前田 潤(室蘭工業大学)
シンリンラボ 第37号(2026年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.37 (2026, Apr.)
私はポリヴェーガル理論に関する本を多少は読んだり,関係する研修を受けてはいた。しかし,2025年10月に札幌で開催された津田真人氏の研修を受けて,サイコドラマティストである私は,自ずと津田氏のお話からサイコドラマが思い出され,これはサイコドラマ的によく理解できることだ,という印象を深くした。
特に,津田氏がポリヴェーガル理論から示される臨床との絡みを述べるにつれ,まさにサイコドラマで課題とし,あるいは経験していることだ,と思ったのである。
ポリヴェーガル理論は,自律神経系という非常に基礎的な神経レベルの構造から解き明かそうとしているのだから,考えてみると人を相手にサイコドラマで経験していることに通じていて当然である。しかし,サイコドラマのことをサイコドラマの枠組みからではなく,神経構造からより普遍的に理解し,指針を得られるとすると,サイコドラマを捉え直すことができる。そして,ポリヴェーガル理論に対して,臨床的実践例を提供することにもなると思えたのである。
ポリヴェーガル理論で私の印象に残ったこと
そこで今回は,津田氏の研修において私がポリヴェーガル理論とサイコドラマがどこでどう絡んでくると感じたのか,私自身が振り返るようなつもりで書いてみたい。これまでの3回は読んだ人がサイコドラマを一緒に体験できるように書いてみたけれど,今回は,私が津田氏の研修で学んだポリヴェーガル理論が私の中でサイコドラマとどのようにつながったのかを振り返るような書き方をしたい。
そこで最初にポリヴェーガル理論の骨子をまとめ,そこから特に私がサイコドラマの関連で印象を深くしたことに焦点を当てていく。一つは,安全の重要性ということである。そして次は認知以前に準備体勢を作り出すニューロセプションという概念。第三は心身の状態からトラウマ反応を捉える,ということ。第四と第五に自律神経系のどのシステムが働くのが良いとか悪いとかではない,ということと,セラピーが到達すべき3つの目標,である。
ポリヴェーガル理論の骨子
まずは私の理解としてのポリヴェーガル理論の骨子をまとめたい。
ポリヴェーガル理論は心臓の研究から始まった。そこでヴェーガル・パラドクス,つまり迷走神経が呼吸性洞性不整脈という健康な働きとともに,危険な徐脈も起こす,それをどう考えたら良いのか,という難問に創始者ポージェスは出合う。この難問にポージェスは文献研究を行い,進化論的に,副交感神経系の80%を占める迷走神経系には背側迷走神経複合体(DVC)と腹側迷走神経複合体(VVC)の二つの迷走神経系があることを突き止める。それが従来の自律神経系メカニズムから多重迷走神経系理論,ポリヴェーガル理論を誕生させた。背側迷走神経は,内臓プロセスに関与し,腹側迷走神経は社会プロセスに関与している。ヴェーガル・パラドクスはつまり,副交感神経系の背側迷走神経と腹側迷走神経が心臓を異なる働きでコントロールしていることの表れである。そして腹側迷走神経は心臓と呼吸とも関係しているという特徴がある。
進化的には,生物の生存のために背側迷走神経複合体(DVC)から交感神経系(SNS),腹側迷走神経複合体(VVC)へと複雑化してきた歴史を辿り,個体発生でも同じ発達過程を辿る。背側迷走神経複合体(DVC)による防衛システムは不動化を特徴としており,交感神経系(SNS)は可動化で,腹側迷走神経複合体(VVC)は,それらの調整役を担っている。
重要なことは,腹側迷走神経複合体(VVC)が,表情,発声,聴覚,血流,呼吸,筋緊張,全身連動の調整統合に深く関わっており,進化的には鰓弓由来筋を支配する神経系と関連しているという点である。
鰓弓は,魚類においては鰓呼吸に関わる構造であり,呼吸や摂食といった生命維持の根源的機能を支えていた。その神経系は進化の過程で,哺乳類においては顔面や咽頭の筋群を支配する神経系として再構成され,他者との関わりを調整する社会的機能へと発展した。
このことは,人間の生命維持が他者とのコミュニケーションという社会システムの調整と深く結びついていることを示している。社会調整システムとは他者との協働調整(co-regulation)の過程であり,この他者との協働調整によって自己調整(self-regulation)が発展していくのである。
安全のサイン
