緊急特別寄稿 ポリヴェーガル理論は死んだのか⁉ 〜2026年 ポリヴェーガル論争を読み解く〜 超ダイジェスト版|津田真人

津田真人(心身社会研究所)
シンリンラボ 第41号(2026年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.41 (2026, Aug.)

はじめに

2026年2月,バーゼル大学病院心身医学科名誉研究ディレクターの精神生理学者ポール・グロスマンと,その呼びかけに応じた神経生理学・自律神経学・進化生理学の国際的専門家38名は,『Clinical Neuropsychiatry』誌に「なぜポリヴェーガル理論は支持できないか」と題する論文を発表した。そこで彼らは,スティーブン・ポージェスのポリヴェーガル理論(PVT)を「神経生理学や進化の既存のエビデンスに基づいて擁護できない」と結論づけ,「生理学的にもっともらしく見えながら実際にはあり得ない説明は,心理療法家にも,心理学・精神生理学・医学・神経科学にも有益ではない」と断定したのだった。

PVTの骨格部分に標的を定めた本格的な批判であるだけに,しかもその結論はほとんど全否定ともいうべき内容であっただけに,この論文により臨床・研究の双方に大きな衝撃が走った。私もまたその例外ではない。ただ私は,ポージェスの初期から今日に至る論考の多くを検討し,本邦で最初にPVTについての本格的な解説書(2019年)を上梓し,日常や臨床の場にも積極的に活用し,この10年余,全国各地で沢山の方々にこの理論の講演等を開催して頂いてきた。その行き掛り上,この論争の受けとめ方は人一倍重く,この論争とその意味について深く掘り下げる必要を感じている。

とはいえ,その拙著をお読み下さった方はご存じの通り,私はすでにその時点から,本邦初の紹介でありながら,PVTの単に強みだけにとどまらず,弱みについても率直に指摘し,+−両面から総合的に考察した。いわばPVTを紹介し活用する立場にありながら,同時にPVTを批判する立場にも身を置いてきたことになる。なぜか? 第2の拙著(2022年)で述べたとおり,本来,批判は非難とちがって,向上と創造の触媒にほかならないからだ。非難は相手を粉砕しようとする。批判は事態を進展させようとする。非難は恐怖に基づく闘争である。批判は信頼に基づく共創である。

ならば今度は,この論争自体を批判的に考察してみたらどうだろうか。どちらに軍配を上げるかでなく,まさに論争自体を+−両面から批判的に考察することで,この論争の意味を深め,両者の理論の意味を深め,より深い次元で統合する可能性を探ること──それこそがこの論考の密かな狙いであり願いである。

巷では,特に事もあろうに学界ですら,論争の内容には少しも目をくれず,自らその吟味もせずに,“勝った負けた”の安直な判定ばかりが独り歩きする。そんな風潮への深い憂いもここには込められている。

果たしてこの論争には一体何が賭けられているのか? この論争で本当にPVTは否定されたのだろうか? あるいはPVTが否定されることで決着がつくのだろうか? この論争の私たちにとっての意味は何だろうか?

1.この論争で問われているもの

実はグロスマンによるPVTへの批判は,これが初めてではない。進化生理学者エドウィン・テイラーの協力を得て共著論文を発表した2007年を皮切りに,2023年,そして今回の2026年と,実に計3回目である。ポージェスの方も,そのつど逐一反論を返してきている。

さらに遡れば1980年代,若き両者がRSA(呼吸性洞性不整脈)研究に鎬を削り合うこのジャンルの二大ホープだった時代に,RSAの測定方法の相違からRSAの解釈に対立を生じたところに,もともと今日のこの論争の出発点はある。この40年越しの未だ決着のつかぬ方法論的対立を根底に据え,なぜこれほど長期に論争はくり返されてきたのか?

