私の本棚(24)『ご冗談でしょう,ファインマンさん』(上・下)(Feynman, R. P., 大貫昌子訳)|野坂祐子

野坂祐子(大阪大学)
シンリンラボ 第24号(2025年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.24 (2025, Mar.)

ノーベル物理学賞を受賞した物理学者リチャード・フィリップス・ファインマンRichard Phillips Feynman(1918-1988)といえば,理系の人には『ファインマン物理学』などの教科書(岩波書店)でおなじみなのだろう。マサチューセッツ工科大学で学び,のちにカリフォルニア工科大学の教授として,量子電磁力学のくりこみ理論とやらを完成させたらしい。私には一体なんのことやらさっぱりわからないが,『ご冗談でしょう,ファインマンさん』をはじめとする彼の回顧録やエッセイは手元に揃え,幾度となく読み返している。

本書は,ファインマン博士が「楽しくドラムをたたきながら」,友人ラルフ・レイトン氏に語った内容が編集されたもので,生い立ちから難解な研究の紹介まで,テンポよく進んでいく。エピソードは,彼が11歳か12歳の頃,自宅に「実験室」を作ったところから。中に棚を取りつけただけの木の荷箱,電気コンロに蓄電池。電球のソケットを電線のきれっぱしでスイッチにつないだだけの小学生の実験。といっても,私にはこの「実験」すら,まったく意味がわからないし,想像もつかない。それほど理系の知識はからきしでも,ぼんやりと光る電球を眺めるうっとりした気分やとびあがるほどの高揚感がまざまざと感じられるのだ(本書の魅力は,ファインマン博士の“パパ/ママ友”でもある大貫昌子氏が“べらんめえ口調”を巧みに再現した翻訳によるところも大きい)。

「とことんまで故障の原因をつきとめなくては気がすまない」という彼は,大きな失敗から小さな謎に至るまで,どんな些細な疑問も,機序や法則を求めて探究する。研究に限らず,クイズやペテン,デートが成功する秘訣だってお手のもの。いたずらや発明も大好きで,人々の思い込みや常識をことごとくブチ壊していくのだから痛快である。読むだけなら笑えるけれど,周囲はさぞ困惑し,ときに迷惑だったかもしれない。タイトルの『ご冗談でしょう,ファインマンさん』は,大学院の院長夫人が彼の「社交上のへま」をたしなめたときのセリフ。お茶にレモンとミルクのどちらを入れるか尋ねられた彼は,上の空でこう答えた——「両方いただきます」。どうでもいいことは,どうでもいいのだ。

好奇心に突き動かされて広がる彼の世界には,いつでもユーモアと思考と音楽がある。人生そのものがまるで実験であり,試してみなければ始まらない。「どんな立派な理論であっても,…(中略)心から信用しないところがあるのだ。起こるべき結果はほとんど確実に知っていながらも,やっぱり『それでも何か未知のことが起こる可能性はある』と,ついつい思ってしまうのだ」という彼の言葉は,心理臨床における私の基盤になっている。ファインマン博士と違って,「起こるべき結果」を知ることはできないが,心理士は〈見立て〉によって「起こるべき結果」を探り続ける。理論ぬきに結果に近づくことはできないが,理論だけではたどりつけない。どんな〈見立て〉も,考えたさきから新たな可能性とともに再構築されるべきである。

たとえば,トラウマ臨床において,〈加害-被害〉という視点は切り離せない。目に見えない精神的な支配や操作といった〈暴力〉を認識するのは,心理士に欠かせないスキルである。同時に,それを〈被害-加害〉の枠にあてはめた途端,見えなくなる現実もある。つねに「未知のこと」に,意識や関心が向けられていること。疑念を楽しみ,あらゆる可能性に開かれていること。立ち止まって考えながらも,決して立ち止まらない。そんなファインマン博士の生きざまが,私の臨床家としての目標なのだ。

ファインマン博士は,原子爆弾の開発に携わったことでも知られている。当初,「そんな仕事はまっぴらだ」と断ったものの,ドイツのヒットラーが先に原爆を完成させるのをおそれて,米国の開発プロジェクトへの参加を決めたという。研究者として,原爆の投下に関与したことの道義的責任をどう感じているのか,疑問の声も少なくない。これに対する彼の言及は,かなり限られているのも確かである。たとえば,こんな一節のように。

ロスアラモスでの原爆実験の成功で沸きかえるなか,「僕をはじめみんなの心は,自分達が良い目的をもってこの仕事を始め,力を合わせて無我夢中で働いてきた,そしてそれがついに完成したのだ,という喜びでいっぱいだった。そしてその瞬間,考えることを忘れていたのだ。つまり考えるという機能がまったく停止してしまったのだ」

喜びに対する批判もあるようだが,自国を守るために尽力した研究者のきわめて率直な心情だろう。他国の脅威との闘いとみれば,米国は原爆の成功によってあやうく難を逃れたともいえる。〈加害-被害〉は,立場を変えれば容易に反転する。そして,原爆がもたらしたトラウマは,広島のみならず開発者であるファインマン博士にも影を落としている。どんなときも思考とともに生きていた彼が,「考えるという機能がまったく停止して」しまうほどに。しばらくしてロスアラモスの研究所から戻った彼は,こんな体験もしている。ニューヨークのレストランから窓の外を眺めていたとき,唐突に「広島に落ちた爆弾の被害範囲は,直径何マイルだったか……」という強烈な考えにおそわれる。街中で工事現場を通りかかれば,「ばかばかしい,どうせ無駄になるものを……」と苛立ちを隠せない。おそらく,原爆のダメージをだれよりも理解していた彼は,実際には目にしていない爆心地の景色の侵入症状や虚無感,抑うつに悩まされていたのではないか。戦争という〈暴力〉によって,傷つかない人はいない。

それから40年近くを経てから,彼は当時をこうふりかえっている。「橋などを造るのが無駄だと思った僕は,まちがっていた。そしてあのように他の人たちが,どんどん前向きに建設していく分別があってよかった」と。たとえ,トラウマが人を絶望の淵に追いやったとしても,前向きに進む道を選ぶ人がいる限り,社会は新たな選択をしていくことができる。どうしたら平和や安寧がおとずれるのかという問いは,心理臨床における最大の謎であり,人類にとっての「実験」といえよう。そんな「実験」に挑むのだから,どうでもいいことに煩わされず,疑念を楽しんでいきたいと思っている。

『ご冗談でしょう,ファインマンさん』(上)(R.P. ファインマン著,大貫昌子訳,岩波書店)
『ご冗談でしょう,ファインマンさん』(下)(R.P. ファインマン著,大貫昌子訳,岩波書店)
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野坂 祐子(のさか・さちこ)
所属:大阪大学大学院人間科学研究科
資格:臨床心理士,公認心理師
著書:『トラウマインフォームドケア:“問題行動”を捉えなおす援助の視点』(日本評論社,2019),『マイステップ:性被害を受けた子どもと支援者のための心理教育【改訂版】』(共著,誠信書房,2023)など
好きなもの:温泉と日本酒

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