キョウジュの心理学(12)臨床家,大学でなにをしたいのか|富樫公一

富樫公一(甲南大学
シンリンラボ 第40号(2026年月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.40 (2026, Jul.)

最終回だ。

一年間,毎月書いてきた。

月末になると大学の仕事をすべて止めた。メールは未開封のまま放置し,書類は研究室の片隅に積み上げた。締め切りがいつなのか,もうわからない。

授業とゼミだけは楽しんだ。

下書きができると,読んでくれそうな人に送りつけ,コメントを強要した。その人からのメールには返事をしていないのに,早く読めと督促した。

大学関係の知人からの連絡は減った。

「面白いです。もっと書いてください」と,最初連絡をくれた人もよそよそしくなった。

「大丈夫です! 聞いた話は(そのままは)書かないです。ネタは個人が特定されない形で発表します」

そう保証しても,もう相手は応答しない。少ない知人が,もっと減った。

そんな生活もいよいよ終わる。


脚注

1. 倫理的配慮として固有名詞は変更している。「○○大学」は「シンリン大学」,「○○キャンパス」は「まつたけ山キャンパス」と表記した。


教員の欲望

臨床家が大学で働く意味を考えてきた。

大学業務に,臨床の時間はほぼない。書類に埋もれ,予算執行要領2にうんざりし,会議と役職に縛られる。「臨床の極意はこれだ」と,滔々と説く教員と過ごす。それでも,臨床家はそこで仕事をする。何をしたくてそこにいるのか。

第一回で私は,臨床家は研究と教育をしたくて働くと書いた。

では,どんな研究や教育をしたいのか。

研究はいい。欲望のまま進めるだけだ。

問題は教育だ。

理想がある。これが臨床だという理念がある。

それが本当に正しいのか,誰もその答えを教えてくれない。信じるのは,自分のこれまで受けた教育と臨床経験だけだ。

学生は,何かを期待してこちらを見る。センセイはきっとすごいことを知っている4に違いないと,キラキラした目で見る。

それを見ると,信念を伝えたくなる。これから彼らが向き合う現場やクライエント,体験について,できるだけ伝えたいと熱が入る。「臨床の極意を知っているというセンセイは信じちゃだめだよ」と言いたくなる5。しかし,それも本当に正しいのかわからない。

自分の体験は,偶然出会った患者やクライエントとの関係の中で得られたものだ。

臨床は,すべて個別的だ。

おおよそ,こう考えると良いというのはあるが,それが目の前の患者に合う保証はない。シンリガクの知識がどれだけあっても,完全に一般化できるものはない。

しかし,学生は,臨床現場で一般に通用する何かを教えてほしいと期待しているように見える。

そこに,欲望が湧く。これが正しく,まともな臨床実践だと伝えたい欲望だ。

「正しく,まともな臨床実践というものはない」という考えを持っていても,同じことだ。それ自体,自分が一般化した信念だからだ。

それを伝えたい欲望にかられる。

欲望は強い。次の世代にも,同じように考えて欲しいと願う。信念を曲げたら,自分が歩いてきた道まで否定しかねない。

臨床家は,自らの信念を問い直すことができるのか。

「科学的エビデンスや明確な手続きにこそ,正しい臨床がある」
「共感と傾聴にこそ,臨床の本質がある」

教員のそんな声を聞くと,もうだめだ。むずむずしてくる。「それでいいのか」と言いたくなる。「もう少し大切なことがあるでしょう」と。

しかしそれは,信念対立だ。どちらの考えだけが正しいということはない。「一方だけが生き残る」(Benjamin, 2021)関係は,何も生まない。

結局,問い直す機会をくれるのは学生なのかもしれない。

彼らは,教員の言葉に悩み,苦しむ。異なる教員の意見に挟まれ,自分はどっちに行けばよいのかと迷う。

迷わない学生は,教員の欲望に合う自分を作る。気がつくと,ゼミのセンセイと同じ口調で発言している。

「これを言うと,あなたの研究を壊してしまうかもしれないけど,はっきり言いますね」

皮肉な笑みまで一緒だ。

その姿を見て,自分の欲望の大きさを知る。

考えてみれば恐ろしい。

自分は正しい臨床を知っているとどこかで思っていなければ,教育はできない。しかし,その正しさを学生に知ってほしいと願った瞬間,教育は危うくなる。油断すると相手を植民地化する。


