皆藤 章(京都大学名誉教授)・浅田剛正(新潟青陵大学)
シンリンラボ 第24号(2025年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.24 (2025, Mar.)
1.はじめに
あなたがもし目の前の人から「あなたの生きている世界について教えて欲しい」と言われたら,さてどうするだろうか? もしその人が専門家やとても偉い先生であれば,「私の生きている世界は実はこのようなものです」と,詳らかに開示するだろうか。そもそも,仮に教えるにしても,あなた自身はあなたの生きている世界についてどれほど把握できているだろうか。把握できていたとして,それを他人にどこまで教えたいと思うだろうか。
「風景構成法」の意味を知る上で,こういった身近な場面を思い浮かべたときに生じる問いに立ち止まって考えてみることは大切である。今目の前にいる人は,誰もがかけがえのない個性的な世界を生き,常に変転する心の風景を体験しているのである。私たち臨床心理士は,かけがえのないその人自身が体験する世界を大切にすることを生業としているが,この業は「一人ひとりを大切に」などの耳慣れたスローガンを知っていれば済むような単純なことではない。その人の体験する世界は,その人自身にしか知り得ないし,また当人ですらわからないことばかりなのだ。
私たちの元を訪れるクライエントは,「わかってほしい」という思いと同じ程度に,もしくはそれ以上に「わかられてたまるか」という誇りを常に心にもっている。こうした心の二律背反を踏まえた上でなおその心に触れていこうとするための方法(method)の一つとして,本稿で紹介する「風景構成法」がある。
2.風景構成法とは
1)Landscape Montage “Technique”
風景構成法は,中井久夫によって1969年に創案,翌1970年に発表された描画を用いる心理臨床技法の一つである(中井,1970)。英語表記はLandscape Montage Techniqueで,LMTと略称されることも多い。いわゆる心理検査と並べられることがあるため,しばしばこの技法は心理テスト(Test)の一つとして用いられることもあるが,LMTのTはテクニック(Technique)のTである。筆者らにとっては,むしろセラピー(Therapy)のTとした方が馴染むようにも思っている(皆藤,2023)。
いずれにしても肝心なのは,この技法は相手のことをわかろうとするために用いられるということである。風景構成法創案の背景には統合失調症を生きる人の世界をどうにか理解しようとする苦心があった(中井,1971)のはよく知られている。TestだろうとTherapyだろうと,容易に知り得ない描き手の世界に対して,専門家たる私たちがどのように触れていくのか,という観点なくしては,この技法の真の価値を理解することはできない。
2)「わからない」二人が「わかる」に向かう体験過程
「心理療法」を進める過程では,どんな優れたセラピストであっても,クライエントの心が完全に「わかる」などということはない。セラピストがクライエントの心の世界に触れることで,ほんのわずかでも「それ(Es;その人にとっての無意識)」を知っていこうとするプロセスそのものに治療的な機能が生じ,その関わりが積み重ねられることこそが心理療法なのである。いわば「わからない」ことに二人で取り組む体験過程をどのように意味あるものにするのかという点に,セラピストの専門性とその心理臨床技法としての意義があるのだと言えよう。
端的に言えば,風景構成法は「わからない」二人が「わかる」に向かう体験過程を共にするための方法だとも言えるだろう。ここでの「わかる」は「解る(理解する)」でもあり「分かる(別れる)」でもある。つまり,クライエントが「私は私である」ことを確かめ,セラピストは「あなたはあなたであって私ではない」ことを尊重するまでの過程を経て,特にクライエントがその場での表現に「私感」(水落,2024)を実感する機会を得ることが目指されるのである。風景構成法によって得られたこの「私感」は,「私らしさ」「アイデンティティ」「主体性」「自己一致」「個性化」などの言葉で論じられているものにも通じていく。
3.風景構成法の体験過程
以下ではこの風景構成法について,その具体的な実施手順に沿って,描き手と見守り手の間にどのような体験過程が生じ,特に見守り手は何を意図してその過程を,描き手との場を共にしていくのかについて,筆者らの考えを交えながら述べていきたい。
1)技法の導入
まず,風景構成法は描き手(クライエント)にこの技法の導入の了解をとるところから始まる。この際,手続きを含む詳細な技法の説明は必ずしも必要ではない。大切なのは見守り手(セラピスト)が何故いまクライエントと共にこの風景構成法に取り組む「必然性」を覚えたかについて,自分の言葉で誠実に伝えることである。クライエントにとっては,いくら説明を受けたとしても,セラピストから提案されるこの専門技法によって何が起こるのかなど知る由もない。つまり,クライエントにとって風景構成法を実施することは,何が起こるかわからない事態に自ら足を踏み入れることであり,そのための覚悟を決めなければならない場面なのである。大人が子どもをお化け屋敷に誘い込むような場面を想像してみるとイメージがしやすいだろうか。それを専門的な関係において行うには,相応の倫理性が配慮されなければならないのは当然である。
