大人女子のココロ(2)30年の応援のはじまり&ナラティヴ・セラピーとは〈前編〉|伊藤弥生

伊藤弥生(久留米大学)
シンリンラボ 第38号(2026年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.38 (2026, May.)

何ができるだろう,
彼女たちの大切な望みのために。

進んでみよう,
その声が教えてくれる方へ。

1.はじめに

本連載では大人女子のココロとその支援について考えていく。

支援のアプローチとして,ソリューション・フォーカスト・ブリーフセラピー(以下ソリューション)とナラティヴ・セラピーの2つを軸に実践的に考える。

これに先だち,私がどうして・どんなことを考えて大人女子の支援に携わってきたのか,なぜ臨床を始めて20年もたってオリエンテーションを変えることになったのかという背景と,2つのアプローチについてご説明したい。

今号では,大人女子の応援をはじめた経緯とナラティヴ・セラピーとの接点に関する背景をお伝えした上で,ナラティヴ・セラピーについてコンパクトに,①ナラティヴ・セラピーとは,②何をするのか,③どう動くのかについてご説明したい。

20年後に変わった職業人生の起点?!

私が臨床心理学へ進んだのは大学院からで,大学院浪人をした。

ちなみに学部に入る時も浪人。まぐれで社会科学系大学の法学部に入ったが,場違いなことはすぐにわかり社会学部へ転学部した。

超放任の大学での自由な4年間はその後も大切に思い返す,私の人生に意味があるものとなったが,専門的な心理学の学びは特になかったので,職業人生というストーリーにおいては影が薄かった。

それが20年後にナラティヴ・セラピーという社会的な視点が強いアプローチを軸にすることになった。そうなると大学時代が職業人生の起点となるストーリーが見えてきた。

どんな事が起こってくるかわからない。
どんな事と結ばれるかで出来事の意味が変わり,ストーリーが変わる。

大人女子の応援のはじまり

大学院浪人中に,後に大人女子支援の場として関わらせていただく,不妊治療クリニックの師長(現副院長)と出会った。

ひとりで受験勉強するのは続かない気がして,志望大学で科目等履修生として籍をおきながらやることにしたのだが,師長が同じ授業を受けていた。

師長は日本第1号の体外受精コーディネーターだったが,より専門的なケアをと心理学を学びに来ていた。最先端のクリニックの師長職にありながらの学業となれば,髪を振り乱しそうなものだが正反対だった。何より,教授の質問への穏やかな受けこたえと,そこに垣間見える経験と人柄に魅かれた。

G0!
内側から声がした。
勇気を出して話しかけた。

遠まきにしている他の学生たちとのコントラストが面白かったのか仲良くしていただき,授業の最終回あたりに誘われた。患者さんたちとのお話し会をするのだという。

春先の開業したてのクリニック。
6〜7人の女性たち・院長・師長と輪になって,一時間ほど話しただろうか。

「これからもこんな風に話せるといいですよね。でもまとめてくれる人がいないと……」
「ほんとですよねー」
視線がこちらに集まった。

こうして不妊の女性のためのサポートグループを立ち上げ,カウンセラーとして関わることになった。大人女子の応援がここから始まった。

見えてきた彼女たちの姿

待合室の女性たちの思い詰めた表情。
院長・師長はじめスタッフの真摯な姿。

今では保険診療も始まり不妊治療はかなりポピュラーだが,当時は心理職もほぼいなかった。
そんな時期に患者さんのためにと,心理のしの字も知らない存在をチームに入れて下さったことになんとかこたえたかった。

