前田 潤(室蘭工業大学)
シンリンラボ 第35号(2026年2月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.35 (2026, Feb.)
今回は,先号で紹介したパースのドラマを,サイコドラマの中心概念である「ロールセオリー」と,神経学的構造から得られた知見である「ポリヴェーガル理論」という二つの視点から考察してみたい。通常,サイコドラマの展開はロールセオリーから理解するが,今回はそこからさらに,ポリヴェーガル理論によってどのような生理的・神経的な変容が起きていたのかを合わせて検討することで,臨床現場における多層的な理解に努めたい。これはサイコドラマの理論と身体神経学をつなぐ,新しい試みである。
パースのドラマをロールセオリーから理解する
サイコドラマは,その時々に現れるさまざまな可能性の中から一つを選び取りながら進んでいく。そのため,進め方にはいくつもの分岐点があり,「これが唯一無二の正解である」というものはない。
今回のセッションの枠組み的な特徴としては,これが二つ目のセッションであったため,残り時間が30分しかないという制約があった点が挙げられる。実際には展開に応じて時間が伸び,最終的には45分ほどを要することとなったが,この時間的制約がドラマの密度を濃くした側面もあるだろう。
ウォーミングアップ
サイコドラマは大きく分けて「ウォーミングアップ」「ドラマ」「シェアリング」という三つの流れで行われる。ウォーミングアップは,参加者全員にとってのサイコドラマを行うための準備段階であり,非常に重要なプロセスである。参加者が輪になって,あるいは半円になって座るところから始まり,監督にとっては,誰がどのような目的や期待を持って参加しているのかを確認する場である。同時に参加者にとっては,互いを知り,打ち解け合う場でもある。そのため,簡単な自己紹介をしたり,ゲーム的な要素を取り入れたりすることもある。そうして「安心・安全な場」を構築しようとするのである。
この観点から見ると,パースの事例におけるウォーミングアップは,それに先立つ「リンのドラマ」であったといえる。パースが主役となって舞台に立ったのは,ちょうどリンのドラマで一度「ごっこ遊び」を終えたようなタイミングであった。パースにとっては初参加であったが,リンのドラマを通じてやり方がある程度わかり,「自分もやってみようかな」という自発的な意欲が改めて喚起されたのである。つまり,彼はリンのドラマを通じて十分にウォームアップされていたのである。
パース事例でのサイコドラマの進め方
はじめにパースは,「何か嬉しかったりしても,頭ではわかっていても,それを遠くに感じる」と語った。この感覚表現を聞いた監督は,それを「どのくらい遠くに感じるのか」と具体的に尋ね,さらにパース役(補助自我)を選んでその位置に配置した。これは「具体化(Concretization)」というサイコドラマの基本手法である。さらには,もう一人のパース役を置いたことで,これはパースの「ダブル(もう一人の自分)」ともいえるし,ドラマに必要な要素を参加者に演じてもらう「補助自我」ともいえる。
こうしてパースの内部で起きていることを言語的な表現にとどめず,次々と具体的に「見える化」していく。これがサイコドラマの一般的なアプローチである。パースが語る「遠くに感じる」という表現は,彼の「解離」の実感としての感覚を述べていると考えられる。しかし監督は,安易に「解離ですね」といった専門用語を使わない。知性化(感情を切り離して理屈で理解すること)による回避を防ぐため,あくまで本人の実感に合わせて具体化を進めていく。パースの中に湧いてきた「このまま出して良いのか悪いのか悶々とする」という感覚に対しても,そこに拘泥することなく,その感覚自体の役を選び,起きている事態を次々と舞台上に具体化していく作業を継続するのである。
グループへの配慮と今後の展開のための準備
