長岡由紀子(愛知みずほ大学)
シンリンラボ 第30号(2025年9月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.30 (2025, Sep.)
1.はじめに
タイトルを見て「グループバウムとはなんだろう?」と思われた方は少なくないのではないだろうか。端的にいえば,バウムテストを使ったグループワークのことである。おそらく,本法の発案は筆者によるものといっても差支えないだろう。しかし,まだ十分な検討が行われているわけではなく,バウムテストの変法とさえもいえない段階かもしれない。事実,バウムテストには多くの変法が存在するが,その問題点として,バウムテストの変法は特定の研究者による検討に留まっており,「変法がその考案者らのみの聖域となってしまっている傾向」があることが指摘されている(佐渡ら,2011)。筆者もこの指摘に大いに賛同する立場である。にもかかわらず,筆者はグループバウムなる新たな技法を発案し,考案の末,試行している。そこで,まずは発案に至った経緯について述べさせていただきたい。
2.グループバウム発案の布石
誤解をおそれず申し上げれば,本法は精緻な理論や周到な準備があって発案されたものではない(しかし,発案後に考案の経緯は辿っているつもりである)。その発案に至るまでの布石として,以下の4点について紹介する。
1つ目は,グループ箱庭の体験があったことである。グループ箱庭は岡田(1991)により心理臨床家のトレーニング技法として開発されたものであり,イメージを介した非言語的コミュニケーションを通して自己理解や他者理解が深化することを目指したものである。筆者も心理臨床家のトレーニングの一環として体験したことがあった。箱庭のアイテムという具象的なイメージを,砂箱という「場」に他者の存在がある中で「置く」というのは,個人で箱庭を置いた時とは異なるある種の緊張感があった。「自分が置いたアイテムはこのグループの中ではどうなのだろう」という客観的な視点を求められるような体験である。自分のイメージをグループワークで表現した初めての体験であった。
2つ目は,ファンタジーグループの存在を知ったことである。ファンタジーグループとは,「描画を中心とした集団療法」(樋口,2000)であり,いくつかのワークで構成されている。本法を取り扱っている研究会で実際に体験をされた先生がファンタジーグループを実施するということになり,筆者はお手伝いをさせていただくことになった。本技法では絵の具を使用するワークがあり,参加者はワーク中に絵の具の色を代える際に一旦絵の具皿をバケツの水で洗う。そのためバケツの水は濁って汚くなり,適宜,新しい水に替える必要が生じるが,この仕事を筆者は担った。実際に行って見ると「絵の具で濁った水を捨て,新しい水を汲む」ということをひたすら繰り返すうちに,何かを「循環」しているイメージを想起するようになった。グループワークにおける「循環」という存在を意識した体験であった。
3つ目は,ある一定の負荷をかけて実施した「人生ゲーム」において,偶発的な出来事が多く生じたという体験である(長岡・古谷,2019)。「人生ゲーム」(タカラトミー社)は,プレイヤーが人生を模倣しながら折々のイベントで資金の獲得を競うボードゲームである。先述の「一定の負荷」というのは,プレイヤーに「別の誰かになり切る」という内的な枠を課すというものである。この方法でゲームを実施すると,偶発的な出来事が散見されるようになった。筆者はこの不思議さに関心をもったが,その因果性を立証することは困難であり,研究として発展させることはできなかった。それでも,ボードゲームという全体を一望できる「場」がメンバーのコミット感を高め,ゲーム過程が各自の「物語」となり,ワークの活力を生み出すことを知った。
そして4つ目は,ある1つの質問をいただいたことである。筆者は,中学や高校の先生方を対象に描画法の講習としてバウムテストを実施し,解説を行ったことがあった。その際に1人の中学校の先生から次のような質問をいただいた。「この木の絵を使って,何か子どもたちができるワークなどはあるのでしょうか?」思いがけない質問に,その時の筆者は明確に答えることができなかったが,同時に,そのようなワークがあってもいいのではないか,と漠然とした思いを抱くようになった。