本を読み漁り医学部の講義のモグりもしたが,サポートグループで聞かせてもらうことが一番勉強になった。彼女たちがおかれた状況が見えてきた。

自然にできる人もいるのに「なぜ私は」という怒り。
既婚者とわかるとお子さんは?と聞かれる。でも自分もそうしてた……。あらゆるところで子どものことが話題になる。
なんでも話してきた女友達も,不妊については相手が独身や自然妊娠だとムズカシイ。
妊活仲間も,相手に子どもができるとモヤモヤ。二人目で悩むと「一人いるからいいじゃない」と言われる。
治療では身体への負担・医療費・仕事との両立などのストレスが加わる。
夫婦で協力してする治療と言われるが,実際的負担の違いや治療への温度差で夫とすれ違う。
服薬や自己注射の管理に緊張が続く日々。期待と失望を繰り返す感情のジェットコースター,いつ授かるかわからないゴールのないマラソン。
走ってきたけどどうしたいかわからなくなってきた。
区切りにしていた40歳が近づいて焦る。
子どもがいる人生を描いてきたから諦められない……。
(本連載は不妊について主とするものではないが,日本で検査・治療の経験がある夫婦は約4.4組に1組と言われ(子ども家庭庁),私が聴いてきた大人女子の大切な声でありここに記すこととした)。
もろもろオンゴーイングな中がんばっている

不妊に悩む女性のストレスは,妊活だけではない。
元々あった生活上のあれこれは続き,人生上の大きな出来事も起こってくる。もめごとやトラブルも待ってくれない。

こんな状況におかれたら誰だって疲弊するだろう。
彼女たちはもろもろオンゴーイングな中がんばっている。

否定する声?!

そんな彼女たちを手伝えることは本望だったが,否定する声に戸惑った。

「子どもを授かろうと思い詰めるからできない」
「不妊治療してまで作ろうとするなんて。心の課題の置きかえなんだから,本来の課題に向きあわせるのが心理の仕事」
こんな言葉を何度もかけられた。

閉塞した卵管が心がけで開通するのか? 自然妊娠は祝福されるのに,なぜ不妊治療だとこんな風に言われるのだろう。

今なら不妊について知らないことが問題だと思えるが,当時は憤りを覚えた。彼女たちは大切な望みのために,大変な思いまでしてがんばっているだけだ。

「あなたが会った人がたまたまそうだったんじゃないですか?」
……そうかもしれない。

でももし妊活が逃げだとしたら,必要なのはまず悲鳴を悲鳴として受けとることだろう。
そもそも逃げたことがない人はいるのか。それに,逃げるのが適切なこともあるし,動機は必ずしもその後を予想しない。

彼女自身の声を形に

こうも思う。

逃げるならもっと楽な手がある。出産・育児という大仕事をタフなこの治療をしてまで選ぶことを,逃げと呼ぶのはあまりに座りが悪い。

子どもを作ることには,どんな大切な望みが宿っているのだろう。
まだ十分言葉にできていない彼女自身の声を,形にしていくことが助けになるのではないか。

人が問題ではなく,問題が問題

カウンセリングの案内文にはこう書いた。今も同じものになっている。

——どんなに大きな船でも積荷が大きすぎれば揺れるもの。心のメンテナンスやケアもなさってみてはいかがですか?

……人も人間関係も問題ではない。むしろ問題が問題となる。つまり,問題に対する人の関係が問題となる。(White&Epston, 1990/2017)

彼女たちの心が問題で,不妊になり不妊治療をするのではない。不妊・不妊治療に関するストレスが問題である。

この時はまだナラティヴ・セラピーを知らなかったが,スピリットは近かったようだ。

2.ナラティヴ・セラピーとは 

ではナラティヴ・セラピーについてご説明したい。

ナラティヴ・セラピーは難解と言われる。早合点せずカタツムリのようにゆっくり学ぼうとおっしゃる方もいる。
私もその言葉に救われる一人で現段階での私の理解の範囲となるが,大づかみなところをお伝えしたい。

ナラティヴ・セラピーは,オーストラリアのMichael Whiteマイケル・ホワイトとニュージーランドのDavid Epstonデイヴィッド・エプストンが作った家族療法のひとつだ。

最も有名なテキストは,『物語としての家族』(White&Epston, 1990/2017)だ。日本では1992年に出版され2017年には新訳版も出て大事に読みつがれている。

