私の本棚(42)『愛するということ』(E. フロム著,鈴木晶訳/紀伊国屋書店)|長谷川啓三

長谷川啓三(東北大学名誉教授)
シンリンラボ 第42号(2026年9月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.42 (2026, Sep.)

0.はじめに 学術用語の翻訳は後年まで冷や汗もの

私は,心理学の世界では,家族療法,家族心理学の研究者,導入者として紹介されることが多い。実際,家族療法が生まれた米国メンタルリサーチインスティチュートの海外代表として,ジョン・ウィークランド,ポール・ワツラウィク,リチャード・フィッシュ,カリーン・シュランガーらを日本に招聘し,ご著者,論文,解説書,日本での臨床事例を出版してきた。『変化の原理』(法政大学出版局)が,この分野で最も重要な著書の一冊と言えるものであり,主筆のポール・ワツラウィクに許可を得て権利の作業をしていただき,翻訳をすることができた。

権利のことを寸記するのは,出版後に,他大学でも,出版企画をしていたのを知らされ,関係の研究者から,「先を越された」と,そのとても悔しい思いを,手紙までいただき,知らされたことがあるからである。 

理系では,ノーベル賞など研究の国際競争は日常のことであるが,私たちの分野で「翻訳の一冊くらい」といった感覚のものでも,それくらいの競争があるものと知った。

また,家族療法の第二世代として,スティーブ・ド・シェーザー,インスー・キムバークを1986年に招聘し,論文,著書の多くを翻訳出版できた。キー概念であるエクセプションを「例外」と翻訳して彼らの重要な論文「短期療法」を学術雑誌に紹介したが,それは,日本家族心理学会の第3回大会への招聘に合わせて急ぎ,そう訳出したもので,今日,なんとか学術用語,概念として通用しているものの,当時を思うと,未だに冷や汗が出る。

翻訳語は,用語の内包は合っていたとしても,訳語の日本語としての熟度,他の用語との協調度のようなものが,しばらく世の中に回ってみないと判断がつかないからである。学術用語だけでなく言語とは一般に,そんなものだと思う。言語がシステムである由縁だろうか。

そんな中で,フロムの『愛するということ』は,読み易く,改訂を繰り返され,翻訳として,また装丁も含めて,よく工夫されていると感じる。

フロムは,ご存知のように,フロイトの精神分析学をマルクスのいわば「社会学」とを合わせて理解しようとしたもので,フロイトの考えが社会の影響を無視した生物学的との批判があった時代文脈の中で生まれた。そして,翻訳。最近の改訂訳では,重要な術語 erotic love を「性愛」ではなくて「恋愛」とすると決意された経緯が,後書に丁寧に記されている。

そんな丁寧な翻訳,フロムの『愛するということ』。今回,シンリンラボ「私の本棚」の依頼をいただいて,フランクフルト学派とも呼ばれる社会変革をも意図した学術グループでの研究者でもあるフロムの,この書について書いてみたい。

1.「愛するということ」

本書の原題は The art of loving「人を愛する技術」ということになる。

art は少なくとも芸術という意味と技術という意味を持つが,この書は,あくまで後者の「技術」の意味で書かれている。芸術ではない。これを芸術,それも高邁なそれという意味で読み始めると,先ず分からなくなってしまう。そんな読者を多く知っている。分からないが故に,大事そうに,いつまでも本棚に飾られたままになることも少なくないようだ。

筆者は,臨床家としての最初の訓練は精神分析であった。そして精神分析を学ぶに必須とされる「教育分析」を,霜田静志から受けることができた。先生は古沢平作の高弟であった。

本書は社会改革をも目指した学術団体フランクフルト学派のメンバーでもある精神分析家フロムの名著の一つとされる。本書の趣旨は,こうである。

人は生まれてこのかた,「愛される」ことの快感と満足を知っていてそれを求めることが多いが,比べて,他者を「愛する」ということは,その心もその方法も多くは持って生まれては来ない。 

本書の主題を,現代の心理学用語で言えば,

放っておいても愛せない,人は愛するスキルを学ぶ必要がある!

そう主張している。さて,愛は技術であると理解して,本書を読みはじめると,また,こんな警鐘に出合い,迷わされる事も多い。

このささやかな本は,愛とは技術であるという前提に立っているが,愛の技術について安易な指示を期待していた人は失望することに違いない。

では,いったい,どうしろというのか?

「人格」を磨く必要があるというのである。そうでないと,決して愛は得られない!と断言する。

2.愛のための修練

では人格を磨くとは何か?

