山 愛美(京都先端科学大学)
シンリンラボ 第41号(2026年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.41 (2026, Aug.)
座右の書を問われて,一冊を選ぶのは本当に難しい。定期的に,ふと本棚から取り出して開いてみる本は何冊かある。もちろん,河合隼雄先生の著作や『ユング自伝』をはじめとするユング関係の著作は,長年にわたって私にとって大きな意味を持ち続けてきた。そのなかで今回は,村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル第1・2・3部』,あるいはインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』にするか,この本にするか迷った末に,河合・村上の対談『村上春樹,河合隼雄に会いにいく』を選ぶことにした。この本は単行本,文庫本,そして英語版(Haruki Murakami goes to meet Hayao Kawai)の三種類を持っているが,どれもボロボロで,もはや本来の付箋の意味をなさないくらいの数の付箋が貼られ,多くの書き込みがなされている。
初版は1996年出版,ちょうど30年前になる。なんだ,そんな古い本か,と思われるかもしれない。しかし私は,むしろ今こそ,ひょっとしたら30年前よりも,この対談で語られていることの重要性は増しているのではないかと思う。確かに本書の中で話題になっているのは,阪神淡路大震災やオウム真理教の事件といった,当時の日本社会に大きな衝撃を与えた出来事である。しかし,それらはあくまでも入り口にすぎない。対話はそこから,人間の心や社会の問題にとどまらず,世界や人間そのものの深みへと降りていく。
対談は,第一夜「『物語』で人間はなにを癒すのか」,第二夜「無意識を掘る“からだ”と“こころ”」の二部構成である。特徴的なのは,各ページの中心に二人の対話が置かれ,その上下に両者の関連するコメントや補足が太字で記されていることだ(ただし文庫本は下のみ)。その仕掛けによって,私たちは対話を追いながら,さらに別の層へと導かれていく。まるで対話の行間に,また別の対話が流れているような印象がある。この本は読むたびに,新たな発想やイメージを私の中に呼び起こしてくれる。
対話の中で語られているテーマを少し拾い上げてみるだけでも,コミットメントということ,災害と心の傷,言葉かイメージか,言語化,日本的な「個」,「言葉の違い」の深層,小説と自己治療,物語をつくること,物語と身体,作品と作者の関わり,因果律を超えた物語,治ることと生きること,個性と普遍性,宗教と心理療法,暴力性と表現,痛みなど,とても拾い尽くせないほど多岐にわたっている。興味深いのは,これらのテーマが別々のものとして並んでいるのではなく,その背後に,日本と西洋,日本文化,日本人,そしてそれらの心理療法との関わりをめぐる問いが,通奏低音のように流れ続けていることである。対話は一つのテーマで完結するのではなく,また別のテーマへと連鎖し,さらに深い問いへと展開していく。創造について語りながらも,その対話そのものが創造の過程を体現しているようにも読めるのである。
米国で4年半暮らし,『ねじまき鳥クロニクル』を書き終えた村上が帰国したところから,この対談は始まる。村上は,小説を書くことを「自己治療的な行為」と呼ぶ。それは何かを伝えるために書くのではなく,「自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために書いている」という営みである。そして,「とにかく書くという行為のなかに入り込んで行く」「それは非常にスポンテイニアスな物語でないといけない」と語る。この創作のあり方について,村上はインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』の中で,「小説を書いているとき,僕は暗い場所に,深い場所に下降します」と述べている。
私はここに心理療法との深い類似性を見る。心理療法においてもまた,あらかじめ結末が決まっているわけではない。クライエントは語ることを通して,自らの〈物語〉を見出していく。もちろん,小説を書くことが一人で行われる営みであるのに対し,心理療法は共同作業であるという違いはある。しかし,自らの内なる深みへと降りていくという点では共通している。
ここで重要なのは,この対談が『ねじまき鳥クロニクル』を書き終えた直後に行われているという点である。対話の中で語られる「井戸掘り」と「壁抜け」という表現は,単なる比喩ではない。井戸を掘るとは,自らの内面の深みへと下降していくことであり,壁を抜けるとは,通常の意識では捉えられない別の次元へと移行することである。それは村上自身の創作方法そのものを表している。
今日,SNSやAIによって,人はますます容易につながり,知識や情報を効率的に結び付けることができるようになった。このような時代だからこそ,本書で語られる「井戸掘り」の重要性は増しているように思う。村上は,「…『あなたの言っていることはわかるわかる,じゃ,手ををつなごう』というのではなくて,『井戸』を掘って掘って掘っていくと,そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる,というコミットメントのありように,ぼくは非常に惹かれた」と語る。これは示唆的な言葉である。人は意見や価値観の一致によってのみ結びつくのではない。それぞれが自らの井戸を深く掘り下げるとき,思いがけない深い場所で他者とつながることがある。
また,河合と村上は,阪神淡路大震災やオウム真理教事件を単なる社会現象としてではなく,日本社会の深層に潜む問題として捉えている。特に河合は,日本人が自らの内にある暴力性を意識化し,それを適切に表現する方法を見出さなければならないと指摘している。そして興味深いことに,30年前のこの対談の終盤で河合は,「社会とか文化というのは,動きがすごくゆっくりしていますよ」と述べている。30年を経た今,その言葉はむしろ重みを増しているように感じられる。
本書の魅力は,こうした問いに答えを与えることではない。河合はあとがきで,「読者の皆様がこれを読まれ,それぞれの物語を創り出される上で,少しでも参考になったと感じて下さったら,まことに有難いことである」と述べている。この本そのものが読者を新たな〈物語〉へと誘うのである。行間を読むという言葉があるが,この本の場合は,行間からさらに深く降りていく必要があるのではないだろうか。
山 愛美(やま・めぐみ)
京都先端科学大学 特任教授
博士(教育学)
資格:臨床心理士
主な著書:『言葉の深みへ』(単著,誠信書房,2003),『心理療法家が語る物 香月泰男 黒の創造―シベリアを描き続けた画家 制作活動と作品の深層』(単著,遠見書房,2016),『村上春樹,方法としての小説―記憶の古層へ』(単著,新曜社,2019),『心理療法家がよみとく「君の名は。」―目に見えないイメージの力 』(単著,新曜社,2022)など