ここで私が改めて確認したいことは,ポリヴェーガル理論というのは,自律神経系の理論である,ということである。つまり生命の維持に深く関わった自律的な神経の働きであるので,安全か危険かに関わる重要な神経系の働きである,ということである。そしてそれは自律的働きなので,意識下で起きる,ということは意識の及ばない自然な身体反応であるということである。
安全である時には,腹側迷走神経複合体(VVC)が十全に働いて,心拍と呼吸が適度に同期的に揺らぎ,最適な覚醒度や最適酸素代謝要求をもたらしてくれるという。表情も,声のトーンも豊かで富んだものとなり,他者の声が優先的に聞き取られ,胸郭の広がりや姿勢の伸びやかさとなって自然に現れ出てくるのである。そのため,外から見てもその人が安全な中にいるか,全身の反応としてそのような安全感の中にいるか見て取れるということになる。
サイコドラマでも,その人の口調や表情,全身の姿勢を観察することで,主役に何らかの展開点が訪れたことを伺うことができる。主役が大きく息を吸う,とか,逆に大きくため息をする,などは主役に変化が現れた兆候だと捉えて,さらによく観察したり,何か起きました?と尋ねたりするのである。
私はこうした身体の変化はポリヴェーガル理論的には,腹側迷走神経複合体(VVC)の活発化の程度のサインだ,ということになるのだと考えた。
ポリヴェーガル理論では聴覚を重視していることも面白いと思った。嗅覚や触覚ではなく,聴覚を重視し,聴覚刺激により聴覚過敏や社会性の低下の改善が見られるという紹介があった。後で読んだポージェスの訳本(Porges, 2017)でも,聴覚は危険のサインに敏感に反応し,何か危険な物音があると,聴覚はそちらに向かって人の声,会話に注意を向けられなくなる,とあり,なるほどと思った。危険を知らせる音があるとそちらに瞬時に注意が向けられるし,聴覚的な安全空間はリラックスには大切かもしれない。
そして,研修では「安全な時,マジカルなことが起きる」「安全感こそが治療なのだ」という腹側迷走神経複合体(VVC)による安全の意義が強調され,大変印象に残った。ともかく,安全に生き,安全を求めて生き抜くこと,が人の生物としての生きる目標であると改めて思った。
安全でない時に,交感神経系(SNS)や背側迷走神経複合体(DVC)が賦活して危機を乗り切ろうとする。それ自体は適応的で,生存にとって不可欠な重要な働きである。ただ,そこにだけ留まっていては不適応となる。生存がかえって危ぶまれる。それらSNSやDVCからいかにVVC状態に戻って来れるか,が課題であり,先走るとセラピーの目標になるという。確かに安全な時,安全な場所,安全な人間関係,安全な社会をどう作り上げるか,が私たちにとって大きな課題であると同時に,事態に即して柔軟に対応できる体勢づくりが大切であるだろう。
ニューロセプション
ただ繰り返しになるが自律神経系の働きは,本人はそれを意識しているわけでない。本人が意識しているわけではないのにどうして身体は反応するか。それをポリヴェーガル理論では,認知以前に準備体勢を作り出すニューロセプションという概念で説明する。「無意識的な皮質下のシステム」による検出と反応であり,それに応じて「社会システム」「可動化」「不動化」の反応を選択する。逆に言えばどの反応が出てくるかで環境のリスク評価がされる,という。
これをどう理解したら良いのか。無意識に起きた自分の反応から,今の環境は安全か危険かを認知的に判断する,ということだとひとまず理解しておくとして,ともかく誤ったニューロセプションがある,という。
「こころの病」をもつ人は,ニューロセプションに誤作動が生起する,というのである。環境からの感覚情報と,内臓からの感覚情報の不一致が起きて,安全な環境にいても「危険」と思って振る舞い,逆に危険な環境にいても「安全」と思って振る舞う,ということが起きてしまうというのである。
私は,このシンリンラボの連載(1)と(2)で扱ったパースを思うのだが,彼は,「楽しそう」と環境からの感覚情報からも,内臓からの感覚情報からも思うし,認知する。だけれど,危険なところに身を置きたくなる,という衝動が湧いて困るのである。このことは私はニューロセプションの誤作動ではない,と思っている。なぜならニューロセプションの誤作動とは,楽しい安全な環境にいると思っても,身体がその環境は危険と判断してしまい,身をすくめたり,闘争逃走反応が沸き起こって身構えてしまうということだと理解したためだが,パースのことはどう考えると良いのだろう?