脚注

2. 合理的と認められる経路の中で,最も安価なものを購入すること。やむを得ず最も安価な航空券を購入できない場合は,その理由と最も安価な金額を添えて担当部局に申請すること。執行可能額は,最も安価な見積額を上限とする。

3. 教科書はたくさん書いているが,臨床事例は聞いたことがない。

4. すごい裏話はたくさん知っているが,話せない。

5. 今のところ言ってない。


自分の言葉を編む

救いは,学生が完全に植民地化されることはないことだ。

ポスト植民地批評のバーバ(Bhabha, 1994)は,「唯一の神を支える言語の権威は,土着の記号の力によって根底から侵犯され,支配の行為そのもののなかで,主人の言葉が混交してゆく」(邦訳p.59)と述べる。

すごい言葉だ。

三回読んだが,三回ともわからなかった。

二つ目の文章を読む。

被植民者の主体は計り知れないもの──半分は言うことをおとなしく聞くが,もう半分は抵抗しており,常に信頼しきれない何か──となり,その結果,植民者の側が文化的な権威をもって語りかけようとするその瞬間に,文化的差異という解決不能な問題を持ち出してしまうのである。

(Bhabha, 1994,邦訳p.59)

これは,なんとなくわかる。

相手を植民地化したように見えても,相手が完全にこちらの考えを取り入れてしまうことはないということだ。相手は,もともと持っている文化の言葉でしか,植民者の声を聞かない。

一方の文化が一方の文化を完全に従わせることはない。二つの文化は必ずぶつかる。そこに,新しいものが生まれる。

大切なのは,その空間を守ることだ。

学生は,教員の言葉をそのままには取り込まない。自分の経験や迷いと撚り合わせながら,自分なりの言葉を編み出して成長していく。

理想的な訓練や教育はあるだろう。しかし,この空間がなければ,理想は何も生みださない。

大学は,ただの組織だ。それ自体が何かを生みだすことはない。

吉見(2011)はこう述べる。

大学とは,メディアである。大学は,図書館や博物館,劇場,広場,そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのだ。メディアとしての大学は,人と人,人と知識の出会いを持続的に媒介する。その媒介の基本原理は「自由」にあり,だからこそ近代以降,同じく「自由」を志向するメディアたる出版と,厭が応でも大学は複雑な対抗的連携で結ばれてきた。

(吉見,2011, p.258)

ここでいうメディアは,予算執行要領のように,情報の垂れ流しを意味するわけではない。人と人,人と知識の出会いの場という意味だ。

教員が守るべきは,正しい答えではなく,その「場」かもしれない。

臨床家になる者の多くは,大学からそのキャリアを歩みだす。

彼らはそこで人に出会い,自分の言葉を編む。迷えばそこに戻り,また人に出会う。

教員はどうだろうか。学生と出会うたびに,自分の言葉を編み直しているだろうか。自分の欲望を見直しているだろうか。


脚注

6. 合理的と認められる経路の中で,最も安価なものを購入すること。


出会いと別れ

これまでにない臨床家の訓練施設を作る。自分ならやれる。

これが,信念だ。

そのために,やれることはやる。

そう繰り返しながら,建設会社まで歩いた。大阪に行く前に,立ち寄るように言われていた。地域心理支援センターから10分ほど歩くと,4階建てのビルが見えてきた。お世辞にもきれいとは言えなかった。