この時,監督は「それではあなたの役をやってくれる親切な人だろうと思う人を,参加者から選んでください」という,一見回りくどい言い回しで促している。これには極めて重要な伏線的意味がある。少し面白い言い回しをすること,そして「親切な人」と意味付けることで,選ばれた参加者は,多少の面映ゆさや滑稽さを覚えつつも,その役を快く引き受けやすくなる雰囲気が作られる。
特にトラウマや逆境的小児期体験(ACEs)がテーマとなる場合,ドラマが進むにつれて出来事に関連した「仇役(悪役)」が必要になることが想定される。主役自身がその仇役を参加者から選ぶことに心理的な抵抗を感じたり,選ばれた側も「自分はそう見られているのか」と複雑な思いを抱いたりすることがある。ドラマに慣れていなければ尚更である。そのため,事前の準備として「親切な人」という言葉で配役を促すことで,主役の選びやすさを確保し,また選ばれた参加者の負担感を「思わず苦笑するような空気感」によって軽減しようとしているのである。
解離からロール葛藤へ
パースの「遠くに感じる感覚」を見える化した後,パースを一度舞台の中心に戻し,「楽しい,嬉しいという感覚はどのあたりにあるか」を尋ねる。するとパースは,やはり舞台から離れた場所にその役を置く。「楽しい・嬉しい」役に選ばれた参加者は,本当に嬉しそうに,楽しそうに振る舞い,「嬉しいよ」「楽しいよ」と舞台上のパースに呼びかける。その瞬間,パースにもその楽しさが伝播し,楽しさが湧き上がったかのように微笑みがこぼれる。
しかし,喜びが芽生えたかと思うとすぐに,パースは「でも」と言い,危険なところに行きたくなる衝動が湧き起こってきたと述べる。一方で,「行ってはダメだ」と制止する考えも同時に湧く。パースは「自我同一性障害」や「反復強迫」といった専門用語を用いて自らの状態を分析しようとするが,その衝動が湧き起こること自体をどうすることもできず,途方に暮れてしまうのである。
サイコドラマでは,こうした事態を「ロール(役割)」から捉える。今,パースに起きているのは,「嬉しい」という快の感情のロール,危険なところに行きたいという「行動欲求」のロール,そしてそれを制止しようとする「思考」のロールである。パースは,これら複数のロールの間で激しい葛藤に陥り,身動きが取れなくなっているのである。
ロール葛藤から新たな発見,新たな体験へ
このようなロール葛藤の渦中にいるパースに対し,監督が提案したのは「ミラー(鏡)」の技法である。これは自分自身の置かれている状況を,一度舞台の外へ出て客観的に「見る」という技法だ。パースは,他の参加者が再現してくれる「葛藤する自分」の場面を,少し離れたところから観察する。監督は「何が見えますか?」と問いかけ,同時に「サイコドラマでは何でもできる」とパースを励ます。しかしパースはなおも「どうしよう」と途方に暮れそうになる。
実のところ,この時点で監督に具体的な解決のアイデアがあったわけではない。ただ,改めて全体をよく見るように促したに過ぎない。その促しに応じて,パースがひと通り全体を見回したとき,予期せぬことが起きた。パースは,舞台の隅で寝転んで本当に寝入っている一人の参加者を発見したのである。
そしてパースの口から,「自分もあんなふうにゆっくり休みたい」という欲求が漏れた。それは,これまでの膠着した葛藤を打ち破る,全く新しい欲求の噴出であった。これは監督にとっても,参加者にとっても,そしてパース自身にとっても,誰も想像していなかった予想外の展開であった。
重要なポイントは,この解決の糸口をパース自身が「発見した」ということである。サイコドラマでは,創造的な過程において「自発性(spontaneity)」が欠かせないものとして最重視される。他者から与えられた指示ではなく,自らの自発的な発見であったがゆえに,パースの中に新たなドラマを創造するためのエネルギーが湧き出たのである。
監督はその瞬間を見逃さず,新たに湧き起こった欲求を叶える方向へと舵を切った。これが監督としての最大の仕事といえる。「それをやりましょう」とパースに促し,パースは戸惑いながらも笑みを浮かべ,寝転んでいる参加者のそばへと近づいていく。監督も共に寄り添う。すると,寝ていた参加者が目を覚まし,状況に驚いて戸惑いを見せる。周囲に笑いが起き,パースは「いいんだろうか?」と疑問を口にする。監督はこの疑問を「いいんですか?」と参加者全員に問いかけ,グループ全体を巻き込んでいく。参加者からは「いいんだよ」「ゆっくりしていいんだよ」という肯定的な呼応が次々と返ってくる。監督はさらに参加者全員にパースの近くに来るよう求め,主役とグループを一体化させていった。