3.グループバウム技法の紹介
以上の事柄を布石として,筆者はイメージを用いた非言語的なグループワークとして次のような手順によるグループバウム技法を考案した。なお,現在のところ,参加人数を4名としている。
① A5サイズの画用紙に,次の3パターンのバウムテストを施行する。最初に,原法通りのバウムテスト,次に,枠つき法によるバウムテスト,最後に,クレパスを用いた色彩バウムの3つである。
② メンバー同士でジャンケンをしてもらい,勝った人から1〜4番までの順番をつける。
③ 台紙(模造紙を2枚分の大きさ:約1,085×1,576cm)に,1番の人には「山」,2番の人には「川」,3番の人には「道」,4番の人には「石」を黒のマジックペンで描いてもらう。
④ 1番の人から順に,台紙の上に自分のバウムを1枚置いてもらう。但し,置かずに「パス」をしてもいいこと,他の人が置いたバウムを移動させてもいいこと,ワーク中は話をしないこと,を加えて教示した。また,最後となる回のはじめに施行者より,「この回で終了します」と伝えるため,それまでは何回行うかはわからないこともつけ加えた。
⑤ 施行者は各回で4人の試技が終わるごとに,バウムが置かれている台紙の写真を撮る。
⑥ 6回目に入る前に,施行者は「この回で終了します」と伝え,6回目で終了する。
⑦ フリーディスカッション
上記の②,④〜⑦はグループ箱庭の手順に倣った。その他,バウムを3種類としたこと,台紙を作るようにしたこと,台紙に描き入れるものを「山,川,道,石」としたことなどは,筆者のオリジナルであるため,議論の余地は十分にあると考えている。なお,台紙を作ることにしたのは,何もないところには置きにくいのではないかと考えたためである。
4.グループバウムの実際
以下の写真は,実際に行われたグループバウム終了時の様子である。4名のメンバーが1人3枚のバウムを置いているため,全部で12枚のバウムが置かれている。
図1 グループバウム(例)

現段階では6回,試技を行うようにしているため,ほとんどの場合,メンバーは前半の3回までは「自分のバウムを置く」ことが中心となり,後半の3回は「バウムを移動させる」行為が中心となる。そして,この後半の3回にグループの特徴が見られることがわかった。
まず,他者のバウムを移動させるかどうかは,グループで違いがあった。メンバーの全員もしくは一部であっても,他者のバウムを移動させる行為が見られたグループは,終了後のフリーディスカッションは活発なものとなった。なぜそうしたのか,などの意図が明らかになることで互いに気づくことがあるようであった。その一方で,他者のバウムを移動させる行為が見られなかったグループは,ワーク後のディスカッションのやり取りは希薄であった。
また,ワーク中は話をしないという条件があったためか,メンバー間で「空気を読む」ようになるグループがいくつか見られた。具体的には,4回目以降にメンバー間で特定の1枚のバウムは「動かしてはいけない」という空気が広がり,後のフリーディスカッション時に,お互いが同様のことを思っていたことが確認されるという例が見られた。この際の特定の1枚とは,とても彩色が鮮やかで目を引くバウムだったり,台紙に描かれた山の頂上や,川の隅など,特徴的な場所に置かれたバウムがその対象となっていた(長岡,2023)。
以上のような特徴がみられた一方で,メンバーからの内省報告に「バランスを考えてバウムを置いた」や自分がこうしたかったから置いた,というような記述が散見された。そこで,メンバーが何を判断基準としてバウムを置く場所を決めているのか,ということを調べるために,「場」「他者」「自分」のいずれに基づいて置いたのか,ということについて回答を求め,検討を行った。その結果,「場」と「自分」が「他者」よりも有意に高い判断基準となっていることが明らかになった。そしてこれは,同メンバーで行ったグループ箱庭でも同様の結果がみられた。これはすなわち,他者(他者がどう置いているか)よりも,場(どこに何が置かれているか)や自分(自分がどうしたいか)を置く際の判断基準にしているということである(長岡,2025)。このように,グループバウムとグループ箱庭の双方において同様の傾向がみられたことを鑑みると,本法におけるイメージ体験として,次のようなことが考察された。