正面扉のガラスに吹きつけられた金色の社名は,一部が欠けていた。

扉を開けると,数人がデスクに座って仕事をしている。

「すいません」誰も振り向かないので,声をかけた。

「はい」近くの制服の女性が,けだるそうに振り向いた。

キーボードの手を止める様子はない。

「シンリン大学の者ですが,今日,ここに立ち寄るように言われて……」

「失礼しました」女性は,顔色を変えて立ち上がった。「お話は聞いています。見積書,今持ってきます」

女性を見送って,後ろの壁を見ると,建物の施工写真やパースが何枚か飾られている。

どれも,理事長室で見たことがあった。

このあと,大阪で彼に会う。

本当に,これでいいのか――いつもの問いが浮かぶ。

いや,こんなチャンスはもうない。

問いを打ち消した。

紙包みは,カバンの中だ。持ち手越しに,重さが伝わってくる。

「お待たせしました。こちらです」制服女性が戻った。「これを,お持ちください」

上目遣いのまま,うやうやしく封筒を差し出す。

「ありがとうございます」受け取った封筒は,意外と薄い。

「えっ,あれ?」

制服女性の後ろから声がした。

「……え?」

同級生が顔を出した。「えーっ,なんで?」

「そっちこそ」

同級生はカウンターを回って,駆け寄ってきた。

制服女性は,同級生とこちらの顔を見比べてから,小さく会釈して自分の席へ戻った。

「びっくりしたよ。すごい偶然。ニューヨーク以来だね。どうしてここに?」

思いっきりハグしたかったがやめた。こういうとき,日本文化は不便だ。

「ちょっとね。そっちは?」

「あの人の荷物を取りに来た」紙袋を少し上げた。「ロッカーがそのまま残ってたんだって」

「この会社だったんだ」

「うん」

同級生の配偶者は,事故で亡くなっていた。

ニューヨークで打ち明けられた。

建築会社に勤めていて,大手大学の工事受注で悩んでいたらしいことを聞いた。残された重要記録のUSBは,パスワードがわからず,開けられないと言っていた(富樫,2026)。

「あのさ,USB,開いたんだよ」

「えっ,そうなんだ」心がざわついた。

「パスワードは,Alfortだった」笑みを浮かべたまま,涙が頬をつたった。「やっぱり,苦しんでた……日記に全部書いてあった。最後には,もう耐えられないって書いてあった。苦しいって」

「そうなんだ……」胸が締めつけられた。

「大学で働いてるって,聞いたよ」

「うん」

「この大学?」同級生は壁の写真を見た。

「そうだよ」目を見られなかった。

「あの人が受けてた仕事はこの大学のなんだ。今日の何の仕事?」同級生の目は,まっすぐだった。

「……理想的な臨床訓練の場を作る仕事かな」

「らしくないね」声が曇った。

「そう?」

「理想的な場とか,前は言わなかったでしょ?」

言葉が出なかった。

「この会社おかしいと思わない?」

「どうして」

「小さいでしょう? 大学なんか建てられると思う?」

「建てられない,かな」

「全部,大手におろすんだよ」同級生は声を潜めた。自然と距離が近くなって,少し胸が鳴った。「初めから,この会社が受注することが決まってる。実際の工事費はずっと安い」

「差額は?」

「理事長周辺に流れる」同級生は,カバンからUSBを取り出した。「中に全部あるよ。請求書,メール,日記,誰が何を指示したか。大学のセンセイが何をしたのかも知っている」

背中に冷たいものが走った。

「本当は迷っているんでしょ?」

「どうして」

「どちらかが迷ったり,困ったりしたとき,再会するって話したじゃない」

ブルックリンの地下鉄の匂いがした。

「ニューヨークで,そんな話もしたね」

「本当に,それでいいの?」

言葉がなかった。

同級生はすべて知っている。USBの中にも,すべてが入っている。

「今の臨床訓練を変えたいんだ。みんな,大学院の二年間しかクライエントに会わない。多くの場合,それだけで修了していく。学外実習と言っても,アメリカと比べたら微々たるものだ。教員は臨床に出ない。大学病院ができたら,継続的な訓練ができる。教員も現場に出られる。何もしなければ,このままだ。理想を形にできる」

「キョウジュがそう言ったら,どう言ってた?」

何も言えなかった。ただ,同級生の顔を見た。

「自分たちの大学院も,そんな理想的なものじゃなかったよ。でも,みんな,立派な臨床家になってる。修了後,自分で訓練の場を見つけていった。大学にできるのは,迷った人が出会う場所であり続けることだよ。自分たちもそうだったでしょ」

膝から下の力が抜けた。何かが崩れた気がした。

院生二人の顔が浮かんだ。

「学生たちが求めてるのは,もっと違うものなんじゃない? みんな勝手に育ったよ。センセイたちの言うこと,全部信じたわけじゃない。好きな言葉だけ拾って,嫌な言葉には腹を立てて,それでも何人かとは今もつながってる」

「……大阪に行くのはやめたよ。大学に行く」

「決めたんだね」同級生の声は静かだった。「一緒に行くよ。USBが必要でしょ」

「悪いよ」

「どちらかが呼びかけたら,互いに応じよう。そう言ったでしょ」

「わかった」

ネット予約の新幹線をキャンセルして,同級生とともに駐車場に向かった。

出張取り消し申請書の記載方法が気になったが,30頁超の予算執行要領を思い出して,考えるのをやめた。

車を駐車場から出すと,フロントガラスにぱらぱらと雨粒が浮かんだ。ワイパーを遅めに動かした。向かう先の雲は,真っ黒だった。

まつたけ山への道は,いつものように細かった。両側には竹が群生している。足元には,熊笹がひしめいていた。十数羽のカラスが,ごみ収集場に群がっていた。カア,カアという声が車内に響いた。

