私の本棚(20)『生涯学習のインクルージョン─知的障害者がもたらす豊かな学び』(津田英二著)|武部正明

武部正明(相模女子大学)
シンリンラボ 第20号(2024年11月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.20 (2024, Nov.)

本書を選択した理由は,自分の臨床実践および臨床研究における今後の新たな視座になると共に,多くの臨床や教育など知的・発達障害者の支援に従事されている方々に,手に取ってもらいたいと考えたからである。

私は20年以上,知的・発達障害者の支援に従事してきた。入職間もない私は,精神科の医師や心理職の先輩から,国内外の自閉症者のフォローアップ調査研究を勉強し,そのアウトカムを学ぶことを推奨された。「先行して報告されているアウトカムと,今,自分たちが支援している方々をフォローアップしてアウトカムを知ることは,支援の結果をエビデンスで知ることであり,臨床家に求められる姿勢である」とのことであった(その医師たちによるフォローアップ調査は,Iwasa et al.(2022)を参照)。

この姿勢は,今でも私の臨床や研究における土台となっており,その一環として,学齢期から成人期における適応行動(以下,ライフスキル)の実態や支援のあり方をまとめている。例えば,企業に障害者枠で就労した,知的発達に遅れのない自閉スペクトラム症者についてその後の追跡調査をしたところ,職場の適応は良好であったが,家事,余暇,人間関係などライフスキルは低いままであった(武部ら,2021)。しかし,就労者に対してより良い社会生活を送るための障害者への支援は,日本では少ない。

本書の主題でもある「知的・発達障害者の生涯学習」との出会いは,相模女子大学でのプログラム開発事業である。ライフスキルに関する共同研究をしていた同大学の日戸由刈氏,長年臨床で連携してきた特別支援学校等の教諭であった川口信雄氏が取り組んできたこの事業に,幸いなことに2022年度からコーディネーターとして携わっている。今では,この生涯学習が,ライフスキルや社会生活を豊かにする一つの要因になると考えている。そうした状況下で,2023年に本書が出版され,すぐに購入ボタンを押した。

著者である神戸大学の津田英二氏は,知的障害者の生涯学習の意義やプログラム開発を先駆的に取り組んでこられた方で,それまで論文や講演会などから学んできた内容について,本書でまとまって学ぶことができると考えた。また,若手の支援者たちと数カ月かけて,本書を抄読することができたという点で思い入れのある書籍でもある。今回は,(1)障害者の生涯学習の意義,(2)障害者の生涯学習を大学で展開する意義とインクルーシブな学び,(3)知的障害者の語りの重要性,という3点を軸に紹介する。

(1)障害者の生涯学習の意義

本書では,現状では人々の学習の保障が人生の初期に集中させてきたことの問題とその解決策として,障害の有無にかかわらず生涯にわたって学習にアクセスできる機会を保障するための生涯学習の必要性を主張している。その上で,障害者の生涯学習の意義について,世間一般では,「障害者の社会への適応を図るため」と「障害者が生き生きと社会参加し,よりよい社会をつくる主体となるため」とが混在しているとしている。生涯学習を司る社会教育の企画・運営の主体である社会の側が,責任をもってその意義を明示し,社会制度・社会教育としての生涯学習へのアクセス権を保障すべきではないかと提案している。歴史的に,学校教育とは異なる社会教育(生涯学習を含む)という学びの機会から障害者が排除されてきたことを鑑みて,インクルーシブな生涯学習のあり方を明示する必要性があることを示唆している。

(2)障害者の生涯学習を大学で展開する意義とインクルーシブな学び

学校教育をフォーマル教育とするならば,生涯学習はノンフォーマル教育として位置づけられる。資金調達や持続性という点で劣るが,相対的に自由度が高く柔軟性があるため,知的障害者に大学教育の実践を開くには適していると筆者は述べ,「神戸大学・学ぶ楽しみ発見プログラム」(以下,KUPI)は,大学におけるノンフォーマル教育として位置づけている。文部科学省の受託研究および授業料を設定し,大学としての履修証明書の発行と発行のための評価委員会の設置,カリキュラムの実施委員会での審査などを設け,フォーマル教育に近いノンフォーマル教育を大学内で位置づけている。この点が,従来多くの大学で知的障害者に対して行っている「オープンカレッジ」形式とは異なる特徴である。

また,KUPIを受講する障害のある当事者のいう「わからないけど楽しい」にこそ,大学で展開する意義があるとしている。筆者は「わからない」状態は多様であり,‘自分だけがわからない’のではなく,‘わからないからこそ,そのテーマは探求すべき’という状態になっているのであれば,それは大学教育であることの意義であるという。また,「わからないけど,そのわからないことに挑戦してみようと思える楽しさ」があるならば,それは自己覚知につながり得る学びではないかと提起している。

さらに,KUPIに参加する神戸大学の大学生にとって,知的障害者との活動における戸惑いや葛藤を起点として,その関係性の変化を得る貴重な学びの場となっているという。筆者はKUPIに参加する大学生の語りにも注目し,そのデータを分析して大学生にとっても学びの場となっていることを示唆している。

(3)知的障害者の語りの重要性

筆者は,知的障害者自らが自身の経験を語り,他者と共有することの重要性を説いている。従来,知的障害者の語りは,保護者の語りによって代替されることが多い。しかし,それはあくまで知的障害者の語りの保管に過ぎないとしている。そのうえで,知的障害者の語りの間主観性と当事者研究という視点での考察をしている。メインストリーム社会を基準としていることへの疑問,当事者固有のアイデンティティの重要性などという知見を引用しながら,障害のある当事者の語りの効果について,エンパワーメント,社会を変えていく可能性などに言及している。

本著は全体の構成としては,13章からなり,社会教育としての生涯学習の歴史,障害者の生涯学習に関する国内外の動向,KUPIの詳細なども記述されている。つい最近,KUPIを視察させていただいた。仕事を終えた当事者たちが,大学で楽しそうに学ぶ姿が印象的であった。私たち相模女子大学の実践は,津田英二氏の承諾を得て,「さがみはら・学ぶ楽しみ発見プログラム」と称して,相模原市と共にプログラム開発と地域展開を試み,さらには障害者と大学生たちの意見や考えを丁寧に聴き,運営に反映させるようにしている。障害者や大学生が生涯学習プログラム開発の主体者になるという独自性を大切にしながら,その意義を社会に発信していきたい。

文  献
  • Iwasa, M., Shimizu, Y., Sasayama, D., Imai, M., Ohzono, H., Ueda, M., Hara, I., & Honda, H.(2022)Twenty-year longitudinal birth cohort study of individuals diagnosed with autism spectrum disorder before seven years of age. Journal of Child Psychology and Psychiatry, and Allied Disciplines, 63, 1563–1573. https://doi.org/10.1111/jcpp.13614
  • 相模女子大学サイト(インクルーシブ生涯学習プログラム):https://www.sagami-wu.ac.jp/longlife/inclusive/
  • 武部正明・日戸由刈・藤野博(2021)成人期から支援を開始した知的発達に遅れのない自閉スペクトラム症者の就労後の適応行動─職業スキルと日常生活スキルの追跡調査.発達障害研究,43(1); 108-119. https://doi.org/10.60260/jasdd.43.1_108
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武部 正明(たけべ・まさあき)

相模女子大学人間社会学部人間心理学科 准教授
公認心理師、臨床心理士、臨床発達心理士スーパーバイザー

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