5.グループバウムのイメージ体験
筆者は本法を考案した際に,グループ箱庭は立体物であるアイテムを置くため3次元的な体験であるとみなし,描画という平面物(2次元)を置くグループバウムは,置く物の次元が1次元少なくなるため,その侵襲性が低下するのではないかと考えた。これは中井(1984)の箱庭と風景構成法の比較による論考を援用した考えである。しかし,前項の最後に記したように,グループ箱庭とグループバウムでは,立体物であれ,描画であれ,置き手としては同様の体験であることが明らかになった。そのため,両技法の違いは別の側面にあるのではないかと考え直した。
そこで思い返されたのは,ワーク後のフリーディスカッションである。グループ箱庭とグループバウムでは,話し合いを始める時点で共有されているイメージの程度が異なることが推察された。なぜなら,グループ箱庭の場合は,アイテム自体に何らかのイメージが付与されているため(例えば,家,人,など),言葉のやり取りをしなくても,ワークで表現された作品に対して,メンバー同士がある程度共通したイメージをもつことは可能である。一方,グループバウムの場合は,バウムを見ただけではそれがどのような木であるかは,描いた本人からの説明がなければ理解しにくい。そのため,言葉によるやりとりが求められることになる。言い換えれば,グループ箱庭はワークで表現されたイメージを非言語の状態でもメンバーで共有できるが,グループバウムはワークで表現されたイメージを言語化しながらメンバーで共有していくワークであるといえる。
すなわち,個々の描き手のイメージが投影されるバウムというイメージを用いたワークであるからこそ,言葉で共有された時の「物語」の立ち上がり方は,グループ箱庭で共有されたイメージが言葉にされたときの「物語」の生成よりも,より広がりがあるのではないかと考える(実際の例として,グループ箱庭では,メンバーは「こういう場面だよね」という理解からディスカッションが始まり,その認識から大きく外れることは少なかったが,グループバウムの場合は「そういうつもりでこの木をここに置いたの?」というように,話し合うにつれてお互いの理解が深まるということが少なくなかった)。しかし,このような見解は,筆者の体験の一端によるものであるため,今後は,客観的な視座も含めて,提示できるようにしていきたい。
以上の見解を含め,本法は検討途中のものであるが,「子どもたちが楽しめる木のワーク」として,意義ある技法となるよう,今後も取り組んでいく所存である。
文 献
- 樋口和彦(2000)ファンタジーグループとは.In:樋口和彦・岡田康伸編:ファンタジーグループ入門.創元社,pp.5-16.
- 長岡由紀子(2023)バウムテストと用いたグループワーク技法の検討-ワークの過程にみられた特徴より-.日本心理学会第87回大会発表抄録集,p.293.
- 長岡由紀子(2025)グループバウムにおいて場を構成する要因の検討-グループ箱庭との比較から-.日本心理臨床学会第44回大会発表抄録集,(印刷中)
- 長岡由紀子・古谷学(2019)遊びにおける「役割」が「内的な枠」として作用することの意義―ボードゲームにおける偶発性と流れに着目して―.常葉大学健康プロデュース学部雑誌,13 (1); 57-64.
- 中井久夫(1984)風景構成法と私.In:山中康裕編著:H・NAKAI風景構成法.岩崎学術出版社,pp.261-271.
- 岡田康伸(1991)グループ箱庭療法の試み.京都大学教育学部紀要,37; 155-177.
- 佐渡忠洋・別府哲(2011)バウムテストの変法に関する一考察―バウムテスト文献レビュー(第四報)―.岐阜大学教育学部研究報告 人文科学,59 (2); 169-182.
長岡由紀子(ながおか・ゆきこ)
愛知みずほ大学人間科学部心身健康科学科教授
資格:臨床心理士・公認心理師,博士(体育学)