話は戻るが,認知以前に準備態勢を作ることができるのは,なぜか? そこは研修段階では疑問が残るままであった。そこでさらに津田氏の著作(津田,2019; 2022)や訳本(Porges, 2017)にあたってみると,認知以前にトリガーとなるのは,他者の振る舞いであるという。そこに共鳴して発動することからミラーニューロンとの関連まで考察されている。相手が緊張していると自然に緊張してくる,とか,相手がゆったりとしていると,緊張が解けてくる,ということと理解した。そして内受容感覚もトリガーの一つに挙げられている。なんであるかの認知や判断の前に,内臓や筋緊張の具合によって準備態勢が整うということである。
それで誤ったニューロセプションに関連があると思われる,パースだが,パースは楽しそうにしている人を見て,楽しさが共鳴し,内受容感覚にも変化が起きた。その時,危険なところに行きたいという衝動が沸き起こった。しかし,行っちゃいけない,と頭では,意識的には,認知的にはわかる。だからどうしたら良いのか,困るわけで,わからなければ,危険なところに行ってしまうし葛藤も起きない。逆に楽しそうだからそっち行こうとなれば,それも葛藤は起きないであろう。多分,楽しそうと思った時,内受容感覚としては,交感神経系(SNS)による闘争逃走反応を引き起こすような感覚と似た感覚が湧き起こったのではないだろうか。それはパースが少し漏らした虐待されたという過去の経験が,楽しそうと交感神経系が活性化する状態が危険な場に結びつくルートが強固に残っていることを示唆する。
そのパースが困ったその時に,監督によく見てください,と促されて,パースは寝転んでいる他者を見出す。この時,パースには,交感神経系が賦活するような,楽しそう,でも,危険,でもなく,第3の感覚が湧き起こった。内受容感覚に変化が起きた,と考えられる。寝転ぶ姿の他者を見ることで共鳴が起きて別の内臓感覚が湧き上がり,その感覚は味わいたい憧れにさえなる感覚を甦らせた。「あんな風になりたい」という「憧れ」や「静かな安心」は腹側迷走神経複合体(VVC)によって調整された背側迷走神経複合体(DVC:安全な不動化)の賦活の現れであり,安全な不動化への憧れであろう。その後,パースは促されて安全な不動化を体験強化することになった。
ただ内臓感覚は腹側迷走神経複合体ではなく,主に背側迷走神経複合体の求心性の迷走神経からくるものだ,ということだった。なので,ニューロセプションは腹側迷走神経複合体及びより原初的な背側迷走神経複合体の関与が大きいことになるのではないか,と考えられるが,どうなのか,という疑問が残る。
ここでは問いは問いのままにしておいて,私は,ニューロセプションというものを知って,なるほど認知以前に安全か危険かの判断が起きて身体の準備態勢が整うのか,ととても面白くまた得心した。その時,同時にそれは目に見えない自律神経系の働きだが,サイコドラマでは,連載(1)(2)のパースのように,あるいは連載(3)のトモのように,この内部感覚を目に見える形で表していく。それゆえサイコドラマは他者の存在による共鳴と内受容感覚の変化が,誰もがわかる形で具体化できるという特徴があると思えたのである。
今述べたように連載(1)で監督としての私はパースが葛藤的になった時に,パースにサイコドラマではなんでもできる,という励ましと共に,「よく見てください」という促しを行った。それでパースは注意を外に向けることになった。人は葛藤している時には,下を向いたり目が宙を泳いだりする。または目を閉じてああと嘆きを漏らすことがある。これは内受容感覚に注意が向いてしまっている状態にあると言えるが,それに対して「よく見て」という指示は注意を外に向ける促しである。それによってパースは,あんな風になりたいという他者を発見する,というマジカルが起きたのである。
ということは,視覚,もしくは前を見る,向こうを見ることを促す指示は,眼球運動を司る神経や眼筋を動かし,腹側迷走神経複合体(VVC)を物理的にスイッチを入れるよう指示したことと同じことかもしれない。それによって呼吸も変わるだろうから,そうした見る,前を見る,向こうを見るなど姿勢を変えることも葛藤脱出に重要な行為だったのではないか,と思われる。EMDRが眼球運動によってトラウマを処理するように,サイコドラマは「特定の対象を凝視する・見出す」という行為で神経系のモードを切り替えるのである。
心身の状態からトラウマ反応を捉える
津田氏の研修では,トラウマについて,出来事ではなく,それに対する身体内部の反応によって定義されるべきものである,というポージェスの言葉が紹介された。