邦訳タイトルは大変詩的になっている。詩的な美しさを人や人生について語る上での倫理として重視するナラティヴ・セラピーの姿勢を反映するものだが,初学者には英タイトルの方が端的にこのセラピーが何かがわかりやすいように思う。

Narrative Means to Therapeutic Ends(White&Epston, 1990)
治療的な目的のためのナラティヴ的手段。

ナラティヴ・セラピーは,ナラティヴについて厚く知り,手段として活かすセラピーだ。

1)ナラティヴ・セラピーへの誤解
「グリム童話で解釈したりでしょ」

あわただしい日々で,私たちは名前のイメージで早合点しやすい。

ナラティヴに直訳的に漢字をあてれば物語だから,ナラティヴ・セラピーに対するよくある誤解はこのようなものだ。

「物語療法だから,グリム童話とかでクライアント(Cl)の話を解釈したり,ハリーポッターとかその人が好きな物語をカウンセリングの話題にしたりするんですよね」

“語られたモノ”(物語)を使うセラピーという理解だ。実際そのようなセラピーをする方もいるが,ナラティヴ・セラピーはそれとは違う。
セラピーの手段としてナラティヴをそうは使わない。

ナラティヴには確かに“語られたモノ”という意味があるが,このセラピーが着目し活かすのは“モノについての語り”の方だ。

モノについての語りを活かす

この“モノについての語り”という発想が慣れないが,実は私たちは“モノについての語り”をよくしている。例えば,私というモノであれば,日頃の挙動を踏まえて「私はオッチョコチョイだ」といった私(モノ)についての語りをしている。

モノには出来事(モノゴト)も含まれる。お酒を飲んだ時の語りは“モノについての語り”の身近な例だろう。

「こんなことがあってさあ,私は〇〇って思ってこうしたんだよね。でまたこんなあんなになって〜〜。いやあ〜〇〇だったなあ。〜〜だったけど,〇〇だよねえ,うんうん」

といった具合に起こった出来事(モノゴト)を,自分のとらえ方でストーリー化して語る。
(ストーリーとナラティヴはほぼ同じものを指すと思っていただきたい)

「語るのが好きな人に向くんでしょ」

ナラティヴ・セラピーという名前から生じる誤解は他にもある。私もこんな風に思っていた。

「自分語りというか自分史みたいなことをするんだろう。自分のことが相当好きか,語りたい人生を送れている人に向くんだろうな」

実際は逆だ。自分について語ることに痛みがある人のためにあると言ってもいい。
ナラティヴ・セラピーは再著述の対話と呼ばれる。

私たちは「私は〜ができない」「自分は〜失格だ」といった,問題と自分を同一視するストーリーによって,密かに力を奪われている。

ナラティヴ・セラピーでは問題との関係を広い視野で眺め,ストーリーを語り直していく。本人が主著者,セラピストが共著者となり協働して取り組む。

ストーリーが正当に本人がOKと思えるものに変わることで,問題とも自分ともつきあいやすくなる。

……人々が治療を求めてやってくるほどの問題を経験するのは,彼らが自らの経験をストーリングしている物語,そして/あるいは他者によってストーリーだてられている彼らの物語が彼らの生きられた経験を十分に表現していないときであり,そのような状況では,これらのドミナント・ストーリーと矛盾する彼らの生きられた経験の重要な生き生きとした側面が存在するだろう(White&Epston, 1990/2017)
2)ストーリーと人との関係
ストーリー化しながら生きている

そもそもストーリーとは何だろう。

ストーリーは,出来事を時間軸上でつなげてプロット(あらすじ)にしたものだ。無数にある出来事から,いくつかを選び,それをつないで意味づけることでストーリーが作られる。

ストーリーが作られるプロセスは星座と似ているところがある。

図1 オリオン座

たとえばオリオン座。
星座を構成するひとつひとつの星に,最初からオリオン座という意味があるわけではない。宇宙に無数にある星から,いくつかを選び,それをつないで意味づけることでオリオン座となる。

