前田 潤(室蘭工業大学)
シンリンラボ 第34号(2026年1月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.34 (2026, Jan.)
はじめに
私は現在,様々な場所でサイコドラマの監督を務めている。場所によって参加者は異なる。ライブハウスでは一般市民が参加者となり,精神科外来デイケアでは通院患者とスタッフ。学校では生徒や教員,保護者。サイコドラマ研修会では,医療・教育などの専門職が主な参加者となる。外国であっても,どこでサイコドラマを行うかで参加者は異なってくるが,基本的には,どこであっても,誰が対象でもサイコドラマの監督として求められることは変わらない。参加者と主役のニーズに沿って監督の役割に努めるのである。
サイコドラマは,ヤコブ・ レビー・モレノ(1889-1974)によって創始された集団的技法である。密室で行われる精神分析学的手法から一線を画し,集団の中で個人が自発性を発揮し,主役として人生を創造していく力を湧き立たせることを重視した。
サイコドラマは強力な心理治療だと言われ,私もサイコドラマは心理治療として非常に強力な技法であると知る。しかし,私はサイコドラマは心理治療ではなく,様々な可能性の世界を体験し,人生の幅を広げることが目的だと思っている。それが結果的に心理治療としての大きな効果につながるのだと考える。
現在,潜在的トラウマ体験(Potential Trauma Experiences: PTEs)や逆境的小児期体験(Adverse Childhood Experiences: ACEs)という用語を目にすることが多くなった。世界では7割の人がPTEsを有し,米国では6割の人がACEsを持つ。そして日本もPTEsは6割,ACEsを3割が持つという。私は,小児期に限らず,トラウマ体験とは異なる大人の苦難があるので,逆境的体験(Adverse Experiences: AEs)と言葉の裾野を広げて良いと思っている。
サイコドラマの主役のドラマは,過去の苦難がテーマになることが多い。もちろん,現在の課題や未来のためのドラマもある。また,今,何となく不全感や違和感があり,なんとなく身体感覚としてモヤモヤするという場合もある。
過去と現在や未来,モヤモヤなど,テーマに幅があってもやはりサイコドラマの監督としてすることは変わらない。基本的にはそのテーマに関わる主役の感覚に従ってドラマを一緒に進めていくのである。それによって主役だけでなく,そこにいる参加者が共に可能性の世界を遊び,新しい体験をする。もう少し言うならば新しくなるのである。
ただ,強力で有効かつ可能性の世界を遊ぶ面白さがあるサイコドラマは,心理職であっても名前だけしか知らないという人が多く,広まらない現状がある。なぜか。一つには説明されても体験しないとわからない,ということがあるだろう。実際なかなか体験できる場はなく,サイコドラマと言っても日本でも様々な独自の流派がある。そのためどの監督のサイコドラマを体験したかで体験内容は大きく異なる。体験したけど苦手と聞くことがある。それは初めての体験があまり良くなかったものと思われる。私も初めの頃はそれほど魅力を感じなかった。しかし,縁があって続けていくうちに良い監督に出会い,そのうちに自分でもサイコドラマを知ってもらい,広げたいと思うようになった。
今回の連載の目的と特徴
今回,私は,サイコドラマがどれほど強力かつ有効な心理治療で,また参加者の胸に残り,面白い体験の場であるか,紹介したいと思う。そしてサイコドラマの独特の流れや技法が,どのように主役や参加者のPTEsやACEs,AEsの影響を軽減し,新たな自分を生み出す転帰となるのかについて考えてみたい。昨今,こころと身体と社会のつながりに臨床家の目が向いているが,サイコドラマはその再生と刷新に大きく寄与することを示し,サイコドラマに経験も興味もない方に,良さと面白さを伝え,関心を持ってもらうことが今回の目的である。
そのために本連載では次のような二つの特徴ある記述に努めたいと考えている。
一つは,これまで日本で発刊されたサイコドラマ関係書籍ではサイコドラマを文章で解説したものがほとんどであった。そこで今回は文章だけでなく,イラストを使ってサイコドラマの場面を視覚的にもイメージしやすくすることである。もう一つは,サイコドラマをサイコドラマ用語だけで説明するのではなく,人の神経構造に立脚したポリヴェーガル理論から見て,サイコドラマが目指し,ドラマで主役や参加者が経験することを捉え直し,解説してみたい。これは私自身にとってはもちろんだが,日本のサイコドラマ界にとっても初めての試みではないか,と思われる。