その内容を虚心坦懐に検討する限り,そもそもこの論争は,「科学的」なグロスマンが「非科学的」なポージェス」を論破したというような単純な構図ではない。むしろ双方ともが「科学的」(しかし相手から見れば「非科学的」)でありながら,何をもって・どの水準で「科学的」とするかの科学観のすれ違いがある。

このすれ違いは,少なくとも6つの対立軸として整理できよう。

第1は,解剖学的構造を重視する構造決定論と,生理学的・適応的組織化を重視する機能システム論の違いである。あるいは実体−構造を中心とする科学と,関係−機能を中心とする科学の違いだ。

第2は,機械論的な要素還元主義科学と創発性を重視する複雑性科学の違いである。

第3は,進化を考える際に,脊椎動物全体に共通する系統発生的な相同性を重視する立場と,哺乳類に機能的な特異性(非等価性)を重視する立場の違いである。

第4は,再現性・操作・統制を重視する実験科学と,個別性・自発性・文脈(背景や当事者の意味づけ)を重視する臨床科学との違いである。

第5は,自律神経(特に迷走神経)を,解剖学的構造によって説明されるべき説明対象(従属変数)とみる立場と,心理・社会的適応を説明すべき説明資源(媒介変数)とみる立場の違いである。

そして第6は,伝統的な「医学モデル」(生物医学モデル)と,いわば広義の「社会モデル」(生物・心理・社会モデル)の違いである。

ここでグロスマンらは前者の立場に立ち,ポージェスは後者の立場に立つ。ゆえにPVTが「非科学的」とされるとすれば,それは前者だけを「科学」と認める立場から見た場合に限るのであり,そうでない立場から見れば,どちらもが「科学的」たりうる理論の2通りの形態であり,どちらもが等しく必要な相補的な科学の形態である可能性があることになる。

このことを理解するには,そこに暗然と共有されている3つの層を区別するとわかりやすいだろう。

解剖-生理-心理社会の3層構造

第1層は解剖学的構造である。第2層は生理学的機能である。第3層は心理・社会的行動である。

すると,第2層にあたる迷走神経の働きを,グロスマンは第1層の解剖学的構造から説明されるべき従属変数として捉え,ポージェスは第3層の心理・社会的適応を説明すべき媒介変数として捉える。つまり両者は,同じ迷走神経を全く異なる方向から説明している。だがだからこそ,両者の説明があってはじめて,迷走神経の働きは十全に説明されうる。両者は相対立しながら,相補的に併立している。

もっとも,そうした構図を見えにくくしている事情もいくつかある。

まずグロスマンらは,第1層からの第2層の説明には非常に意欲的だが,第3層の心理学的な「上部構造」(superstructure)の説明には極めて慎重で,事実上試みを控えている。

またポージェスも,かつて拙著で指摘した通り,当初は自律神経系の解剖学的構造を「基体」(substrate)と呼び,そこから機能や行動が決定されるという構造決定論的な色彩が強かった。しかし2000年代から(つまりグロスマンとの論争が本格化する以前から)次第に立場を移し,2010年からはこれを「ニューラル・プラットフォーム」(neural platform)と呼んで,第2層・第3層の機能的自律性・創発性を重視する複雑性科学的な立場に移行した。グロスマンらが批判しているのは,実はしばしば初期PVTの第1層についての議論にすぎないのだ。

これらを踏まえるならば,この論争はどちらが勝ちどちらが負けるかではなく,両者ともが勝ち,それぞれがよりよいものに洗練され,統合されていく恰好の機会として捉えられよう。両者は対立しているようでいて,実は互いに欠ける部分を補い合う関係にある。本稿のこの論争を「読み解く」スタンスもそこにある。単に私の好みを言ってるのではなく,現に論争を読めば読むほど,何かそうした香りが,両者の間から立ち昇ってくるのが感じられるからだ。

もっとも,省みればこのスタンス,紛糾するカップルのセラピーを行なうセラピストの基本スタンスと変わりない。臨床家ならとっくにお気づきのはずだ。ならばなぜ,この論争に,もっとこうしたスタンスで向き合う臨床家が現われ出ないのか,私は正直不思議でならない。

2.RSAをめぐる対立──CRIとしてのRSAとVVCとしてのRSA

この論争の第1の争点,そして元来からの主戦場は,RSA(呼吸性洞性不整脈)の理解にある。

RSAとは,吸気で心拍数が増加し,呼気で減少するという,呼吸周期に同期した心拍変動である。延髄の疑核(NA)に起始する心臓迷走神経が,呼吸中枢ネットワークと相互作用することによって生じ,迷走神経活動を反映する代表的な指標として広く用いられてきた。

