河合俊雄(京都こころ研究所)
シンリンラボ 第25号(2025年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.25 (2025, Apr.)
座右の書,あるいは一番大切な著者と言っても,それは時と年齢とともに変化していく。そして自分のデスクから手の届く距離にある本棚を占めている一番大切な書物も入れ替わっていく。たとえば大学生の頃などは井筒俊彦の著作を日本語,英語ともに読みまくっていて,多くの英語での論文も手に入る限りのものをコピーして読んでいた。同じころに元型的心理学を標榜するジェイムズ・ヒルマンにも傾倒して,ほぼすべての著作を網羅していたと思う。当時に座右の書を尋ねられたら,どちらかの著者の本を挙げたであろう。後にユングとハイデッガーについての博士論文を書くようになってからは,それぞれのドイツ語での全集が机の一番近くの本棚にずらりと並んでいた。また同時期にはエラノス会議で知り合った,ドイツのラディカルなユング派分析家であるヴォルフガング・ギーゲリッヒの書いたものがもっとも自分の考えに近くて刺激的だと思うようになり,ドイツ語と英語で書かれた彼のすべての論文と著書を集めて読んでいた。当時に尋ねられたら,おそらく「殺害」についてか「アニムス」についての彼のドイツ語の本を一番大切な書物として挙げていたであろう。
最近読んでいて一番気に入っているのは,『村上春樹で出会うこころ』(朝日新聞出版)を出したばかりだが,小説なら村上春樹であるし,思想関係なら間違いなく中沢新一であろう。特に『精神の考古学』や,共著を出すきっかけになった『アースダイバー 神社編』は非常に自分の関心に沿っている。しかしここ10年あまりで,書斎の少ない本棚と別の部屋にある書庫を分けたこともあって,デスク近くの本は大きく変化した。ハイデッガー全集は何冊かを残してもはや書庫に行ってしまった。そして以前とは全く異なって,デスク近くの本棚に進出してきたのが河合隼雄の著作である。もちろんそれは,編者として読まざるをえないから近くに置いていることもある。しかし編者として,最初はいわば仕方なく読み直してみると,驚くほどの発見に満ちているのである。
そのなかで,心理療法についての河合隼雄の最高傑作を挙げるとしたら間違いもなく『ユング心理学と仏教』であろう。これはテキサスA&M大学において,フェイ・レクチャーとして4回の連続講演を行い,英語で“Buddhism and art of psychotherapy”として出版されたものの日本語版である。版権上は英語の出版が先のようになっているが,実は日本語で書いたものが英訳されたもので,後から出版された日本語のものが最初であった。しかし英語になり,読者が英語圏の人たちであることを意識して書かれたせいか,雰囲気でわからせるのではなくて,非常に論理的構造がしっかりしているのが特徴的である。それは英語での講演に基づく,河合隼雄のエラノス講演集(邦訳:『夢・神話・物語と日本人』)についても言えることである。
河合隼雄がどのようにユング心理学に出会い,日本でユング派の心理療法を実践していくうちに,仏教が自分の臨床や考え方を支える大切なものになっていったことを叙述している第1章や,ユングが重視した錬金術の図と禅の十牛図を比較して,西洋と東洋の心理療法のプロセスの違いを明らかにした第2章も魅力的であるが,圧巻なのは「Ⅲ「私」とは何か」と「Ⅳ 心理療法における個人的・非個人的関係」およびそれに続く「エピローグ」である。
「Ⅲ「私」とは何か」では西洋の自我が他者から区別された,自立したものであるのに対して,『今昔物語』のなかの,他の人が見た夢で自分が観音になっていたことを聞いて,自分が観音であると確信して出家を決意する武士の話が示すように,日本での「私」は,自他が互いに浸透し合った,流動的なものであることが示される。それを河合隼雄は「華厳教」の考え方で説明する。つまり華厳教で「自性」と呼ばれる,自立して固定した「私の本質」や「私の固有性」などは存在しないのである。日常の現実の世界では自他や様々なものの間の区別があるように思われるけれども,存在の根底においては区別がなく溶け合っている。そしてユングが,自我から出発して無意識の層に分け入って行こうとしたのに対して,仏教では逆に区別がない空の意識から出発するという。西洋近代の個性が,まず自我を確立させることが前提になって,それが成長したり拡大したりしていくのに対して,日本の個別性は,はじめに思っていたのとは違うものを「発見する」のであって,「独自性の自然発生を驚きつつ味わうのであって,自分の力で自分の個人性をつくり出す感じとは異なったものになる」とされているのは,日本における個性化やセラピーを考えるうえで示唆的である。またそれは,数学教師から出発して思わぬことからユング派の分析家になっていった河合隼雄の人生そのものが驚きつつの発見に満ちたもののように思えるのである。
「Ⅳ 心理療法における個人的・非個人的関係」においては困難な一事例を示しつつ,存在の根底と中心に「悲しみ」を見て,「治療者の本来の役割は,この中心に位置を占めることではないでしょうか」というのは,なかなか達することがむずかしいが,本質的な問いかけである。それにつながる「エピローグ」も圧巻で,女性が川を渡れなくて困っていたのを一人の僧が抱いて渡るのを助けてあげたことを,同行していたもう一人の僧が女性を抱いた行為を後から気にして批判的に問う。それに対して最初の僧は,自分は女性を抱いて川を渡ったが,女性をそこに置いてきたが,お前はまだあの女を(こころのなかで)抱いているのかと問い直す会話のエピソードによって,非個人的な関係の重要さを明らかにしている。つまり女性を抱いて対岸に渡した僧は別に女性に個人的な思いを持っていたのではなくて,それは自由な風のような非個人的な関係なのである。その風の連想から最後に「千の風」の詩を引用していて,「どうか,その墓石の前で/泣かないでください/私はそこにはいません/私は死んでないのです」という言葉を含んでいるこの詩は,河合隼雄の遺言のようにさえ思える。ちょうど今の自分と同じ年齢で書かれたこの本が,現時点での座右の書である。
河合 俊雄(かわい・としお)
京都こころ研究所代表理事・京都大学名誉教授
PhD,公認心理師,臨床心理士,ユング派分析家
主な著書:『夢とこころの古層』(創元社,2023年),『村上春樹で出会うこころ』(朝日新聞出版,2025年)