2)教示
然る後,見守り手が準備しておいた画用紙(A4サイズが一般的),黒サインペン,クレヨン1セットを描き手の前に取り出し,画用紙を示して手順を説明する。手順の教示はその時々でアレンジされるが,筆者の場合はおよそ次のように伝える。「これから風景の絵を描いてみましょう。描くものは私が一つずつ,全部で10個言っていきますので,あなたは私が言ったものをその都度この画用紙にこのペンで描いていってください。一つでなく複数描いても構いません。また,あなたの風景にないもの,あるいは描きたくないものは描かなくても構いません。描いていくうちに一つの風景ができてきます。もちろん上手い絵を描く必要はありません」。
3)枠づけ
続いて見守り手が描き手の目の前で画用紙の縁に枠を描いてみせる。枠は一筆で,描き手がこの後に描くための領域を隙間なく囲むように,始点と終点はしっかり閉じておく。見守り手がフリーハンドで,できる限り丁寧に,白紙の画用紙にまず手を加えるのである。この「所作」が,描き手に示す無意識水準の教示にもなっている。この枠の描かれた画用紙とペンを手渡して,さあ,ここからは描き手が描く番となる。なお,枠づけされた画用紙は見守り手が枠を描いた際の方向と同じ方向で描き手も描けるように,正面に座っているなら紙を180度回転させて手渡す。どのみち枠内は空白なので逆さでも変わらないと思うかもしれないが,見守り手が枠を描いた時点ですでに風景の天地は決まっているのであって,それを無視することはこれから生まれる風景に対してのきわめて「無粋」な行為ということになる。茶道を嗜む方であれば,茶器には手前と奥があり,客に出す際はその向きに心を配ることが作法の一つにあることをご存知だろう。
4)素描段階
ここから,見守り手は一つずつ描くアイテムを口頭で伝えていく。はじめは「川」である。アイテムを伝えてから描き手がそれを描き終わるまで,もしくは「川はありません」などと伝えてくれるまで,見守り手は口も手も出さない。どこにどんな「川」を表現しようと,それが描き手の生きる世界の片鱗なのであり,セラピストはそれに最大限の敬意を払わなくてはならない。けなす,修正を求めるなどはもっての外だが,褒める,あるいはOKサインとしての肯定的な「いいね」などの声かけも不要である。しばしば描き手がこれでよいかと確認してくることがあるが,こちらは一貫して「あなたの思ったように」と伝える。
川に続くアイテムは,山,田,道,家,木,人,花,動物,石である。その間,見守り手からのアイテムの提示→それを受けて描き手が素描→次のアイテム提示というやり取りが10回繰り返される。石までが終われば,「あとは自由に描きたいものを付け足すなどして,一旦風景を完成させてください。すでに描いたものでも,私が言わなかったものでも,なんでも描いてよいです」と示す。
筆者の浅田の場合,これらのペンで描かれる素描段階を描き手が終えた段階で,一度画用紙を手に取って正方向から見せてもらう。対面で実施していた場合,逆さから見ている描画と,描き手から見えている風景とでは,ずいぶん印象が違うことが多いからである。筆者の皆藤もそうすることがある。この素描段階で構成された風景もまた描き手が生きる世界の一層であると考えると,後に彩色が施される前の風景からも何らかのイメージを共有しておきたいと思うのである。
5)彩色段階
再び画用紙を描き手の手元に返し,見守り手は用意していたクレヨンを示しながら,「では,次にこのクレヨンで色をつけてみてください。今度は順番などはこちらで指定しません。色をつけたいところに好きな色をつけていただいてよいです。もちろん,色をつけない箇所を残すのも自由です」と教示する。教示に述べた通り,この彩色段階では一切を描き手に任せることになる。ただ,見守り手もその場で眺めながら,そこまでで生まれてきた風景描画から自身もイメージを拡げたり深めたりと,その風景が色づいていく過程に心を動かしていく。言葉を発さない静かな時間の中で塗られる彩色は,喜びや悲しみなどの言葉にならない情動や,エネルギーの強弱,触感,攻撃性,空虚さなどをダイレクトに喚起する。描き手が風景描画との無言の対話で心を動かしているその同じ場で,見守り手もまたハラハラ,ドキドキしながら,まさに描き手の表現やその動き,表情や気配を「見守る」時間を過ごすのである。
6)共に眺める
描き手が彩色段階を終え,「これでよい」という何らかのサインを出したら,二人で共にその風景描画を眺めてみる。風景構成法は画用紙の中に描き込む作業のほとんどを描き手が行うが,ここまで見てきたように,この技法を導入し,枠を描き,10個のアイテムを順に示していった見守り手も,その描画をもたらしたイメージの創生に大いに関わっている。そこまでの体験過程に見守り手がしっかりとコミットしていれば,目の前に現れた風景描画の誕生は決して他人事とはならない。ついに生まれた赤ん坊に父母が対面したときのように,そこに初めて実現した描き手の体験世界の表現とその感動を共に味わう時間が双方に自然に生じてくるであろう。そして,その時間の中でどちらともなく口をついて言葉がこぼれることもあれば,心を許した相手とまさに風景を眺望するように,ただ黙って眺めていることもある。