私は長く災害支援に携わっていたことから,災害トラウマ,あるいは緊急事態におけるトラウマ反応と,その回復について考えたり,災害や緊急事態に見舞われた人々に直に関わる経験を持っていた(シンリンラボ連載 こころがつなぐ災害支援(12))。
DSMの診断基準でなぜA基準が重要なのかというと,この外的要因を第一に持ってこないと無限に保険金支払い対象が増える恐れに精神医学界が答えるため,という実利的問題があると聞いていた。しかし,改めて,トラウマは出来事ではなく,心身の状態からトラウマを捉えることが当人にとって実際的である,というのは頷けるものであった。
ただ私は災害支援研修で講師を務める時にはこのDSMの診断基準を紹介し,ずっとA基準を満たさないと診断的にはPTSDと認められないことを強調してきた。失恋とか留年とかはショックなことであってもPTSDという精神障害に該当するトラウマ反応とは言えない,としてきたのである。保険会社よりの教育をしてきたと言える。
またトラウマ反応として,過覚醒,侵入・再体験,解離,麻痺・回避があり,さらに抑うつ,辛い考え(自分が悪かったなど)を挙げて紹介してきた。
しかし,確かに臨床的には例えばこの連載(3)のトモの反応は,背側迷走神経複合体(DVC)活動の賦活による凍りつきやシャットダウンしそうになる内受容感覚としての違和感であったと考えると,トモにとって退職はトラウマあるいは逆境的体験だったのである。
津田氏の研修では,トラウマ反応を「凍りつき」「シャットダウン」という背側迷走神経複合体による不動化の反応から帰って来れずに持続している状態,との説明があった。さらにトラウマはPTSDだけではなく,うつ,不安障害,物質関連障害,パーソナリティ障害や身体性障害を含む「トラウマ・スペクトラム障害」を起こすことが包摂的に提示されていた。トラウマに関しては脳の特定領域への影響があることを認めつつ,その前に自律神経レベルの変容,背側迷走神経複合体(DVC)および交感神経系(SNS)がブレンドした状態を指摘するのであった。
これにより,トラウマ反応としての過覚醒,侵入・再体験,解離,麻痺・回避が包括され,抑うつ,自罰的辛い考えや行動変容,人格変容が自律神経系の活動として総括されたのである。
特に私が注目したのは機能性身体症候群,機能性神経障害も「トラウマ・スペクトラム障害」に含まれうるとの改めて指摘があったことであった。今回詳しく述べる誌面的余裕はないが,サイコドラマの中で安全感が深まることによって慢性疼痛患者の痛みがなくなる,ということがあった。安全感の深まりと疼痛の軽減が直接的に観察されたのである。これはまさに機能性身体症候群は,背側迷走神経複合体(DVC)による不動化によってもたらされており,そこに安全感を十分感じとって腹側迷走神経複合体(VVC)が活性化することによって症状が軽減するという,自律神経系が痛みという症状に対応していることを示す事例と考えられる。この事例は,呼吸法とか瞑想法とかではなく,サイコドラマのグループの参加者として,主役のサイコドラマを見ているうちに起きた変化であった。そのため私には,サイコドラマの中で集団に浸ることを通じて腹側迷走神経複合体の社会システムの活性化という協働調整が起き,他者への共鳴と内受容感覚の変化とともに症状が軽減した,などと事例を捉え直すことになって,ポリヴェーガル理論とサイコドラマの臨床経験のつながりに対して興味をさらに深くしたのである。
自律神経系のどの働きも重要である
そうなると,慢性疼痛だとか,凍りつき,は病的症状だったり,よくない兆候だからない方が良い,ということになりそうだ。しかし,ポリヴェーガル理論の立場から,自律神経系の活動は生物としての生存のための働きなので,悪い反応というのはない,と言う。交感神経系が働くのが良くないとか,背側迷走神経複合体による不動化は良くない,ということはなく,どれも安全への希求としての反応であり,素晴らしいシステムなのだ,と繰り返し述べられている。問題は,どれかに留まってしまって,固着してしまうことなのだ。
この観点は,臨床上とても重要であるだろうし,サイコドラマにおいてもすべてのロールは大切な資源である,と考えており,そうした捉え方と重なって,改めてポリヴェーガル理論とサイコドラマは呼応しているという思いが深まった。
