花澤 寿(千葉大学)
シンリンラボ 第36号(2026年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.36 (2026, Mar.)
1.はじめに
精神療法を,「関わりを通じて他者の心身をより良い状態に導こうとする営み」とここではとらえる。特定の流派や職種を超えて,ひろく精神療法をとらえるためである。
この観点から精神療法を見るとき,ポリヴェーガル理論のもつ価値は際立つ。ポリヴェーガル理論は,哺乳類,なかでも人間のもっとも基本的で重要な防衛手段が,他者との関わりであると説く理論だからである(Porges, 2011;津田,2019)。
従来,精神療法の基礎となる理論は,「心」の働きについてのなんらかの仮説に基づくものであった。しかし,心というものの不可知性,科学的解明の限界を考えると,それはどこまでも仮説に留まらざるを得ない。また,文化や価値観の違い,言語の違い,時代の違い等々に応じて,その仮説は修正をせまられる。
対して,ポリヴェーガル理論は,「心」の理解や解釈を目的としない。人類の数百万年の進化の果てに獲得された,生き残るための身体反応についての理論である。その生理学的な理論の細部は,今後検証されるべき部分が多いという意味では「仮説」に留まるが(Neuhuber & Berthoud, 2022),不動による防衛から,運動による防衛,そして同種他個体との協力による防衛(社会的関わり)というポリヴェーガル理論の説く階層的防衛反応は,生物学・進化論に裏打ちされた普遍的事実である(Porges, 2021)。その意味で,関わりの技法としての精神療法の揺るぎない土台となりうる。
人は,人によって癒され,人によって傷つけられる。精神療法の一つの大きな目的は,人によって傷つけられた人,あるいは人に救われずに来た人を,人との関わりによって癒すことにある。そのために必要なのは,特定の精神療法の流派や技法以前に,いかに目の前の人とのあいだに社会的関わりを成立させられるかということであり,そのために必要な考え方と技術をポリヴェーガル理論が教えてくれる(花澤,2019)。この観点を中心に,以下ポリヴェーガル理論からみた精神療法についてまとめていきたい。
2.ポリヴェーガル理論からみた精神療法の目的と基本姿勢
ポリヴェーガル理論からみたとき,心身の健康の条件を,以下のようにまとめることができるだろう(Ogden, 2018;Sullivan et al., 2018;花澤,2019)。
①その人がある程度以上の耐性領域—社会的関わりシステムが機能しうる生理的状態—の広さを持っていること
②主にその耐性領域の内側で生活を送れていること
③そしてストレッサーに反応して耐性領域外に出ても(原始的防衛反応の発動),そこに留まり続けることなく耐性領域内に戻ってこられること
私たちが支援者として関わろうとする人は,上記のいずれかを,(あるいはいずれをも)満たしていない状態にある。
したがって,「他者の心身をより良い状態に導こうとする営み」としての精神療法の目的を以下のように捉えることができる(花澤,2019)。
①耐性領域外の状態から耐性領域への復帰を導くこと
②自分で耐性領域に戻ってこられる力を育てること
③最終的に相手の耐性領域が拡大すること
この目的をかなえようとするとき,まず必要なのは,精神療法の場が,相手にとって「安全」な場としてニューロセプトされることである(Badenoch, 2018)。相談の場の物理的な環境を整えることも重要ではあるが,本質的に大切なのは,治療者・援助者としての自分の存在と関わりが,相手の防衛反応をそれ以上強めないものであることである(Geller, 2018;花澤,2019)。
精神療法において,一般に支援者と被支援者は,手が届きうる距離で相対することになる。しかし,闘争・逃走反応や凍りつき反応を起こしている人,耐性領域が狭い状態にある人の神経系にとって,他者との距離が縮まることは,それだけで「要警戒」あるいは「危険」とニューロセプトされるリスクを孕んでいる。したがって,関わろうとする者は,自らの存在そのものが相手の神経系にどのようにニューロセプトされているかについて,常に自覚的でなければならない。
安全のニューロセプションを相手の神経系にもたらすためには,まず自分が耐性領域の中で相手に接することが前提となる。相談に入る前に自らの状態を整えておくことは当然であるが,実際の面接においては,相手の状態,言動に反応して,支援者が耐性領域外に出てしまうことは常に起こりうる。大切なのは,それに気づくこと,気づいた上で自己調整を図り,なるべく速やかに耐性領域に戻ることである(花澤,2019)。
3.精神療法としての関わりの実際