ポリヴェーガル理論の紹介者の一人の津田真人氏は,現代はストレスの時代からトラウマの時代となったと言う。私は津田氏が,神経の構造的つながりに基づいてこころと身体と社会をつなぐための臨床的アプローチの提案を行うのを研修で直接聞く機会を持った。その時私は,サイコドラマはまさにその臨床的アプローチの実践例ではないか。そしてポリヴェーガル理論はサイコドラマに生物学的かつ神経学的構造に基づく理論的基礎を与えるのではないか,と気がついた。そのためこの出会いがこの連載の契機であったのである。
この連載は1月から5月まで5回の連載を計画している。その全体のアウトラインをまず示しておきたい。
(1)連載を始めるにあたって・逆境的小児期体験の影響を自覚するパース例その1
(2)パース例その2・ポリヴェーガル理論とサイコドラマからパース例を読む
(3)身体に違和感を覚えるトモ例をポリヴェーガル理論とサイコドラマから読む
(4)サイコドラマの手法とポリヴェーガル理論
(5)サイコドラマの様々な可能性と課題
それでは,サイコドラマ場面を具体的にみていただこう。サイコドラマは体験しないとわからない。そのため,サイコドラマの説明からではなく,まずサイコドラマとはどういうものか,読んで体験していただきたいと思う。サイコドラマについては本連載の最後に,詳しく説明を行いたいと思う。なお,ここで扱う事例は,国を問わず私が監督を務め,あるいは参加者として体験した自験例である。本質部分は変えず,脚色を加えていることはご承知おきいただきたい。
逆境的小児期体験の影響を自覚するパース例
その日の参加者は,スタッフ3名,デイケア利用者6名の合計9名となった。「となった」と言うのは,途中で遅れてきた参加者がいたからである。
パースは,その日が初めての参加だった。セッションの開始時の自己紹介の場で,詳細は語らなかったが虐待の経験があってずっと生きづらさを感じてきた,と述べていた。色々と勉強してきたが,自分のことにさらに取り組んでみたいと参加したのであった。
この日のサイコドラマでは最初に他の人が主役のドラマがあって,パースはそこでちょっとした補助自我役(主役のドラマの配役)を体験したのであった。この最初のドラマが終わって終了時間までまだ30分ほどあったので,私はサイコドラマの監督(サイコドラマではドラマを進める人を監督と呼ぶ)として,主役体験希望者がいるかを参加者に尋ねた。パースは初めての参加ではあったが,自分のことに取り組んでみたいと最初に言っていたので,無理はしなくて良いが,と前置きをしながら「次回でも良いですが,どうですか?」と振ってみた。すると「やりたい」との返答だった。
私は「じゃあどうしましょう?」「まずこちらにどうぞ」と促し,舞台(参加者は半円になって座っていて,円が開いたところを舞台とした)に来てもらった。そしてパースは「僕は,嬉しいこととか楽しいこと,優しくされたり,そういうことがあっても,なんだか遠くから見ている感じで,頭では嬉しいことだとわかるんですけど,遠い感じがするんです」と半分笑顔を見せて静かに述べた。

(図1)
そこで私は「それじゃあそれをやってみましょう」と言い「今ここにあなた居ますね。遠くからそれを見ているって,どの辺から見ている感じですか?」と尋ねた。パースは「うーん」とちょっと迷い「部屋のあっちの隅の方」と参加者が座って作る半円外のずっと向こうを指差した。
監督として私はパースにわざと回りくどく「それではあなたの役をやってくれるであろう親切な人だろうと思う人を参加者から選んでください」と促した。パースは笑顔で参加者ひとりひとりを眺める間,参加者たちも少し微笑んでいる。「お願いできますか?」とパース役に参加者の一人が選ばれると,はい,とにこりとして立ち上がり,パースが指差した隅の方に移動する。「あんな感じ?」と尋ねると,パースは「そうです。あんな感じです」と答えた。次にパースは今パース役をやってくれている人のところまで行くよう促された。
