金子周平(九州大学)
シンリンラボ 第37号(2026年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.37 (2026, Apr.)
1.臨床は臨機応変
臨床の「臨」は臨機応変の「臨」。私の大学院時代の指導教員であった野島一彦先生がよくおっしゃっていたセリフだ。臨機応変さが常に求められるのはどのような種類の面接でも同じだが,特に初回面接を担当するセラピストには柔軟な対応の力が試されるのではないだろうか。初めてお会いする方とのチャンネル合わせはそう簡単ではない。クライエントがカウンセリングに期待しているものがセラピストの考えと大きく異なる時なども,咄嗟のアセスメントをしながら,想定外のやりとりに時間をかけなければならない。クライエントの状態によっては,その日に想定していた計画を思い切って変更することもあるだろう。もっとミクロに捉えるならば,瞬間瞬間に変わっていく目の前の相手の様子によって,セラピストの目線も姿勢も,息遣いも,話す内容やタイミングも,全てが変わらなければならない。
私が初回面接を担当するのは,もっぱら大学内のカウンセリングルームである。共同する相談員たちが頭の中でのリハーサルに忙しそうな時には,「あらかじめ想定したいろいろなことは,クライエントを目の前にするときには一旦忘れて臨みましょう」と伝えるようにしている。実際にクライエントと初めて対面するのはこれからなのだから,そこからプロセスを始められるようにしたいし,そうであるからこそ臨機応変に動けると思うのだ。
そこで思い出されるのはBion, W.(1967)の「過去も未来も持ってはならない“no history and no future”」という名言である。過去つまり記憶は,常に無意識的に歪められてしまうものであり,どうしても「今,起こっていること」の観察にはならないというのである。そして未来,つまり「まだ起こっていないことに関する欲望」も今払うべき注意や行うべき判断を歪めてしまうものだという。だから今ここで相手と相対するのに,過去のことを記憶してあれこれと考えたり,未来について予測をしたり希望や欲望を抱いたりすることは,純粋な心理療法においては邪魔になるというわけである。
2.反・打ち合わせ主義への疑問
そうした価値観が芯から身についているためだろうか。若手の中にもベテランの中にも「準備をしない,打ち合わせをしない」という信念をもった人たちが一定数いるように思われる。ベテランの先生たちの中にも,保護者面接者と本人面接者の打ち合わせをしない方針を持った人がいる。私はその人たちの実力は信じてはいるが,こと「反・打ち合わせ主義」については別である。「本当は自分の中で準備をしているのではないか」という疑いもあるし,もし打ち合わせや準備を最小限にすると考えているとしたら,その効果や倫理性については懐疑的である。
しかし疑問はいったん横においておこう。「反・打ち合わせ主義」の人たちは,準備に十分な時間が取れないという事情以外に,対面するところから始める方が面接を適切に行える自負心があるのかもしれない。そしてやはり,セラピストたちがクライエント像を作り上げてしまわないように,机上の空論や先入観に捕らわれてしまわないようにしているのかもしれない。そのような弊害を最小限にする準備のあり方が,逆説的ではあるが「準備や打ち合わせをしない」という方法なのだ。そうすることでセラピストの頭の中をシンプルに保つことができる。初回面接を迎えるとき,そこにはセラピストが常日頃行っている面接構造,そして「生のクライエントのみ」という状態である。セラピストは今ここで,目の前のクライエントに合わせて臨機応変に対応するのみである。
3.徹底的打ち合わせ主義
私自身が理想としているのは,もうすることがないくらいまで準備をし,そして打ち合わせをしておくことである。通常は現実的な時間の制約を受けて十分にできないこともあるのだが,日々,その理想に近づける努力をしている。この方針を,先の「反・打ち合わせ主義」と対比的に考えるために「徹底的打ち合わせ主義」としておこう。