このRSAを,PVTは,哺乳類ではじめて成立した哺乳類に固有のもの,爬虫類では観察されてこなかったものと主張してきた。

ところがグロスマンと彼が依拠するテイラーらの詳細な研究によれば,RSAの本質は,ガス交換の最適化を至上目的として,魚類以来すべての脊椎動物が共通にもつ心臓呼吸相互作用(Cardiorespiratory Interaction:CRI)にある。それが鰓呼吸(水呼吸)の魚類では心拍と呼吸(鰓換気)が1:1で同期する「CRS」(心臓呼吸同期),肺呼吸(空気呼吸)に移行する肺魚から両生類・爬虫類では「RSA様HRV」,内温動物の哺乳類・鳥類では「RSA」と,環境変化により姿を変えてきた。形態は変化しても,それらはみな相同homologous)で,その基本回路は一貫して保存されている。

「相同」とは,異なる生物の形態や遺伝子が,(類似の有無にかかわらず)共通の祖先に由来することを指す。たとえば魚の胸鰭・ヒトの手・鳥の翼が好例だ。ここで重要なのは,相同とは同じ機能ではないということである。

すると,PVTとそれに対するグロスマンやテイラーの対立点は,脊椎動物におけるRSAの基軸としてのCRIの系統発生的な連続性(構造的な相同性)vs.哺乳類のRSAの特異性(機能的な非等価性)であることが鮮明に浮かび上がってくる。このCRIの連続性により,RSAを哺乳類ではじめて成立した哺乳類に固有のものとするPVTの見解は,修正を迫られる。

ただしこの連続性は,CRS−RSA様HRV−RSAと姿を変える非連続性も孕む。そこに哺乳類の特異性の余地がある。しかも完全な2心房2心室を備える内温動物では,ガス交換の最適化という至上目的は副次的な役割になり,哺乳類のRSA はもはや爬虫類までの祖先の遺物にすぎないとまでグロスマンらは言う。だからなおさら,哺乳類固有のものなどではないのだと。

ところが,それでいながらRSAを支えるNAも有髄迷走神経も,哺乳類でむしろいっそう高度化する。なぜだろうか? 副次化したそれまでのCRIの目的に代わる,新たな機能が付け加わったからではないか? グロスマンらの哺乳類のRSAに関する解釈は充分でないように思われる。むしろその新たに付け加わった機能こそ,PVTが哺乳類の固有の特徴として理論の中軸に据えた,VVC(Ventral Vagal Complex:腹側迷走神経複合体)の「統合された社会的関与システム」(Integrated Social Engagement System)ではないだろうか? VVCこそが哺乳類のRSAを支える本質ではないだろうか?

RSAの本質を,グロスマンらはCRIにみており,ポージェスはVVCにみている。概念規定にそもそもすれ違いがある。グロスマンとポージェスが語る「RSA」は,言葉こそ同じであれ,実は互いに全く次元を異にする概念であることに注意せねばならない。たしかにグロスマンらが言うように,RSAそれ自体は,哺乳類で初めて生まれたものではない。PVTはそれを修正せねばならない。かといって,PVTが言うように,RSAの哺乳類で初めて生まれたあり方を否定してはならない。哺乳類で新たに生まれたのは単なるRSAではなく,VVCの統合された社会的関与システムのなかでその一環として機能するRSAなのだ。

そのうえで,グロスマンはRSA(CRIで)説明しようとし,ポージェスはRSA(VVCを)説明しようとする。RSA(第2層)は,グロスマンにとっては,呼吸と循環の解剖学的構造(第1層)から説明されるべき従属変数,ポージェスにとっては,VVCの統合された社会的関与システム(第3層)を説明すべき媒介変数と位置づけられる。RSAは,グロスマンにとって,中枢からの迷走神経活動と,末梢からの呼吸変数(呼吸数,1回換気量など),肺の伸展受容器反射,圧受容体反射などの相互作用によって決定される説明対象explanandum),いいかえれば従属変数である。しかし,ここから,ポージェスなら重視するVVCの社会的関わりや情動の調節の具合の指標となる説明資源explanans),いいかえれば媒介変数としては考えられてはいない。

こうしてRSAの2つの側面,CRIとしてのRSAと VVCとしてのRSAも相互に排他的ではなく,脊椎動物に共通するCRIという進化的基盤の上に,哺乳類ではVVCの統合された社会的関与システムという新たな機能が付け加えられた現象として理解することができる。両者の対立は「RSAとは何か」をめぐる概念の違いであり,必ずしもどちらか一方が誤っているという問題ではないのである。