1)防衛反応の読み取りとアセスメント
相手の防衛反応をそれ以上強めない関わりを提供するためには,まず相手の神経系が階層的防衛反応のどこに位置し,どのようなニューロセプションを行っているか,そしてそれがどう変化していくのかを評価しなければならない。そのためには,相手の言語的な訴えの内容以上に,自律神経支配領域,および筋肉運動系領域の表出(あるいは表出の欠如)を読み取る必要がある。それには,客観的な観察とともに,関わっている自分の身体的反応を通しての理解と把握が重要となる(花澤,2019)。
以下,階層的防衛反応それぞれの,外から見てとれる,あるいは質問を通して把握できる特徴について簡潔にまとめる。ただし,これらはあくまで典型的な特徴であり,すべての徴候が必ず現れるわけではない。また現れ方には個人差が大きく,状況や各反応の重なりによっても変化しうる点には,常に留意が必要である(Porges, 2011;Kolacz et al., 2019;津田,2019;花澤,2022)。
交感神経系優位の状態
逃げるか闘うか,すなわち「筋肉運動による防衛」のための生理的変化が起こっているにもかかわらず,それが本来の形での行動として完了できずにいる状態である。
- 自律神経系の表出: 心拍数や血圧の上昇に伴い,呼吸は速く浅くなる。顔色の変化(蒼白,あるいは紅潮)や,手掌・腋窩の発汗(冷や汗)も特徴的である。
- 筋肉運動系の表出: 「動きたい」という衝動が抑制されているため,落ち着きのない手足の動き(貧乏揺すり等)や,頻繁な座り直しが現れる。また,肩が上がる,顎を噛みしめるといった筋緊張が見られる。
- その他: 身体的には動悸,息苦しさ,胸部の圧迫感や胃痛を訴えることが多い。感情面では,不安,焦燥感,恐怖,イライラなどが訴えられる。早口で,焦りのために内容がまとまらず,同じ訴えを繰り返す傾向が見られる。
背側迷走神経系優位の状態
「手も足も出ない」という圧倒的な脅威に対し,最も原始的な「不動」による防衛が生じている状態である。
- 自律神経系・運動系の表出: 声は小さく単調になり,表情は変化が乏しい。全体に動きに乏しく,姿勢はうつむきがちで,視線が合いにくく,目に生気が感じられない。
- その他: 身体的には,冷えや脱力感・倦怠感,および吐き気や腹部不快感や下痢などの消化器症状が訴えられることが多い。精神的には,感情の麻痺,意欲の減退に加え,現実感の喪失や離人感といった解離症状が見られることがある。
社会的関わりシステムが働いている状態(腹側迷走神経複合体優位)
安全であるというニューロセプションにより,迷走神経ブレーキが機能し,恒常性の維持と他者との交流が可能になっている状態である。
- 自律神経系の観察: 呼吸は深くゆったりとしており,特に呼気が長い。顔色は適度な血色を保ち,手足は温かい。
- 筋肉運動系の観察:目の周りの筋肉が動く自然な笑顔(デュシェンヌ・スマイル)が見られ,視線は柔らかく相手と自然に合う。声には抑揚(プロソディ)があり,姿勢には過度な緊張や弛緩した様子がなく,動作もスムーズである。
- その他: 落ち着いている自覚があり,感情も穏やかで意欲や好奇心も保たれている。コミュニケーションもなめらかである。
相手の状態を理解するためのもう一つの重要な情報源は,関わっている自分自身の反応である。 互いの神経系は常に影響を与え合っており,こちらの神経系は,相手が発する微細なサインをニューロセプションによって検知し,瞬時にさまざまな反応を引き起こす。
たとえば,面接中に理由もなく急に落ち着かなくなったり,相手に対して妙にイライラを感じたりする場合,それは相手の闘争反応を感受しているからかもしれない。強い眠気に襲われたり,頭がぼんやりして思考が回らなくなったりする場合は,相手の凍りつき反応に同調しているのかもしれないのである。このように,自らの身体に生じる違和感を「相手を知るためのセンサー」として活用する意識を持つことが大切である(Geller, 2018;花澤,2019)。
2)関わりの実際
以上述べてきた「読み取り」を基盤とし,その瞬間の相手にとって最も適切な社会的関わりシステムを提供すること,それが治療的介入の基本となる。 ここで重要なのは,こちらの善意や穏やかさが,必ずしも相手に「安全」として届くとは限らない点である(花澤,2019)。防衛反応の渦中にある神経系は,微笑みすら「敵意」や「侵入」とニューロセプトする可能性がある。したがって,私たちは自らの社会的関わりシステムの出力を,相手の反応を見ながら微調整し続けなければならない。