「あれ,ここ,来たことある」助手席の同級生が,不意に声をあげた。「大学ができる前にあの人が連れてきてくれたんだ。まだ広い休耕田で,シラサギがたくさんいた」

ふいに,携帯が鳴った。

画面には,「着信 理事長」とある。約束の時間は過ぎていた。出ずにいると,切れてはまた鳴った。

同級生は,何も言わなかった。

正門はいつもと変わらない。道を挟んですぐに,「まつたけ狩り一人8,000円」と,白い文字で書かれた看板が立っていた。

値段,上げたんだ。

キャンパス内に人影はなかった。遠くに人の姿らしきものが見えて,建物の影に消えた。

空を覆う黒い分厚い雲から,雨粒が降り注いだ。

ジャケットを傘代わりに,研究室棟の軒下に駆け込んだ。自動ドアから,ライフジャケットと唐草模様が出てきた。

「あ。センセイ,こんにちは」

「どうも」

「お疲れさまです」

愛想のない声を残して,二人は足早に去っていく。

ガッカチョーの研究室は三階だ。エレベーターが開くと,廊下は真っ暗だった。

足を二,三歩踏み出すと,天井の蛍光灯が順に灯り,まっすぐな廊下を照らした。

ガラガラガラ。

廊下の反対側の階段から,何かが崩れる音が響いた。

「あかん! 台車から段ボール全部落ちてもたやないか」声しか聞こえないが,聞き覚えはある。「言うたやろ,そんな勢いよう押したらあかんて」

「しゃあないやんか。だいたい紙,使いすぎやねん。今どき,こんな使うとこあらへんで」

「そこはもう諦めなあかん。大学いうたら紙や」

「まだ言うか」

「紙や。お紙さまや」

「ええから,はよ拾い」

目的の研究室には,灯りがついていた。

「ここからは一人で行くよ」

「わかった」同級生の顔は,少し緊張していた。「大丈夫?」

「うん。大丈夫」

一つ大きく息をして,ノックした。

「どうぞ」

「失礼します」

ドアを開けると,ガッカチョーはモニターの向こうに座っていた。「今は,大阪にいるはずではないのですか」

「お話があります」

「何でしょう」ガッカチョーはソファに足を進めた。「どうぞ。座ってください」

「はい」腰をおろすと,ガッカチョーは向かい側に座った。

USBと紙包みを取り出して,机の上に置いた。

ガッカチョーは無表情で見つめる。

「USBの中に,建設会社の元従業員が残した記録があります。友人の亡くなった配偶者です」

雨が窓をたたきつけた。

ガッカチョーは何も言わなかった。

パソコンを立ち上げ,USBから一つ一つファイルを出した。

「理事長には親族企業がいくつもあります。その企業が,大学から請け負った仕事を装って架空の請求書を発行し続けました。大学からいくらでも金を引き出せます。三日月さんがやっていたこと,私が届けるように言われた領収書の束はそれです。政治活動に使われました。医学部誘致が決まれば,親族の建設会社が水増しした金額で工事を受注します。実際に建設するのはそこじゃない。建設会社には,ただカネが流れ込む。これも見てください」

パソコンの画面を見せた。

保存されていた写真には,理事長と与党の大物政治家,ガッカチョーが写っていた。

「取り仕切っていたのはセンセイですね」

ガッカチョーは,ゆっくりとソファにもたれた。「そうです」

あっさり認めたことに驚いた。

「私を引き込むつもりで,採用したのですか」

「そうです」

「父も知っていたのですか?」

「まさか。彼は正義の人です。こんな話に黙ってる人じゃありません。彼は研究者としても,家庭人としても,大学人としても,筋が通っている。私とは違う」ガッカチョーの表情は読めなかった。「ただ,そういう人は少し息苦しい」

「あなたは,私を守るといいました」

「守りますよ」ガッカチョーは,少しだけ笑った。

立ち上がり,書棚の下のキャビネットを開けた。分厚いファイルを取り出した。

「すべての証拠です。これでも,研究者なんでね。プロジェクトが終わるまで,データは廃棄できない。紙で残すのは,やっぱり年齢でしょうね。大学人には紙10が大事ですから」