3.RSAの測定法をめぐる対立──「Peak-to-Trough法」と「Porges–Bohrer法」

この違いは,RSAの測定法にもそのまま反映されている。

グロスマンらのPeak-to-Trough法は,呼吸周期ごとのR-R間隔の最大値と最小値との差を計測する方法であり,呼吸を実際に測定しなければ成立しない。RSAとはCRIそのものである以上,心拍だけでなく呼吸を測定せずにRSAを論じることはできないという立場である。

一方,ポージェスのPorges–Bohrer法は,心拍変動から迷走神経由来の成分だけを数理学的に抽出する方法であり,呼吸変数を直接測定しなくても,迷走神経活動そのものを推定できるよう設計されている。ポージェス自身がこれを「Vagal Tone Monitor」と呼んだように,測定対象はCRIではなく,VVCの迷走神経活動である。

つまり両者は,測定法でなく測定対象を,いかに測るべきかでなく何を測るべきかを,争っている。それはRSAの本質を,グロスマンはCRI(呼吸と心拍の相互作用)にみようとし,ポージェスはVVC(迷走神経による心拍の制御)にみようとしているからだ。

しかも興味深いことに,通常の安静時では,この2つの方法から得られるRSA値は非常に高い相関を示すことが知られている。現在では両者の相関係数は0.8以上とされ,2024年のアメリカ精神生理学会の公式ガイドラインでも,いずれも有効な測定法として位置づけられている。つまり,測定法そのものに優劣があるというよりも,研究目的が異なるのである(ただし呼吸変数の測定は強く推奨されているが)。

Peak-to-Trough法は,呼吸変数を実際に厳密に測定するので,呼吸センサーの装着や「ペース呼吸」の指示,そのほか極めて厳格な実験統制を要する。これは実験科学的には必要な厳密さ(第1層→第2層の厳密さ)だが,逆にわずかな呼吸変数等の影響に強く左右され,臨床科学的に必要な厳密さ(第2層→第3層の厳密さ)をむしろ損なってしまう可能性もある。その点,かえって呼吸測定を必須とせず,自律神経の自然な状態を測定しやすいPorges–Bohrer法の方に大きな利点がある。

このように考えると,両者は互いに排他的ではない。一方は,伝統的でオーソドックスな実験科学の生物−医学モデル,他方は,近年その重要性が高まりつつある臨床科学の生物−社会モデルの,2つの科学モデルである。医学モデルと社会モデルのどちらかが科学的なのではなく,2通りの科学モデルであるように,自律神経科学の領域にも,医学モデルと社会モデルの対立が生じてきているのではないか。PVT登場の意義は,何を措いてもまずそこにあると言えよう。

4.迷走神経の進化をどう読み解くか──NAとDMV・腹側迷走神経をめぐって

グロスマンらの批判の論点は,さらに迷走神経そのものの進化史に向けられる。

PVTでは,迷走神経背側運動核(DMV)に由来する無髄迷走神経を系統発生的に古い「背側迷走神経複合体」,疑核(NA)に由来する有髄迷走神経を哺乳類で新たに獲得された「腹側迷走神経複合体(VVC)」として区別し,この2つが異なる適応戦略を担うと説明してきた。

ところが比較神経解剖学の研究は,この前提そのものに修正を迫る。軟骨魚類では,すでにDMVの腹外側部に,後のNAに相当するニューロン群が認められ,心臓迷走神経には有髄線維も存在する。さらに肺魚・両生類・爬虫類では,心臓迷走神経の有髄化はより明瞭となり,NA様ニューロン群も形成され始める。哺乳類になって初めて突然出現したというより,連続的な進化の中で徐々に分化・高度化してきたのである。

したがって,「有髄迷走神経は哺乳類だけに存在する」「NAは哺乳類ではじめて成立する」という初期PVTの主張は,現在では維持し難い。かといって,このことは直ちにVVCという概念全体を否定することを意味しない。重要なのは,NAが存在することと高度に発展したNA が存在すること,有髄迷走神経が存在することとVVCの一環として有髄迷走神経が機能していることは別問題だからだ。

たしかに有髄迷走神経そのものは哺乳類以前にも存在する。しかし,その有髄迷走神経が,NAを中心として顔面神経・三叉神経・舌咽神経・副神経など旧鰓弓運動系と高度に統合され,呼吸・発声・表情・視線・耳小骨筋・心拍調節などを1つの統合された社会的関与システムとして組織化するのは,やはり哺乳類においてである。