一方,寝転んでいた参加者も,その温かな空気の中で再び身を横たえる。パースはその隣で大きく深呼吸をする。この「呼吸」は極めて重要である。監督は,「ゆっくりして良い」というメッセージを,言葉だけでなく身体に取り入れるように深呼吸を促す。自分自身だけでなく,他者からの肯定的メッセージを受け取り,スタッフにさすられる手の温もりを感じながら,パースの身体は徐々にリラックスしていく。彼は葛藤体験から切り離され,全く想像もしなかった「心地よくリラックスできる新しい体験」を享受することとなった。サイコドラマの観点からいえば,ここに「新しいロール(安息する自分)」が誕生したのである。
参加者に自己理解と自己肯定感が広がる
このパースのドラマは,主役一人の変化にとどまらず,グループ全体に波及した。例えば,以前のドラマで「怖い」と評されていたリンは,パースのドラマの中で「女神のような役」になったことで,笑顔や「真面目すぎないこと」の大切さを自ら発見した。これはリンにとっての新しい自己理解であった。
また,途中で寝てしまった参加者も,「自分のありのままの姿でそこにいて良いのだ」という自己肯定感を深めることとなった。実際,彼の「サイコドラマの最中に仰向けになって寝る」という自由な振る舞いこそが,パースのドラマにおける劇的な転換点を生んだのである。
監督だけでなく参加者全員が,それぞれの自由な表現や振る舞いを許容する態度を貫いたことで,グループ全体に「何を出しても大丈夫だ」という安心感が広がり,パースのドラマは,その場にいた全員のドラマへと昇華されたのである。
逆境的体験(ACEs)の影響とその変容
詳細な背景は語られていないが,パースには虐待を受けた経験があるという。その時期や内容は不明であるため,ここでは「逆境的体験(Adverse Experiences: AEs)」と呼ぶにとどめるが,ドラマの中でその影響と思われる反応が顕著に現れた。それが「遠い感じがする」という解離的な感覚や,「危険なところに行きたくなる」という衝動である。
パースは,自分に起きていることを「解離」や「反復強迫」という言葉で理解しようとしていたが,それはあくまで知的な理解であり,身体に刻まれた衝動を制御する助けにはなっていなかった。しかし,寝ている参加者の発見を契機に,「あんな風になりたい」という身体的な欲求を表明し,温もりの中で深呼吸をして安心感を味わった。これは,これまでのパースが繰り返してきたパターンとは全く異なる,新たな身体感覚を伴う変容体験であったと思われる。
ポリヴェーガル理論のニューロセプション
こうしたパースの身体感覚や湧き起こる衝動は,ポリヴェーガル理論で提起される自律神経系の働きとして精緻に読み解くことができる。
ポリヴェーガル理論は,従来の「交感神経系(SNS)」と「副交感神経系」という二極構造ではなく,副交感神経系が「背側迷走神経系(DVC)」と「腹側迷走神経系(VVC)」の二つの異なる経路を持つことを明らかにした。これにより,自律神経系はSNS,DVC,VVCという三つの神経系のダイナミズムとして捉えられるようになったのである。
自律神経系は我々の生命維持の根幹を担っており,常に周囲の安全と危険を察知し,適応的な行動を選択しようとする。交感神経系(SNS)は「逃走・闘争」のための可動化システムを,背側迷走神経系(DVC)は「身を凍らせて固める」ための不動化システムを作動させる。そして腹側迷走神経系(VVC)は,他者との絆を深める「社会交流」のシステムを作動させる。
ポリヴェーガル理論によれば,パースが述べる「遠くに感じる」という感覚は,圧倒的な脅威に直面した際に作動するDVCによる不動化(解離)の主観的体験とみなすことができる。また,ここには「ニューロセプション(Neuroception)」という重要な概念が関わっている。これは,意識にのぼる以前の段階で,神経系が周囲の環境を「安全か,危険か,あるいは生命の危機か」と自動的に評価するプロセスのことである。
