岩宮恵子(島根大学/にしきまちオフィス)
シンリンラボ 第37号(2026年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.37 (2026, Apr.)
1.臨床心理面接とお茶席
臨床心理面接はどこかお茶席に似ている。え? 面接とお茶席との間にいったいどういう関係があるの? と思われた方もあるだろう。実は,臨床の初心者だった頃から茶道にも同時に深くのめり込んでいたこともあり,臨床と茶道との共通点についてはずっと考え続けてきた。
今回の「初回面接」というお題から考えると,お茶席で初めて正客になったときの感覚と,初めてクライエントという立場で相談の門をくぐるときの緊張感は,どこか似ているように思う。正客というのは,亭主のもてなしを代表して受け取る立場である。そして,もてなされるひとであると同時に,「場」の質を亭主とともにつくるひとでもある。正客の在り方によって茶席の空気が決まるという,重要な存在でもある。
ところで,茶道を習い始めた当初,何よりも先に教わったのは,部屋を拭き掃除によって浄めることだった。お茶を点てるときにも,使う茶器をひとつひとつ袱紗や茶巾で丁寧に浄める手順がある。まずは人を招く「場」と道具を自分の手で浄め整えるのだ。茶道で培われたこの感覚を心理面接に援用すると,正客としてのクライエントを招くときに,亭主(セラピスト)として大切なのは,このような意識で「場を整える」姿勢なのだと思っている。
具体的には,面接室の床を水拭きし,机の指紋を拭い,棚の埃を払う。クライエントの目がいきそうな場所にかかっている額がズレていないか確認する。ソファーのクッションも定位置にあるかどうかを確かめる(SC先ではウェットティッシュでテーブルを拭くだけです)。前の相談者の気配を残さないように整え,空気を入れ替える。いささか過剰に思われるかもしれないが,茶席を整える過程もある意味,徹底しているので,同じことをしているだけだ。
相談に来られる方のなかには,場の微細な違和感を敏感に感じ取る方もおられる。特に初回でどのような方なのか分からないときには,強迫的なくらいでちょうどいいのではないかと思っている。初回面接では,まだ関係が形を成していない。だからこそ,セラピストが与えようとしている安心感だけでなく,「場」そのものから伝わる雰囲気が安全であることが必要だと感じている。これは,自分ひとりの力では足りないものを,「場」を整えることによって補っている感覚に近い。
2.初回面接と「喫茶去」
お茶席の掛け軸によく見られる禅語に「喫茶去(きっさこ)」がある。これは「まあ,お茶でもどうぞ」という意味の言葉である。ざっくり言えば,禅師が修行者の問いに対して,悟っているひとにも迷っているひとにも区別なく,「喫茶去」といって茶を差し出したという態度を示す語である。そこには評価も選別もなく,ただ「まず座ってお茶でもどうぞ」という招きがある。
初めての方を相談室でお迎えするとき,この喫茶去の言葉がいつもよぎる。喫茶去で差し出される茶の一服が,理論ではなく身体的実践であるように,初回面接でも,語られる内容やそれに対する応答を越えて,「ここはほっとできる場所なのだ」と身体でまず感じてもらうことから始まるのではないかと思う。
来られた方は「どう説明すればよいか」「どこから話せばよいか」「こんなことを言ったらどう思われるだろうか」という迷いのなかで,自分の体験を整理し,意味づけし,矛盾なく語ろうとする。しかし整然とは語れないことも多い。そんなとき,うまく語れなくてもよいし,順序立てられなくてもよくて,まずはここの場所に一緒にいて同じ時間を分かち合うこと。そういう意識をこちらが重視していることが伝わらなければ,どれほどこちらが専門的な知識を携えていても,初めて来た場所で緊張したままでは話す気持ちにはなれないだろう。そして,どの深さまで語るか,どこに触れてほしくないか,今は何を伏せておきたいか。その主導権は,基本的に正客であるクライエントにある。こちらはその呼吸に合わせて,自分の位置を微調整するだけだ。
案外多いのが,「特に困っていることはないが,周囲から行くように言われたから来た」という方である。そういう場合には,それでも足を運んでくださったことをねぎらい,侵襲的ではない問いをいくつかの角度から投げかける。少しでもこの場が不快なものにならないようこころを砕く。たとえここに二度と来られなかったとしても,いつかどこかで自ら相談しようと思ったときに,面接場面が嫌な記憶にならないようにすることは大切なことだと思っている。