私は普段,次のような順番で準備を行う。単独で面接を担当するときも,共同で担当するときも,その内容は同じである。まず面接の外枠を全て決めておく。集合時間,部屋の確保の確認,準備しておく書類の確認,面接が始まるまでの動き,そして面接が終わった後の段取り,2回目の面接までに行うべき全てのことと,そのスケジュールまでも大方決めておく。これだけでも少し時間がかかるが,そうした構造が決まれば,次に内容の検討を時間が許す限り行う。相談申し込み時のクライエントの情報や事前情報があればそれを把握し,考えられることや連想を一つ一つ確かめていく。共同担当者や,大学内で研修中の相談員がいれば,事前に打ち合わせの時間を1時間半程度は確保し,これら全てのことを共有しておく。親子で来談される場合は合同面接に要するおよその時間を予想し,共同担当者と打ち合わせておく。クライエントに伝えた方が良さそうなことも考えておく。なんらかの難しい問題があり,伝え方に配慮が要りそうであれば,それを伝えるタイミングや言葉遣いまで検討しておく。そうして当日には検討をしたり担当者と話したりすることがない状態を目指していく。実際に当日を迎えれば,あとは面接室にゴミや汚れがないかのチェック,万一時間が伸びてしまうことが生じたときの面接室の予約状況の確認などをすればよい。
初回面接を迎えられる準備ができているかどうかは,自分の心の状態を判断基準としている。初回面接に向けてなんらかの恐れや漠然とした不安があれば,まだ準備が足りないかもしれず,そのこと自体を言葉にするか,少なくとも意識しておくことが大切だ。そして自分にも共同担当者にも心配がないかの確認をしたのち,ひとまずの準備状態はできていることとするのだ。
4.「よく来てくださいました」
初心の頃,諸先輩方からはクライエントの来談時にねぎらいと歓迎の気持ちを伝えるように教えられた。クライエントは様々な迷いや葛藤を抱えつつ,不安な中で申し込んでこられるわけだから,そうした気持ちで迎えるのだということだった。しかし,自分の口から自然にそのような表現を出すことはできなかった。そうしてしばらくの間,ねぎらいと歓迎の表現は私の課題であった。
しかしいつの頃からか,自然に,そして心を込めて歓迎の言葉を言えるようになってきた。クライエントが来ることを待ち望み,来談に至ったことをねぎらい,ようやく出会えたことを喜ぶような心境である。このような状態は,ここまで述べてきた初回面接の準備や打ち合わせが出来上がっていくとともに,同時発生的に生じてくるものである。
初回面接の準備や打ち合わせを終えたとしよう。そうなると後は,「生のクライエントのみ」を待つ状態になるわけである。「反・打ち合わせ主義」の目指すところも,余計なものを排して「生のクライエントのみ」という状態でクライエントを待ち受けることだったと思うが,「徹底的打ち合わせ主義」にしても,クライエントと初めて会う準備を全て整えることで,後はクライエントの到着のみを待つ状態を作ることなのである。この準備状態が,クライエントの到着を待ちたい心境につながり,自然と「よく来てくださいました」「ようこそお越しくださいましたね」「お待ちしておりました」という言葉になっていく。
5.おわりに
初回面接での出会いの場は,多くの場合,セラピストの職場である。この場で出会うからには,場についての責任はセラピストが負うべきだろう。場というのは物理的な場所に,時間や面接構造,セラピストという人物が加わった「初回面接」という舞台装置のことである。セラピストが場に責任を持つというのは,この舞台装置全体の責任を負う必要があると思うのだ。
そこでセラピストは落ち着きはらって装置の一部となり,その舞台に馴染んでおくのが良いのだと思う。そうした「初回面接」のために私はまめまめしく準備をしている。
文 献
- Bion, W. R.(1967)Notes on memory and desire. Psychoanalytic forum, 2; 271-280.
金子 周平(かねこ・しゅうへい)
所属:九州大学大学院人間環境学研究院
資格:公認心理師・臨床心理士・日本ゲシュタルト療法研究所SV50セッションDiploma
主な著書:Stanovich, K. E.(2013)How to think straight about psychology. Pearson Education, Inc.(金坂弥起(監訳)(2016)心理学を真面目に考える方法:真実を見抜く批判的思考.誠信書房.(共訳,第4章,第9章担当)