私たちは認知的な判断を下すよりも先に,他者の表情や声の調子(VVCのサイン)をニューロセプションによって察知し,即座に身体的な準備体制を開始する。しかし,逆境的小児期体験(ACEs)などを持つ場合,このニューロセプションに「誤作動」が生じることがある。安全な状況であっても,過去のトラウマに関連する微細なサインに反応し,過剰に危険と判断して攻撃的になったり,逆に激しい不安を感じたり,あるいは解離(DVCの作動)を起こしたりするのである。
パースの場合,周囲が楽しそうであることは認知(パーセプション)できているが,その「楽しさ」が身体に安全なものとして届かず,むしろ馴染みのある「危険な衝動(SNSの賦活)」へと神経系が引っ張られてしまったと理解される。彼を苦しめているジレンマが表に現れたのである。
パースに見るホメオスタティック・ダンスと「マジカル」
ポリヴェーガル理論の提唱者であるスティーブン・ポージェスは,単一の神経系だけでなく,それらがブレンドされた状態に注目している。VVC(安全)が土台にあるとき,SNS(可動)とブレンドされれば「あそび」の状態となり,DVC(不動)とブレンドされれば「恐怖なき不動化(愛・社会的絆)」の状態となる。
ポージェスは,これらの状態をしなやかに行き来することを「ホメオスタティック・ダンス」と呼び,このダンスが可能になる安全な領域でこそ「マジカル」な癒しが起こると述べている。
パースのドラマを振り返ると,彼が「楽しそう」というVVCのサインに触れた際,本来なら「あそび」へと移行するはずが,過去のパターンからSNS単独の過激な衝動へと引きずり込まれそうになった。しかし,監督の「よく見てください」という促しによって,パースの注意は外部へと向け直された。そこで発見した「寝ている参加者」の姿は,あまりにも無防備で,かつユーモラスな「安全の象徴」であった。
この驚きと面白さが,パースの消退しそうになっていたVVC(社会交流システム)を再賦活させたのである。監督が即座にそれを取り上げたことで,パースは葛藤から離れ,「あそび」の心を持って移動し,最終的には仲間たちの見守りの中で深呼吸をすることで,VVCとDVCがブレンドされた「愛・社会的絆(恐怖なき不動化)」を深く味わうことに成功したと理解できるのではないだろうか。
このとき,寝ていた参加者はパースのために寝ていたわけではない。その場に漂っていた「寝ても許される」という自由でリラックスした安全な空気が,彼を眠りに誘ったのである。これこそが,監督の意図をも超えた,グループが生み出した「マジカル」な瞬間であった。

まとめ
もちろん,一回のドラマでパースの全ての苦悩が解消されたわけではない。しかし,ロールセオリーの観点からは,葛藤を脱してリラックスするという「新たなロール」が芽生えたことが重要である。またポリヴェーガル理論の観点からは,DVC優位の解離状態やSNS単独の衝動から抜け出し,VVCを基盤とした「安全な不動化」を身体が経験し,神経系の柔軟性を取り戻す第一歩を踏み出したといえる。臨床実践においては,こうした変容は個人の努力だけで起きるものではない。サイコドラマという枠組みの中で,グループが「安全な器」として機能したからこそ生まれたものである。このような安全な場づくりと,そこで起きる体験をどのように促進していくかについては,サイコドラマの手続きの観点からさらなる考察が必要である。それについては改めて論じることとし,次回は「身体違和感」から始まった別のサイコドラマ事例に基づき,さらなる考察を行いたい。
前田 潤(まえだ・じゅん)
室蘭工業大学大学院教授
資格:サイコドラマTEP,臨床心理士,公認心理師。
主な著書: “Cultural Diversity, Groups & Social Challenges”(共著,IAGP,2025),『心理劇入門―理論と実践から学ぶ』(共著,慶應義塾大学出版会,2020),『総合病院の心理臨床―赤十字の実践』(共著,勁草書房,2013)
趣味:サイコドラマ,オペラ鑑賞