ファイルが机の上に置かれると,鈍い音がした。

「持っていきなさい。君は告発すればいい。私は認める。請求書の改ざんも,架空の備品購入も,監査資料の操作も,すべて私がやったことです。三日月氏にも,証言するように依頼するといい。彼も,自分の信じる訓練の場を作りたかったんだ。それを利用して彼に協力させた。根は悪い人じゃない」

「そんなことをしたら」

「私は終わります」

「理事長は?」

「……」ガッカチョーは何も言わない。

「最後まで,理事長を守るんですか?」

「まさか」ガッカチョーの目には力がなかった。「私が守るのは,大学です。これではいつか,財政的に破綻する。組織の資産をトップが食いつぶしてるわけですから」

「いいんですか」

「君は,ぎりぎりで踏みとどまった。私が責任を取るのは当然です。私は,自分の家族を守れなかった。妻がおかしくなるのを見ていました。でも,何もしなかった。心理学者が聞いてあきれます」

「心理学者が,道徳者になれるわけではありません」

「君は,のびのびしていた。そんな君を,私はよくかわいがった。妻には,それが我慢ならなかったんだ。彼女は,君を随分殴りつけた」

左耳の痛みがよみがえった。

「私は,彼女を叱りました。二人がいなくなったのは,次の日です。私は,何一つ守れなかった。だから,苦しむ人を助けられる専門家を育てたいと思った」ガッカチョーは遠くに目を向けた。「君のお父さんにはできない何かをしたかったというのもある。正しい人と一緒にいるのは,苦しい」

ガッカチョーは目を閉じた。目頭がうるんでいた。

ゆっくりと立ち上がった。

「USBを出すところに出したら,私は,大学を辞めます」カバンを持ち上げた。「私は,どこかで自分が正しいと思っていました。そんな私は,鼻についたでしょうね」

ガッカチョーは何も言わなかった。

「お世話になりました」深々と頭を下げて,扉を閉めた。

エレベーターホールで,同級生がしゃがみ込んでいた。

「お待たせ」

「終わった?」

「うん。ひとまず。君のおかげだ。全部終わったら,臨床に戻ろうと思う」

建物を出ると,小雨になっていた。

まつたけ山の山頂で,一羽の鳥が旋回している。

「あれトンビだね」同級生が指をさした。

「そうか。あれは,鷹でも,カラスでもないんだ。院生たちに伝えないと」

「なにそれ」同級生はくすりと笑った。「伝えないといけないの?」

「うん」

しばらく見上げていた。

「みんな,カラスしか知らないから」


脚注

7. 『私たち、臨床家は倫理的転回の中にいる』番外編をよろしくお願いします。

8. 最近メロン味が出たが,濃い青色の元祖にはかなわない。

9. 最も安価なものを購入すること。

10. お紙さまや。


文  献
  • Benjamin, J.(2021)Acknowledgment, Harming, and Political Trauma: Reflections After the Plague Year. Psychoanalytic Perspectives, 18, 401-412.
  • Bhabha, H. K.(1994)The Location of Culture. Routledge. (本橋哲也・正木恒夫・外岡尚美・坂本留美(訳)(2005)文化の場所.法政大学出版局.)
  • 富樫公一(2026)私たち、心理臨床家は倫理的転回の中にいる.遠見書房.
  • 吉見俊哉(2011)大学とは何か.岩波書店.
富樫公一先生の連載「キョウジュの心理学」は全12回をもって終了となります。ご愛読いただきありがとうございました。
本連載はこのあと書籍化される予定です。お楽しみにお待ちください。
(シンリンラボ編集部)

+ 記事

富樫公一(とがし‧こういち)
資格:公認心理師‧臨床心理士‧NY州精神分析家ライセンス‧NAAP認定精神分析家
所属:甲南大学‧TRISP自己心理学研究所(NY)‧栄橋心理相談室
著書:『私たち、心理臨床家は倫理的転回の中にいる』(遠見書房),『精神分析が生まれるところ─間主観性理論が導く出会いの原点』『当事者としての治療者─差別と支配への恐れと欲望』『社会の中の治療者─対人援助の専門性は誰のためにあるのか』『分断の中の治療者―当事者性と倫理的転回』(以上,岩崎学術出版社),『Kohut's Twinship Across Cultures: The Psychology of Being Human』『The Psychoanalytic Zero』(以上,Routledge)など

目  次

おすすめの記事

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事