着くのだ。
あなたは言うだろう。「だったら,その食堂に行くのをあきらめたら」と。
ボクはあきらめられない。その食堂で食事をすることは,大げさに聞こえるかもしれないが,ボクにとって生きていることを実感させてくれる体験なのだ。
その食堂で食事ができなくなって,ボクの人生は灰色と化してしまった。ボクは,いったいどうすればよいのだろう……。
2.不安や恐怖はこうして乗り越えよう
ボクに対して,あなたはどのようなサポートを行うだろうか。
トンネルに幽霊はいない。しかし,ボクはそのトンネルを避けることで,「トンネルに幽霊がいる」という考えを強めている。なぜか。家を出てトンネルに向かう道中で徐々に強まった動悸や震え,冷や汗などの不安反応が,トンネルを避けて引き返すという単純な行動によって急激に静まるといったことを何度も経験してしまっているからである。
ボクのように,苦手を避けるこうした行動を「回避行動」という。認知行動療法の理論モデルの一つである応用行動分析では,私たちの行動はメリットがあるから続くと考える。であれば,この回避行動にもメリットがあるはずである。そのメリットこそ,不安の急激な低減である。回避行動は,負の強化によって維持されていたのだ。
ボクのように,過剰な不安や恐怖によって特定の状況を避けてしまったために生活に支障が生じる。こうしたケースで力になる心理療法こそ,エクスポージャー法なのだ。
エクスポージャー法とは,過剰な不安や恐怖を誘発する状況にあえて直面することで,不安や恐怖をさほど感じずその状況に臨めることを目指す技法である。「避けなければ大変なことが起こるに違いない」と思っていたこと(これを予期不安という)と,避けていた場面に直面しても恐れていたことは起こらなかったというギャップを体験することが,エクスポージャー法の要諦である。ボクの場合だと,何度もトンネルを通り抜けることによって,「トンネルの中で幽霊が出るかも」という予期不安が裏切られるという経験を重ねるのだ。
ちなみに,曝露法ともいうが,「曝」が常用漢字でないため,書籍やネットでは暴露法との表記も見かける。通常,「暴露」は秘密があばかれるという意味で用いられる。なので,一般の人が「暴露法」という記述を見たら,何やらヤバイことをさせられそうとの誤解を抱いてしまうかもしれない。苦手な状況に曝すことが主な治療手続きとなるので,「曝露法」と表記したほうがよいだろう。
3.エクスポージャーを導入してよい二つの基準
エクスポージャーを導入してよいと判断するために,アセスメントのポイントとして大切な視点が二つある。
一つは,クライエントが不安や恐怖のあまり避けている場面は,本当に避けなくてよいと判断してよいかを見極めることである。つまり,予期不安はクライエントの想像の産物にすぎない不合理なものかを評価するのだ。もし,クライエントが恐れる予期不安が実際に起こり得ることで,その状況に直面するとクライエントの心身に危険が及ぶのであれば,その場面は避けなければならない。
ボクが避けていたのは,トンネルであった。もしも,このトンネルに本当に幽霊がいて,襲われて犠牲者が後を絶たないと連日報道されていれば,ボクの回避行動は極めて適応的である。しかし,いるはずもない幽霊におびえ,そのトンネルを通り抜けられないのは,明らかに「避けなくてもよい場面」である。これで,一つ目のポイントはクリアだ。
もう一つは,エクスポージャーによって不安や恐怖をさほど感じずに苦手な状況に臨めるようになったとして,その先に待っている体験はクライエントが本当に望むものかを見極めることである。例えば,会社の会議で報告することがクライエントにとって強い不安を伴う体験であり,出社を避けていたとしよう。もし,この会社が「生産性と効率を従業員の健康よりも優先すべし」という方針を至上としており,そうした企業風土によってクライエントの健康が損なわれていたとしたらどうだろう。仮に,エクスポージャーを重ねて会議に参加できるようになったとしても,果たしてその治療的変化はクライエントにとって善いアウトカムといえるだろうか。
クライエントを元にいた場所に復帰させるということは,場合によってはクライエントを生きづらくしている社会システムに再適応させるということを意味する。クライエントの抱える問題を,「クライエントが個人で乗り越えるべきもの」と考え,原状に戻すことに支援者がくぎ付けとなる。こうした支援構造は,クライエントを生きづらくしていた社会システムを強化することはあっても,クライエントを十分に守ることにはならない。
ボクにとって,その食堂で食事することは「生きていることを実感」するほど価値のある体験だった。その一点をもって,ボクがエクスポージャーによってトンネルへの恐怖を克服することには意味がある。これで,もう一つの基準もクリアした。