ここで問題になるのは,「構造」と「機能」を混同してはならないということだ。解剖学的構造(第1層)として見れば,有髄迷走神経やNAは哺乳類以前から存在する。しかし,生理学的機能(第2層)・心理社会的行動(第3層)として見れば,それらは哺乳類で新しい働きを獲得しているのだ。

ここにこの論争の重要な核心がある。グロスマンは,第1層の解剖学的構造を論じている。ポージェスは,第2層の生理学的機能から第3層の心理社会的適応への創発を論じている。つまり両者は異なる層について語っている。

この点を最も象徴的に示すのが,ポージェスの「プラットフォーム」という2010年以降の概念であろう。

初期のPVTは,グロスマンと同じく,第1層の解剖学的構造を,第2層・第3層を必要十分に決定する「基体(substrate)」として位置づけていた。しかし2010年以降,ポージェスはこれを「ニューラル・プラットフォーム」と捉え直す。プラットフォームだと,第1層から第2層は相対的に自律し,第3層は創発するため,それらの機能の成立する必要条件とはなっても,十分条件にはならない。舞台(プラットフォーム!)がなければ踊れもしないが,どんな踊りを踊るかは舞台には決められない,というわけである。

同様に,NAや有髄迷走神経という構造が存在しても,それだけで社会的関与システムが機能するわけではない。VVCの統合された社会的関与システムは,その構造を基盤として,新たな神経ネットワークや行動システムが創発することで初めて機能する。

この視点に立つなら,グロスマンの主張とポージェスの主張は必ずしも矛盾しない。グロスマンは解剖学的構造(第1層)の系統発生的な相同性を強調する。ポージェスはその構造が哺乳類で新たに組織化された,生理学的・心理社会的な(第2層・第3層)機能の特異性を強調する。2021年以降,ポージェスが用いるようになった概念でいえば「再利用」(repurpose)である。さらに進化生物学の用語を借りれば「外適応」(exaptation)である。生物の進化の歴史では,ありふれた出来事なのだ。

もともと呼吸や循環の制御に用いられていた旧鰓弓神経系の神経回路が,哺乳類ではVVCとして新たに機能的に組織化され,精細な社会的関わりにも利用されるようになった。VVCは新しい神経核(解剖学的構造)ではなく,新しい機能的組織化なのである。

この点で,グロスマンの批判はなお十分に的を射ていないように思う。グロスマンはRSAやNA,有髄迷走神経を,CRIの文脈では極めて精密に説明している。しかし,それらが哺乳類においてなぜさらに高度に分化し,迷走神経に有髄線維が顕著に増加し,NAが完全に独立し,旧鰓弓運動系との統合を深めたのかについては,十分な説明を与えていない。もしCRIだけが目的なら,ここまで神経系が高度化する理由は乏しい。むしろ,高速で精密な迷走神経制御を必要とする新たな適応課題が加わったと考える方が自然である。その適応課題こそが社会的関わりであり,そのために組織化されたのがVVCにほかならない。

したがって,迷走神経の進化をめぐる論争もまた,「どちらが正しいか」という二者択一ではない。第1層の解剖学的構造の系統発生的連続性についてはグロスマンの指摘は正当である。だがそのうえで,哺乳類における第2層・第3層の機能の創発についてはポージェスの視点が不可欠である。両者を統合してはじめて,私たちは迷走神経の進化のより包括的な姿を獲得できるはずだ。

5.“腹側”(安全性)と“背側”(シャットダウン・フリーズ)の区別をめぐって

そこで論争のもう1つ重要な部分をなすのが,迷走神経の2つの運動神経核,DMVとNAの関係である。

PVTは,第1層/第2層/第3層において,DMV→背側迷走神経(遅い無髄C線維)/徐脈・不動化/シャットダウン(フリーズ),NA→腹側迷走神経(速い有髄B線維)/RSA・社会的関与/安全という機能的な区別を行なってきた。

だがグロスマンらはこれを強く批判する。DMVとNAの2つの構造の区別自体(第1層)ではなく,PVTのその第2層・第3層への関連づけに対してだ。とくにNAは安全だけでなく危険も惹起する。NAはその高速性ゆえに,過剰な刺激により急激で極端な徐脈を生じ(第2層),同様にシャットダウン(やフリーズ)もDMVでなくNAによるというのだ(第3層)。