監督の私は舞台に立ったままで,パースは隅から舞台を見る。「どうです?そんな感じですか?」と隅に立ったパースに,舞台にいてあの辺りと言ったと時と,実際に行ってみた時に味わう感覚を確認してみる。すると彼は「そうです」「でも今,何か自分のことをやって良いのか,悪いのか悶々とした気持ちが出てきました」とも付け加えた。そこで私は「それではその悶々とした気持ちは今どのあたりにある感じですか?」と尋ねるとパースは「この辺り」と今隅にいる自分の少し離れた左側を指で指した。次にパースは「その悶々とした気持ち役をやってくれる親切そうな人を選んでください」と促され,参加者から一人選ぶ。そしてパースに,その気持ちはどんな感じか表現することを求めると,パースは頭や胸を落ち着きなく抱えながらウロウロして見せる。そこで監督である私は選ばれた参加者にそれと同じような動きをするよう求め,パースには隅に立ってもらってその様子を見てもらう。「そうそんな感じです」とパースは確認する。

(図2)
次に私は監督として,パースに舞台に戻るよう言い,離れたところにいる自分役,悶々としている自分役を舞台から見てもらう。そして次に私は監督としてパースに「今,こうして舞台から見て嬉しさとか楽しさはどのあたりにありそうですか?」と尋ねた。するとパースは即座に「あちらの辺りです」とやはり参加者が座る左向こうの外側を指す。「それでは嬉しさとか優しさをやってくれる親切な人を参加者から選んでください」と促されパースは参加者の一人を選ぶ。選ばれた参加者はその位置に行ってニコニコして「嬉しいよ,楽しいよ」と自発的にパースを見て両手を振るようにして言う。パースにあんな感じかを確認すると「そうですあんな感じです。とても嬉しくて楽しそう。」と言ったと思うと,「でも,あんな気持ちになりそうになったら,このままではいけない。戦争とか何か危険なところに行かなきゃ。大変なところに身を置かなきゃって危険なところに行きたくなるんです」と実際に身を別方向に向かわせようとするのである。
そこで,監督は「それでは,その戦争とか危険なところをやってくれる親切そうな人を選んでください」と促す。すると,パースは即座にリンを選んだ。リンは,本日最初に主役をやった参加者で,大柄の女性で髪をキッと縛っている。彼女のテーマは職場の上司からあなたを怖いと言っている人がいるから気をつけるようにと言われショックだし,どうしたら良いか戸惑っている,というのがテーマだった。
リンは「選ばれると思った」と苦笑し,でも決して不快な様子ではなく立ち上がり,危険なところの役を引き受けた。そしてパースは危険なところはどの辺りにある感じかを尋ねられると,すぐ右側にある,という。それを聞いてリンは危険なところ役としてパースのすぐ右隣に立つ。するとパースは「行きそうになるんです」「けれど,「行っちゃいけないよ」と止める自分もあるんです」と言う。そこで次に「行っちゃいけないよ」とパースを止める役が参加者から選ばれ,パースと危険なところの間に立ってパースに「言っちゃいけないよ。危ないんだから」と押し留まるよう制止する。パースは「頭ではわかるんです。行っちゃいけないって。自我同一性障害で反復強迫が起きて,危険な方に惹かれてしまうんだと思います」とやや困惑し半分笑顔で半分切迫したように言うのであった。
監督はそこで先ほどの隅に行ったパース役を呼び寄せ,向こうで「楽しいよ」と言われると,危険なところに行きたくなり,しかし,「行っちゃいけない」と制止され「わかっているんです。反復強迫で行きたくなっちゃうんだと思うんです」と言っているパース役をやるように求める。パースにはその場面を少し離れて見るよう促す。少し離れて今起きていることをパースがじっと見入っている様子を見ながら監督は「こういうことが起きているんですね?」と確認すると「そうなんです。楽しそうとか嬉しいと思うと,いや自分はそこにいてはいけない,もっと危ないところに行かなきゃと思っちゃうんです。でもダメだダメだ行っちゃダメだ,ってわかっている自分もいるんです。わかっているんですけれど,行きたくなっちゃうんです」と改めて自分に起きていることを見て,慨嘆するのである。ご自分でも困っちゃうんですね?と私はパースの今感じていることを引き取って言語化すると,パースも「はい」と同意する。そこで,監督として私は「今,ここはサイコドラマです。なんでもできます。見てくださいこの場面を」と言ってそれぞれの役にもう一度パースに起きていることをやってもらった。
パースが楽しさや嬉しさを感じ始め,するとパースが危ないところに行かなきゃ,という気になる。けれど,行っちゃダメ,と押し留めようとする。
それを見てパースは「そうなんです。こんな感じなんです。どうしよう?」と困って監督である私を見る。監督の私は「そうですね」と言いながら再度「よく見てください」「今,何をしたいですか?」と尋ねた。するとパースは改めて舞台全体を見渡すように眺め,「僕はあんな風になりたい」と言ったので,パースの見るその先を私も,参加者も見ると,そこには思いがけないものがあった。