サイコドラマにおけるロールとは,「個々の瞬間に,個々の相手に対して個人がとる行動,言動,思考などの総体」であり,ロールセオリーでは,すべてのロールには「考え」,「気持ち」,「行動」が伴い,それぞれがロールでありその調和が求められる。よく発達したロール,適応的ロールがある一方,過剰に発達していたり,未発達だったり,断片化していたり,凍りついているロールもある。それらによって今まで生き延びてきたのだから,そのどれもが大事なロールだ,と捉えるのである。
津田氏の研修でもポリヴェーガル理論では自律神経系の3段階(VVC・SNS・DVC)はすべてリソースなのだと述べていて,サイコドラマもポリヴェーガル理論も同じことを別の立場から捉えているのだと私は受け止めた。研修の後,ポージェスの訳本(Porges, 2017)を読んだが,そこでポージェスはたとえそれがトラウマ反応で適応的な反応でないとしても,よくそうやって生き延びてくれたと感謝すべきである,という趣旨のことさえ述べていて感銘を受けた。
問題は,どのロールであってもそれに固着してしまうことであり,固着すると環境や社会の多様性に対応できなくなるので,適応的とは言えなくなる。そのために固着からの脱却が時に課題となるのである。
ある種の出来事に遭遇して心に痛みを生じる。それはまるで胸に何かがグサっと刺さるような出来事であった。それ自体は,ある種の感受性の豊かさ,思いの深さ,自他の区別を超えた共感や共鳴という社会システムの活性化でさえあるかもしれない。しかし,その痛みが常に感じられ,忘れられず,蘇り,苦しみに苛まれ続けるならば,それは不適応を生む。しかし痛みを感じる能力そのものはその方のリソースなのである。
それではどうしたら良いのだろう?
痛みを感じなくなる,あるいは痛みを感じるロールを取り除くことはできないし,取り除いてはいけない。痛みを感じること自体を否定することなく,別の内受容感覚があることにも注意を向け,その別の感覚が心地よく感じられ,受け止められるようにすること,などが考えられる。
それはそうだろう。でもだから具体的にどうするのか。
サイコドラマとしても定式はなく,その時々の状況に応じて取り組んでいくことになる。確かに定式はない。それでも指針があるだろう。などの自問が起きる。
それではポリヴェーガル理論から,ある種の固着があったとき,どうするのか,という具体的対応は導かれるのだろうか?
セラピーが到達すべき3つの目標
津田氏は研修の中で,ポリヴェーガル理論からの論理的到達点としてセラピーの到達すべき3つの目標を示した。
一つは世界と柔軟に関与できる経験を持てるようになること,それは腹側迷走神経複合体の活性化である。そして他者と共にいても恐怖なしに不動化できること,これは腹側迷走神経複合体システムと背側迷走神経複合体がブレンドした状態である。そして戦うか逃げるかではなく自由に可動化できること,それは腹側迷走神経複合体と交感神経系のブレンドという,3つの状態,これがポージェスによればセラピーが向かうべき目標になるのである。
なるほどわかった。それではこれらの3つの状態はどのように具体的には実現するのか,が問いとなるのである。
その答えは安全の拡充の実現であった。
津田氏の研修では,少し具体的にさらに「安全」という戦略で次のような例を示した。
例えば,クライエントが交感神経系(SNS)でいるならばセラピストは交感神経系(SNS)に腹側迷走神経複合体(VVC)をブレンドして共にいる。クライエントが背側迷走神経複合体(DVC)でいる時にはセラピストは背側迷走神経複合体(DVC)に腹側迷走神経複合体(VVC)をブレンドしてそばにいる。これによって少しずつクライエントの腹側迷走神経複合体(VVC)も同調してきてブレンドをなすようになる。
そしてトラウマ治療は3段階論のプロセスが考えられてきた,としてポリヴェーガル理論としても安全の拡充プロセスを3段階に位置付け,背側を腹側で包摂し,交感を腹側で包摂,腹側の自在な発展,と3段階をまとめるのである。ただ,実際にはさまざまなパターンと段階の跳躍もあることも指摘されていた。そしてさらにトラウマの治癒と回復の道程を発達のプロセスと対応させて,同じ3段階であっても,単回性トラウマは凍りつき中心で,複雑性トラウマはシャットダウン中心のトラウマであるため,双方それぞれに辿る道行きがあることを示すのであった。
サイコドラマとポリヴェーガル理論
私は,こうしたポリヴェーガル理論が示すセラピーのあるべき姿や辿るべき方向性を聞いて,ただそのままを受け取り,よくわかったつもりになった。
しばらくして,改めてこれは自律神経系のことだということを思い返して,今回最初に改めて書いたようにポリヴェーガル理論は意識の制御の及ばない神経系のメカニズムに関わる理論であることに思いを巡らせた。