私たちは無数にある出来事のいくつかを選び,それをつないで意味づけ,ストーリー化しながら生きている。

ストーリーの誕生と成長

ストーリーがどうやって誕生し成長するかに話を進めよう。

あるタレントA子さんの好感度タレントストーリーを例にあげる。
A子さんに関する出来事は日々数えきれず起こる。

……朝ロールパンを食べた。マンションの廊下を歩いた。番組前に取材を受けた。芸人の〜〜さんと笑った。収録中に言い間違いをした。帰りの車中でくしゃみが続いたなど……

この無数の出来事から,笑顔で会場に入った。インタビューで爽やかな受け答えをした。ファン対応が気配りに溢れていた。といったいくつかの出来事を選び,それをつないで好感度の証として意味づけることで,好感度タレントストーリーが生まれる。

いったん好感度タレントというストーリーが生まれると,このストーリーに合致する出来事に注目されるようになる。

同時に,好感度タレントストーリーに合致しない出来事,たとえば後輩にきつく当たったといった出来事には注意が向けられなくなる。

このサイクルが繰り返されることで,ストーリーは分厚く成長する。

図2 ストーリーが成長するプロセス

ストーリーの人への影響

大きな力を持つようになったストーリーは,ドミナント・ストーリーと呼ばれ,自分をどう見るか,どんな人間だと思うかといったアイデンティティに影響する。

「そっか,感じいいって思われてるんだ。私,好感度タレントだよねー」

こうしてA子さんは,好感度タレントというドミナント・ストーリーを意識した振る舞いをするようになり,ストーリーが現在も未来も彼女の行為を変えていく。

「うーん,このことはどう対応しようかなあ。〜〜だけど感じがいいのはこっち。よしこうしよう」

このドミナント・ストーリーはA子さんの張りにもなるが,プレッシャーにもなる。人間だったら笑顔でいられない時もあるが,「感じよくしていないと」と追い詰められることもある。

ストーリーが分厚くなるのには,「女性は感じよく」「和を重んじるべき」などの“ディスコース”という周りの声も影響する。

ディスコースの専門的定義は難しいので,ひとまず集団で広く共有される考えとしたい。「女性はこうするもの」「ここではこうするべき」といった当たり前と考えられていることだ。

ディスコースは外的対話で作られ内的対話に強く影響する注1)

注1)外的対話とは他者との会話,内的対話とは頭の中で行われる自分との会話のこと。内的対話は他者との外的対話が内在化されたものとされ,社会的経験と切り離された純粋に個人的な現象ではないと考えられている。
ディスコース(当たり前)

出来事がどう意味づけられるか・語られるか(ストーリー化されるか)は,ディスコースが左右する。

たとえばひと昔前,夫が妻に手をあげる行為は痴話ゲンカと軽視された。

「昨日また夫が手をあげて」
「はいはい大変ね(よくある夫婦のもめごと)」
「……」

暴力として語ろうとしてもできなかった。

それをDVとして意味づけ,語れるようになったのは,DVディスコースができたからだ。

配偶者や恋人など親密な関係であっても,不当な力を振るうのは暴力だという考えが,広く共有される当たり前になったからだ。

「昨日また夫が手をあげて」
「え,それってDVじゃない」
「そうだよね。DVだよね」

暴力として語ることができるようになった。

このように生きやすくしてくれるディスコースもあるが,その反対もある。たとえば不妊であれば,「結婚すれば子どもがいるもの」というディスコースがあることで困難が増す。

後編に続く〉

+ 記事

伊藤弥生(いとう・やよい)
所属:久留米大学文学部心理学科
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書:伊藤弥生(2022)未来のポジションから考える思春期へのブリーフ的支援.In:黒沢幸子・赤津玲子・木場律志編:思春期のブリーフセラピー こころとからだの心理臨床.日本評論社.
伊藤弥生(2007)不妊治療における心理臨床にみる女性たち.In:園田雅代・平木典子・下山晴彦編:女性の発達臨床心理学.金剛出版.
趣味:ゆるめの「NO FASHION,NO LIFE」です。メガネにわりと凝ってます。

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