書評:『心理臨床家のための事例研究論文のつくりかた』(山川裕樹著/遠見書房)|評者:小坂和子

小坂和子(東洋英和女学院大学)
シンリンラボ 第33号(2025年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.33 (2025, Dec.)

表紙には,羊のメェ川先生が不思議なキャラクターとして,ギターと「♪」を抱えて登場します。この造型は,在職されている美術大学の卒業生・スタッフによって誕生したそうです。メェ川先生は,全編にわたり,挿絵やコラムに出没して,存在感をアピールし続けています。一生懸命で誠実で,ちょっと不器用で,どこかおかしみがこぼれてきます。

もちろん,メインの語り手は山川先生です。本書は,地道で丁寧な臨床実践家が,特定の心理面接過程を「事例研究論文」とするまで,率直に言うと,学会誌に「採択・掲載」されるまでのガイドブックです。つまり,山川先生は,論文投稿に悩むメェ川先生の指導教官となっているのです。「研究目的」の重要性,「臨床で役に立つ新たな視点の生成」(p.76),「事例>研究」(p.96),「小さな石を一つずつ積み上げていきましょう」(p.162),「『学会発表』と『論文投稿』のあいだにワンクッション」(p.163)とこつやスモール・ステップが示されています。そのつど,メェ川先生は驚いたり,困ったり。でも,「マトあて」「じゃんけん」「ロッククライミング」「ベテラン猟師」「プロ野球」や「因数分解」など,たとえ話が展開していて,まるで,先輩の話を研究室やスタッフルームで聞いているような雰囲気です。

山川先生は,学生相談学会の「学生相談研究」で長年編集主幹を務め,心理臨床学会でも編集委員を担当してこられました。そして「どこかで,いい先生に出会って論文の指導をしてもらえるといいのに……」(p.163)と投稿者への思いを語っています。このたくさんの投稿者たちにむけて,紙上スーパーヴィジョンが,とても分かりやすく,そしてplayfulに展開しているといえます。

読者は,「そうそう,その通り!」とうなずきつつ,優れたマニュアルを手にいれた今,着々と作業を進めることができるぞ,という気分になることでしょう。でも,ステップごとに,「自分が実践した事例に基づき,なにが考えられるのかを探求し,その探究した結果を,他の人が使えるtransferable形で示す」(p.108)という,まさに「事例研究の本質」に直面することが自然に起きて,臨床場面でのあの「一瞬」がありありと,そして何度も浮かび上がってくるのではないでしょうか。

終章では,メェ川先生と山川先生が重なってきます。学生相談の現場で,「生きづらさ」を抱え,やってきたたくさんの学生たちと対話し,まるで雑談のようなplayfulな時間も共有し,やがて,その学生が「生きていてよかったな」と思いながらキャンパスから巣立っていく,そんな多くの後ろ姿を見送った臨床家の姿です。

最後に,私は,投稿論文を「音読」(p.123)してみては,という一文にはっとしました。当然ながら,ミスを見つける,文章のリズムの悪さに気づく,と利点が述べられています。ただ,この作業には,平面世界に「文字」として閉じ込められたコンテンツが,「声」にのせられることで,一瞬ではあるけれども,リアルな臨床世界がよみがえり,また消えていくという臨床的意味があると感じます。絵画は空間芸術,音楽は時間芸術と言われ,ライブの楽曲は保存することができません。事例研究論文は,いわば,後者を前者に落とし込むようなことであり,「声」の世界が切り捨てられているのだ,と考え込んでしまいました。いや,メェ川先生なら,メガネをきらりとさせて,「楽譜」と「演奏」,どちらも大切,とおっしゃるかもしれませんね。

『心理臨床家のための事例研究論文のつくりかた』(山川裕樹著,遠見書房)
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小坂和子(こさか・かずこ)
東洋英和女学院大学 人間科学部人間科学科
資格:公認心理師,臨床心理士

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