ただこのグロスマンらの指摘は,2つの点で検討の余地がある。第1にこの時のNAの状態は増強でなくむしろ機能的な解体ではないか? つまりNAは正常なら安全を惹起するが,本来の働きでない時に脅威を惹起する。第2にそれはより日常的な,緩徐で持続的な徐脈を説明できない。これはNAでなくDMVによる可能性がある。

もしそうであれば,この違いから仮説的に,従来混同されてきた「フリーズ」と「シャットダウン」を生理学的に区別できる再定義も考えうる。すなわち,NAが過剰亢進で機能的に解体し,交感神経が抑制され,DMVが亢進する状態を「シャットダウン」,NAは解体せずに,交感神経とDMVがともに亢進する状態を「フリーズ」というように。

こうしてグロスマンらのPVTへの批判は,逆説的に,NAとDMVの第2層・第3層への新たな展開をかえって洗練する可能性を開く。両者は,互いの批判によって互いが精緻化される,相乗的な統合の可能性を孕むのだ。

6.社会性の進化をどう読み解くか──鰓弓神経系からVVCへ

だが今回の論争は,RSAや迷走神経をめぐる神経生理学上の論争であるだけではない。その根底には,「社会性とは何か」という,より大きな問いが横たわっている。だがここでも重要なのは,社会性そのものの存否ではなく,社会性のあり方だ。

ポージェスは,哺乳類の統合された社会的関与システムを進化の到達点として位置づけ,その成立を支える神経基盤としてVVCを構想した。しかしこの見方は,やはりグロスマンらから,哺乳類の社会性だけを特権化し,それ以前の脊椎動物の社会性を十分に評価していないとの批判が向けられた。実際,哺乳類以前にも社会性は存在し,魚類もすでに,ヒトを思わせるような高度な社会性を示す。両生類・爬虫類・鳥類も同様。しかも哺乳類のように,鰓弓神経系の関与もみられると言う。

どう考えるべきか? ここでも脊椎動物の社会性が,RSAやNAと同じく,3段階の非連続性を孕む連続性をもって,進化してきたことに注目する必要がある。ただこの点でのグロスマンの論の展開は必ずしも充分でないので,私なりに少し敷衍しておこう。

迷走神経システムの脊椎動物における系統発生

脊椎動物の社会性は,すべての脊椎動物(魚類,両生類,爬虫類,鳥類,哺乳類)の脳に共通に存在する「社会行動ネットワーク」(SBN: Social Behavior Network)に依拠している。そこからの出力は,同時に体性運動系(脊髄運動ニューロン〜体幹・四肢・鰭)に行く社会行動と,鰓弓運動系(三叉神経運動核・顔面神経核・NAの連動)に行く社会行動とに分かれ,前者は群泳・接近・回避・追跡・求愛・なわばり・闘争など,身体全体の対外行動そのもの(いわば“Doing”)を同期させる社会行動,後者は表情・発声・嚥下・鳴き声・顔面シグナルなど,身体の状態(いわば“Being”)を同期させる社会行動をもたらす。

しかし魚類では,体性運動系の身体行動の“Doing”同期が社会性の中心となり,鰓弓運動系はまだあくまで呼吸・摂食器官であって,その身体状態の“Being”同期は部分的・従属的にしか働かない。

上陸後の四肢動物(両生類・爬虫類)では,体性運動系の“Doing”同期が社会性の中心でありつつ,同時に鰓弓運動系が肺呼吸により呼吸・発声・咽頭運動と結合を強める結果,身体状態の他個体への呈示を可能にし,“Being”同期が自律的に発展してくる。

さらに哺乳類鳥類になると,表情・発声・声の抑揚・呼吸リズム・視線・頭部回転・心拍などが高度に統合されて,鰓弓運動系による身体状態の“Being”同期の方が社会性の中心をなすに至る。そして単に“Being”を他個体に呈示するのでなく,相手と協働調整する(co-regulation)。ただし,発声は哺乳類の声帯に対し,鳥類は鳴管(鰓弓神経系外の舌下神経支配)による。そして鳥類は専ら声を中心とする“Being”同期を高度化したが,哺乳類は鳥類には弱い顔面筋をはじめ,喉頭(声帯)・呼吸・哺乳・口唇・頬・耳介など多様な表現器官とマルチ・モーダルに統合され,身体の広い範囲で“Being”同期を実現する。こうして,旧鰓弓神経系に基づきながらRSAのネットワークと結合してできた,第3層における高度な組織化こそが,まさにVVCによる統合された社会的関与システムだったのである。

