私の本棚(22)『The soul’s logical life: towards a rigorous notion of psychology』(Wolfgang Giegerich)|竹中菜苗

竹中菜苗(京都芸術大学)
シンリンラボ 第22号(2025年1月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.22 (2025, Jan.)

座右の書を紹介,とのご依頼を受け,むむむ…。と長らく思案に暮れました。研究者の端くれとしては言うことも憚られますが,私は決して多読の人ではなく,またさらに遺憾なことに,読んでもあまりしっかりと記憶に残すことができないようなのです(記憶のどこかには蓄積されていると信じていますが…)。こんな私が座右の書を定め紹介するだなんて…。という躊躇いが大きいのですが,そこをなんとか勇気を出して一冊挙げるなら,やはりユング派分析家ヴォルフガング・ギーゲリッヒWolfgang Giegerichの著書“Soul’s Logical Life”(Peter Lang, 1998/2020;『魂の論理的生命─心理学の厳密な概念に向けて』(田中康裕訳,創元社,2018)をおいてほかにはないかと思うに至っています。私の人生を大きく変えた一冊,と言って過言ではないと思います。

少し回り道になりますが,まずは本書に出会うまでの話から始めさせてください。

私は,もちろん,ある日たまたま本書に出会ったわけではありません。ある時,Giegerichの夢セミナーに参加する機会を得,事前学習をせねばと慌てて『ユング心理学の展開3─ギーゲリッヒ論集 神話と意識』(河合俊雄編・監訳,日本評論社,2001)を手に取り読んでみたことが,Giegerichの著作物との出会いでした(思えばそれより以前,大学院生の頃にGiegerichの特論も受けていたはずなのです。まったく我ながらお粗末な話です!)。読んでみて,そこに収められているいずれの論考にも感動しましたが,特に「マルティン・ルターの『試練』と神経症の発明」の面白さに心からワクワクしたことは今でもよく覚えています。自分の学んでいる学問は歴史の中の必然として位置付けられるものであり,心理学は歴史的事実を読み解けるほどに深く強い! 臨床心理学を専門的に勉強していく中での新しい地平が,眼前に一気に開けたような感覚でした。

その著作に初めて触れた感動の冷めないままにGiegerichの夢セミナーに参加できたことは本当に幸運でした。しばしば難解で,批判的で,非臨床的と思われがちなGiegerichの理論ですが,そして難解で批判的であることは疑う余地もありませんが,夢セミナーでGiegerichによる夢の解釈に触れることで,それが実は厳しさと温かさを同時にもち,すぐれて実践的であるということを体感として理解できました。「魂」を感情的な,ウェットなものではなく,論理的でドライで,動的なものとして捉えているところも,私にフィットしたのだと思います。

日々の実践の中で,どうにも「共感」ということがわからないなという思いをますます強くしていたところ,「感じる」ことよりも「考える」ことを重視するGiegerichの態度から,考えて考えて,考えた先に辿り着けるかもしれないものとして共感があると思えるようになり,それは私の臨床に大きな影響を及ぼし続けています(宣伝になりますが,この時私が感動した夢セミナーの様子をまとめた本が2024年,電子書籍として再版されました(『ギーゲリッヒ 夢セミナー』ギーゲリッヒ著,河合俊雄編著,田中康裕編,創元社,2013)。

さて,セミナーへの参加後に本書を読み始め,その面白さへの確信はますます深まるばかり,数年後にはドイツ・ベルリンに引っ越しGiegerichの元に通う日々が始まる…。のですが,それはまた別の話。“Soul’s Logical Life”について少し具体的にお話しします。

本書は序章に始まり,続く6つの章と終章から成ります。最初の章は“No Admission!”(入場不可!)。さあ読むぞ,と思って本書を開いた人をいささか面食らわせるようなタイトルですが,「心理学」を実践するための基本的な態度について書かれた,とても大事な章です。世間には心理学の知識を取り入れた自己啓発本があふれ,心理学的知識は誰もがお手軽に取り入れられるもの,というイメージがありますが,物理学の専門家でなくては物理学を真に理解することができないのと同じく,心理学という学問領域もまた,そう簡単に誰もが立ち入ることのできるものではないはずです。

では,心理学的な語りは誰が,どのように生成するのか,そしてそこでは何が語られるのか? そこで導入されるものが,私たちの日常的な意識や自我とは異なる,魂という概念です。心理学とは,「人間の」心理を主題にするものではなく,魂が自らの対立物との間で繰り広げる論理的な生命(logical life)を主題とするものであるという,Giegerichの思想すべてに共通する重要な考えが,ここでは丁寧に論じられています。

ところで,欧米の人と話していると痛感するのですが,そして事例検討を基本とする研究スタイルに慣れている日本の臨床心理学の研究者であれば多かれ少なかれ共感してもらえるのではないかとも思うのですが,私は思弁的に考え,話すことが苦手です。それよりも何か具体的な対象,例えば夢や臨床事例,物語などを目の前に置いて,それをいかに理解するかと考えることの方がずっと身体に馴染み,知識もスッと入ってくる感じがします。本書では第2章以降も,心理学というものが厳密にどう捉えられるか,という議論が進められますが,やはり難解。なかなかについていくのも大変です。

他方,第6章“Actaion and artemis: The pictorial representation of the notion and the (psycho-) logial interpretation of the myth”ではギリシア神話に登場するアクタイオンとアルテミスの話をGiegerichが実際に心理学的に解釈しており,比較的理解がしやすいです。私たちの日常に役立つ道徳観や教訓を引き出すことが物語の解釈ではない,ということはユング派の心理学に馴染みのある人には珍しくない考え方だと思います。この物語に出てくるこのイメージは否定的な母親像であり,主人公はその母親像との戦いを通じて…。といった元型的な解釈も,馴染みがある人は少なくないかもしれません。しかしその解釈は,自我という中心点から脱却できていないという欠点や,ひとつの物語をその外にある既存の理論(また別の物語)に置き換えているだけという危険を孕みます。

第6章で展開されるGiegerichの解釈は,そこにある物語(神話)のテクストそのものにとどまり,その内へ,さらに内へと入り込んでいきます。そして次第に,そのテクストの内に潜んでいた,最初は見えていなかった魂の動きが明らかにされていき,さらにはその先で,最初そこにあったテクストそのものがシューッと消えてしまうような感覚を覚えます。この章までで繰り返し述べられてきた,人間的で経験的ではない,真に心理学的な態度で対象と向き合うとはどういうことであるのか,ここから大いに学ぶことができるかと思います。

冒頭の躊躇いが嘘のようにつらつらと書いてしまいました。今回,このエッセイを書くために改めて本書を開いてみて,何度立ち返ってみてもやはり面白く,また,新しい発見があることを実感しました。そのような書に出会えたことの幸運を活かしきるべく精進しなくては,という思いを新たにしたことを宣言し,このエッセイを閉じたいと思います。

『The soul’s logical life: towards a rigorous notion of psychology』(Wolfgang Giegerich, Peter Lang)
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竹中 菜苗(たけなか・ななえ)
所属:京都芸術大学学生支援センター
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書
『暗闇への探究─循環する闇と光の心理臨床学的研究』(大阪大学出版会,2017)

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