しつこいようだが,安全はニューロセプションとして検出され,内受容感覚と合わせて総合的に判断され自律神経系がほぼ自動的に反応する。なのでニューロセプションに安全として検出されるにはどうしたら良いのか,が一つの課題である。
サイコドラマにおける安全とは何か,ということを考えると,安全配慮ということで例えば決まったやり方でルーチン的に進める,ということが考えられる。慣れていない参加者にはサイコドラマに慣れてもらってから主役をしてもらうとかもあるだろう。運動の前に準備体操をするように,サイコドラマというグループワークに入る前に,ルーチン的な活動をすることは確かに有効である。
主役が選ばれ,ドラマを進めるときに監督主導で,主役の先回りをしてしまうと,途端にドラマは仕組まれたものになってしまう。それでは安全かもしれないが,例えばパースがどうしよう,と困った時に,こうしましょう,と監督が指示したとしたら,安全で安心なドラマの終結が得られる可能性があるが,パースは新しい発見や新鮮な驚きを体験できないだろう。
「安全な時,マジカルなことが起きる」「安全感こそが治療なのだ」としても,このようなルーチン的,指示的な中での安全ではない安全な時と安全感が求められることが予想される。
パースのサイコドラマでは,向こうに寝てる人がいるよ,あんな風になってみたらどう? と監督が先回りして提案したのではなく,パース自身が発見した。そのことに大きな意味があるはずである。その前に,どうにもならない葛藤に自らが置かれたことにも意味がある。誰かが仕組んで葛藤場面を作ったのではない。監督は主役であるパースの感覚に従って,参加者と一緒に作っていった。それらはポリヴェーガル理論から見ると集団的な協働調整のプロセスであり,一人でなく,他者と共鳴し,腹側迷走神経複合体(VVC)を活性化しながら,自らに湧き起こる背側迷走神経複合体(DVC)からの感覚に注意を向けて歩みを進めていった。そのようにできること自体が安全感の中に包摂されていることを全身でパースは味わっていたことであっただろう。
サイコドラマでは監督は空っぽになる方が良い,と言われ,自発性(spontaneity)が創造過程には必要だという。監督の主観をできるだけ廃し,主役の困難を目に見える形で具体化して,その困難と葛藤場面を明確にしながら,この自発性を十全に発揮できる環境づくりに腐心する。それが監督の役割なのである。その監督の役割は,ポリヴェーガル理論で津田氏が示したセラピーの安全の拡充プロセスと呼応していると思うのである。
おわりに
これまで,読者にはサイコドラマの基本的な用語やプロセスについて説明をせずにサイコドラマ場面に触れていただき,そこからポリヴェーガル理論とサイコドラマを絡めて話を進めてきた。それはこれまでサイコドラマを説明すると,聞いている側も説明している側ももどかしい感じになるというたくさんの経験があったからである。
そこで,今回は,まずサイコドラマを擬似的に体験してもらうところから始めて,私の中でポリヴェーガル理論とサイコドラマがどう絡み合ってきたのかを一緒にたどってもらい,その上でサイコドラマについて説明してみようという意図があった。
順序は,そのために一般的なやり方と逆になっているのだけれど,次回,サイコドラマとは何か,基本的用語や方法,コンセプト,ロールセオリー,サイコドラマの目標を述べ,改めてポリヴェーガル理論のサイコドラマにとっての意義,あるいはその逆(ポリヴェーガル理論にとってのサイコドラマの意義)について考察してみたい。
文 献
- Porges, S.W.(2017)The Pocket Guide to the Polyvagal Theory: The Transformative Power of Feeling Safe. W.W. Norton & Company.(花丘ちぐさ訳(2018)ポリヴェーガル理論入門.春秋社.)
- 津田真人(2019)「ポリヴェーガル理論」を読む.星和書店.
- 津田真人(2022)ポリヴェーガル理論への誘い.星和書店.
前田 潤(まえだ・じゅん)
室蘭工業大学大学院教授
資格:サイコドラマTEP,臨床心理士,公認心理師。
主な著書: “Cultural Diversity, Groups & Social Challenges”(共著,IAGP,2025),『心理劇入門―理論と実践から学ぶ』(共著,慶應義塾大学出版会,2020),『総合病院の心理臨床―赤十字の実践』(共著,勁草書房,2013)
趣味:サイコドラマ,オペラ鑑賞