話す声の大きさや話すスピード,表情や姿勢,視線の向け方などの微細な調整を通じて,「ここは安全」というニューロセプションが生じ,相手の神経系が防衛反応から耐性領域へと復帰することを促す。このプロセスが「協働(共同)調整(Co-regulation)」であり,この作業の繰り返しが,神経系のレジリエンスを高める「ニューラルエクササイズ」となる。
支援者との間にまず「安全」が確立され(社会的関与システムの活性化),相談過程であらわれる動揺(交感神経系の活性化)が,適切な関わりによって受けとめられ,再び安定する。 この「安全→動揺→再安定化」というサイクルの繰り返しが,硬直した神経系に柔軟性を取り戻させ,耐性領域そのものを拡大していくのである(Sullivan et al., 2018;花澤,2019;Porges & Porges, 2023)。
4.精神療法において「言語」をどうとらえ,どう使うか
従来の精神療法,いわゆる「トーク・セラピー」は,言葉を治療の主たる媒体としてきた。精神分析における自由連想と解釈による無意識の意識化にせよ,認知行動療法における認知(ものの見方・捉え方)の修正にせよ,そこでは「言語」による自己理解や再構成が変化の鍵であると考えられてきた。しかし,ポリヴェーガル理論の視点から見るとき,「言語」というツールは,諸刃の剣としての危うさを孕んでいる。
本来,人類の言語は社会的関わりシステムを基盤として,他者との協力をより円滑にするために進化したはずであった。しかし,高度に発達した言語と,それを基盤とする思考や価値観は,しばしば私たちの身体のニーズから乖離し,それを縛り付ける機能をも獲得してしまった。「休んではいけない」「逃げてはいけない」「もっと頑張らないと」等々,これらは本来,生育過程において養育者や社会から「外からの要請」として与えられた言葉である。しかし,それらがいつしか強固な「自己規制」や,自分自身を定義する「物語」として内在化されることで,生物としての身体が発する「休息したい」「逃げたい」という切実な叫びは封じ込められるようになる。 外から与えられた言葉が,内側から自らを追い詰め,不安や悲観,自己否定を増幅させる凶器ともなりうるのである。
だからこそ,私たちは,自身の発する言葉が,目の前の相手との社会的関わりのために機能しているのか,常に留意する必要がある。防衛反応に支配されている相手に対して,いくら論理的に正しい助言や,ポジティブな認知の提案を行っても,それを運ぶ「声(音)」が安全のシグナルを含んでいなければ,言葉は届かない。また,言葉の意味内容は優しくても,声のトーンが硬かったり,表情が険しかったりすると,相手の言語的認知とニューロセプションとの間に矛盾を生じさせ,混乱や警戒,あるいは不信をつのらせることとなる。
つまり,精神療法において大切なのは,言葉の意味内容以前に,その言葉が私たちの社会的関わりシステムが起動した状態で発せられているのかという点にある(花澤,2019)。
そのような非言語的な安全のシグナルとしての音声を前提とした上で,私たちが使う言葉の内容としては,まず「相手をそれ以上弱めない・傷つけない内容」が選ばれるべきだろう。相手の生物学的ニーズ(休みたい,逃げたい,怖い)よりも,外からの社会的ニーズ(学校や会社には行けた方が良い,常識的に振る舞うことが正しい,など)に応えることを求めるような言葉,あるいは,まず思考を変えようとする提案(考え方を変えてみよう,違う見方もあるのでは,など)は,いくら「相手を思って」のことであっても基本的に控える,あるいは慎重に時期を待つという自戒を持つ必要がある。
もちろん,いずれは誰であれ,社会的な常識を共有し,社会のニーズに応え,見知らぬ人たちとの関係にも適応できるようにならなければならない。
しかし,「精神療法」においてまず必要なのは,いきなり社会に適応できる能力を身につけさせることではない。目の前の「私」との関係において,安心の土台を作り,「関わりの中で生きていく」ために準備された神経システムを起動させ,育てていくことではないだろうか。
5.おわりに
太古の昔,人類にとっての主な脅威は,厳しい自然環境であり,肉食獣であり,共同体外の人間(見知らぬ人)からの攻撃であった。文明の進歩と巨大な社会の出現は,個人の生存の可能性を大幅に広げると同時に,常に人が人の「敵」となりうる世界を作り上げてしまった。この世界は,身近な者にすらやさしさを発揮する余裕をしばしば私たちから奪う。
だからこそ私たち誰にとっても大切なのは「味方」としての人である。援助を必要としている相手に対して,本当の意味での「味方」になりうるか? 精神療法の課題をそうとらえるとき,ポリヴェーガル理論が私たちに教えてくれることはきわめて大きく貴重である。
文 献