また,何か有益なアドバイスがもらえることを前提に質問を重ねられる方もおられる。その場合には,語りを整理し,そこから見えてきたことをある程度まとめて具体的に伝えることもあるし,取り組めそうなアイディアを提案することもある。
このように来談される方の抱えておられるものの重さも目的も,面接に望むものも,それぞれまったく異なっている。冒頭で述べたように,正客の在り方によって茶席の空気は変わる。それに応じて亭主であるセラピストも柔軟に応じる必要があると思う。
3.境界の時間としての「一期一会」
相談の場に来ることは決めたものの,まだ治療関係に完全に入っているわけではないという,その曖昧な「あいだ」の感覚があるのが初回面接の時間だろう。茶室に入るときに躙り口をくぐるように,日常から少しだけ離れて非日常の場に身を置く。そのとき流れるのは,境界の時間である。
日常の秩序からいったん切り離され,秘密が守られ,自分のために使える時間と場所でありながら,まだ新しい秩序にも属しきっていない曖昧な時間。初回面接は,そのような境界に立つ時間のように思う。クライエントは日常の役割や肩書きを背負ったまま扉を開けるが,面接室ではそれらが一時的に薄まる。しかしまだ「心理療法を受けている自分」という新しい位置づけにも完全には移行していない。この宙づりの状態こそが初回面接なのだと思う。
茶席でよく見かける軸に「一期一会」がある。この出会いは二度と同じ形では起こらない。だからこそ,今ここにこころを尽くす,という意識を示す言葉である。この「一期一会」という自覚は,宙づりの時間を尊重する姿勢でもある。
初回面接のあと継続的にお会いすることになっても,あの最初の瞬間の空気は二度と戻らない。初めて向き合う緊張,未知の空気,言葉にならない戸惑い。そのすべてはその一度きりのその時間にしか存在しないのだ。その後,長くお会いしている方との初回面接のときのことを,なぜかその時の空気とともにふと思い出して妙に切なくなることもある。初回面接はそれくらい何かが違う感覚がある。
臨床を長く続けてきているが,いまだに初回面接では胸がきゅっと引き締まる。それは不安というよりも,この時間の不可逆性への自覚なのだと思う。この「一会」が,その人の人生にどのような痕跡を残すのか分からないし,まったく何も残さないのかもしれない。けれど,境界に立つこの時間が特別なものであるという感覚は変わらない。
4.無茶苦茶にならないために
もし初回面接を,診断や契約の前段階としてだけ捉えるなら,その深みは見えにくくなるだろう。それは小さな通過儀礼でもあり,茶室における一服のように,日常の流れをいったん止める時間でもある。「喫茶去」と「一期一会」という二つの言葉は,その時間の質を示している。一方は無条件の招きであり,もう一方は不可逆の自覚である。この二つが重なるとき,初回面接は単なる導入ではなく,すでに治療の核心にそっと触れている時間であることが見えてくる。
語源には諸説あるが,「無茶苦茶」「滅茶苦茶」という言葉を,茶がなくなると意思の疎通が乱れるという比喩として考えると興味深い。そこには,茶の時間が人と人とのあいだの空気を整えるという直感が込められているように思う。急いで結論を出そうとすれば関係は乱れやすい。しかし一度,茶を介して呼吸を整えると,不思議と意思の疎通が滑らかになることもある。初回面接でも,いきなり核心に迫れば場は緊張で固まってしまうけれど,「まずここに安心していていい」という時間が挟まることで(もちろん実際にお茶は出さないが),無茶苦茶にならずにすむこともあるのではないかと思う。
初回面接の時間のなかには,そのひとのこれまでの時間が折りたたまれている。その重みを軽く扱わないこと。それが私にできる最初の仕事なのだと思う。評価を急がず,意味づけを急がず,まずは同じ空気を吸う。その積み重ねのなかで,いつか言葉にならなかったものが,少しずつ形を持つことがある。初回面接とは,その可能性をそっと引き受ける時間なのだろう。
そして初回面接でお会いした方が,もし再びこの場を選んでくださるなら,「喫茶去」と「一期一会」のこころを胸に,そのひとの深みに触れる準備をして,静かに待ちたいと思っている。今日もまた,場を整えながら。
(いわみや・けいこ)
島根大学こころとそだちの相談センター,臨床心理相談室 にしきまちオフィス
資格:臨床心理士,公認心理師