4.クライエントを「その気」にするには
エクスポージャーを導入してよいと判断できた。この段階で,支援者が「トンネルを通り抜けて食堂に行ってみましょう!」と曝露課題を提案したとして,ボクはそれを実行に移せただろうか。きっと無理だ。なぜなら,そうしてみようという動機づけが,十分温まっていないからだ。
動機づけを高めるために,支援者はボクに何を伝えなければならないだろう。それを考えるうえで役に立つのが,不安の経時的変化を示した図1である。ここからの説明は図1を参照しながら読んでほしい。

図1 不安の経時的変化
伝えるべき情報の一つは,クライエントの苦手意識を強めていたカラクリについてである。不安や恐怖は,そうした感情体験だけでなく,動悸や震え,発汗といった身体反応も伴う。これらの不安反応が強まったとき,その状況を避けることで身体反応とともに不安は急激に静まる。こうした体験によって,クライエントは「不安や恐怖を感じた場面は危険であり,避けなければならない」と誤って学習してしまう。
ゴキブリが苦手な人は少なくない。ではどうだろう。「私,ゴキブリを見るたびに避け続けていたら,今ではこうして手の中でニギニギできちゃうほど愛おしくなったのです」という奇跡は起こるだろうか。もちろん,起こらない。避ければ避けるほど,ゴキブリに対する苦手意識は強まる。
これと同じで,苦手場面を避け続けることで,「そうしなければ大変なことが起こるに違いない」という予期不安とともにその場面に対する苦手意識は強まり,クライエントは余計に不安や恐怖に苦しむことになる。そう。心強い味方だと信じていた回避行動は,実は不安や恐怖をますますひどくするラスボスだったのだ。
伝えるべき情報の二つ目は,どのようにして不安や恐怖を克服するかについてである。回避行動は,不安や恐怖を急激に静める力があるものの,それによって平常に戻ることはない。では,回避行動をとらず,そのまま踏みとどまると何が起こるだろう。図1からいえることは,「恐れていた大変なことは起きず,時間とともに不安が徐々に下がる」である。
ボクは,頭では「幽霊が出るなんて不合理だ」とわかっていた。しかし,体が「たしかにその通り」と納得していないのだ。そこで,怖い怖いと思いながらもトンネルに向かって歩みを進める。実際に幽霊に出くわすことなくトンネルを通り抜けると,恐怖はだいぶ静まっているだろう。
けれども,ボクはこう思うかもしれない。「今回は運よく幽霊が出なかっただけだ。次はどうなるかわからない」と。そこで再び,ぶるぶる震えながらトンネルを通り抜けるとやはり幽霊は出ない。こうして,チャレンジを続けていると,「大変なことが起こるに違いない」という予期不安が毎回裏切られ,図1で記した不安の山は少しずつ低くなり,いつしかフラットになる。
こんなふうに,苦手な状況にチャレンジすると,最初は不安が上がるものの,避けずにいると予期不安通りにならず,不安は少しずつ下がっていく。こうした経時的変化を何度も体験することによって,「苦手な状況は,これまでのように避けなくても大丈夫」と身をもって納得することが,エクスポージャーが効く理由である。
いずれの説明も,クライエントの体験に基づいて行うようにしたい。そうすると,クライエントの理解は深まり,エクスポージャーに対する動機づけを高めることができる。
しかし,ここまで説明したあと,ボクはこう詰め寄るかもしれない。「トンネルを何度も通り抜けても,それでも幽霊が出ると思って不安が下がらなかったとしたら」と。支援者は,ここでこんな話をした。「雷鳴を近くで聞いたら,しばらくドキドキしているでしょう。では,そのドキドキは1時間経っても同じ強さで続いているでしょうか」と。ボクは答える。「ドキドキしていなくて,きっと雷のことなんか忘れていると思います」と。不安の経時的変化とは,そういうものだと支援者は説明する。
それでも,ボクは食い下がる。「でも,例外があったらどうしますか? トンネルを通り抜けようとしたせいで,本当に幽霊が出てひどい目にあったとしたらどうするんですか!?」と。支援者は,おもむろにこんな言葉を繰り出す。「もし,本当にそうしたことがあれば,一緒に国際学会で発表しましょう」と。ボクはここでハッとするのだ。「そうか,それはあり得ないってことですね」
この段階で,ようやく「苦手場面にチャレンジしよう」という動機づけは整った。クライエントの抱える問題の悪循環や支援方針について理解を深め,治療への動機づけを高めるこうした教育的なコミュニケーションを,心理教育という。
5.火を起こした,次は薪をくべるときだ