それは監督である私は,少しずつ椅子の半円から離れていくのは見えていたのだが,パースが見る方には本当に寝転んで寝入っているように見える参加者がいたのである。パースはそんな風になりたいと言ったのである。

(図3)
そこで私は「それじゃあんな風になりましょう」とパースを促し,寝転んでいる参加者のもとにパースを連れて行った。すると寝ていたその参加者は,目を覚まして思わず起きあがろうとするのだが,私は「そのまま,そのまま,とってもいいモデルだから」と寝転んだままでいることをその参加者に求めた。戸惑いながら,しかし他の人もそれを見て静かに笑うのを聞いて一緒に笑顔となり「なんだからわからないけど,わかりました」とまた寝転んで見せてくれた。監督としてパースに,ちょっと離れたところに一緒に横になるように勧め,パースは「いいんですか?」と半信半疑な様子を見せながら腰を下ろす。私は参加者全員に向かって「いいんですか?」と問いかけると,全員が「いいんですよ」と口々に答える。パースはそれを聞きながら笑みを浮かべ横になる。私は,「もっとパースの近くにゆっくりみんな「いいんですよ」「ゆっくりしていいんですよ」と言いながら来て下さい」と求める。するとみんなが少しずつ,口ぐちに「いいんですよ」「ゆっくりしていいんですよ」と言いながら近づいてくる。それを見て「えーえーなんかすごい,すごい」とパースは笑みを浮かべながら言う。監督は,参加者の中の女性スタッフ3名に近くに来てもらい,そのようにして良いかパースに確認してから,肩や腕をゆっくりさすってもらい「ゆっくりして良いんだよ」と言ってもらう。そしてちょうど人を抱えることができるほどの大きなぬいぐるみがあったので,パースの背中側にそれを置く。ぬいぐるみの柔らかな感触にパースは体を預け,横から女性スタッフたちは肩や腕,頭を撫でる。そして他の参加者に「いいんだよ。楽しんでも。ゆっくりしても」と言ってもらい,正面には優しい笑顔のリンがいる。その笑顔が,体が大きいリンの本当に優しい笑顔だったので「まるで,リンは笑顔の神様のようだ」とみんなが言い出し,パースも「本当だ。安心する」と言ってリンを見て微笑む。リンもますます笑顔がほころぶ。そして肩や腕や頭を撫でられながら大きく息をするのであった。
監督である私が「どうですか?」とパースに尋ねると「はい。肩の力が抜けていくようで楽です」と自分の感覚の変化を実感する。私はその変化を味わうように促し「深呼吸をしながらその感覚と皆からの言葉を十分取り込んで下さい」とさらに付け加えた。それに従ってパースは大きく何度も深呼吸をし,寝ていた参加者も含め全員がパースの周りを囲む。その場面でドラマを終え,シェアリングに移行した。
シェアリングとは,ドラマが終わってから主役のドラマが参加者一人一人にどのようにつながっていたか,どんな関係があったか,どんなことが蘇ったかを主役に伝える時間である。
リンが,自分は良かれと思って職場で他の人を注意していたつもりだけれど,笑顔が大事なのかも。仕事だからと真面目に考えすぎていたかも,と,パースのドラマで役を取ることによって得た自分に関わる発見を述べた。寝ていた参加者からは「最初何のことかわからなくて」それを聞いて皆から笑いが出る。「みんなが集まって来て,いいんだよゆっくりしてってみんなが言うのを聞いて,自分も良いのかな,ゆっくりしててと思えた」と述べた。そして,今までもこういうグループワークに参加したら,端っこにいて寝たりしていたけれど,でも,良いのかな,ダメじゃないんだそういう自分も,と思えたことを,最初はちょっと輪の外側のフロアに座っていたのだが,少しづつ皆のいる輪に身を動かしながら述べるのであった。
そのように,パースは,シェアリングの中でパースのドラマが参加者それぞれにとっても大きな体験となったことを聞いたのであった。確かにパースのドラマは参加者全員のドラマとなった。
このドラマを通じてパースと参加者,そして私自身が体験したことを,次回,ACEsとサイコドラマのロールセオリー,ポリヴェーガル理論から読み解いていきたい。
前田 潤(まえだ・じゅん)
室蘭工業大学大学院教授
資格:サイコドラマTEP,臨床心理士,公認心理師。
主な著書: “Cultural Diversity, Groups & Social Challenges”(共著,IAGP,2025),『心理劇入門―理論と実践から学ぶ』(共著,慶應義塾大学出版会,2020),『総合病院の心理臨床―赤十字の実践』(共著,勁草書房,2013)
趣味:サイコドラマ,オペラ鑑賞