- Badenoch, B.(2018)”Safety is the Treatment”. In: S. Porges, & D. Dana (Eds.): Clinical Applications of the Polyvagal Theory. W. W. Norton & Company. (花丘ちぐさ訳(2023)ポリヴェーガル理論 臨床応用大全.春秋社.)
- Dana, D.(2018)The Polyvagal Theory in Therapy: Engaging the Rhythm of Regulation. W. W. Norton & Company.(花丘ちぐさ訳(2021)セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ.春秋社.)
- Geller, S. M.(2018)Therapeutic presence and polyvagal theory. In: S. Porges, & D. Dana (Eds.): Clinical Applications of the Polyvagal Theory. W. W. Norton & Company.(花丘ちぐさ訳(2023)ポリヴェーガル理論 臨床応用大全.春秋社.)
- 花澤寿(2019)ポリヴェーガル理論からみた精神療法について.千葉大学教育学部研究紀要,67; 329-337.
- 花澤寿(2022)ポリヴェーガル理論—その概要と臨床的可能性.Brain and Nerve, 74 (8); 1011-1016.
- Kolacz, J., et al.(2019)Traumatic stress and the autonomic brain-gut connection in development: Polyvagal Theory as an integrative framework for psychosocial and gastrointestinal pathology. Developmental Psychobiology, 61 (5); 796–809.
- Neuhuber, W. L., et al.(2022)Functional anatomy of the vagus system: How does the polyvagal theory comply?. Biological Psychology, 174; 108425.
- Ogden, P., et al.(2006)Trauma and the Body: A Sensorimotor Approach to Psychotherapy. W. W. Norton & Company.(太田茂行訳(2012)トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実践.星和書店.)
- Porges, S. W.(2011)The Polyvagal Theory: Neurophysiological Foundations of Emotions, Attachment, Communication, and Self-regulation. W. W. Norton & Company.
- Porges, S. W., & Porges, A. J.(2023)Our Polyvagal World: How Safety and Trauma Change Us. W. W. Norton & Company.
- Sullivan, M. B., et al.(2018)Yoga Therapy and Polyvagal Theory: The Convergence of Traditional Wisdom and Contemporary Neuroscience for Self-Regulation and Resilience. Frontiers in Human Neuroscience, 12; 67.
- 津田真人(2019)「ポリヴェーガル理論」を読む—からだ・こころ・社会.星和書店.
花澤 寿(はなざわ・ひさし)
千葉大学教育学部養護教育講座
資格:精神科専門医,Somatic experiencing®プラクティショナー
主な著書:
『新版 基礎から学ぶ学校保健』(分担執筆,東山書房,2018)
『精神看護学1 精神看護学概論/精神保健 第6版』(分担執筆,メヂカルフレンド社,2021)
『わが国におけるポリヴェーガル理論の臨床応用—トラウマ臨床をはじめとした実践報告集』(分担執筆,岩崎学術出版社,2023)
『治療共同体アプローチ—心に深い傷を負った子どもたちのために』(監訳,岩崎学術出版社,2023)
趣味:読書,絵画鑑賞