ここで,「エクスポージャーをしよう」という火を起こすことができた。あとは,薪をくべてその火が絶えないようにすることだ。とはいえ,薪は多すぎても少なすぎても,火をよい状態に保つことはできない。
それはエクスポージャーでクライエントにチャレンジしてもらう課題においても同様である。エクスポージャーの肝は,苦手な場面にチャレンジすると,最初は不安が上がるものの,避けずに踏みとどまると,予期不安が裏切られ,少しずつではあるが不安が下がるのを,身をもって体験することである。
だとすれば,クライエントにとって簡単すぎる課題はよくない。なぜなら,その課題によって予期不安が刺激されず,不安の上がり下がりを体験できないからである。かといって,不安が強すぎる課題もよくない。途中で不安の強さに耐え切れず,回避行動とそれによる急激な安心を体験すると,「やはり不安や恐怖を感じた状況は危険であり,避けなければならない」という考えを強めてしまう。もちろん,クライエントが最も不安を感じる場面にいきなり挑戦して,最後までやり通すことができれば,苦手場面を克服するまでの時間は早まるかもしれない。ちなみに,こうしたエクスポージャーをフラッディングという。
ここは,クライエントの意思を尊重して確実にいこう。クライエントにとって,やればなんとかできそうなレベルをエクスポージャーの課題として選ぶ。そのために,不安階層表は役に立つツールだ。不安階層表とは,不安を感じる場面を,それぞれ100点満点で不安の強さ得点(これをSUD: Subjective Unit of Distressという)順に並べたものである。
エクスポージャーを行うのに不安階層表は必須ではないが,あると課題を選びやすいうえに,治療の進展がわかるのでクライエントにも励みとなる。不安階層表を作ったことのない人のために,簡単な作り方を紹介しておこう。
表1 不安階層表の作り方のコツ
① 不安を感じる場面を,8〜10個程度,紙に箇条書きにする。 ② それらを一つずつハサミで切り分ける。 ③ その中から最も不安を感じる場面,ほとんど不安を感じない場面を一つ選び,別の用紙の上下に並べる。最も不安を感じる場面に「100」,ほとんど不安を感じない場面に「5または10」とSUDの値を書く。 ④ 残りの場面から,中程度の不安を選び,先ほどの2つの場面の間に貼りつけ,50と書く。 ⑤ 残った課題をそれらの間に置いていき,上中下の値をもとに,それぞれの場面にSUDの値を書き込む。 |
不安階層表を作ったのなら,そのうちSUDが40前後の課題から始めるとよいかもしれない。しかし,エクスポージャーは最初が肝心である。「避けずに挑戦してみたら,恐れていたことは起こらなかった」と身をもって体験することで,「次もやってみよう」と思えるからだ。それなので,クライエントの様子を見て,課題のレベルを下げても問題ない。SUDの比較的小さなものから順次克服していく。それに伴って,SUDが最も大きい課題も,不安の強さが幾分弱まっているだろう。それは,あたかもだるま落としに似ている。最下層を打ち抜くと,その分頂上のだるまの高さも低くなるというように。最初は,「ぜったい無理!」と思っていたSUDが最大の課題も,チャレンジできるようになるのだ。こうした手続きを,段階的エクスポージャーという。
ただし,例外を作ってはいけない。クライエントの中には,「これだけはどうしてもチャレンジしたくない」という「例外」がみられることもある。こうした例外をエクスポージャーの課題とせず温存してしまう。『風の谷のナウシカ』で,取り切れなかった胞子が森の中に広がり腐海に沈むという場面があった。それと同じく,残してしまったその例外は,症状を維持させたり,再発をもたらしたりする原因となるのだ。このことをしっかりとクライエントに伝え,「『絶対無理』と思ったけれど,チャレンジしたら案外平気だった」と多くのクライエントが述べていることを紹介する。そうすることで,例外としたい課題へのチャレンジのハードルを下げておきたい。
こうして,クライエントに応じて丁寧にエクスポージャーを進めていくことで,苦手意識に制限されることなく,避けていた場面で自由にふるまうことができるようになるのである。
ここまでが,エクスポージャー法の基本的な話だ。
しかし,エクスポージャーを成功に導くには,細やかな工夫や注目すべきポイントがある。それができて,エクスポージャーに力が宿るのであるが,その話は次回シンリンラボ31号で存分にお伝えしよう。
竹田伸也(たけだ・しんや)
・所属:鳥取大学大学院医学系研究科臨床心理学講座
・資格:公認心理師・臨床心理士・上級専門心理士
・著書:『一人で学べる認知療法・マインドフルネス・潜在的価値抽出法ワークブック』(遠見書房,2021),『対人援助職に効く人と折り合う流儀』(中央法規出版,2023)など