腹側迷走神経複合体(VVC)と統合された社会的関与システム

おわりに

以上,グロスマンらとポージェスの論争の骨格を「超ダイジェスト」で検討してきた。どうだったろうか? 果たして「ポリヴェーガルは死んだ」のだろうか? むしろこの検討が明らかにしてきたのは,そのようにどちらかに軍配を上げようとする限り,この論争は恐らく(どちらかの死以外には)決着はつかないであろうこと,真に決着をつけうるとすれば,それは両者の相乗的な統合に尽きるであろうことと思われる。

系統発生的連続性からのグロスマンのPVT批判は鋭い。かつ的確である。だが同時に,PVT全体を批判しきれぬ本質的な弱さも併せ持つ。なぜならまず,その射程は,あくまで第1層(解剖学的構造)に限られるからだ。第1層での哺乳類の特異性は,たしかにPVTはこれを修正する必要がある。だが問題は,どんなに哺乳類以前から連続した古い構造だったとしても,それは第2層・第3層の組織化された機能の新しさを毫も動かさないことだ。最新鋭の機械が古来のネジや釘や部品を用いていても,その新しさは少しも変わらないのと同様に。

そしてもう1つ,系統発生的連続性からPVTの哺乳類の特異性を批判すればするほど,自らもPVTと同じく哺乳類の特異性を前提していることに突き当たるからだ。みてきたように,脊椎動物の系統発生的連続性は,環境条件の変化により,水生−陸生−内温化のような非連続性を孕む。ここにはすでに哺乳類の特異性も含まれる。しかも第1層に。ただし哺乳類だけでなく,魚類も両生類も爬虫類も皆それぞれの特異性があるところが,PVTと違う。またPVTは,第2層・第3層での特異性であるところも違う。ともあれ,こんな所にも対立よりむしろ統合への兆しが仄見える。

この論争は,PVTが終わったことを示すものではない。むしろ始まりというべきである。6つの対立軸の両極が初めて真正面から交差し始めた,瞠目すべき「出来事」なのである。そう,この論争は,自律神経研究自体が,生物医学(第1層〜第2層)だけでなく,生物・心理・社会(第1層〜第3層)を統合する臨床性に富んだ新たな科学へと移行する転換点を示している。PVTの存在意義も,まずはそれを切り開いた「問い」としてある。その問いをどう引き受けるか? PVT反対派も賛成派も含む,私たちすべてにそれは課されている。非科学性ゆえに終わりゆくのは,もはやPVTではない。「答え」にしか興味がなく,どの「答え」が“勝ったか負けたか”にばかり血道をあげる,学界をも蝕みかねない,今や陳腐となりつつある風潮の方ではなかろうか。

今回は「超ダイジェスト版」ということで,論争の内容そのものというより論争の構造を,その補助線となるであろう6つの対立軸と生命現象の3つの層を軸に,素描してみた。これはあくまで論争のほんの一部の切片を掻き取ったものにすぎない。説明も充分でないと思う。割愛した大事な論点もまだ沢山ある。それら論争のもっと具体的な内容にも踏み込んだ包括的な分析を望まれる方々はぜひとも,続いて遠見書房から年内の刊行が予定されている拙著『ポリヴェーガル理論は死んだのか⁉ 〜2026年 ポリヴェーガル論争を読み解く〜』(仮題)に目を通して頂きたい。文献註や文献目録もそちらに一括させて頂く。

+ 記事

津田真人(つだ・まひと)
心身社会研究所 自然堂(じねんどう)治療室・相談室
資格:公認心理士,精神保健福祉士,鍼灸師,あんま・マッサージ・指圧師(以上国家資格のみ)
主な著書:
『ポリヴェーガル理論を読む』(単著,星和書店,2019)
『ポリヴェーガル理論への誘い』(単著,星和書店,2022)
『わかりたいあなたのための心理学入門』(分担執筆,宝島社,1996年,文庫版2007)
『わが国におけるポリヴェーガル理論の臨床応用』(分担執筆,岩崎学術出版社,2023)
最新著『治療関係がセラピーを有効にする』(共著,星和書店,2025)

目  次

おすすめの記事

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事