本書の最終章で,磨くべき人格の中身を説いている。

フロムが主張するのは,次のいくつかの内容であるが,これも,どうかすると,これは愛のための修練ではなく,一般的なことを述べているに過ぎないではないか!といぶかしがる読者が居るかもしれない。

以下には,著者の主張の順序を変えて,述べてみる。わかりやすいはずである。

1)他者を愛することを人生の最重要課題と考えること

それを自分の人生を貫く規律,少々では曲げないルールとして暮らすこと。

多くの場合,仕事や自身の成功,金,名誉の獲得が一番で,他者への愛は,良くても,その次か,ちょっとした隙間に磨くべきもの程度に扱いがちであるが,違う! と言いたいのである。

今日の心理学の術語でいえば円環的だが,愛こそが,その修練こそが,人格を磨くものであると著者は言う。

2)そこには,我慢や忍耐,そして,ひょっとして,誰も自分の愛の行為に報いてもくれないし,気づいてもくれないかもしれない,そんな孤独にも耐える力,勇気が必須なのである。

その日の気分で他者を愛するのではなく,どんな時も誰に対しても,である。

愛したから自分も愛される!ではなく,何の保証も当てにしないで,進んで,例えば困っている者に手を差し伸べ,それを自らの喜びと出来るまでに修練を積むのである。

それは勇気でもあり,他者を信じるということでもある。

愛するということは,実はかなり危険なことなのだ。愛しても,愛される保証はない。

それでも愛する!そして実は,そのほうが愛されるよりも自由な選択肢の多い幸福な道なのである。

3.本書への建設的な批判:個人の自立とカップルの自立

フロムが愛するための修練で挙げている課題は,愛というより,一般的な個人の自立への課題であり,両者を区別しにくい。それは臨床心理学の内の家族心理学の現在から見ると当然のことと理解される。

個人療法しか生まれていない時代では,個人の自立とは異なる水準の「カップルの自立」とでも言うべき水準の課題が,そもそも見え難い。下図を見てほしい。米国では家族療法やカップルセラピーが生まれた1970年代以降,わが国では2011年の東日本大震災以降になって,そんなことが見えて来た。

リクリュウの図(AI作成)

このカップルは個人の水準では標準以上に自立したスケート選手である。しかしペアでのダンスは,違うレベルの技術を要求される。2人それぞれの選手としての自立に加えて,カップルで成すべき自立目標とそのための愛の行為の必要性が時に性愛技術も含めて,満たされることである。「愛の行為」とは母親が子供の愛着要求を満たすことに代表される。そして,それは1970年代に始まったカップルセラピー,ファミリーセラピーの実践から,乳幼児期だけではなく,生涯にわたって要請されるものとわかってきた。

結婚時にいくら立派な地位と名誉とふさわしい財を持つ者,つまり自立を果たした,もしくは果たすであろうと見込まれる前途有望な個人であっても,実質的な家庭内離婚を経て,人生の終わりに,文字通り,我慢と孤独に耐えたパートナーから離縁を告げられることが少なくない。その時は,もう最初の尊敬と思慕の真反対のものを,互いに投げつけあうことになるかもしれない。

筆者らが首都圏で実践し専門家向けに訓練し合っているカップルカウンセリングでは,例えば,20年来の夫婦の不仲も男女ふたりのセラピストが入る数回の合同面接で,手をつないで帰宅できるようになる事例は少なくない。ポイントの一つは先に述べた自立概念である。手ぐらいはつなげますよ! というカップルには,「行動」ではなく意志を込めた「行為」にしましょうね! で更にすぐ改善することが多い。CCB(カップルカウンセリング・インブリーフ)と仮称して成果を上げて来ている。

CCB 日本家族カウンセリング協会

『愛するということ』(E. フロム著,鈴木晶訳/紀伊国屋書店)
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長谷川啓三(はせがわ・けいぞう)
東北大学名誉教授。日本家族カウンセリング協会理事長,国際ブリーフセラピー協会代表
資格:臨床心理士,家族心理士
趣味:フォークソング世代に属し,その精神に則り,自作もしている。メッセージもラブソングもだが後者がやや多いか。北山修さんにも詩をいただいた。
著書:ワツラウィック・P 他『変化の原理』(単訳,法政大学出版局),『ソリューション・バンク』(金子書房),『大震災からのこころの回復—リサーチ・シックスとPTG』(共編,新曜社)

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