山口智子(日本福祉大学名誉教授)
シンリンラボ 第21号(2024年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.21 (2024, Dec.)
1.本の断捨離
大学を定年退職するときに,思い切って本の断捨離をした。大学の研究室だけでなく,自宅にも多くの本があったが,断捨離で本の冊数は1/20以下になった。今は家に小さな本棚があるだけである。そのため,「私の本棚」の依頼を引き受けてよいのか迷ったが,「読書家でなくてもいい」と安心する人もいるかもしれないと思い,執筆を引き受けた。
2.候補にした本
候補として考えた本は4冊である。一つはやまだようこ先生編著の『人生を物語る』(2000年,ミネルヴァ書房)である。博士論文を書くとき,語り(ナラティヴ)についてまとめるのが難しく,この本に助けられ勇気づけられた。二つ目は森岡正芳先生の『うつし 臨床の詩学』(2005年,みすず書房)である。サイコセラピーの臨床場面で問われている問題を「うつし」という多義的な言葉を用いて多面的に考察している。この本を読むと自分が経験したクライエントとの交流と本の事例とのあいだを往還し,たゆたうような感覚が残る。不思議な本だなあと思う。三つ目は野村豊子先生の『総説 回想法とライフレビュー』(2023年,中央法規)である。野村先生の40年にわたる研究と実践がまとめられたものである。
3.選んだ本
四つ目が,ここで紹介する『問いからはじめる発達心理学─生涯にわたる育ちの科学 改訂版』(2024年,有斐閣)である。この本を選んだ理由は,小中高校生の自殺や不登校が増えていること,自分自身が企業でカウンセリングを担当していることが関連する。どの年代でも環境への適応が問題になっており,心理支援において,発達心理学がもっと生かされるとよいと考えたからである。
4.発達心理学・発達とは何か
発達心理学を学んだ人は何を覚えているだろうか? 私はどの時期にどんなことができるか,各年代の発達課題,ピアジェの認知発達理論,エリクソンのライフサイクル論を覚えている。資格試験には役立ったが断片的な知識である。発達心理学や発達とは何かを学部教育で学んだ記憶はない。現在も他の発達心理学のテキストは乳幼児期の発達から始まるものが多い。発達心理学・発達とは何かを論じている点がこの本の特徴の一つである。
発達心理学は,生物として生まれた「ヒト(ホモ・サピエンス)」が社会や文化をまとった「人」として,他者と関わりながら育ち,育てられ,次の世代を育み,死に至るまでの,心の発達の過程を考究する学問である(序章)。以前,発達は子どもが大人になることであり,「発達=何かができるようになる」という発達観であった。しかし現在は,発達観が変化し,発達は成長(獲得)と衰退(喪失)が結びついて生じるダイナミックなプロセスであり,個人の環境への適応能力の変化と考えられている(第1章)。
5.発達心理学的視点:生涯発達心理学の理論的枠組み
生涯発達心理学の礎石を築いたバルテスは,発達が獲得と喪失のプロセスであることのほかに,発達が生涯にわたるプロセスであること,発達は各要素が異なる速さや方向性で起こり多元的・多方向性であること,発達は歴史に埋め込まれていること,発達には可塑性があることを指摘している。発達心理学的視点とはこれらの理論的枠組みをもって事象を理解することとしたい。序章の1970年代,2000年代,2020年代の人々の様相の記述から,人がいかに歴史,社会,文化の影響を受けているのかを理解することができる。
6.心理支援に発達心理学の知見を生かす
この本には,発達に関する新しい理論や知見が数多く紹介されている。ここでは,アタッチメント(第4章,第13章),領域固有性(第8章),思春期・青年期の発達(第9章,第10章)を紹介する。
アタッチメント(愛着)とは養育者に対して築いていく唯一無二の感情的な結びつきである。アタッチメントの連続性について,幼少期に愛情のある関わりを受けなかった人で青年期・成人期に安定したアタッチメントを形成した人は,自分が苦悩しているときに高い精神的サポートを提供してくれる人物が身近にいたという共通点があったことが報告されている。これは発達の可塑性を示すものであり,心理支援では精神的サポートの提供や安全な環境作りが安定したアタッチメントを形成する可能性を示すものである。
領域固有性とは,人間の心はさまざまな内容(領域)によって発達の様相が異なることであり,近年,注目されている概念である。神経発達症の理解も領域固有性として理解することでより細やかな理解,適切な支援につながる可能性がある。
思春期・青年期の発達では,身体の変化として第二次性徴のほか,ホルモンバランスや脳の発達状態の知見が紹介されている。青年期には,大脳辺縁系と前頭前野の成熟のタイミングがずれ,アンバランスな状態にあるために,衝動のコントロールや理性的な判断が難しくなることは理解しておくとよい知見である。また,身体的変化をどのように受け入れるかや認知機能の発達が自己理解に関連し,青年期には自己への否定的感情が高まること,自己中心性が高まることが述べられている。第10章のアイデンティティの発達についても,アイデンティティの揺らぎを感じている若者に語りかけるような記述が続く。支援者だけでなく,思春期や青年期の人たちやその家族にも読んでもらいたい章である。
この本を読むと,これまで身につけた断片的な知識がつながっていくように感じる。
7.本棚をパワースポットに
改めて,本棚のことを考えると,退職前の本棚は「調べ物をする」ものであったと思う。溢れる情報に流されないように,身構えていた。今は,自分が書いた本,著者からご恵贈いただいた本,お気に入りの本が並んでいる。
今回選んだ4冊の本は,ナラティヴや回想法の研究会でお世話になった先生方の本と,執筆や校正の過程で何度も話し合ってできた本である。本を手にすると,書かれた内容だけでなく,書いた人の研究・実践・教育に向き合う姿勢,その人の存在を感じることができる。本が電子書籍ではなく,本として実在することがありがたい。本棚をきれいに整理すると,高齢期を心豊かに過ごすための素敵な「パワースポット」になる気がする。今回,そんなことを考える機会をいただいたことに感謝している。
山口 智子(やまぐち・さとこ)
日本福祉大学名誉教授
公認心理師・臨床心理士
趣味:温泉巡り
著書:『人生の語りの発達臨床心理』(2004年,ナカニシヤ出版)
『喪失のこころと支援』(編著)(2023年,遠見書房)など