なお,風景構成法を心理テストのように用いるならば,この段階はPDI(Post-Drawing-Interrogation:描画後質問)と呼ばれることもある。Interrogationは尋問や取り調べといった意味であり,この場合はセラピストが主導してクライエントの内面を暴くようなニュアンスとなるため,正確にはこの言葉を使う場面は限定的であるべきだろう。
7)場を閉じる
さて,通常ならば彩色をして描画法は終わりだろうと思われるかもしれないが,風景構成法は二者関係の中で用いられる技法であるため,最後,その場を閉じる仕事が残っている。
クライエントとセラピストの関係の中に技法が導入され,何が生まれるかわからない緊張感の中,その独自の体験と表現を二人で作り上げ,一連の過程を振り返るという協働作業を共にしたことから,両者の心理的距離感はかなり接近している。また,特に彩色段階では,大人は普段あまり触れる機会のないクレヨンで色を塗り込む行為を行う。それによって,描き手の内面では幼少期の思い出や感覚が蘇ってくるなど,身体感覚や自身の無意識が無自覚に活性化している場合が多い。そこで生まれた融合的かつ退行的な場を閉じ,現実的な場に戻すために重要なのは,画用紙の裏に日付(年月日)と描き手の氏名を描き手自身に記入してもらうことである。さらに,見守り手から「もうこんな時間になってましたね」などと現時刻を示したり,これからの予定を尋ねるなどの日常会話をすることもある。日付と記名により,久々に文字を書き,日付の見当識を取り戻し,そして,これが他ならぬ私が描いた風景構成法であることを確かめる。描き手によっては,夢から覚めたような感覚や,どこか旅行に行っていて帰宅したときのような感覚が生じることもある。
4.風景構成法の真価とは?
1)心遣いの作法
ここまで,風景構成法施行の実際場面に沿って,かなり細かなところまでを述べてきた。ここで述べた方法論は,あくまで筆者らの心理臨床観に基づくものであり,必ずしもこの通りに進めなくてはならないというわけではない。まさかそんな人はいないであろうが,間違ってもこの原稿を横に置いてクライエントとの風景構成法を実施するようなことはしないでいただきたい。
心理療法あるいは心理臨床の営みとは,人と人との関係を基盤とするのが原則である。ゆえに,風景構成法という心理臨床技法は,技法それのみでは成立しない。つまり,誰が用いる風景構成法かによって,クライエントにとっての意味が全く異なるのだ。
ある一人の心理臨床家(見守り手)が一人のクライエント(描き手)に関与し,そこで自らとの間に生じる「関係性」をそのクライエントのために活かそうとするとき,そのための有効な「作法の型」として風景構成法がある(浅田,2023)。すなわち,心理臨床家という一人の人間が施行に際して執り行う丁寧な所作とそれに表れる緻密な心遣いこそが,風景構成法という技法が真価を発揮するための要件となるのである。先に示したものは,その一端に過ぎない。
2)おわりに
おそらく臨床心理検査の方法の一つとしての記事を期待された方にとっては,「結局,風景構成法とは何をすればよいのかよくわからないではないか」といった感想が浮かんでいるかもしれない。ただ,筆者らとしては,心理臨床の実践がクライエントのことを知ろうとすることであるように,その技法についても決して「早わかり」をしてほしくないという思いもある。わからないからこそ知ろうとするのが人間の性である。詳細な内容については皆藤・浅田(2023)他に論じられているし,ぜひ参照してみてほしい。何より,少なくともこの風景構成法については,実際に体験してみなくてはその意義を理解することはできないであろう。そのような体験過程を通して,多くの心理臨床を志す人がこの優れた心理臨床技法について関心をもって学んでいただけることを願っている。
文 献
- 浅田剛正(2023)なぜいまここで風景構成法なのか?.In:皆藤章・浅田剛正編著:風景構成法の現在.誠信書房,pp.1-39.
- 皆藤章(2023)風景構成法の現在.In:皆藤章・浅田剛正編著:風景構成法の現在.誠信書房,pp.364-419.
- 皆藤章・浅田剛正(2023)風景構成法の現在.誠信書房.
- 水落万琳(2024)風景構成法における「私感の生成プロセス」についての検討.新潟青陵大学大学院臨床心理学研究,12; 7-16.
- 中井久夫(1970)精神分裂病者の精神療法における描画の使用―とくに技法の開発によって得られた知見について.芸術療法,2; 77-90. 青土社.[中井久夫著作集1巻 精神医学の経験 分裂病.17-45. 岩崎学術出版社.(1984)所収]
- 中井久夫(1971)精神分裂病者の言語と絵画.ユリイカ,3 (2); 87-95. 青土社.[中井久夫著作集1巻 精神医学の経験 分裂病.1-15. 岩崎学術出版社.(1984)所収]
名前:皆藤 章(かいとう・あきら)
京都大学名誉教授
資格:臨床心理士,博士(文学)
著書など:『風景構成法—その基礎と実践』(誠信書房)他。
専攻は心理臨床学・臨床実践指導学
浅田 剛正(あさだ・たかまさ)
新潟青陵大学教授
資格:臨床心理士,博士(教育学)
著書など:『風景構成法の現在』(誠信書房)他。
専攻は心理臨床学・臨床実践指導学